勇者、なんとなく状況がわかってきた気がする
ユニゾン群衆と楽器演奏団の正体らしい村の人たちと、ラッパー老婆がいなくなった後の集会場。
その縁側に腰掛けて、俺は満天の星空というやつを見上げていた。テレビや画像でしか見たことのない素晴らしいミルキーウェイ、すなわち天の川。天の川と言うのは、地球のある銀河を内側からみたものだと聞いたことがある。
自分で言っといてなんだが、今、俺が見ているのが本当に天の川銀河・ミルキーウエイなのかには、とんと自信がない。自信はないが綺麗ではあった。
「こんな星空、都会じゃ見られないよなぁ……」
憑き物が落ちたような微笑みでひとりごちてみる。
都会じゃなくても見られないのは、よーーーくわかっていた。
俺の科学知識が確かなら、夜空に月は三つも浮かんでない。
しかも、その三つの月は赤青黄色で、重りあったら黒になりそうな見事な三原色だったりもしない。
うん……。まあ……違うね。
ここ、間違いなく、地球じゃあないよね……。
傍らにはモチモチした串団子と、得体の知れないと言う言葉を具現化したような果実酒。この果実酒、見た目はアレだが大変に美味い。団子もいい。アニメになった時には作画ミスとか言われて炎上しそうなドギツい赤青黄色の三原色なのは、三つの月を模したからだろう。原色なのはともかく、割と暗い中で光るでもなしにハッキリ発色してるのと印影がまったく見当たらないのは、いったいどうやってるんだろう。
もっともなんでも美味く食えているのは、腹が減っているせいかもしれない。寝台で視覚以外の感覚を失っている間、俺は飲まず食わずだったらしいから。
とてとてと可愛げな足音を立てて、六万三千円(税別)がやってきた。
ラッパー老婆は、去り際に、しゃっくりにも似た卑猥な笑い声混じりに
「あとはお若い方同士で」
と不気味に言い残したが、それはどうやら、俺と六万三千円(税別)だけが、この集会場に残ると言う意味だったらしい。
それって見合いかなんかの時に言うやつじゃないかとも思うが、いかんせん、ここは地球外のどっか、ありていにいえば異世界だ。俺の感覚で受け取ってはいけない。
しかも、である。受け取ってはいけない、などと言ったそばから俺の感覚で言わせともらうと、手を出せば条例にひっかかりそうなロリ娘だ。外人の年齢、それも外は外でも、おそらくは地球の外の生物の年齢なんて分かりっこないが、ロリ娘だ。しかも可愛い。どうしよう。
そのロリ娘・六万三千円(税別)が、俺のすぐそばまで来て、噛み噛みになりながら言った。
「し、失礼ながら、お隣、よろしいでしょうかっ?」
六万三千円(税別)は、ふとももを擦り合わせてモジモジしている。よっぽど恥ずかしいのだろう。なかなかいじましい。日本にいたころ、俺なんかの隣に座ろうとするだけで、こんな様子を見せる女性なんかには、とんとお目にかからなかった。
「ああ、いいけど」
特に断る理由もないし、ここは彼女の村の集会場で断る立場でもない。と言うことで、俺が爽やかに答えると、六万三千円(税別)は、小さく胸元でガッツポーズを作って
「やった」
と言った。
男心をくすぐられる、なかなかの萌えしぐさだ。
……。
彼女は俺の隣に、ちょこんと座る。
ほわっと漂ってくる石鹸の香り。どうやらお風呂に入っていたらしい。
「ど、どうかしましたか? 私、失礼なことをっ?」
「あ、いや、生きてたころのことを思い出して」
「?」
「もう絵とか描かなくていいのに、なーんか考えちゃうんだよねぇ。こんな星空が俺にも描けたらピクシブ上位で神絵師の仲間入りだろうなあ、とか。六万三千円(税別)さんの今のポーズ萌ゆるなあ同人誌出したら200部ははけそうだぞ、とかさ?」
不躾ながらも素直な気持ちが、つい声になってしまった。
相手の顔だちが、人を超えたような綺麗さ……端正さと言うのだろうか……のせいだろうか。
ドールにハマる人の気持ちが、少し分かったような気がする。
「ロクマンサンゼンエンゼイベツ?」
彼女は翻訳不能と言う顔をした。
こういう顔は日本でもよく見たてきた。「あーなんかまた俺やらかしちまったかなー」と言う、ぶっちゃけスベった時の顔だ。何度見ても苦手なものは苦手で、慌てて誤魔化そうとしてしまう。
「ああ、いや、君のこと。君みたいなうら若き乙女のことを、俺のいた所では六万三千円(税別)って言うんだよ!」
……自分で言っといてなんだが適当すぎる。
そしてこんな場合の毎回毎回の後悔ポイントなのだが、慌てて誤魔化そうとしてまたスベり、恥の上塗りになるという……
純粋無垢ににっこりと笑う六万三千円(税別)。
「長いですね」
信じたー!
