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第二章 「夢の中で見る夢」 一日目 昼 始まり(1)

ようやく夢の中の話が始まりました。少しはファンタジーらしくなってきたでしょうか。

 目の前に広がる光景に圧倒され、みんなが言葉を失っていると突然後ろから落ち着いた涼やかな声が聞こえてきた。

「君たち。そろそろ持ち場につきたまえ」

 驚いて後ろを振り向いた。そこにいたのは、銀色の長い髪と眼鏡の奥からのぞくエメラルド色の瞳が印象的な青年だった。白いワイシャツに黒色のズボンを装った青年は、どことなく気品があり、なんとなくだけど夢見君に似ているような気がした。

「あなたは、誰ですか?」

 私は思わず、そう口走っていた。

「この船に乗って一週間もたつのに副長の名前も覚えていないのか?」

 怪訝そうな顔を私たちに向けたその人に、私は頭を下げた。

「すみません」

「まあ、いい。ならば、今度こそしっかりと覚えておことだ。私の名はユリアン・シーザー。この戦艦『ノブレス・オブリージュ』の副長だ」

「えー!」

 心臓が飛び出るかと思うくらい大きな声をあげたのは真友ちゃんだった。

「うそでしょ!」

 いぶかしげな目を向けるユリアンさんには気も留めないで真友ちゃんは騒ぎ続けた。

「すごい!本物!きゃー!かっこいい!ねえ、ねえ、そのカフスボタンちょっと見せて!」

 そう言って真友ちゃんがカフスボタンに手を伸ばそうと瞬間、ユリアンさんの雰囲気が豹変した。

「ふざけるな!貴様、それが上官に対する態度か!」

 先ほどまでの丁寧な口調とは打って変わった激烈な言葉に真友ちゃんだけでなくみんなすくみ上がった。言葉だけでなく、眼鏡の奥からのぞくまなざしはまるで心の中まで見通してしまいそうなほど、冷たく、強く、鋭かった。そのまなざしを真っ向から受けている真友ちゃんは、どんな気持ちだろう。私は、不安になって真友ちゃんのほうへと目を向けた。見ると、真友ちゃんのまぶたにはうっすらと涙があふれてきているのが見えた。

(真友ちゃん!)

 私は我慢できなくなって思わずこう言っていた。

「もう、許してあげてください!」

 私の声に、真友ちゃんは驚いた顔で振り返った。ユリアンさんは、その真剣のようにするどいまなざしを私に向けてきた。

(負けるもんか!)

「真友ちゃんも悪気があってあんな言葉遣いをしたわけじゃないんです。真友ちゃんは、人のことを馬鹿にしたり、見下したりすることは絶対しない人です。私の最高の友だちです。だから、もう許してあげてください」

「・・・。」

 ユリアンさんは黙ったまま更に強く、するどいまなざしを私の瞳の奥に注いできた。

(本当に心の奥底まで入ってきそうだ)

 私は人の放つ強烈な威圧感が、これほど心を締め付け縮こまらせてしまうものだということを初めて知った。私はあらんかぎりの力を振り絞ってユリアンさんの目を見つめ返した。すると、知己と瞬が私とユリアンさんの間に割って入ってきた。

「お、女相手にすごむんじゃねえ!」

 少し震える声でそう言った知己。

「二人の行動に何か問題があったのなら僕が全て責任を取ります」

 深々と頭を下げながらそう言った瞬。私たちをかばおうとする二人の姿に、涙がこぼれそうになった。きっと、真友ちゃんも同じ思いをしているに違いない。

 二人の様子を一瞥するとユリアンさんは、右手を振り上げた。

(だめ!)

 私はとっさに二人の前に出ようとした。けれど、二人は両手を広げて私を前には出させてくれなかった。真友ちゃんも前に出ようとしたけれど、知己が後ろへ押し返した。

「ぶつなら、あたしをぶちなさいよ!知己に何かしたら、ただじゃすまさないからね!」

「うるせー!なぐられるのは男の仕事なんだよ!」

 知己の言葉に、ユリアンさんは右手を振り下ろした。次の瞬間、知己と瞬はデッキの上に崩れ落ちた。私と真友ちゃんはすぐさま駆け寄って二人を抱き起こした。瞬も知己も口元がうっすらと切れて血がにじんでいた。

(なんで、こんなことをするの!)

