三日目 「信頼の意味」(5)
眠っていたお姫様がようやく目を覚ましました。物語りも少し前に展開します。
(!!!)
私は、反射的にエヴァを抱きしめ、ミズキから引き離した。
「知己、来い!」
瞬の叫びにも似た声が聞こえた。
パンッ!!
ドンッ!!
何かが弾ける音がして、それから大きな衝撃音が天井から聞こえた。見上げたその先には、禍々しい緑色の翼を大きく広げたミズキが天井に張り付いていた。両方の先が鈎状になっていて、それが天井の梁の部分に突き刺さっていた。威嚇的で、攻撃的な背中の翼とは対照的に、ミズキの体は力が抜けたように手足をだらりとしたに垂らすようにしていた。そして、なによりもミズキの目はまだ開かれていなかった。
「・・・げて・・・」
目を閉じたままのミズキの口から消え入りそうな声がこぼれた。私はその言葉を聞き取ろうと、全神経を集中した。
「・・・逃げて・・・逃げて・・・お願い・・・」
目を閉じたまま苦悶の表情を浮かべるミズキの姿があまりにも痛々しくて、私は思わず叫んでいた。
「ミズキ!あなたは私が絶対助けるから!」
「無理だ!!!」
まるで獣が威嚇するような耳をつんざく鋭い叫びが返ってきた。と同時に、ミズキの両の翼の鈎爪が天井の戒めを解き、一斉に私たちに襲い掛かった。私はとっさに自分の体を盾にするようにしてエヴァを胸に抱え込んだ。
ガキィィッ
鋭い炸裂音が背中から聞こえ、私は自分の背中に走るであろう激しい痛みに備えて体を緊張させた。けれど、予想していた痛みも、苦しみも来なかった。その代わりに、力強い声が背中から聞こえてきた。
「大丈夫ですか、高山さん!」
「おい!希望、しっかりしろ!」
後ろを振り返ると、分厚い本で鈎詰めを受け止めている瞬と、両手で鈎爪を受け止めている知己がそこにいた。
「真友!起きてんなら、手伝えバカ!」
「バカって言うな!バカ知己!」
そう言うと、真友ちゃんは二人の受け止めた鈎爪を長い棒をまるでオールを漕ぐように巧みに振り回し、一瞬のうちにたたき落とした。
「今よ!のぞちゃんたちをベッドの影に連れて行って!」
瞬は私の顔をのぞきこむと、
「歩けますか?」
「うん」
私は、エヴァを強く抱きしめると真友ちゃんの指示通りベッドの影へと向かった。後ろでミズキのうなり声が聞こえ、何度か風を切る音がした。そして、そのたびに真友ちゃんの掛け声と共に、打撃音が聞こえた。ベッドの脇にたどり着くまでの間は、ほんの数秒のことだったけれど、とても長い時間のように感じた。たどり着いた先で、高鳴る鼓動を抑えながら、胸元で小さく震えているエヴァに声をかけた。
「エヴァ、大丈夫?」
エヴァの顔を覗き込むと、体を震わせながらも笑顔で「大丈夫」と応えてくれた。私は、もう一度エヴァを強く抱きしめた。
「大丈夫。大丈夫だから」
何度もそう繰り返した。そして、エヴァを抱きしめながら、ベッドの陰から真友ちゃんたちの戦いを見守った。
「ちょっと、何であんたがここにいるのよ!」
空を切りながら襲い掛かってくる鈎爪を棒で叩き落しながら真友ちゃんは知己に悪態をつき続けた。
「あんたがいると邪魔!早く、ベッドの向こうに隠れなさいよ!」
「うるせー!一昨日、俺に助けられたくせに偉そうに言うな!」
ベッドの脇においてあった椅子を使って、鈎爪の攻撃を防ぎながら知己は真友ちゃんに悪態をつき返していた。
「誰も、助けてくれなんて言ってないわよ!」
そう言って、真友ちゃんが鈎爪を叩き落とすと、
「俺だって、お前だから助けたわけじゃねえよ!」
と知己も椅子で鈎爪をなぎ払った。きっと、全くの部外者でテレビか何かで見ていたのならコントのように見えたかも知れない。けれど、これは現実で、二人は別にふざけているわけではなかった。その証拠に、二人とも悪態をつきながらも真剣な表情を決して崩さなかった。
「じゃあ、なんで助けたの!」
「俺は、目の前で誰かが困ってたら、誰だって助けると決めてんだ!」
「だと、思った!あんたは、誰でも見境なく助けるんだよね!」
「約束だからな!」
二人は、鈎爪の連続攻撃をひとまずしのぐと、お互いに背中を守る形に体制を入れ替えた。次にくる攻撃に備えて、呼吸を整えている間、真友ちゃんは何かつぶやいたようだけど、私には聞こえなかった。
(え・・・!)
