勇者、燻蒸される。
お姉さん、と、お姉ちゃん、は違う。
なにが違うのかと聞かれると答えるのが難しい問題だが、甘えられる身近さという譲れない点ではどっこいとしても、色気というか、健全さというか、各部の発達具合というか、とにかく違う。
うむ……。いま一度、基本的な設定に立ち返ろう。
彼女の年齢は公式では十五歳。
まあ自分と一緒だが、相手は二次元なのだから、そこにとらわれるのは良くない。
しかし、彼女は、お姉さんではない。お姉ちゃんだ。
ハンバーグが得意料理で家事が趣味というぐらい家庭的だが、あくまでも、お姉ちゃんだ。
俺の描いたこの彼女はどうか?
うん、これはちょっと、お姉さん寄りすぎる。大人になりすぎてる感じだ。さっき子供にしすぎた反動で、目を小さく描きすぎてしまったのだ。
目か? 目をさっきのと今のとの中間ぐらいで描き直せばいけるのか? いやそれだと輪郭と合わなくね? もういっそ顔の輪郭から直した方が……。
「なに描いてんだよ、恥ずかしいなあ」
机の上の俺のノートを見て、クラスメイトは笑って言った。
正確には、ノートに描かれた俺の落書きを、だ。そいつは俺が授業中に描き始め、微妙に気に入らなくて何度もリテイクを続けるうちにドツボにはまって、休み時間に突入しても直し続けていたものだった。
「え?」
はじめは、やっぱり顔パーツのバランスがおかしいのかと思った。自分でもうまくいっていないと思う絵の難点を指摘されるのは恥ずかしいものだ。まぁ、上手く描けたと満足感に浸っている時に下手と言われるのも傷つくので、基本的には絵描きの絵は、あんまり貶さない方がいい。
だが、ノートから顔をあげ、自分の机の前に立っている背の低いクラスメイトの顔を見て、そうではないのだと気がついた。彼の笑顔は軽い侮りを含んでいた。
もう一人、クラスメイトが俺の机に近づいてきた。根が明るくていい奴で、クラスの誰も彼を悪く言わない、そんな奴だ。人付き合いが苦手で孤立しかけている奴を見つけては、自分から話しに行く。誰も彼を悪く言わない。俺も悪く思ったことはない。そんな奴だ。
彼は俺のノートを見て、いつもの明るくて温かみのある口調でこう言った。
「あれっ? 片桐くん、漫研とか入っちゃう感じ?」
そこでようやく気がついた。
こういう絵を描くこと自体が、ここでは……中学校では「恥ずかしい」のだ。
こういう絵というのは、二次元の美少女。神絵師がツイッターに自筆のを投下すれば四桁以上のリツィート確実なタイプの可愛い女の子。俺は神絵師には程遠いし知名度もないので投下しても二桁行かないが。
「ああ、いやぁ……うん」
誤魔化し笑いで曖昧な返事をしながら、俺はノートを閉じて机の中にしまった。
二人のクラスメイトは、いじらないでいてくれた。
別にしなくても構わないような、なんでもないような話をして、短い休み時間を終え、二人は自分の席へと戻っていった。
俺は次の授業用の教科書とノートを机の上に出す。
それから、「小学校の頃は絵が描ければヒーローだったんだがな」とか誰にも聞こえないように頭の中でだけ言って、彼女の方を見た。
ゲームやアニメのキャラクターではない。三次元、現実の彼女だ。彼女は俺の今のクラスメイトで、小学校五年生からのクラスメイトだった。
お姉さんでもお姉ちゃんでもないけれど、肌が白くて顔が小さくて、今は伸ばしている途中らしい肩甲骨あたりまでのさらさらした長い黒髪が綺麗な、凛とした女の子だった。
なお、小学校の頃の男子の内輪話によると、隠れ人気がかなり高い。
今でもそうだろう。クラスの中で一番可愛いし、俺みたいな平民には明らかに高嶺の花だ。こう言っちゃなんだが、他とレベルが違いすぎる。
それでもあの頃には、マンガやアニメの絵が描けることで、ある程度の尊敬を集めることのできた小学校の頃には、いつか彼女から告白されて恋人同士になるんじゃないかという期待を持てた。
なお、俺が彼女と会話を交わしたのは小学校の頃から今まで、二回だけで、俺のセリフは「はい、これ」と「ありがとう」だけだ。
要するに、まだなんにも話してない。
彼女が俺の視線に気づいて、こっちを向く。俺はつい、顔をそらしてしまう。
誰かが俺を見つめている。
外人の少女だ。
その人間離れして愛らしい二次元めいた顔は、昔、デッサンに役立つんじゃないかと思ってお迎えしようと横浜のショップまで行ったものの、六万三千円(税別)もしたので買えなかった球体関節のドールを思わせる。
お迎えするはずだったドールにお迎えされるってわけかい……ふふっ
などと上手いことを思ってみたが、すでに死んでるわけだから適切な表現ではないことに、すぐに気づいた。
あれ? 俺、死んでる? なら、これはなに?