初めての状況に戸惑う俺は。ちょっとした罪悪感が湧いてしまう。
たとえばの話だが、これが元でこの界隈で若い娘が六万三千円(税別)とか呼ばれるようになったら、どうしよう。
そんなことになったら、この、どこだか未だに分からないけどとりあえず地球ではないであろう世界が、援交ビッチものエロマンガの世界になってしまう。
「う、うむ! 長いから……そうだ! 名前! 名前を教えてくれるとありがたいかな」
この世界のうら若き娘たちが援交ビッチにならないようにと心のどこかで祈りつつ、話を別の方向に向けると、少女は勢いよく頭を下げた。
「わっ。失礼しました! わたし、リオって言います」
「リオか。俺は拓郎。片桐拓郎。よろしくな!」
サムズアップで爽やかに挨拶する。
「タクロー様……」
リオがおずおずとサムズアップを返してくれる。なにしろ異世界なので、多分、意味はわかってなくて俺の真似をしているだけなのだが、そこが萌える。イイネ! を20回ぐらい押してからリツィートしたくなる。
リオの萌えしぐさに気分が良くなって、俺は笑って言った。
「『様』はいいよ。俺みたいな死人に『様』なんか」
「えっ」
リオは、きょとんとした。
「え?」
あ、あれ? またなんかスベった?
今のどこに寒い成分が含まれているか分からないが、この世界ではドン引きになるような文言なりノリなりが含まれていたのだろうか。
なにしろどこがスベりの原因か分からないので誤魔化しようもなく、どうしたものかと思案しはじめた俺に、リオはぱちぱちとまばたきをした後で言った。
「生きてるじゃないですか、勇者様」
◯ ◯ ◯
リオの反応と言葉から鑑みるに、どうやら俺は生きてるらしい。
リオを含む異世界の住人たちがそう思ってるって話だろうから、本当は死んでるのかもしれないが、ここでは生きてるの範疇に入るってことだ。おそらくは。
でもなんか自信が持てないので、とりあえず聞いてみることに。
「どう言うこと? 俺、死んだよね? いやこの世界での話じゃないけど。あ、もしかしてアレ? 流行りの転生ってやつ? でもそしたら転生した途端に普通は死ぬ高さから落ちて、やっぱり死んだよね? あ、それももしかしてこの世界での話じゃないとか? なに? 時間がループしてる的なやつ? それとも入れ替わってる系? 世界興収ねらえちゃう?」
そうではないかと思ってはいたのだが、リオは素直な性格らしい。
俺の適当感あふれる矢継ぎ早の質問の内容を、なんとか全部理解しようと、目を丸くしてがんばった。
「えーと……んーと……」
「ふむ」
リオの表情がパッと明るくなる。「!」のアイコンが頭の上に出たような気がした。なにか閃いたようだ。
「ババ様から説明を受けたのでは?」
……まぁ、なんだ。一生懸命がんばってくれたんだし、むしろ、ほめてあげたい。
それにしても、リオはなぜか顔が真っ赤だ。怒ってると言うよりは、恥ずかしがってる、と言う方向で。なぜだろう。
「いやあ……なにかすごく大事なことを言おうとしてるのは伝わったんだけどさあ……。よく分かんなかったんだよね。なんと言うか、あの人こう……もったいぶりすぎて」
「あー……」
「こら、君の村の偉い人なんじゃないのか。同調していいのか」
リオは笑った。
「あはは」
屈託のない、と言う表現が一番似合いそうな、無垢な笑顔。なんだか和む。癒される。
……いや、あれ?
これ、なんかいい感じじゃね?