 私は自分の中の怒りを抑えることができず、ユリアンさんをにらみつけた。すると、瞬がよろよろと起き上がってもう一度ユリアンさんに向かって深々と頭を下げた。遅れて知己も同じようにした。そして、二人そろってこう言った。

「本当に申し訳ありませんでした!」

 その様子を一瞥すると、ユリアンさんはきびすを返して船尾のほうへと歩いていった。私は悔しさをこらえきれなくなって二人を怒るように言ってしまった。

「なんで、謝ったりしたの!二人は悪くない!」

 二人の顔がゆがんで見えた。

(あれ、私泣いてるの)

 いつの間にか私は泣いていた。握り締めた両手の上にぽたぽたと涙が零れ落ちた。

「おい、泣くなよ。こんなこと、どうってことないって。それによ、あいつは別に悪くねえぜ。悪いのは俺たちだ」

「なんでよ!そりゃあ、ちょっとなれなれしすぎたかもしれないけど、二人が殴られるようなことなんて一つもしてないじゃないでしょ!」

 真友ちゃんの言葉に知己はいつになく真剣な顔で答えた。

「いいか、真友。本気で何かを手に入れたいと思ったら、本気でやらなくちゃだめなんだ。一人では手に入らないものなら、みんなが同じ方向を見て進まなくちゃいけない。そのためには、チームが大切なんだ。リーダーを中心にして力を合わせられるチームが必要なんだ。俺は、『海賊紳士』って本を読んだことないけれど、きっとこの船に乗ってる人たちは何か大きなことをしようと思ってるんだろ。だったら、あいつは正しい。そりゃあ、なぐられたのは痛いし、腹も立つけど、この船に乗った以上、俺たちも同じ方向を見て進まなくちゃいけないってことだ」

 私は、こんなに真剣に何かを伝えようとして話してくれる知己の姿を久しぶりに見た。真友ちゃんも、そんな知己の姿に何か感じ取ったようで、黙ったまま知己の瞳を見つめていた。そんな私たちの視線に気がついたのか、知己は突然そわそわしだした。

「おい、瞬」

「なんだ?」

「お前も何か言えよ」

「知己が全部言ってくれたよ」

「別に、俺、特別なことなんて言ってないよな?」

「ああ。お前の言ったことは、尾田田先生と監督が俺たちに教えてくれたことで間違いない。ただ」

「何だよ」

「今、自分が言ったことを特別なことではないと言えるお前はすごいと思ったよ」

「???」

 瞬の言葉に、首をかしげる知己。そんな二人の姿を見ているとなんだか嬉しくなってきた。さっき、あれだけ頭に血がのぼっていた自分が嘘みたいに自然と笑みがこぼれてきた。

「やっと、笑ってくれましたね」

 そう言った瞬も笑っていた。

「え、あ、うん。ごめんね。二人が殴られたのに笑ったりして。でも、二人の変わらない姿を見ているとなんだか嬉しくなって」

「高山さんの笑顔が見られなら僕は何度でも殴られますよ。」

 その言葉を聞いた瞬間、さっきとは違う意味で頭に血が上ってくるのを感じた。

「いちゃつくのはそれくらいにしておけよ」

 突然、背後から野太い声が聞こえた。私たちがあわてて振り向くと、そこには小柄だけど丸太のように太い腕と太くて長い眉毛が印象的なおじさんが立っていた。

「まあ、女をかばったのは褒めてやるけど、ユリアンにあんまりつらい思いをさせるなよ」

 笑顔でそう言ったおじさんは、なんだか全体からふわりとした温かみのようなものを感じる人だった。

「すみません。あなたはどなたですか?」

 瞬の問いに、おじさんは愉快そうに答えてくれた。

「はははは。まだ俺の名前を覚えてないのか。いいか、もう一度だけ教えてやる。俺の名はモレル。マクシミリヤン・モレルだ。知己、真友。お前たち二人の直属の上司でもある。ちなみに、瞬の直属の上司はジョヴァンニで、希望の上司は船長だ。っと、これくらいは知ってるよな。まあ、気楽にやれ。この船の連中は、明るく気さくなやつばかりだ。中にはユリアンみたいに気難しいやつもいるが、根はいいやつらだ。なんたって、われらが船長のもとに集まってくるやつらだからな。」

(船長!ケネス・ギルフィード)

 私は真友ちゃんに借りて読んだ『海賊紳士』一巻のことを思い出した。その中で、ケネス船長は、つらい過去を持ちながらも圧制に苦しむ人々のために戦うことを決してあきらめない人として描かれていた。貴族の私掠船に船を襲われ、両親の命と引き換えに逃げ延びることができた少女と海で出会うところから物語が始まり、そこで少女に生きる力を与えた言葉がとても印象的だった。たしか・・・

(あれ?なんで、思い出せないんだろう?)