私と同じようにベッドの陰に身を潜めていた刹那ちゃんが、二人から少し離れた場所に歩み寄った。そして、そのすぐ横に分厚い本を持った瞬が付き添っていた。
「十六夜さん、詩を!」
瞬の言葉に呼応して、刹那ちゃんは歌い始めた。その声が部屋中に響き渡った瞬間、ミズキの翼は狂ったように暴れ始めた。
「私は歌う あなたのために
暗く冷たい海で たった一人漂うときも
夜の帳に閉ざされた 光の見えない夜を飛ぶときも
裏切られ 傷つき 心が崩れそうなときも」
「黙れ! 黙れ!! 黙れ!!!」
鼓膜が破れそうな絶叫で部屋がびりびりと震え、鈎爪の攻撃が刹那ちゃんに集中した。
「知己、後藤さん!頼みます!」
「了解!!」
「了解!!」
三人は連携して、刹那ちゃんを囲むように鈎爪の執拗な攻撃をしのぎ続けた。刹那ちゃんは、目を閉じたまま、そこから一歩も動かず歌い続けた。
(みんな頑張っている。それなのに、私は・・・)
胸元で震えるエヴァを抱きしめながら、私は今何ができるかを必死で考えた。
「私は歌う あなたのために
どんな時でも 希望はあると
夜明けが必ず来るように
雨雲の向こうに 必ず青空が広がっているように
あなたの中にも 必ず希望はあるのだと
あなたに気づいて もらうために」
(え!)
緑の禍々しい翼の攻撃がより一層激しさを増す中、翼に振り回され青ざめたミズキの頬に涙が伝うのが見えた。
(詩は届いてるんだ・・・後は・・・私に出来ることは・・・)
頭の中である結論に思い至ったとき、私は胸に抱きしめているエヴァに言葉をかけていた。
「エヴァ。しばらく、一人でも大丈夫?」
私の声に、エヴァは小さく頷いた。
「いい。ここから、絶対出てはだめよ」
「希望は、どこに行くの?」
「ミズキを助けに行ってくる」
その言葉にエヴァは精一杯の笑顔で答えてくれた。
「頑張ってね!」
「うん。頑張ってくる!」
私はエヴァから腕を放すと、立ち上がり、そして、全速力で駆け出した。
「みんな、お願い!」
全力で走り出した私にはそれしか言えなかった。けれど、みんなは
「了解!」
「了解!」
「了解!」
歌い続けていてくれる刹那ちゃんでさえ、大きくうなずいてくれた。
(ありがとう、みんな。私、頑張る!目指すのは、ミズキの心!)
他のものには目もくれず、私はミズキの体に向かって走り続けた。異変に気づいた、ミズキの翼が、凶悪な鈎爪を私に向けて振り回してきた。私はそれをよけようともせず、まっすぐに走り続けた。
「真友!!」
知己の声だ。
「分かってる!!」
真友ちゃんの声だ。
私を引き裂こうとした鈎爪を二人は、寸前のところで防いでくれた。炸裂音とともに鈎爪がはじき飛ばされた。
(あと、五歩!!)
バランスを崩した翼は、ミズキを振り回しながら、後方へと退こうとした。
「逃げないで!
あなたは もう一人じゃない!
私も そして みんなも 歌う
あなたの ために
精一杯!」
刹那ちゃんの叫びにも似た詩が部屋中に響き渡ると、片方の翼の動きを萎縮させた。
(あと、二歩!!)
萎縮していない方の翼がうなりを上げて私に向かってきた。
(あと、一歩!!)
私の後方から何か黒い物体が飛んできた。そして、それは目の前まで近づいた鉤爪に衝突し、その描く軌道をずらしてくれた。
(届け!!)
私は、思いのたけを込めて、ミズキに抱きついた。そして、彼女の耳元でこう言った。
「大丈夫。ここにいるよ」
そうして、もう一度ミズキを強く抱きしめた。ミズキの頬を涙が伝い、私の肩を濡らした。ミズキの背中の翼が狂ったようにもがき始めた、けれど、ミズキは自分の足で立ち、自分の腕で私を抱きしめた。私はもう一度繰り返した。
「大丈夫。私はここにいるよ」
背中の翼は次第に静かになっていった。そして、ミズキの涙があふれ出るのを止めたと同時に、寝ていたときのように小さく折りたたまれ、その動きを止めた。私が強く抱きしめた腕の力を少しゆるませると、ミズキも腕の力を少し抜いた。両手でミズキの肩を持ち、少しだけ離れてミズキの顔を見ると、青ざめていた頬が少し赤みを帯びていた。けれど、ミズキの目はまだ開かれていなかった。
「ミズキ、目を開けてみて。私は、ここにいるよ」
「・・・私・・・怖い・・・」
目を閉じたままミズキは言葉を続けた。
「暗闇は怖い・・・だけど、明るいところにいくのはもっと怖いよ・・・見なければ、見えなければよかったのに・・・だって、私はこんなにも・・・醜い」
震えながら、苦しみながら言葉をつむぎだすミズキを私はもう一度強く抱きしめた。そして、ミズキのために今、何をしてあげればいいのかを必死で考えた。
「俺は綺麗だと思うぜ」
(へ?)