三次元の女の子も結構いいもんなんだな、とまで思いはじめてしまった俺に、リオは言った。
「それじゃあ、私にできる範囲で、ご説明しますね」
なんかまた股を擦り合わせてモジモジしながらだったが、上気した顔を見るにトイレに行きたいわけでもなさそうだし、よっぽどの恥ずかしがり屋なのだろう。
◯ ◯ ◯ ◯ ◯ ◯ ◯ ◯ ◯ ◯ ◯ ◯
ここはスンダールランド。女神ラフールに祝福されし土地。
あっ、スンダールランドと言うのは、大陸? のことで、その中にいくつも国や集落があります。
たとえば……ですね。今いるここは、魔女ヶ丘。美魔女の方々は「ウィッチヒル」と呼んでます。古代の豪族の墓だと学校では習う、いくつもの丘のひとつです。
それで、ラフール様は女神ですが、他にもいろんな女神様がいます。
ただ、この辺りはラフール様のナワバリなので、住んでる私たちは顔をたてなくちゃいけなくって、「女神ラフールに祝福されし土地」とか、言うようにしてるんですね。おまじないみたいなものです。
女神様は色んなお恵みをくださいます。いいことは女神様、悪いことは邪悪な者たちのせいです。
それで、女神様はたまに、ヴァル草原に生えるユグドラと言う木から勇者様を引き抜いておいでになります。そして、引っこ抜いた勇者様を、地上に降ろすのです。
いつと決まっているわけではないのですが、最近では前もって日時と場所が神殿巫女様の口から伝えられて、三日ぐらいの盛大なお祭りになります。ババ様は「チイキケーザイノカッセイカ」と言う古代からの伝統儀式だって言ってたかな?
当日の会場は、屋台もたくさん出ますし、ダフ屋さんもたくさん。
開催地には、よそからもたくさんの人がやってきて、今回なんか、山からハイエルフたちまでやってきました。あのハイエルフですよ! 人嫌いで有名な高潔な種族が、あんな大賑わいの、こんな辺鄙なとこまでやってきたんです。
祭りのハイライトは、なんと言っても、勇者降誕。
上空に姿を現されたラフール様の御尊顔。開かれた口からこぼれた勇者様の勇壮な落下模様。それに沸き立つ観衆。勇者が地表に激突した時の、すさまじい轟音と土柱とも言えそうな巨大な土煙に……
「あ、あのちょっといい?」
俺は片手でリオの話をさえぎった。
「あ、はい」
「話を途中で切らして悪いんだけど、その女神ラフールの口からこぼれ落ちた勇者ってのは……」
「ああ、はい。タクロー様ですよ」
「えーと、勇者ってのはヴァル草原? の? ユグドラという木に生えている、と」
「はい! 子供向けの絵本にも道徳の教科書にも載ってます!」
「で、それが俺」
「はい。すごいですよね。そう言えば、私、一度聞いてみたかったんですけれど、ユグドラってやっぱりパンポポンの波動と似てるんですか?」
キラキラと目を輝かせるリオの純粋さが辛い。
当方、ヴァル草原もユグドラも存じていない。ただ一介の、死にかけていた日本人である。「パンポポンの波動」にいたっては、もうなにがなんだか分からない。なんだよ波動と似てる木って。
「あの、俺、ヴァル草原にいた記憶も、ユグドラに生えていた記憶も、さっぱりないんだけど」
「え……っ」
リオは明らかにショックを受けている。
「あっ、でもでも、確かに落下してきた記憶はあるし、群衆が騒いでいたし、多分、俺は勇者で合ってるんじゃないかなっ。きっとこの国? で使われている教科書や絵本が適当なこと言ってるんだよ! ほら、きっと人間は誰も行ったことないわけじゃん! 想像なんだよ、ヴァル草原とかユグドラとか!」
「そ…………」
リオがシュンとした。
「そっか……ぁ……。嘘だったんだ……ずっと信じてたのに……ちっちゃい頃から憧れて……どんなところなんだろうってワクワクして……」
しまった。追い討ちだったようだ。
「あっ! でも俺が覚えてないだけかもだし! うん、あるかも! あるよ! ヴァル草原、きっとある! 俺ユグドラからもぎ取られてきた!」
リオの顔に明るさが戻っていく。
「ですよね!」
なんとかなったが、これでいいのだろうかと言う気もする。
ここは異世界なんで、どういう道徳教育がなされていようと口出しすべきじゃないのかもしれないが、リオの今のしょげ方を見ると、明らかすぎる間違いは訂正させた方がいいんじゃないか。
なにしろ空から落ちてきた勇者当人の俺が、そんなの知らんわけなんだから。
このシステムだと俺以外の先行勇者もそれなりにいるってことだろうから、各々に色々な不都合が生じてるんじゃないだろうか。「お前ユグドラからもぎとられたんだろー? パンポポンの波動を出してみろよー!」みたいな無茶振りをされるとか。