「ねえ、真友ちゃん?」

「何?」

「『海賊紳士』の一巻で助けた少女にケネスさんが言った言葉って覚えてる?」

「当たり前じゃない!誰に聞いてるのよ。あたし、一巻は十回は読んだんだから。えーと、確かね・・・?」

「どうしたの?」

「えーと、ちょっと待ってね。えーと、あれ、何で?あたしが忘れるはずないのに。」

(真友ちゃんも、忘れてる!)

 夢の中に入ってどうしても思い出せないことが二つあることが分かった。一つは、夢見君が寝る前に伝えてくれた言葉。もう一つは『海賊紳士』の内容の大事な部分。

(きっと、何か意味があるんだ!)

「ねえ、瞬。私、気づいたことがあるんだけど・・・」

 言いかけたその時、マストの上から大きな叫び声にも似た声が聞こえた。

「左舷後方!でっかいやつがこっちに向かってる!亜種だ!」

 声と同時にモレルさんは、矢のような速さ左舷後方へと走り出した。続いて、知己と真友ちゃんが走り出した。

「高山さん。どうやら、緊急事態のようです。話は後で。」

 そう言うと瞬も走り出した。私も慌てて駆け出すと、マストに縛り付けてあったロープに足を取られ思い切り転んでしまった。右ひざを強く打ったみたいで、ひざ小僧から血がにじんでいた。涙をこらえて立ち上がろうとすると、私の前に手を差し伸べてくれる人がいた。

「大丈夫か。」

「あ、はい。大丈夫です。」

 とっさにそう答えて、私は顔を上げた。

(あ!)

 目の前にいたのは、ユリアンさんと同じ装いに黒いマントを肩から羽織った尾田先生だった。「え、先生?なんで、ここにいるの」

 尾田先生は、少し苦笑いをすると私の手を握って立ち上がらせてくれた。

「怪我はないようだな」

「はい」

「だったら、希望はエヴァのそばにいてやってくれ。分かったか?」

「エヴァって誰のことですか?」

 尾田先生は、両手で私の頬に優しくふれると真剣な眼差しで言った。

「俺の大切な人だ。今は船室で寝ているはずだが、この騒ぎで不安になっているかもしれない。だから、一緒にいてやってくれ。頼む」

 心を振り絞るようなその言葉に、私はうなずき船尾にある扉に向かって夢中で駆け出していた。

(何が起こって、どうなっているのかは分からないけど。尾田先生の一生懸命な頼みを断るわけにはいかない!)

 揺れるデッキの上をよろめきながらようやく扉まで着いたとき、後ろからどよめきがあがった。驚いて振り向くと何か得体の知れないものが甲板の上に取り付いているのが見えた。それは、白っぽい巨大なナメクジのような姿をしていて、見ているだけで怖気が背筋を走った。

「戦闘第一班!前へ!」

 マクシミリアンさんの号令が船上を響き渡った。それと共に、右腕に赤いスカーフを巻いた5人の男女が人垣の前へ進み出た。

(あれ、そういえば知己と真友ちゃんの腕にも青色のスカーフが巻いてあったな。)

 ふと、そんなことを思い出して二人の姿を探してみると知己がマストをひょいひょいと上に向かって上っていくのが見えた。その右腕には思った通り青いスカーフが巻いてあった。

(真友ちゃんはどこ?)

 私が人垣の中から真友ちゃんを探そうとしていると、次の号令が響き渡った。

「抜刀!」

マクシミリアンさんのその言葉で、いっせいに赤いスカーフを巻いた人たちは腰から日本刀によく似た剣を引き抜くと、その得たいの知れない物体にいっせいに切りかかった。と、その時、私の袖を誰かが引っ張った。

「ねえ、どうしたの?」

 少し舌っ足らずな、子どもの声に私が振り向くと。半身を扉から乗り出してこちらを見ている小さな女の子がいた。

(可愛い!)

 それが私の第一印象だった。深緑を思わせる長い黒髪。二つの円らな瞳は碧眼で、首をかしげてこちらをじっと見つめるその姿からは、疑うことを知らない純粋さがひしひしと感じられた。昔、捨てられていた子猫を拾って帰った時に胸の奥で芽生えた感情と同じ感情が私の中で生まれていた。

(守ってあげたい。)

 私は、無意識のうちにこの子を絶対に守ろうと固く決意していた。

「なんでもないよ。けど、ちょっと波が荒れているみたいだからお部屋に戻ろうね。」

 女の子は、こくりとうなずくと私の右袖をそっと引っ張った。私が女の子を連れて扉の中に入ろうとした、まさにその時

「きゃー!」

 聞き覚えのある女の子の叫び声が聞こえた。驚いて振り向いたその先には、先ほどの得体の知れない物体に足を絡め取られ宙に浮いている真友ちゃんの姿があった。

「真友ちゃん!」

 その時、私は初めてその得たいの知れない物体が何だったのかに気がついた。

(イカの足!)

