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3 ユークの姫

 ギルバートはここ三ヶ月、夜を自分の部屋で過ごしたことは無い。というのも、ほぼ毎夜ラシェルの(もと)に訪れていたからだ。そして今夜も二人でラシェルの部屋の寝台の中にいる。


「ギル」

「ん」

「くっついていて暑くないですか?」

「いや?」

「じゃあ、もっとくっついていいですか」

「もっと? これ以上?」


 右腕は腕枕をしてその腕でラシェルの右肩を抱いていて、左腕は腰を抱き寄せている。この状態で更にくっつきたいとは。


「抱き締めて」


 言うこととは裏腹に微笑む顔はあどけない。両腕に少し力を入れてぎゅっと密着した。


「温かい。人肌って気持ちがいいんですね。私、くっついて寝るの好きみたいです」

「他の男とは寝てはいけないんだぞ」

「……ギル以外?……考えた事もありませんでした……」

「考えなくていい。こうだからお前は目が離せない。お前に触れていいのは俺だけだ。分かったな?」

「……はい。おやすみなさい……」


 そうして腕の中ですやすやと眠る女はどこまでも無邪気で穢れなど知らないかのようだ。何かに執着することも特になく、人にどう思われようが気にもしないような不思議な女。


「面倒な女だな」


 言葉とは裏腹に顔は緩む。面倒だけれどこの女が自分にとって特別だと思ってしまったのだから仕方がない。

 それにしても―――自分が一番有り得ないと思っていた女に嵌り込むとは。


「本当にお前はユーク大公(あの男)の娘なのか?」


 返事がないと分かっていても、ギルバートは眠るラシェルに問いかけた。



 *****



 王国パラディソスは大きく五つの地域に分けられる。

 国の中心地域である首都ウトピアに中央政府を置き、そこを取り囲むようにある地域が東西南北四つに分けられ地方自治が認められている。

 というのも、過去には別の五つの国だったものを、ウトピアが周辺四つの国を力で征服し、パラディソスという大国を築き上げたからだ。

 よって一つの国なった今も、周辺四つの地域は地方政府としてそれぞれ大公(征服された国の国王は大公の称号になった)が治めている。

 そして統合された国(パラディソス)の王となる者は二十歳になると、それぞれの大公の娘を妻として召し、その中から正妃を選ぶ事になっている。

 正妃には当然他の妃以上の特権が与えられるが、所詮は政略結婚であり、王は四人の他にも側室を召すことは可能で、後継者には正妃の子に限らず子供の中から王が適任者を選ぶ事が出来た。

 四人の妃は国を形造る為の忠誠と庇護の証だった。

 今代、王太子であるギルバートは三ヶ月前に二十歳になった。その際に規定に従いラシェルを含む四人の妻を迎えたのだ。

 その中で一番正妃になることはないとギルバートを含む多くの者が思っていたのが、このラシェル、いや正確には“ユークの姫”だ。

 つまり、正妃になることはないと思っていた理由はラシェル自身にあるのではなく、その家族、とくに父親の所為だった。

 ラシェルは南地域圏(レジオン)、ユーク大公の三女。しかも妾の娘で大公も特に目をかけていたわけではないらしい。なぜなら王子妃には今年十九になる次女を候補としていて、そちらの花嫁教育に熱心だったからだ。けれどその次女が妃として召される直前に他の男の子供を身籠ってしまった。慌てて三女のラシェルを宛がったというわけだ。

 東ヴァストーク、西ザーパド、北セーヴェルの各婚約者達、そして、もともとの花嫁候補であった南ユークの次女(ラシェルの姉)の四人とは最低でも年に一度は夜会などで会っていたが、そんな理由でラシェルは入内の際に初めて顔を会わせることになった。

 長く美しい金の髪に春の若葉を思わせるような瑞々しい緑の瞳の彼女は、四人の花嫁の中でも最年少の十六であった為かとても幼く見えた。だが、急ごしらえで花嫁にさせられたとは思えないほど物怖じしなかった。流石はあの大公の娘、そしてあの姉の妹かと思ったが、その二人とは全く違っていた。

