5 聖女か毒婦か
手間のかかる女だ。
口付け、寝台に押し倒しながらそう思った。
四人の妃は自分が望んで迎えたわけではない。“国の因襲”の他に言いようのない政略結婚だ。婚姻前に、年に一度は顔を合わせていたと言っても、特に惚れ込めるような女性はいなかった。そんな女性を四人同時に妻として迎え、日替わりで閨を共にする。
好きではないからこそ、他の男の手がついた女など(遊びならともかくとして)妻としては迎えたくはなかったし、だからといって全くの無知では日毎自分が一からしてやらなくてはならなくて面倒だった。
そういうことをそれとなく仄めかしておいたので、他の妃達は処女ではあったが閨での教育をたっぷりと受けていた。否、暗に言わずとも王となる男の寵愛を得る為に様々な手管を身に付けさせられているのが普通。
なのにこの女はあっさりと「どうしたらいいのか分からない」と言う。
彼女の言うように“急遽”だったのだから仕方がないというのも分かるが、彼女自身少しは学ぶ気はなかったのか。為されるが儘になっていろと言われたからそれで良いと思ったのか。相手をしなくて良いと言えば求められる事はないと思っていたのか。
……ともかく分からないと言うのが真実ならば、服を脱がせ、言葉で酔わせ、時間をかけて丹念に身体中解してやらねばならないだろう。
面倒だと思っていた一からの行為だ。だが、寧ろ、その一つ一つに興奮すら覚えた。自分の手で真っ新な身体を解いていくこと、いや、極端な話今更女性を抱くことを楽しむ自分に驚いた。「抱きついていればいい」と言う言葉の通りに、細い腕を首や背に回し縋り付いてくる。それがまた庇護欲をそそる。
繋がる際の痛みに眉を寄せ、目尻には露を溜めるその姿を、どうしようもなく可愛いと思ってしまった。
身体に回っていたラシェルの手の爪が背に刺さった。ラシェルは耐えるのに必至で気付いていない。
怖がらずに力を抜けと言っても、痛みは本能で身体を強張らせる。今夜はここで止め、もっと気持ちを待ってやることも出来なくはないが……引きたくはなかった。自分を受け入れて欲しい。どうしてそんなことを思うのか―――。
「……ラシェル……愛している」
滑り出たのはそんな言葉で、思い返してみれば、初めて人に愛を告げた。
「……え……」
ラシェルが聞き返して涙に滲む瞳でこちらを見た。
もっと自分だけを映せ。
「愛している」
特別に優しくしたいと思う感情を他に何というのか。
自分だけに、という焦燥を他に何というのか。
愛している ――― その言葉以外で表せるものではなかった。
ラシェルの驚いたような瞳が涙目で微笑むと同時、ふっと彼女の身体が緩んだ。
「―――っあ―――!」
「っ、もう、大丈夫だから息を詰めるな。暫くこのままでいる」
ラシェルの手が彼女を見下ろすギルバートの頬に触れた。
「……殿下、好き……愛しているって……嬉しい……」
「っ!……ラシェル、……愛している」
小さく柔らかな手を握り、もう一度そう告げた。
ラシェルを自分のものにしたという、その充足感は愛しているからに他ならなかった。
ラシェルの態度と言葉が本気なのか演技なのかはまだ分からない。花嫁が次女ではなく突然ラシェルに変更されたのすら大公の計略だったとも考えられる。ラシェルが大公の手下としてギルバートを篭絡させたのか。だが、それでも―――……。
ギルバートは腕の中で静かな寝息をたてるラシェルを見つめていた。脳を介さずに身体が動き、唇を触れさせていた。
策だとしても……もう遅い。ギルバートは落ちた。
柔らかな頬を撫でながらギルバートの顔は微笑に口角があがる。
ラシェルが国を慮る聖女か、大公に送り込まれた毒婦かはまだ分からない。
だからこそ、落とされても、落とされたままでいられるわけがない。
もし、大公の企みだとしても、ラシェルをギルバートの側に引き込めばいい。
そう、落とし返してやればいいだけだ。
その夜、愛する女性を抱き締めて、ギルバートは悦楽ともいえる笑みを浮かべた。
次の夜、四番目の妃との初夜を終えると、ギルバートは早々にラシェルの塔に訪れた。付き添う侍従も、塔で出迎えた女官も一様に驚いた顔をする。それはそうだ。他の女を抱いた後でまた別の妃のもとに行くなどと誰が思う。