よし。他にどんなおそろしい適当が書かれているか、後でリオに道徳の教科書を見せてもらおう。
それでもって、生活?(どんなのかは分からないが、とりあえず生きているので生活はしていかなくちゃならない)が落ち着いたら、教科書作ってるところに抗議に行くとか、この世界の住人たちに真実を教えたりとかして、「さすが勇者様はすごいな」と言われる方向に持って行くのもアリかもしれない。
俺は少なくとも勇者ではあるらしいのだから、少しぐらい俺スゲーしても怒られはしないだろう。さきほどスンダールランドを援交ビッチ世界にしかけた、ほんのお詫びだ。
「あ。それで俺が勇者だってことはわかったけど、勇者って基本なにする人?」
話のついでに聞いてみる。ファンタジー世界用語は知識としては知ってるのだが、正直、RPGは苦手だ。経験値を上げる段階で面倒になってやめてしまう。そんなんで良く絵描きがつとまるな、と言われそうだが、実際問題、あんまりつとまっていなかった。と言うか不器用なのかゲーム全般が苦手で、これまた不器用なくせにどうして絵なんて描き続けたのかと言われそうだが、不器用だからこそで、要するに他になんにもできなかったのだ。
なお、そんな俺でも熱心にやってたゲームがあって、それがスマホの、アイドルを育てるリズムゲーアプリだった。二次元の女の子と、その女の子たちが歌い踊る姿が可愛いくて殺伐とした俺の毎日が癒やされるから。担当アイドルは、おかっぱの前髪を七三くらいで分ける髪留めも可愛い中々SSRにならなくてやきもきさせる地味ながらも色気のあるロリっ子だが、他にも家事全般が趣味のお姉ちゃんとか、四つ葉のク……
リオが言った。
「冒険とか田植えとかですかね」
「ふたつのあいだに大きな隔たりがある気がするんだが……」
リオはにっこり笑って付け加える。
「建築業でも大活躍ですよ!」
なるほど。つまりそれは要するにガテン系ってことか。勇者って体力バカなイメージだから、さもありなんって気もするけど。
しかし、当方、日本でやってたのはしがない絵描きである。一日中、液晶タブレットに向かって、殿方がシコシコするための女の子の絵を描く、そんなか弱き存在。
「あの、俺、体力に自信ないんだけど……そんないい体してないでしょ?」
「えっ? そんなことないですよ」
リオが俺の服の裾、前側のそれをつまんで持ち上げる。
あんまりにもナチュラルな動作だったので、その結果、なにが起こるのか気づくのが遅れた。
「あっ、ちょっ?」
などと声をあげた時には、手遅れだった。
さて、ここでちょっと思い出して欲しい。
俺が人間ベーコンになろうとしている時、集会場に集まった村の住人たち(ババ様をのぞく)、なにを着ていた?
そう、貫頭衣である。
なんでも儀式の際の服なのだそうだが、あの時マッパだった俺、儀式の中心であった俺も、今、それを着ている。
貫頭衣というのは、袋に穴を開けただけのもので、簡単に言うとワンピースである。
なお、俺にパンツはない。
つまり、この状態で前側の裾をめくられると……。
「ほら、いい身体……わっ!」
リオが驚いたのは、俺の身体を見てのことではない。いや、確かにそうではあるのだが、部位が違う。天を衝く猛き衝動、スカイカクレイパー。
「ご、ごめん……その、収まらなくて」
トイレで一発打ち上げることも考えた。
だが、できなかった。他所の世界まできて、トイレで一人エッチなんて惨めすぎる。スマホもないからオカズもないし。あってもネットに繋がんのか? という気もするが。
「ほおぉ……さすがですね。ゾーリンリンの乳覆いの効果」
まあ多分、俺の願望がそう見させているのだろうけれど、リオはなんだかうっとりとした目つきに見える。それから、またモジモジと腿をこすりあわせてる。あと、嘆息されると生暖かい息が吹きかけられて大変心地よ……飛び出しちゃいそうなのでやめて。
「あの、なんですか、そのゾーリンリンの乳覆いって。あと、もう裾をおろしてくれるとありがたいんですけど」
「あっ。すみませんっ。恥ずかしかったですか? 勇者は交尾器をメスにみられるとよろこぶって道徳の教科書に」
……いったい本当にどんな道徳の教科書なんだ、ったく……と呆れたいところだが、うん。ひとりぼっちで異世界にやって来て道徳の教科書のおかげでモッテモテになったであろう勇者たちの心中を察すれば、うん……。同じ境遇にあるものとして、分からないでもない。
「……人によるので、やっぱ離して」
本音を押し殺して頼むと、リオはあっさり裾から手を離した。