 ラシェルの父であるユーク大公は強欲を絵に描いたような人物だ。ユークの民の末端は重税に喘いでいる。王は度々苦言を呈してきたが、南地域圏(レジオン)の表面上は潤っていて地方自治を許している以上強引な事は出来ず、大公もその都度のらりくらりと巧妙に逃げられる。強欲なだけでなく、あいつが毒巣だと分かってはいても確たる証拠を掴ませない姦計の得意な男。そんな男の娘を正妃とすれば、ますます権力を握られる事になる。

 そしてその男が次期王の花嫁として手塩にかけた次女は、妖艶な悪女という匂いを漂わせた美女だった。おそらくはギルバートを篭絡しようと色々なことを教え込んだのだろう。だが、賢明な男ならば分かっていてそんな女に嵌るわけがなく、ギルバートは立場上色仕掛け(ハニートラップ)対策も教え込まれているし、彼自身、次女の見た目だけで「ない」と心で思っていた。おそらくはそれも織り込みの上での仕込みがあるのだろうが、それでも自分があの女に落ちることは無いと自信があった。けれど、それすらも篭絡させるのが悪女というものだと周囲は懸念した。だから万が一にも自分があの女を正妃にしたいと言い出した時には、王位継承権を弟に譲るという誓約書まで用意しようとした。

 結局そんな警戒も全て無駄になったのだが。

 次女は教え込まれた術を他の男で使ってしまったのだ。身籠ったのは誤算であったのだろうが全く馬鹿なことをしたものだ。次女は父大公の怒りに触れ、そして王子(ギルバート)に対する詫びとして除籍されたということだ。

 そんな家系に生まれ育ったラシェルだ。どうせ似たようなものだろうと思っていたが全く違った。

 まずは母が違う所為か容姿が似ても似つかない。次女もラシェルも美しいといえるが、次女は妖美であり、ラシェルは可憐と表現するものだ。受ける印象も悪女と聖女。色で言うなら黒と白、季節で言うなら冬と春という具合に正反対だ。四人の妃の披露目の夜会では、ラシェルの姿に居合わせた者は皆驚いた顔をしたものだった。

 けれど、ただ一つ、南の大公家に多い深く澄んだ緑の瞳があの男の子供なのかと思わせた。

 対面したときに「顔を上げろ」と言って視線が合えばそれはもう可愛らしくにこりと微笑んだ。あの次女を思い描いていただけにギャップは大きく、その屈託のなさにおそらくこの時点でギルバートはある程度落ちていたのだろうと思う。

 四人を一度に妻として迎え、一年ほどそれぞれ城の東西南北の塔に住まわせる。そして一年後に正妃を選び序列が決まり、ようやく四人の妃は塔から出され本城の部屋を貰うことになる。

 四人の妃の初夜の順は籤で決められる。ラシェルは三番目だった。

 その夜、彼女は寝台の上でけろりとこう言った。


「殿下、私の相手はしなくともいいですよ」


 その言葉に自分でも思ってもいない反撃を受けたようで、ギルバートは本当に驚いた。


「なんだと……?」


 自分でも驚くほど口調に怒気が混じった。苛立った怒りが込み上げてラシェルを睨んでも、彼女はなお平然とあどけなく微笑んで見せる。


「四人も妻がいるなんて大変なのでしょう? 他の姫君達はそれぞれ魅力的な方でしたし、特に悪意は感じられませんでした。わざわざ私などに時間を割かなくともいいです。私は妻という名目だけで大丈夫です」

「俺の寵は要らんと?」

「はい。父の手前、妻として此処に置いて貰えれば充分です」


 悪びれもせず、いっそ無邪気にも見える風に言うこの女をどう解釈すればいいのか。怒りと同時に戸惑った。

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