8 囚われた魔女
花の女王といわれる豪奢な薔薇とは違う、ブロディアやマーガレット、サクラソウといったどちらかというと野花に近い愛らしい花が咲き誇る一角で、近付く足音にラシェルは顔を上げた。
「殿下! お兄様! お話は終わりました?」
「ああ。ルシフェルとはいい友人になれそうだ」
「そうでしょう? お二人とも綺麗な獅子を連れているのですもの!」
ラシェルは笑顔で返事をする夫である王子に歩み寄りその腕にごく自然に自分の腕を絡めると、やや後方にいる兄にも声を掛ける。それを受けて兄もにこりと笑んで頷いた。
「……ルシフェルも王か。君の兄は俺を裏切るだろうか?」
兄に向いていた顔を、顎を捉え自分の方へ戻し視線を合わさせると、ギルバートは訊ねた。ラシェルはその少し困ったような表情を見てきょとんとした表情を返した。
「裏切る? お兄様は殿下を主君としたのでしょう?」
「……何故……?」
「今、殿下の纏う色は紫、お兄様は青ですから」
「そんなことまで分かるのか……」
この国には色によって階級を分ける仕組みもある。
王族は紫、大公は青、以下赤、黄、黒、白と続く。
対峙した相手によって色での意識内の階級識別も出来るとは、少し空恐ろしさも感じるが。
「お兄様は綺麗な青ですから大丈夫ですよ。悪いことを考えている人や嫌な敵対心のある人は濁るんです」
「そうか。ルシフェルの色が変わったら教えてくれ?」
「おや、殿下。あれだけ話をしても私を信用していない?」
「出会って一日では流石にな。この立場に生まれた以上は仕方がない事だな?」
「まあ、そうですね」
彼の言葉を借りて皮肉交じりに軽く言えば、ルシフェルも仕方がないという風体で同意した。
「ですが、疑り深くならずとも結構ですよ。私は殿下に嘘は申しません」
「そう言われても、な」
そもそもが、この兄妹が結託していないとも言い切れないのだ。
「物事は上手く行き過ぎても猜疑心に駆られる」
「自分が仕掛けた事でないから尚更ですね」
その通りだ。この状況は何処から誰の手によって招かれたものなのか。
ギルバートの手によるものでないのが確かなだけに、全てが安堵出来ない。
しかし、この二人を疑いすぎても息が詰まる。
どちらにしろラシェルを手放す気がないのなら、手を組むしかない。
ならば―――
「では、もしもの時は、私を殺し、ラシェルを閉じ込めてしまえばいい。それだけです」
「ああ、そうしよう」
心の中を言い当てられたように言われるが、ギルバートはそれに驚きもせずに肯定した。
「あっさりと、ですか」
「君も俺の立場ならそうするが故の発言だろう?」
「私は平和主義ですので」
「俺も好戦的ではないが?」
互いに軽く笑いあう。
腹の底を探りあうような会話なのに、何故か嫌味がない。
打てば響くような返答は、全てギルバートが欲しいと思う回答で。
彼の物腰の柔らかさの裏にどんな野心が隠されているのかとも思うが、そう思いつつも遠慮がなく話ができる相手というのは悪くない。
「私はお二人を信用していますよ。お二人はこの国をより良くしてくれる方達です!」
明るい声がまたこの場を和ます。
ラシェルが“アンジュ”といわれる存在ならば、ギルバートもルシフェルも神の思う“王”という存在でなくなってしまえば、彼女にとって自分達は用済みになってしまうのだろう。
その点ではギルバートもルシフェルも同じ位置に立っていて、兄妹が共謀しているという不安材料はないと言える。
この冷酷で幼い神の使徒は、失墜した“王”を簡単に見限るだろうから。
ギルバートが駄目ならルシフェルに一人に、ルシフェルが駄目ならギルバート一人にと身を寄せるはず。
ラシェルが二人を好いてくれている間は、何の心配も要らず相手を信用できるということ。
だとすれば、互いに彼女に見限られない“王”でいるしかない。
ギルバートはラシェルの柔らかな頬を一撫でした。
「……お前がそう言うのならそうなのだろうな」
「その為には殿下、私の他の妃にも優しくしないといけないのですよ?」
唐突ともいえる返答に一瞬何のことかと思うが、意味を解すると溜息交じりに今度は金の髪の頭を撫でた。
「……そういう理由か……本当に言葉が足りないな」