覚えてなくても全然かまわないと言うのに、地面に叩きつけられた瞬間のことは覚えている。
MX4Dでも味わえないような、スリリングなド迫力映像と衝撃だったが、まあ普通なら死ぬ。
と言うか、そもそも、それ以前に一回死んでた気がする。
つまり俺は二回死んだわけだ。
二回も死ねば確実に死ぬだろう。
なんか日本語が変だが、つまりは俺は死んでるはずなのだと、それが言いたい。
それが証拠に体は全く動かない。視覚以外の感覚もない。その視覚もカメラ固定の垂れ流しで、目を閉じることすらできない。
今、とっても、「死は眠りに落ちるのに似ている」とか頭の中でモノローグってたバカを蹴飛ばしてやりたい気分だ。
そのまま、どれだけの時間が流れただろう。
六万三千円(税別)の少女は、何度も何度も俺の顔をのぞきこみに来た。
のぞきこみ、と言うのは、少女の髪の毛の方向や天井から、仰向けに倒れた俺の顔を見ているのが分かるからだ。
目が動かないのでピントの合う位置に来た時にしか詳細が分からないが、頬が赤い。耳も赤い。
もしかしたら、俺に恋をしてしまったのかもしれない。女の子と付き合ったことがないし、告白されたこともないので、自信はないが。
向こうの目は良く動く。上から下まで舐め回すように視線を移動させることもあって、それで俺にはちゃんと体があるんだろうな、機械の脳とカメラの目とか言うサイバーな事態にはなってないんじゃないかな、と期待させられてしまう。
つり目がちな青い瞳。青と言うより青緑。逢瀬を重ねることで次第に愛らしく思えてきが、体の感覚がないのでドキドキもビンビンも感じられない。
愛と性とは別とは言っても、重なる部分も多いのが現実だ。ときめきのない生活なんて、ホントのホントにつまんないものだ。
あんまりにもつまんなくて、いい加減、考えるのをやめたくなってきた頃、変化が起こった。
まず視界が白に染まった。両脇から漂ってきたもやもやした感じの灰色が塗り重ねられていって、グレーががった白以外、なんにも見えなくなった。
やがて、耳が聞こえ出した。
すごーい! 聴覚が戻った! ひゃほーい!