 ぐねぐねと奇妙な動きをしながら、そのイカの足は真友ちゃんを宙に吊り上げていた。そして、真友ちゃんを助けようと何人かの男の人が剣で切りかかろうとするたびに、いつの間にか船体に取り付いていた他の足がまるで巨大な鞭のように振り下ろされそれを阻止していた。

(なんとかしなくちゃ!)

 私が無我夢中で走り出そうとした時、

「こわいよ、お姉ちゃん」

 さっきの女の子が私の腰にしがみついてきた。

(そうだ、この子を安全なところに避難させないた。けど・・・)

 どうしたらいいのか分からず、私は思わず叫んでいた。

「誰か!真友ちゃんを助けて!お願い!」

「まかせとけ!!」

 空から聞こえてきたその声は、まぎれもなく知己だった。知己は右手に持っていた槍を両手に持ち直すとそのまま真友ちゃん目掛けてマストから飛び降りた。

(うそ!)

 知己は真友ちゃんを絡め取っているイカの足に向かって落下し、勢いそのままに両手で持った槍を巨大なイカの足に突き刺した。けれど、あまりの勢いに槍はイカの足に突き刺さったまま手元で折れてしまい、知己は甲板の上にたたきつけられてしまった。すぐに、モレルさんが駆け寄り介抱を始めた。

「今です、後藤さん!これを使ってください!」

 そう叫んだのは瞬だった。瞬は右手に持った短剣を鞘ごと真友ちゃんに向かって投げた。真友ちゃんは、それをしっかりと受け止めると短剣で絡み付いているイカの足を切り落とし、宙で体をひねらせて見事に甲板の上に着地した。

(よかった。真友ちゃんが無事で。けど・・・)

 甲板にたたきつけられた知己は、まだ意識を取り戻さないようでモレルさんが必死で介抱しているようだった。その様子を目の当たりにした真友ちゃんは、一瞬青ざめて片膝を崩した後、殺気さえ感じさせるようなまなざしで巨大なイカの足をにらみつけた。

「よくも・・・よくも、知己を。よくも、知己を!!!!」

叫びにも似た雄たけびを上げた真友ちゃんは、まるで放たれた矢のように目の前の敵に向かって突進した。槍が突き刺さったままのイカの足は激痛のためか狂ったように甲板の上をのた打ち回っていた。先ほどの赤いスカーフの人たちが近づいて攻撃をしようとするけど、あまりの動きの早さに近づけずにいた。それなのに、真友ちゃんはイカの足の変則的な動きをまるで先に分かっているかのように紙一重でよけながら短剣で一箇所を何度も切りつけ続けた。

(すごい・・・)

 私がその動きに見入っていると、女の子がつぶやいた。

「綺麗だね。」

 私は静かにうなずいた。女の子の言うとおり真友ちゃんは綺麗だった。あれだけ動き続けているのに少しも体勢が崩れない。キチガイじみた動きを続けるイカの足をまるで風のようにすりぬけ的確に攻撃を与えている。しかも、短剣を振り回しているのではなく、体裁きで交わした後やってくるイカの足の前に短剣をかざし、相手の勢いを利用して切りつけている。私は、思わず見とれていしまっている自分に気づき、頭を横に強く振った。

(知己、真友ちゃん、ごめんね。)

私は意を決して女の子の手を強く握った。

「ここは危ないから、お姉ちゃんと一緒に中に入ろう。」

 女の子は素直にうなずくと、つないだ私の手を両手で強く握り締めた。私が扉を開けようと手を伸ばした時、突然声がした。

「希望、扉から離れろ!」

 私は、分けも分からず女の子を抱えて扉から跳びのいた。

(え!)

 メキメキメキ

 見る見るうちに木製の扉にひびが入り、次の瞬間木片と化して砕け散った。そして、中からイカの巨大な足が躍り出てきて、すぐそばにいる私たち二人に襲い掛かってきた。

(逃げなきゃ!)

