「オラはモンスターだっぺや ~俺って、情けねぇんすよ(END)~」
小鳥のさえずりが聞こえる。光を透す薄いカーテンが穏やかな風で揺らいだ。
「・・・・・ん? ・・・・・うぅ~~~ん??」
宿屋の一室。薄暗い中にほのかな色合いがある居室。そこにあるベッドの上で「スヤスヤ」と眠りこけている少女の姿があった。
カーテン越しに射し込んだ光によって少女は目を覚まし、大きく身体を伸ばした。可憐な身体をめいっぱいに伸ばして唸る。そしてハッキリしない目を擦ってから半身を起こした。
ベッドの上をのそのそと。膝で這から、伸ばした手でカーテンを開く。
光が鮮やかに射しこんだ。朝霧を通った日差しは和かだけ、ちょっとだけ眩しい。
「フワァァ・・・・・今、何時かしら?」
少女はベッドから下に手を伸ばした。髪を垂らしてベッド脇の鞄を漁ると、そこに取り出されたのは水色のワンピース。
「――外は綺麗に晴れたみたいね、心地いいわ」
窓の外に視線を向けると、その先は茂った木々が映る。窓枠を悪戯に小鳥がつついた。
少女は眠気眼のまま、寝間着を脱ぐ。そうしてベッド上で水色のワンピースに着替えると、大の字になって身体をまた伸ばした。見上げた天井には窓ガラスに反射した光、光彩が薄い虹色となって広がっている。
身体を起こして静かに脚を下ろす。白い足先が床に触れるとフローリングの感触が少し冷たい。鞄から今度はゴソゴソと、靴下を取り出した。
可憐な少女はベッドの縁に腰掛け、今度は靴下を着用しようと片足を上げる。
そこでふと、扉の方を見て気が付いた。
「・・・・・・・あえ゛っ!?」
淑女に似つかわしくないほど低い声だ。それは少女の発した「あえ゛っ。」である。何故にこの可憐なる少女は痰が絡んだ中年男性のような音を発したのであろうか。
答えは、居室の扉前にある存在を見たからである。
「スゥ、スゥ……んがっ……んんんむ…………」
それはとても大柄な存在だ。腕を組み、胡坐の姿勢で口から涎を垂らしている。隙だらけな様子だが、それにしてはえらい存在感がある。
居室の丁度影になっている部分。そこに在ったのは大柄な少年。彼は「カクカク」と首を不安定にしながらもすっかり眠りこけている。
少女は唖然として少年をしばらく見た後、咳ばらいを1つ。
「――――ん゛ん゛っ!!」
そうしてから落ち着いて靴下を履き、備え置きの鏡台で髪型を簡単に整える。
しかる後に、靴を手にして「キシキシ」と。木板の床を歩いて少年の前に立った。
すっかり熟睡して穏やかに眠る少年。それを前に高々と靴を片手に掲げ、そして――
“ パコッ。 ”
そっと、置くようにして少年の頭頂部へと降ろされた少女の靴。これに打たれた少年は眠りから覚めたらしい。
「んおっ…………おぉ?? おぉ~~~、アルフィースつぁん! おはゃう~~~よっぐ眠れたかに??」
何が起きたのかは解っていないらしい。ただ、少年はなんとなく感触があった頭頂部を掻いて笑う。
窓からの光を背にして仁王立ちする少女。
その表情は――
「――やれやれ。パウロ、少しお話しがあります。まぁ、朝食でも頂きながらでいいわ。ほら、立ち上がって。通れないじゃない?」
穏やかなものである。【少女アルフィース】は呆れた様子ながらも穏やかに、お淑やかに。少年を見つめて微笑んでいる。
言われて左右、背後を見渡して……。【パウロ少年】は「おお、そうさな!」と立ち上がった。
困り顔ではあるが怒ってはいないらしいアルフィース。少女は扉を開いて「さぁ」と後ろを促す。
振り向かれて。少女の表情に険がないことに安堵しながら、パウロは扉をくぐる。少し頭を下げないとぶつかってしまうので、また壊してしまわないように気を付けた。
少年が何も目撃しなかったことは幸運であろう。だが、それにしても・・・。
何かが、異なっているようではないか?