繋ぎの部屋で「支度を整えますので暫くお待ち下さい」と突然の来訪に慌てる女官に言われたが、必要ないと押し入るようにラシェルの部屋に入った。部屋の中にいた数人の侍女がギルバートを見て驚いた後で頭を下げそそくさと部屋を出て行く。どうやらラシェルは侍女達とカードゲームでもしていたようで、卓上に置かれたままのカードを前に、彼女はギルバートを見上げ“何故?”という表情をした。
「殿下? 今夜は西の……」
「もう行ってきた。身体はどうだ?」
「身体、は……何だか変な感じはしますけれど平気です」
ラシェルは何処までも不思議そうな顔をする。いい加減気持ちを改めて夫を招き入れようとする気にならないのか。単婚制の恋愛結婚ではないのだ。夜、部屋に来るという事は共寝以外の意味はない。
それにしても、ラシェルのこの態度。昨夜初めて男と身体を繋げたとは思えないほど前と変わらない。普通は多少馴れ馴れしくなったり、恥じらったり、ぎこちなくなったりするだろうにまるでない。自然体のままだった。
「殿下? それを訊きに?」
「ん、あぁ、そうだな……」
「大丈夫です。ありがとうございます。優しいんですね」
「……優しい、か」
本当に優しいのならば次の夜くらいは休ませてやるものかもしれないが。警戒心の欠片もなくギルバートを見上げるラシェルの頬を撫で、指で唇をなぞっても彼女は不思議そうな顔をするばかりだ。
「? 殿下? 戻らないのですか?」
「何処へ?」
「ザーパドの姫、エリカ様でしたでしょうか。その方のもとへ」
「何故?」
「昨夜も私が寝ている間に前日の姫様の確認に行ったのでしょう?」
ラシェルはわざわざ毎夜前日抱いた妃を訪ねその体調を気遣っていると思ったらしい。
これが昨夜閨を共にし、「愛してる」と言われ、それを「嬉しい」と答えた女がする態度か。
「他の妃のもとには行っていない」
「では何か私にご用事でも?」
「いい加減にしろ。お前を気に入ったから今日も抱きに来た。それだけだ」
「……私、何か気に入られるようなことをしましたか? 為されるが儘でしたけど」
「何が出来るとかそういう事じゃない! ラシェル自身を気に入ったんだ。昨夜あれだけはっきり言って分からんのか!」
抱きながら「愛している」と何度言ったと思っているのか。
「閨の睦言は常套句だから、真に受けて厚かましい態度を取らないようって」
「王子が常套句で愛している等と言うか! それならばお前が俺を好きだと言ったのも常套句なのだな?」
「私が常套句としてそんなことを言ってもメリットなんてないじゃないですか?」
“王子の寵愛を得る”、というメリットがあるではないか。
だがしかし、彼女の昨日の言い分をそのまま受け取れば、ラシェルはもともとギルバートの寵を欲してはいないのだ。妻という名目でここに居て、夫に構われずともこうして傍仕えの者と遊んで過ごせればいい(あえていえば時折話をする時間があればいいだけ)とそのくらいに思っている。その理由は忌避する父に更なる権力を与えたくない為だ。
「それに私は抱かれる前にも好きって言いましたよ?」
確かに言われはしたが。どうにも簡単に言うのでいまいち信憑性に欠けるのだ。
眉を寄せるギルバートに、なぜかラシェルは無邪気さが散るような微笑みを向けた。
「殿下も私の事を好きって本当ですか?」
「……ああ」
「じゃあ、両思いですね。嬉しいです」
あまりに晴れやかな笑顔に拍子抜けする思いがする。
確かに女にしたというのに、変わらずそこにいるのは無垢な少女のようで。
「……お前は俺のことを好きだと言いつつ、俺が他の女といるのはどうでもいいのか?」
「他の女と言っても妃でしょう?」
ラシェルは首を傾げる。
妃ならば夫を共有するのを許せると言うのか!と怒鳴りたくなった。だが、そんな筋合いはない。元来そうでなければ四人の妻を同時に迎える制度すら成り立たない。
ただそこは妻として、演技でも『もう少し一緒に居たい』と甘えた事を言うべきではないのか。これが素で言っているのならば女としての手管に疎すぎるし、ギルバートに関心がなさすぎる。反対にギルバートを虜にする手管だとすれば、これは非常に危険な女だということだ。
「でも殿下、私の処に通うのは他のお妃様と同じでいいんです。殿下が私のもとに足しげく通っていると父は図に乗りますよ?」
変わらずにラシェルは、好きな男の寵愛よりも父への反発のほうが強いようだ。
彼女の真意は何なのか。
父を嫌っているよう見せかけてギルバートを油断させようとする毒婦なのか、本心で悪質な父を嫌っているのか。
このあどけない顔の本質はどちらなのだろうか。