 私は女の子を抱きかかえて駆け出した。と、その時何かが私の左足に絡み付いてきた。バランスを崩した私は、なんとか女の子をかばおうと上半身をよじらせて倒れこんだ。

(痛っ・・・)

 無理な体勢で倒れこんだために右肩を強く打ってしまい右手に全く力が入らなくなっていた。私の足を絡め取ったイカの足は、すごい力で私の体を引っ張り始めた。私は無我夢中で女の子を突き放し、こう言った。

「逃げて!」

 小さな女の子は、ふるえながら悲しみに満ちた目で私を見つめていた。

(ごめんね。)

 守ろうと思った女の子にこんな悲しい思いをさせてしまったことに胸が痛んだ。もし、このまま私が死んでしまえば、女の子はもっと悲しむに違いない。だったら、

(絶対に死ねない!)

 私は自由になっている右足でイカの足を何度も蹴り飛ばしてみたがイカの足はびくともしない。私は近く似合ったロープに手を伸ばし右手に巻きつけた。けれど、イカの足は容赦なく私の足を引っ張り続けた。すぐに巻きつけたロープが張りつめ、手と足を両方から引っ張られる格好となってしまった。

(体がちぎれる!)

 本当にそう思うくらいの激痛が体中の関節と筋肉に走った。私は、歯噛みをして叫びたくなるのをこらえて力いっぱい踏ん張った。

「高山さん!」

 瞬が叫びながらこちらに走ってくるのが見えた。

(瞬が来てくれる。)

 けど、体のほうはもう限界に達していることを感じていた。すでに感覚のなくなっている右腕に加え、ロープを巻きつけている左腕からも力がぬけはじめた。

(負けるものか!)

あらん限りの力を振り絞ったけど、ついにロープが腕からほどけ自動車に引きずられているような勢いで船室の中へと引きずり込また。

と私は思った。

けれど、実際は引きずり込まれる一歩手前で足に絡み付いていたイカの足はするりと解け、ぴくりとも動かなくなっていた。

(???)

 私は何が起こったのか分からなくて周囲を見渡した。すると、瞬が泣き出しそうな顔で私を見つめていた。

「瞬。心配かけてごめんね」

 私は思わずそう言っていた。すると瞬は目を潤ませながらたった一言、

「すみません・・・」

 唇をかみ締めながらそう言った瞬の顔が、あまりにもつらそうだったから私は痛みをこらえて笑顔を作った。

「大丈夫だよ。私は元気だけがとりえだから」

 けれど、瞬のつらそうな表情は変わらなかった。うなだれている瞬の横から、心配そうな顔をのぞかせてさっきの女の子が近づいてきた。

「お姉ちゃん、大丈夫?」

 私は、精一杯微笑んで見せた。

「うん、大丈夫だよ。あなたは大丈夫だった?ごめんね、さっきは突き飛ばしたりして」

「お姉ちゃん、ありがとう」

 そう言った女の子のお日様みたいなとびきりの笑顔を見ていると、体中の痛みがお日様に照らされた雪のようにすっとなくなっていくような気がした。

(ああ、よかった。この子が笑顔でいてくれて)

 それが何よりも嬉しかった。

「大丈夫!のぞちゃん!」

 駆けつけてきた真友ちゃんは私の顔色を見た後、足首を軽く握ると左右に動かし始めた。

「のぞちゃん、痛かったら痛いって言ってね」

「うん。けど・・・」

 私は少しためらいながら言葉を続けた。

「私よりも知己のほうが・・・ひどい怪我を・・・」

 私は真友ちゃんの表情がみるみる曇っていくことを予感していた。けれど、

「あー、あいつのことなら大丈夫。心配するだけ損よ」

「へ?」

 私は真友ちゃんが何を言っているのか、全く理解できなかった。だって、あんなに高いところから飛び降りて甲板にたたきつけられたのに無事でいるはずが・・・

「よう、希望。大丈夫か?」

 目の前には、血だらけの服を身に纏いながらピンピンしている知己がいた。

「知己!大丈夫なの!」

 私は驚いて、体の痛みも忘れて上半身を起き上がらせた。

「おう!血はどばーっとでたらしいけど、この通りピンピンしてるぜ」

 そう言って、両手を振りながら腰を回してみせた。

(なんで?やっぱり、夢だから?)

 ここで私はようやく今の自分がどこにいるのかに気がついた。

(そうだ、ここは夢の中なんだ!)

 あまりに現実的過ぎて夢であることをうっかり忘れていた。ここは夢の中。だったら、怪我をしても死なないのは当たり前・・・

(だけど、この痛みはなんなの?)