もともと四人の妃の意味は人質だ。それが時を経て、忠誠と協力の意味合いが強くなった。元は別の国を纏めていくのは容易な事ではない。いつ反旗を翻させられるかの懸念はある。ユークが一番その気配があったが、ルシフェルとラシェルを真に信じられれば逆の関係になれるだろう。
……ユークの魔女。
疑い出したら切りがない。物事にはぎりぎりのラインを踏み出さねばならない時があるのだ。
「ルシフェル」
「はい」
「君は俺側の人物と信じていいな?」
「はい。勿論です」
きっぱりとした返答に重く頷いて、少し言葉を固くした。
「ユークは今どうなっている?」
「私の管理している地の掌握は八割方出来ていますよ。大公の知らぬところで統制もとれておりますので、二割はすぐにでも排他できます」
「君は怖い男だな」
ユークは貧民街の方が人口が多いともいえる。その民が自分達を踏みつけるユーク大公を慕っているとは思えるわけがない。だからこそ、その地を管轄できるように仕向けたのも、きっとルシフェル自身だ。つまり、王子と通じることが出来なければ、ユークで密かにクーデターを起こす手筈を整えていたということ。
「そこは頼もしいと言っていただきたいです。殿下も下準備は出来ているんだろうなと言いたげな聞き方ではないですか。裏から手を回すにしても、これはまた別に利用は出来ますからね」
「ははっ。そう聞こえたか? では、ルシフェル、俺は遅くとも五年後には妃をラシェル一人にしたい」
別に妃達を亡き者にしようとしているのではない。国に戻るのでも、もし好む男が出来たのであれば下賜でもいい。自立するというのなら称号も与えよう。
ただ、自分の懐に閉じ込めるのはラシェル一人でいい。
それを叶えるのが、この国でどれほどの困難か。
「その協力もしてくれ」
「大規模な統合と改革が必要ですね。お手伝いしましょう。その為にも殿下はお妃様達には嫌われないよう願います」
泰平の世の中、狎れ合い平和ボケしているともいえるこの世情。そろそろキナ臭い話も上がる頃合いだろうとは思っていた。
残り三国、人質など必要のないほどの絶対の忠誠を誓わせる必要があるだろう。
この国で妃を一人にすることは、そういう意味だ。
そのために足元を掬われては意味がない。妃達は内通者にならないよう酔わせておかなければならない。
ラシェルとルシフェルが言いたいのはそういうことなのだ。
「努めよう」
大規模な統合と改革―――その為には猶ラシェルが必要で。
だからこそ、ラシェルが閉じ込められているとは気付かないよう、此処を居心地よく暖かく優しい夢のような場所にしてしまおう。
「……殿下も、お兄様も、難しい話は終わったのではないですか?」
「ん、ああ。終わりだ。何かしたいことがあるか?」
不満そうな声に視線を下げれば、まさに不満と顔に出ている妻の顔があり、抑えきれずにくつくつと笑う。
「お兄様がシュケットをお土産に持ってきてくれたそうですから、一緒に食べましょう?」
「シュケット、ってあのシュー生地の菓子か?」
それはパン屋の支払い台の横に置いてあるような庶民向けの菓子だ。
「はい! こちらの郷土菓子なのでしょう? 私、食べたことがなくて、お兄様にお願いしたんです」
「そんなもの料理長に作らせればいいだろうが」
「街のお店のものが食べてみたいんです! 私、今までユークから出たことはなくて、今は塔からすら碌に出られませんから城下を見て歩いたこともないんです。だから城下の名物のお菓子とか食べてみたかったんです」
「それならそれで、言えばいくらでも用意してやるものを」
ギルバートは可愛い妻の頬をそっと撫でた。
ラシェルは幸せそうに緑色の瞳を細めギルバートに微笑む。
【お前は可愛い人を連れに来たのだろうが、あの綺麗な鳥はもう巣の中で歌っては居ない。あれは猫が攫ってってしまったよ。今度はお前の眼玉も掻きむしるかもしれない。ラプンツェルはもうお前のものじゃ無い。お前はもう二度とあれにあうことはあるまいよ】
塔の中の姫はまた魔女に隠されてしまう。
そんなことは許さない。
何処にも誰にも奪われないよう堅牢な要塞にしてしまおう。
ギルバートは花舞う景色の中で誓いのように、ラシェルの唇に口付けを落とした。
そうして今も囚われの姫君は目には見えない塔の中にいる。
さて、魔女は誰―――?
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