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1 塔の中のお姫様

『ラプンツェル』

 それは、男に復讐する為に魔女に利用された娘の物語

 さて、では、今、塔にいる娘の物語は ―――


 ***



 白い鳥がバサバサと羽音をたてて窓の外を飛んで行く。


「退屈ですねぇ……何処かに行きたいです……」


 高い棟の最上階にある豪華な部屋で、それを見ていた娘が呟いた。

 娘は流れるような金の長い髪に新緑のような翠の瞳で、とても美しい容姿をしている。

 彼女の膝の上には刺しかけの刺繍があるが、今日は全く進んでいない。ずっとぼんやりと窓の外を見ていたからだ。鳥が飛び立った空はただ青いが、眼下には春の庭が広がっている。地上までは遠すぎて何の花かは分からないが、赤に黄色、ピンクに白、青、紫と実に様々な色が絨毯を作っていた。


「お庭に出てみましょうか」


 今いる部屋にも階上というのに備え付けの庭がついていて、ちょっとした散歩は出来る。でも、やはり眼下の広すぎる庭の方が魅力的だし、更に言うならば本当は野原に行って開放感を味わいたい。整えられた庭のさらに向こう、高い塀の先には森がある。あそこくらいなら許可さえ取れば一人で行ってもいいのではないか。


「ラシェル様、殿下がお茶にお呼びです」

「ううーん……行きたいのは其処ではないのですけれど……塔から出られるだけいいでしょうか」


 侍女の呼び掛けに、娘ラシェルは愚痴りながらも立ち上がった。侍女と共に部屋の前で待つ騎士に護られ塔から本城へと移動する。

 殿下というのはラシェルの夫で、この王国パラディソスの王太子。つまりラシェルは王太子妃だった。

 ラシェルがこの国の王太子の妃となったのは三ヶ月前。国の決まりで婚姻後一年間は基本的に与えられた塔の中での生活を強いられる。塔と言っても妃を住まわせるもの、広くて豪華なひとつの宮殿だ。その生活はなに不自由が無いように整えられている。

 ただ一つ、塔の外に出るには夫となった王太子の許可と厳重な監視兼護衛が必要で、今もその王太子に呼ばれたからこそ塔から出て本城へと向かえるのだ。

 その本城の王太子の執務室近くの客間で、ラシェルは夫である王太子ギルバートと並んで長椅子に座ると彼を見上げて言った。


「殿下、今日はいいお天気なのでお城の外に行きたいです」

「今日は時間が取れないな。執務が詰まっている」


 灰金髪(アッシュブロンド)に紫瞳の王子は悪いなと言うように綺麗な顔で微笑んだ。

 その答えにラシェルは不思議そうに首を傾げた。


「? 私に仕事はありませんよ?」

「……仕事があるのは俺だ」


 ギルバートは手にしていたお茶のカップをソーサーに戻すとその端整な顔の眉間に皺を刻み、怪訝な顔をした。


「ええ。そうですね」

「一人で外に出るつもりか……」

「はい。そうですけれど? お城の裏手の森くらいなら一人でも問題ないですよね?」

「言っておくがお前の言う城の裏の森はまだ城内だ」

「そうなのですか!? ではますます問題ないですね!」

「問題は山程あるし、お前にも仕事がある。俺の相手をすることだ」

「ええ。はい。でも、殿下のお相手をするのは他に三人もいますし、この後も執務なのでしょう? 暗くなる前には戻るので駄目ですか?」

「……お前は自分の立場が分かっているのか?」

「殿下の妻の一人です」


 ギルバートの声が冷たく刺すようになっても、ラシェルは動じずにさらりと答えた。

 ラシェルの言う通り、彼にはラシェルの他にも三人の妃がいる。だからと言ってギルバートが女好きの中年男かというとそうではなくて、彼は現在二十歳、別段色に溺れているという事でもない。四人の妻は迎えるべくして迎えた妻で、今のところ序列は与えられず、同列にただ“妃”という地位にあるだけだった。


「ああ、そうだ。お前はその中でも寵妃と言っていい存在だ。俺が月に何度お前のもとに訪れていると思っている!」


 ギルバートがこうしてきっぱりと言うように、四人の同列の妃の中で彼が執心しているのはラシェル一人だった。

 けれど、ラシェルは「う~ん」と考えた後で答えた。


「………二十日くらいでしょうか」

「もっと多い! お前以外の妃のもとには月に一度、それ以外は全てお前のもとだ!」

「ですから、もっと他の方のもとへ行って下さいと」

「お前は寵姫の意味が分かっていない!」


 普通、妃が複数いれば自分だけを見て欲しいと寵を競い合うもの。

 しかもギルバート自身が男性として魅力がある。貴顕紳士(きけんしんし)で智勇兼備、眉目秀麗な非の打ちどころのない王子様、女性であれば自分だけのものにしたいと思うものを、このラシェルは特に嫉妬することもなく、自分を含め皆同じでいいと言う。実のところ、ギルバートが他の妃に月に一度通うのもラシェルがどうしても行けと言うからだ。