 知己のことで忘れていた痛みがじわじわとよみがえってくるのを感じる。

(この痛みが夢なんて信じられない)

 あまりに痛みに私が顔をしかめると、さっきの女の子が心配そうに私の顔を覗き込んできた。

「大丈夫だよ」

 私は、精一杯強がって笑顔を見せた。

「それより、ねえ、あなたの名前を教えてくれる?」

「???」

 女の子は不思議そうに顔をかしげた。

「ごめんね。おねえちゃん、忘れんぼさんだから。もう一回だけ、名前を教えてくれる?」

 女の子はにこりとお日様笑顔を向けてこう言った。

「エヴァだよ」

(やっぱりこの子がエヴァだったんだ。)

 たとえ夢の中であったとしても尾田先生との約束を守れたことを確認できて私は改めてほっとした。

(よかった)

 みんなが無事であったことに張り詰めていた緊張の糸が切れたのか、私は起こした上半身をもう一度甲板に倒した。

「のぞちゃん!」

「大丈夫、ちょっと疲れただけだから。もう少し、こうしていれば元気になるから。ね」

 そう言って私がエヴァのほうへ目配せをすると、私の気持ちを分かってくれたのか真友ちゃんも調子をあわせてくれた。

「うん、分かった。じゃあ、のぞちゃんが元気になるまでひざを貸してあげるね」

 そう言って真友ちゃんは私のために膝枕をしてくれた。

「はは、なんだか照れちゃうな」

「いいの、いいの。のぞちゃんにはいつもお世話になりっぱなしなんだから、これくらいはさせて」

「うん。ありがとう。少し、休むね」

 私は、静かに目を閉じた。

(今は、とにかく少しでも早く体力を回復させよう。ここは、何が起こるか分からない場所なのだから)

 しばらく目をつむっていると、周りから歓声が上がったのが聞こえた。

「船長だ!船長がもどってきたぞ!」

船長

ケネス=ギルフィード。

 私は、まだ見ぬこの夢の主人公とも言うべき人の登場に胸の鼓動が速くなってきているのを感じた。

(きっと、素敵な人なんだろうな)

 私は、体を起こしてケネス=ギルフィードを一目見てみたい衝動に駆られた。けど、私のために膝を貸してくれている真友ちゃんや、心配してそばにいてくれる瞬や知己のことを考えると今はじっとしていようと思った。

「さすが、船長だ!あいつをたった一人でやっちまうんだから!」

(あいつ?あいつってあの巨大イカのこと?)

 そういえば、さっき私が船内に引きずり込まれそうになったとき、イカの足が急に動かなくなった。あれは、そのおかげだったのかもしれない。

 そんなことを考えていると、回りのざわめきが少しずつ近づいてきた。

「げー!まじかよ!」

「うそ!本当に・・・」

 知己と真友ちゃんの驚いた声が聞こえた。私は、閉じていた目を静かに開いた。すると、あふれんばかりの太陽の光が目の中いっぱいに広がり、続いて真っ青な抜けるような空が目に映った。そして、次に見えたのは驚いたまま言葉を失っている真友ちゃんの横顔と、私を優しいまなざしで見つめている顔。それはまぎれもなく、

「尾田先生!」

 私は嬉しさのあまり真友ちゃんの膝枕から跳ね起きた。急に起き上がったものだから、めまいがして尾田先生のほうへ倒れそうになった。そんな私を尾田先生は、優しく抱きとめてくれた。

「大丈夫かい?」

「はい、大丈夫です」

 私は慌てて尾田先生から離れた。

(抱きついちゃった・・・)

胸の鼓動が驚くほど速くなっていた。それに、なんだか恥ずかしくて尾田先生の顔をまともに見られなくなっていた。

「本当に大丈夫かい?」

「はい!大丈夫です、心配しないでください!」

 自分でも驚くくらい上ずった高い声でそう答えていた。

「ねえ、ねえ。」

 エヴァが尾田先生の右腕の袖を軽く引っ張ると、尾田先生はまるで自分の娘を見つめる父親のような優しい顔を見せた。

「ねえ、ケネス。希望が私を守ってくれたよ」

(え?)

 今、エヴァは何て言ったの?尾田先生が、ケネス?なんで?