突然の事に私が驚いて振り向くと、そこには当然のように知己がいた。照れくさそうに、鼻の頭をかきながら、知己は言葉を続けた。
「俺は、バカだから口は上手くねえけど、かわりに嘘はつかない。もう一度言うぞ。俺は、お前のこと綺麗だと思う。その翼もかっこいいじゃねえか。それに、その翼があったから、悪いやつらのところから逃げてこられたんだろ。だったら、その翼は恩人じゃねえか。醜いとか嫌いとか言ってやったらかわいそうだ」
(ありがとう、知己)
私は心の中で知己に感謝すると、もう一度ミズキに向かって自分の思いを伝えた。
「ミズキ。私も、知己と一緒。ミズキは綺麗だよ。綺麗で、強くて、そして、優しい。だから、自分で自分を傷つけてしまうんだよね。だけど、そんな弱さもひっくるめて、私はあなたと友だちになりたい。たとえ、あなたが自分を信じられなくても、私はあなたの心を信じる。だって、『人は偉大になろうと思ったのなら、どこまでも偉大になることができる』んだから」
ミズキを抱きしめる腕に力を込めた。ミズキは目を閉じたまま、深く頷いた。
「お姉ちゃん、大丈夫?」
いつのまにか私たちの足元にエヴァが来ていた。エヴァはつぶらな瞳を向けながら、もう一度言った。
「お姉ちゃん、大丈夫?」
ミズキは目を閉じたままエヴァのほうに顔を向けた。そして、うっすら微笑みを浮かべてこう言った。
「私は、大丈夫よ。ありがとう」
「うん!」
元気いっぱい返事をしたエヴァはミズキの腰にぎゅっと抱きついた。
「お姉ちゃん、もう起きる時間だよ。そしたら、エヴァと一緒に遊ぼうよ」
ミズキは、少し間をおいたあと、優しい声でエヴァに語りかけた。
「ねえ、エヴァ。お姉ちゃんのこと、怖くなかった?」
「怖かったよ。けど、今は怖くない」
「なんで?」
「エヴァのお話しを聞いてくれるから。エヴァ、お話するの大好き」
「そう。エヴァはとっても素敵な子ね」
ミズキは少しためらった後、言葉を続けた。
「じゃあ、今から私が問題をだすね。もし、エヴァが答えられたら、私も起きて一緒に遊んであげる。いい?」
「うん!」
私は二人の会話を静かに聴いていた。けれど、胸の奥では高鳴る心臓の鼓動を抑えるのに必死だった。それくらい、私は緊張していた。あと、一歩。ミズキが自分自身を乗り越えるにはあと一歩が必要だ。その一歩を踏み出すための勇気をエヴァが与えてくれるかもしれない。そんな期待と不安が心の中で入り乱れていた。気づくと、のどの奥がからからに乾いていた。私は、自分の中に生まれる不安を打ち消すように心の中で
(頑張れ!頑張れ!頑張れ!)