と感動するべきところなのだが、なにかとてつもなくおかしなことになっているのがわかり始めて、不安になってきた。
まず、ズンドコズンドコチンチンチンやってるのがわかる。なんかの楽器だ。それに合わせて群衆の力強いユニゾンが乗せられている。そして更に、ラップめいたしゃがれた大声の謎のお経が聞こえる。
簡単にまとめると、やたらうるさい楽器の伴奏に、人々の大ユニゾンが重なり、お経が独唱されている。
もうおわかりだろう。
今の俺が置かれてる状況は、ありていに言って、すごくヤバい。
ついで触覚が戻り、嗅覚、味覚、その他の感覚が戻り、心臓の鼓動と呼吸の実感が戻ってきて、俺は飛び起きた。
「煙ーーい!」
ゲホゲホと思いきり咽せた。
なにかが焚かれているらしい。いや、焚かれていると言うのはお香みたいな雅なものに使う術語であって、これはどちらかと言えば燻されているに近い。煙は真下から来る。
それというのも、俺が寝ていたのは、細い丸太を並べて作られた台の上で、意図的にあけられた隙間から、その下で青い炎に身を包まれている南洋に生えてる妖しい草みたいなのの煙が上ってくるからだった。
半身を起こしただけでは煙さから逃れられず、俺は寝台の上に立った。それで俺は自分の体の異変に気づいた。
「な……なんだこれは……ッ⁈」
俺は裸だった。
人間のベーコンを作ろうとしてたのか、と怖気が走ったが、それよりなにより、股間にまでなにもない。
そして、その股間では立派な高層ビルディングが建設されていた。
しかも、これまで見たこともないようなスカイスクレイパー。ロックフェラーだって、こんなモノは作れまい。
六万三千円(税別)が、俺の体を舐め回すように見ていたわけがわかった。ように、ではなく、舐め回していたのだ。目で。
およそ乙女のすることじゃない。
まぁ、俺はインランビッチは嫌いではないが。出会ったことはないけど、よく夜食のオカズにしたものだ。(ただし二次元に限る)
俺が起き上がったせいか、楽器の演奏が止んだ。ラップもやんだが、ユニゾンは続いている。
周りを見回すと、俺の燻されていた寝台をひしめき合うほどの群衆が取り囲んでいた。
見た感じ、ここは木材で作られた集会場みたいな建物の中だ。
寝台の高さの都合で、俺の高層ビルディングのすぐ前に口元が位置する老婆が、お経をあげていたラッパーだろう。
老婆は女子高生にデコられたようなキラキラなローブを着ているが、これはなにか? 今時のラッパーのドープなファッションなのだろうか。ラッパーのファッションセンスは俺にはよくわからない。
群衆の方は歴史の教科書でみたような服を着ている。覚えてる。貫頭衣と言うやつだ。袋に穴あけて頭通すだけの簡単なやつ。
緩やかな空気の流れが俺の高層ビルディングを、二つの球体によって成り立つ基礎部分から、ロココ風味の尖塔までなであげて行く。
煙が晴れて行く。
老婆が、しゃがれた声で俺にこう言った。
「目が覚めたか、旅のお方」
俺は旅なんかした覚えはない。と思ったが、すぐに、もしかしたら死出の旅とか、そう言うことかもしれないと思い直した。なるほど、それなら合点が行く。ここは死後の世界への入り口だとか、死と生の狭間の世界とか、そんなんなのだ。俺は天国へ向かう旅人と言うわけだ。
まあ自分でそう考えただけなので、違うかもしれない。それで老婆に聞いてみた。
「旅? どっから?」
俺の質問に答えてくださったのは、老婆&ユニゾン群衆のみなさんwithズンドコ楽器演奏団。
彼らはみんなで、勢いよくいっせいに上を指差した。
その指先の向く真上を見上げると、いつの間にか開けられた天井の向こうに、日本の俺の住んでたような町ではありえない、豊かな星空が広がっていた。
集会場の饗宴を遠くの藪から見守る人影があった。
筋骨隆々とした、ものすごいイケメンだった。
ジーンズを履いているだけでもいい男を感じさせてしまう、ハリウッドスター方向のイケメンだった。
影だけでそんなこと分かるのか? と問う人もいるだろう。
分かるのだ。
真のイケメンは存在自体のグレードが違う。
真の二次元美少女がこの世のものならざる存在感を放つように、真のイケメンとはそこにいるだけで確かなイケメンを放射するものなのである。
「おーおー。立派におっきしちゃってェ。デュ・フ・フ」
並の男が口にすればキモいだけの感嘆詞もイケメンが言えば、魅惑の呪文となる。
イケメンのデュフフにあてられて近くの木の上で眠っていたホロンホロン鳥が恋の夢を見た。明日起きれば発情期が訪れ、オスの尻を追い回しているであろう。
罪な男だ。
だが、イケメンはなにをしても大概は許される。
世の中そう言うものだ。
ただし、そのイケメンが、あなたの好みのイケメンかどうか、それはまた別問題だ。