「あの、ちょっとお尋ねしてみいいですか?」

 私が恐る恐る聞くと、尾田先生はにこやかにうなずいた。

「あなたは、ケネス=ギルフィードさんですか?」

「ああ、そうだよ。この船の船長であり、君の直属の上司だ。違うかい?」

「いえ。きっとその通りだと思います。すみません、突然のことで混乱してしまっていて・・・」

「気にすることはない。それに、希望はエヴァを守ってくれた。だから、お礼を言わせてほしい」

 恭しくそう言ったケネス船長に、私は恐縮してしまった。

「いえ、お礼なんて、そんな。それに、私は別にたいしたことはしていませんし」

 事実、私はたいしたことはしていない。もし、ケネス船長に頼まれていなくても、小さな女の子が危険にさらされていたのなら助けるのは当たり前のことだ。

「そんなことはないよ、希望」

 ケネス船長は私の左肩をいたわるように優しく触れると言葉を続けた。

「自分の身を挺して幼きものを守ろうとする心は誰にでもある。しかし、それを実行することは本当に難しい。けれど、君はそれをやってみせた。僕はね、君のその心と振る舞いを何よりも大切なものだと思う」

「けれど、先生。私は当たり前のことをしただけです」

「そうかもしれない。だけど、その当たり前のことをすることがこの世界では一番難しいことなんだ。いいかい、希望。君は、もっと君自身を誇りに思っていい」

 そう言って、ケネス船長は、私の頭の上に優しく右手を載せた。

(本物の尾田先生みたいだ)

 私は無性に恥ずかしくなってケネス船長から目をそらし黙ってうつむいた。

「エヴァを守ってくれてありがとう」

 尾田先生そっくりの優しい声に私のまぶたから涙がこぼれだしそうになった。

「真友、知己、瞬。船のことはいいから、君たちは希望を介抱してやってくれ」

「はい!」

 知己と、真友ちゃんの元気な返事が聞こえた。けれど、瞬だけはなぜか消え入りそうな声で「わかりました」と返事をしていた。

「では、希望。私は行くね。早く、元気になってくれ」

 そう言うと、ケネス船長はくるりときびすを返して船首のほうへと向かった。いつのまにかそばに来ていたユリアンさんも、その後を追うように歩き始めた。

「ユリアン、船の現状を教えてくれ。」

「船の損傷は、船室三つを破壊されたにとどまりました。現在、亜種の残骸を片付けており、航行に支障はありません。人的損害としては、軽傷5、重傷2・・・」

 二人の会話が次第に遠くなり聞こえなくなったところで、私はようやく顔をあげることができた。見ると、いつの間にかエヴァもいなくなっていて私の周りには三人だけが残っていた。

「しっかし、びっくりしたよな。尾田先生が船長だぜ」

「ほんと、ほんと。でも、言われてみれば、ケネス=ギルフィードには尾田先生のイメージがぴったりかもね。まあ、ルックスはあたしの想像とはかけはなれてるけどね」

「けど、なんで尾田先生なんだよ」

「そんなこと、あたしが知るわけないじゃない」

 険しい顔をしながらで二人の会話を聞いていた瞬が重い口を開いた。

「・・・多分、古川さんが尾田先生にケネス=ギルフィードのイメージを重ね合わせていたからです。この世界は、古川さんの夢の中だから」

「へえ。じゃあ、他にも俺たちの知っているやつが出てくるかも知れないってことか?」

「ああ。俺たちはすでに、尾田先生以外にもう一人知っている人間に会っている」

「えー、誰だよ」

 瞬の言葉に私は思い当たることがあったので言葉にしてみた。

「もしかして、ユリアンさんのこと?」

 私の言葉に瞬は固くしていた表情を少し和らげて「はい」とうなずいてくれた。

「あー、分かった!夢見君でしょ、ユリアンさん。言われてみれば似てる」

「そういえば、似てるな。何考えてんのか分かんねえところなんてそっくりだぜ」

「そうかもね、あははは」

 真友ちゃんが笑うと、知己も楽しそうに笑った。私も二人に合わせて笑ってみせた。けれど、瞬だけは笑わず、やはり苦しそうな表情を浮かべていた。

「ねえ、瞬。どうしたの?」

 私の問いかけに、瞬はためらいながら答えてくれた。

「ここは本当に夢の中なのでしょうか?」

 瞬の言葉の意味を深く考えずに私はこう聞き返していた。

「違うの?」

「・・・多分、夢の中だと思います。けれど・・・」

 そこまで言って瞬はまた口を閉ざしてしまったけど、私は次の言葉を続けてくれるまでじっと待っていた。真友ちゃんも、知己も同じように黙ったまま瞬の言葉を待ってくれた。しばらくして、瞬は意を決したように言葉を続けた。