何度も繰り返した。ミズキは私の背中に伸ばしていた手を解くと、しゃがみこみエヴァの方に向かって話しかけた。
「じゃあ、問題。目を閉じていても見えて、耳をふさいでいても聞こえるのに誰にも見えないし聞こえないものは何でしょうか?」
エヴァは満面の笑顔でこう応えた。
「こころ!」
「!!!」
ミズキだけでなく、私たち全員が驚きの目でエヴァを見た。ミズキは、震える唇を必死で抑えながらエヴァに話しかけた。
「どうしてそう思ったの?」
「えーとね。ケネスがそう言ってたの。見えないし、聞こえないけど、確かにあって、この世で一番大切なものは“心”だって。間違い?」
「ううん。あってるよ。うん、あってる」
ミズキは、エヴァの方へ手をゆっくりと伸ばした。エヴァはその手をぎゅっと握り締めた。
「ねえ、エヴァ。エヴァには私の心は見える?」
「見えない
・・・けどね」
エヴァはミズキの手のひらを自分の頬にそっと当てた。
「お姉ちゃんの手、とってもあったかいよ」
ミズキの頬を涙が伝った。
「うん・・・。そうね。じゃあ、約束だから、起きるね」
そう言うと、ミズキはゆっくりと目を開いた。まぶたの奥に青い瞳がのぞいたとき、私はいても立ってもいられなくて、もう一度ミズキに抱きつき、そして、言った。
「おはよう。おかえり。おめでとう」
ミズキは私の背中に手を伸ばしてこう答えた。
「おはよう・・・ただいま・・・ありがとう・・・希望」
後ろで瞬たちの歓声の声があがった。足元からはエヴァの「おはよう!」のかわいらしい声が何度も聞こえてきた。
「それはそうと、ミズキさん」
私とミズキが振り向くと、真友ちゃんが顔を逸らしながら手に持った白いシーツを突きつけてきた。
「???」
私とミズキが頭をかしげると、真友ちゃんは顔を真っ赤にしてこう言った。
「これ、着なさいよ!目のやり場にこまるのよ!」
言われて気づいた。ミズキの着ていた服はちぎれ落ち、ミズキは生まれたままの姿になっていた。私はあわてて真友ちゃんの差し出したシーツを受け取ると、ミズキに羽織らせた。ミズキは照れくさそうに顔を赤らめると、真友ちゃんに右手を差し出した。
「ありがとう」
真友ちゃんは、その手をしっかりと握るといたずらっぽい笑顔で応えた。
「どういたしまして。あたしは、後藤 真友。真友って呼んで」
「よろしくね。真友。私はミズキ」
「ミズキ。一つ忠告しておくわ。この部屋には、危険な生き物が一匹入り込んでいるの」
「ええ!」
ミズキは驚いて、あたりを見回した。
「あわてなくていいわよ。その生き物が、危険だと分かってさえいればこれといった害はないから。ただし、間違ってもさっきみたいに裸でその生き物には近づかないこと。なんたって、その生き物は、初対面の女の子の胸を平気でもむようなやつなんだから」
「おい、真友」
「何よ」
「なんだか、分からねえけど、その危険な生き物ってのはどこにいるんだ?」
知己の言葉に、真友ちゃんは大きなため息をついた。そして、ミズキに向かってこう言った。
「一つ言い忘れてたわ。その生き物は、自分が危険な生き物であることを理解していない、たちの悪いやつだから、くれぐれも気をつけてね」
「え、あ、はい」
真友ちゃんの勢いの押される形でミズキは思わず返事をした。
「おーい、真友。無視すんな。その危険な生き物ってのはどこにいるんだ」
「うるさい!あんたはあっち行ってなさい!」
「なんだよ、突然。まあ、いいや。えーと、ミズキっていったっけ」
「あ、はい」
突然の声かけに少し戸惑いながらミズキは答えると、知己は満面の笑顔でこう言った。
「おめでと。よかったな」
こういうときの屈託のない笑顔は、知己の魅力の一つだと思う。そんな知己の笑顔に、ミズキは顔を赤らめながら「ありがとう。」と消え入りそうな声で答えた。知己はその言葉に満足したようで、もう一度笑みを浮かべると瞬と一緒に部屋の隅へと歩いていった。その後姿を見ながら、真友ちゃんがため息をついた。
「どうしたの?」
私が尋ねると、真友ちゃんはため息まじりにこう答えた。
「あのバカは、自覚がないから困るのよ」
「あのバカって、知己のこと?」
真友ちゃんは、うなだれるようにうなずいた。
「ねえ、ねえ」
「どうしたの、エヴァ」
「お姉ちゃん、ぼーっとしてるよ」
言われてミズキのほうを見てみると、顔を赤らめて確かにぼーっと何かを見つめていた。視線の先を追っていくと、部屋の片づけをしている知己がいた。
「知己に、何か用なの?呼ぼうか?」
「え、あ、ううん。なんでもない。なんでもないから。そっか。あの人、知己っていうんだ」
「そう、知己。前田知己だよ。お調子者だけど、いいところもたくさんあるよ」
「うん・・・知ってる」
そう言って、またぼーっと知己を見つめ始めた。
(え!)
私は慌ててうなだれている真友ちゃんに声をかけた。
「真友ちゃん。もしかしたら、ミズキ・」
そこまで言って、真友ちゃんに言葉をさえぎられた。
「その先は言わなくてもいい。あーあ、本当、前途多難だ。」
背伸びをしながらそう言った真友ちゃんは、それでもなんだか嬉しそうだった。あらためて部屋の中を見渡すと、ちぎれとんだシーツやベッドの破片があちこちにあって、さっきまでの清潔感のある部屋とは似ても似つかなかった。けれど、知己や瞬、真友ちゃんに刹那ちゃん、エヴァにミズキ、そして多分私も一様に明るい顔をしていた。だから、私は嬉しかった。
「でもね、真友ちゃん」
「何?」
「まだまだこれからかもしれないけれど。でもね、それでも私たち、一歩前に進めたよね」
真友ちゃんは、当然のようにこう言った。
「当たり前じゃない!だって、私たちにはいつでも希望がいるんだから!」
ご意見、ご感想お待ちしています。