 そんな風に彼女がギルバートに固執しない事も彼を苛立たせる理由だが、それ以上の問題として、寵姫ともなれば本人が無関心であろうと政略の駒として狙われるという事だ。殊にそれはこの国の成り立ちも深く関係し、王太子の妃が自由気ままに振る舞うことなど許されるものではなかった。


「塔に閉じ込めておけ!」


 ギルバートが控えていた者に言い放ち立ち上がると、ラシェルも「待って下さい」と立ち上がってギルバートの腕にしがみ付いた。


「殿下! 嫌! 塔の中は厭きました。もう三ヶ月もあそこから碌に出ていません。何処かに遊びに行きたいんです!」

「一人で行かせられるものか! 立場を考えろ」

「誰と一緒ならいいんですか!」

「俺だ!」

「だって殿下はお忙しいし、私を何処かに連れていくのなら他のお妃様もそれぞれ連れて行かなくてはならなくて更に大変ではないですか!」


 ラシェルは王子相手に怒ったように言い放つ。控える者達はひやひやとそれを見ていた。

 ギルバートは暴君ではないが、王子である故当然気位が高い。冷たい訳ではないが、威厳の所為か近寄りがたく軽口も叩きにくい。弟妹には優しい笑顔を見せるが、それでもその弟妹ですら彼にこれほど思う儘を言う者はいなかった。

 ギルバートとラシェルの結婚は政略であり、婚姻する際に初めて顔を合わせた二人は、当然ながら気心が知れた相手ではなかった。そんな相手同士が結婚自体して間もないというのに、ラシェルのあまりに物怖じしない無謀さと、ギルバートがそれに対してどんな態度に出るのかが分からず、周りの者は気が気でないのだ。

 ギルバートは腕にしがみ付くラシェルを睨むように見下ろすが、ラシェルの方も挑むように彼を見上げていた。


「……ラシェル。お前一人で行くのと俺と二人で行くのとどちらがいい?」

「それは殿下と一緒の方が楽しいに決まっています!」


 ギルバートが眉を寄せて訊ねるそれに、ラシェルはなんでそんな分かり切ったことを訊くのかと言うようにむっとして答えた。ラシェルの言葉をよくよく解釈すれば、つまり、一人で行くというのはギルバートを気遣ってのことのようだ。


「……お前はいつも言葉が足りない。だが、そうだな、お前はそういう奴だった。とりあえず明後日なら時間がある。遠乗りにでも行くか?」

「本当ですか? 殿下大好き!」


 ギルバートが息を吐きながらラシェルの頭を撫でそう言えば、ラシェルの方はぱあっと顔を輝かせる。部屋の張り詰めた空気が和らぎ、その場に居たものもほっと息を吐いた。

 嬉しそうに瞳を細めるラシェルにギルバートも満足気に口許を緩め、頭にあった手を滑らせて柔らかな頬を撫でた。

 ギルバートはゆったりとした優しい笑顔を浮かべた。それは見た者が頬を染めるような、そして誰も見たことが無いような甘い笑顔。そのままラシェルの頬に口付けまで落とす。彼本人が言う寵妃という言葉が疑いようもない態度。

 ラシェルの方もそれを受けて艶やかに微笑んで幸せそうな顔をする。強請る姿はとても子供っぽく見える故か、こういう顔は逆にとても官能的に見える。年齢的にもまだ十六ということで幼さも残しているのだが、紛れもなく彼女は王子に愛されている妃なのだと実感する。

 なんとなくではあるが、王子が彼女を贔屓にするわけがわかる。

 ラシェルはこうして屈託なく“大好き”などと口にする。ギスギスとした人間関係の中で生きてきた者は、このあどけなさや純真な笑顔に癒される思いがするだろう。

 このように、ラシェルはたった三カ月程度でギルバートの懐に入り込んでいる。

 そのことは僅かに周りを不安にさせる。

 けれども、ラシェルは再びあどけなくにっこりと笑うと。


「他のお妃様も順に連れて行って下さいね!」


 そんな肩を落とすようなことを言うのだ。

 この姫が何を考えているかいまいち掴めない。

 人々は訝しむ。王子を籠絡しその寵愛を独り占めする気はないのだろうかと。それとも、これすらも王子を籠絡する為の術なのだろうかと。


「どうしてお前は変なところで一言多いんだ……」


 ギルバートはつまらなそうに言う。


「変?」


 何が変か分からないと言うようにラシェルは首をかしげる。そんな彼女をギルバートは困ったように見て、ふっと微笑み頬を撫でる。


「本当に分からないならそれでいいが」

「一人一人に割く時間がないなら、皆さん一緒にでも私はいいですけれど?」

「ああ、もういい。お前は明後日を楽しみにしていればいい」


 この王子が簡単に女に陥落させられるとは思えない。彼は常に相手の考えの先を行く。心配する必要は無いはずで。

 この王子妃にも裏があるようにはとても見えなくて。ならばこの姫は、ただ純真なだけなのだろうかと思いはしても、もやもやとした思いは尽きない。

 ただ一つ、臣下の身分で口出しなど出来ない事だけは明白で、ただ皆口を噤むだけである。

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