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The reason that you may disappear

作者: はしもと

僕は裕福な子供だった。

明日のご飯の心配をしたことがない。もちろん貯金が底を尽きるという不安も感じたことはない。兄弟は弟が一人。両親は健康で大きな病気はなく、家の食卓はいつも笑い声が響いていた。高校生だった僕はそれを幸せと呼ぶことはなかった。当たり前の日常だと思っていたからだ。


 東京の大学に進学した僕は、地元を離れ一人暮らしをしていた。あの日のことは未だに忘れたことはないが、内容は思い出せない。ただ漠然とその日にちを覚えているだけに過ぎない。

 家族が事故にあった。高速道路の渋滞中に後ろから大型トラックが突っ込んできたそうだ。被害者が十人を超える大惨事となったその事故は、夕方のニュースや新聞でも報じられた。しかし一週間も経つと世間から忘れられた。「またか」「怖いね」そんなありふれた言葉でいっぱいになったコメント欄を眺めることが出来たのは事故が起きてから一週間くらいあと。最新のコメントを見ると事故から三日後のところでぷっつりと書き込みは途絶えてしまっていた。自分の家族の命は世間からみたらその程度のものなのだ。怒ることも悲しむことも出来ない僕は、ただそのニュースのページを眺めることしかしなかった。



 大学で出来た友人が腫れ物でも扱うように接してくる。掛ける言葉が見当たらないのなら無理して話しかけてこなければいいのに。声を掛けてくる人間の中には優しい言葉をかけてあげている自分というものに酔っているだけのやつも何人かいた。それでも本当に気心の知れた人は僕のことを支えてくれた。僕が自殺しようと考えていたことを見透かしていたのだろう。僕が自殺しようとするよりも必死に僕に生きる力をくれた。


僕はそうして、僕という人間が消えてもいい理由を少しずつ預かってもらった。





幸運にも恋人が出来た。掛け替えのない存在だった。代わりなどどこにもいなかった。事故から一年以上経ってからの付き合いだったが、事故当時僕のことを支えてくれた中の一人だ。お互いのことをよく知っており、気を使うこともない。家族はもういないけど、僕はこの子のことを本当の家族のように思うときもある。

 食事のときは特にそう思う。あの笑い声の絶えない食事を味わうことはないのだと思って、食事をしながら泣いた夜は数え切れない。そんな僕に食事をする楽しみをもう一度教えてくれたのは彼女だ。

 彼女も僕と同じ気持ちだった。お世辞にもコミュニケーションが得意とは言えない彼女は僕以外の人と一緒にいることは考えられないとよく言っていた。僕のことを掛け替えのない存在と伝えてくれた。大切な命を一度になくなった僕は、失う恐怖を抱きながらも彼女と思い出をつくっていく。いつまでも一緒にいてほしいと僕が言うと、彼女は笑ってオウム返しのように同じことを言ってくれる。そうして同じ愛を二人で分かち合う。


僕はそうして、彼女という人間が消えてもいい理由を少しずつ預かっていた。





人と繋がることで、僕らは不自由になっていく。大切な人が増えれば増えるほど、勝手な行動は出来なくなっていく。それでも誰かを縛ることで、守ることが出来るのかもしれない。僕がそれで守ってもらえたように。

 本当は昔に一度そういう経験はしていたのだ。でもその時の僕は記憶に残そうと意識したことはなかった。当たり前のことだと思っていたからだ。でもそれは当たり前のことではなかったのだと失ってから気づくことが出来た。それに気づけたから今同じ幸せを目の前にしたとき僕はそれを幸せと呼ぶことが出来た。




 世間に後ろ指を指されるようなことはしてこなかったつもりだ。もしも何かやらかしていたというのなら、それは前世での話だろう。それかそういう星の下に生まれてしまったのだろうか。僕が消えてもいい理由はいつの間にか返ってきてしまった。つまり、彼女も家族と同じように交通事故に遭ってしまったのだ。即死だったそうだ。

自分のせいだと思った。そう思うことでしか彼女の死から生じた感情を処理出来ない。誰のせいでもない。不幸な事故だ。しかしそんな理由では消化出来なかった。だから自分を責めた。自分と関わらなかったら彼女は今日も笑って過ごしていたことだろう。


そうして僕は、もう誰とも関わらなくなった。

縛っていたものもいつも間にか消えて、僕は自由になってしまった。




街を歩いていると名前も知らないカップルとすれ違う。恋愛なんて所詮は一時の脳の迷いだ。意味なんてない。仲の良さそうなグループともすれ違う。いつか会えなくなる今だけの関係になんの意味があるというのだろう。僕はそんな擦れた考え方を身につけて、どんどん人が嫌いになっていった。そんなものはいらないと強がった。一人の夕食も涙を流すことはもうなかった。


 「貴方がいない世界なんて考えられない」という甘い言葉も馬鹿にした。誰かと一緒にいることでしか生きていく楽しみを見つけられない人たちを鼻で笑った。一人で生きられないことを弱さと呼んだ。

 「そんなに縛られてどうするんだ」「もっと自由に生きていたい」そんなことばかり考えた。でも分かっていた。これは嫉妬だ。本当は羨ましいのだ。僕はそれを持っていたことがあったから。自由の身のくせにまだ生きていたから。

 いつの間にか僕の周りには誰もいなくなった。両親の保険金で大学生の間はなんとか生活することは出来そうだ。合格を伝えたときの家族の顔が消えてくれない。もう誰とも繋がっていない途切れた糸だけが、僕を縛る唯一のものだった。





 卒業の日、自殺することを決めていた。何にも縛られなくなった僕は飛び降り自殺をしようと考えていた。空に少しでも近い位置で最期を迎えたかったから。そうすれば死んだあとにまた大切な人たちに会える気がした。そんな非合理な理由。

アパートの屋上から小さい子供連れの家族が見えた。微笑ましい光景だった。涙が溢れてようやく僕は思い出した。




僕はそれが好きだった。今頃になって思い出した。

僕は人が好きだった。本当は何よりも大切にしたいものだった。




打ちどころがよかったのか悪かったのか、僕は生き残ってしまった。

気がついたときは病院のベッドだった。

「あ、気がつきましたか?」

同世代らしい看護婦が腕に包帯を巻いてくれている。どうやら折れてしまったようだ。

「運がよかったですね。下にある木がクッションになってくれてこれだけの怪我で済みましたよ。頭も打ってなかったみたいで、検査はしますけどすぐに退院出来るみたいです」

三月のわりに暖かい。優しい風が部屋にかけてある白いカーテンを揺らす。

「私のこと覚えている?」

問いかけをもらってようやく僕はその子の名札に目をやった。僕の反応を見て安心したのか彼女は微笑む。

「私もね、こっちに来ていたのよ。専門学校を卒業して今はここで働いている。ご両親のことは聞いた。彼女さんのことも」

彼女は地元の幼馴染だった。ただ中学にあがる頃にはお互い思春期だったこともあり、疎遠になっていた。


「ちゃんと生きて」

僕は俯くことしか出来なかった。

「あなたが死んだら、私は悲しい」

僕はまた、消えてもいい理由を奪われてしまった。

それが懐かしくて、懐かしいと思えて、幸せだった。


固定された包帯は僕を不自由にする。

「なにかあったら私に言って、約束だよ」

そうして僕もまた、彼女が消えてもいい理由を少しだけ預からせてもらった。




この人に笑っていてほしいから。まだ生きていたから。

そんな簡単な理由だけで、僕たちは今日も生きていく。






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