「こんなことを話したら、おかしくなったと思われるかもしれません。ここは、朝木が言っていた通り、古川さんの夢の中でいつかは必ず元の世界に戻れる場所だ。僕たちが船の上にいることも、あんな巨大なイカがいることも、なにもかもありえない話で、あるとしたならそれは、夢の中だけ。そんなことは分かっているんです。分かってはいるんです・・・けど、僕の感覚は、僕の知覚は、この世界の出来事を現実だとしか感じ取っていません。いつも見ていた夢の中とは明らかに違うこの現実感。だから・・・だから、もしかしたらここが現実で昨日までのことが夢だったのではないかと考えてしまう自分がいるんです。そして、もしこの世界が現実であったのなら、僕はみんなを守れる自身がありません。いつどこから始まって、いつどこで終わるのか・・・今までの経験も知識も役に立たないこの世界で、僕はどうすればみんなを守ることができるのか分かりません・・・どうすれば・・・」

 そこまで話して瞬はまた口を閉ざしてうつむいてしまった。見ると、瞬の拳は強く握りしめられて白くなっていた。

(ここが現実で、昨日までのことが夢?)

 瞬に言われて、はっとした。そうだ、ここが夢の中で、夢から覚めれば現実に戻れるなんてだれも保障してくれていない。唯一信じられる自分の感覚は、瞬の言うとおりこの世界を現実だと感じている。

(それに、この痛み・・・)

 体中の擦り傷、左肩の痛み、足首の痺れ、どれをとってもとても夢の中だとは思えなかった。

(だから瞬は・・・)

その時、不意に瞬の気持ちが私には理解できた。だから、

「瞬。ありがとう」

 私は精一杯の感謝の気持ちを込めて瞬にそう言った。私の言葉に瞬は顔を上げた。そして、私のほうを見ると、驚いたような表情をして言った。

「どうして、ありがとうなんて言うんですか」

 私は自分が思ったことをそのまま言葉にした。

「それはね。瞬が、私たちのことを誰よりも大切に考えてくれていることが分かったからだよ。だって、そうでしょ。瞬はみんなを守ることを一生懸命考たから不安になったんでしょ。みんなが自分のことで精一杯になってしまうような大変な状況の中で、瞬はみんなのことを必死で考えてくれた。その気持ちが、私は何よりも嬉しいと思ったの」

 私は右手を瞬に差し出した。

「だから、ありがとう。それと、これからもよろしくね」

 瞬は何も言わずに私の手を握り返してくれた。握り返してきた瞬の右手はとても力強くて、そして暖かかった。

「お、ようやく元気が出てきたか」

 知己がニコニコしながら瞬に話しかけた。

「まったく、お前はむずかしく考えすぎなんだよ」

「お前は考えなさすぎだ」

「そんなことねえよ。俺だって、少しは考える」

「へえ。じゃあ、何を考えたんだ」

「たとえば、何ていうの。さっき、瞬が言ってた『いつ終わるか分からない世界』とかなんとか言ってただろ。それってさ、今までと何にも変わんねえってことじゃねえのかな」

 瞬は知己の言葉の意味が理解できないようだった。けれど、私には分かった。

(そうだ、何も変わらない)

 私たちが当たり前のように考えていた世界もこの世界も、いつ始まっていつ終わるかなんて誰にも分かりはしない。だって、私は生まれた時のことをよく覚えていないし、当然いつ死ぬのかも知らない。もっと言えば、何歳で結婚して、何歳で子どもを生むのかも知らない。知っているのは今、私がここに生きているということだけ。

「だからさ。知らない国に来たと思えばいいじゃねえか。今までと比べたって何にも始まらねえんだから。それに、知らないところに来ちまったのなら、これから知っていけばいいだけだろ。ほら、尾田先生が言ってたじゃねえか『いつか、どこかではなく、今、ここで頑張れ』って」

「へえー。知己のくせにいいこと言うじゃない」

「知己のくせには余計だ!」

「ごめん、ごめん。私としては褒めたつもりだったんだけどね」

「ったく。お前はいつも一言多いんだよ」

 二人のいつもの様子を見て、心が和んだ。

(やっぱり、私たちは変わらない。)

 どんなに環境が変わっても、私たちが変わるわけじゃない。そんな当たり前のことに今更ながらに気がついた。

「よかったね、瞬」

 私の言葉に瞬は不思議そうな顔をした。

「だって、夢が叶ったよ。私たち四人でこの世界をいっぱい冒険しようよ」

 瞬は何かまぶしいものをみるような顔をした後、大きく深呼吸をして一言。

「はい!」

 会心の笑みが返ってきた。


今回は第2章の冒頭部分だったので多めに更新しました。明日からは分量は減るかと思いますので、ご了承下さい。

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