|オレらはモンスター!!|
「――――だから、目を覚ましてそこに誰か居たら驚くでしょう。やめて頂戴?」
朝食時。すっかり目の覚めた少女と少年。宿屋のテーブル席にて、対面してパンを頬張る2人。
「んでもよ、オラさ君のこと護りてぇし……いっちゃん、安全でねが? ああすんのが……」
すでに無い。アルフィースの手にはまだ半分のコッペパンがある。対して、パウロの手には何もなく、目の前にも空の皿しかない。
「うう~~~ん、気持ちはありがたいのよ。ただね? そうは言っても気を遣ってほしい部分があるというか……さっきはあなた、寝ていたから良かったものの……危なかったわよ」
アルフィースの前にある皿にはまだ1つ、コッペパンが置かれている。少女はそっと、その皿を少年の前に置いた。
「おほっ!? ・・・や、これいいんか? アルフィースつぁん、いっぺなったんか、腹??」
満面の笑みとなったパウロだが、すぐに心配そうな表情で少女を見る。アルフィースは残りのコッペパンを齧りつつ、「いいのよ」と返した。
「サラダにスープに……あとはこれでもう、一杯よ。だからあなたが食べて、パウロ?」
「いいんだか?? ほしたら…………いただきまぁっすぅ!!」
嬉しそうにパンにかぶりつき、パンは1秒にして消え去った。その様子を見る少女もまた、嬉しそうだ。
「それで……そうそう。だから、例えばパウロ。私があなたの目の前で服を脱いでしまったら――どうでしょう?」
「ンガンガ……っパぁ! もうなくなっちたぁ……ん?? なにさ、オラの目の前で君がなんしたっ――――でえええええ!?!?!?」
パンの欠片を口から零しながら、少年がたまげて椅子から転げ落ちる。なんだなんだと、宿屋の奥から店主がカーテン越しに顔を覗かせた。
「そうでしょう? 例えばの話しでもう、あなたはそうなっちゃうでしょう」
少年の有様に反して、少女は随分と落ち着いたものである。予想通りなので驚くこともない。若干、思ったよりも大きく仰け反ったなとそれくらいだろう。
「え、あ、だ、だだっ、ダメさそんなん!! アルフィースつぁんさなんっっってことを言うんだか!?!? は、ははは、はしたないって、それ君がいっつも言うてんのに!? ・・・フゥゥッ、あっちィなコレ!! 今日はなんかあっちィべ、ねぇ!?」
1人で狼狽し、まくしたてている少年。転げて視線が低くなったことで、テーブル下にある少女の白い脚が視界に入った。ハの字に開いているそこが、なんだかこれも「あっちィ!!」らしく、首の筋が捩じ切れんばかりに顔を背けている。
「私だって、そんなところを見られたら……恥ずかしいわよ」
少女はテーブル下の脚を閉じた。淑女然とした姿勢で、テーブルにある紅茶を小さく1口、飲み込む。
「あ、アルフィースつぁん? いきなしなんでそんなこと……」
「パウロ。だからさっき、そういう状況だったの。まぁ、裸じゃなかったけど……私はね、着替えたんだから。さっき、あの部屋で、ベッドの上で……眠っているあなたの前で!」
怒っているわけではない。ただ、口調が強くなる。顔が熱くなって頬が腫れたかのように感じる。アルフィースは自分の顔を押さえた。
「・・・・・・・んぁ??」
そしてパウロは呆けている。ポカンと口を開いた状態で、瞬きをやたらと早くしながら、どうにか考えている。
少女の言葉の意味を考え――――そして、理解する。
「――――あっ、ああああ……そ、そげな……ひ、ひぃぃぃぃぃ……!?」
幽霊でも見たのであろうか。恐怖の表情で過呼吸の寸前に陥りながら、パウロは震えた。
そう、自分のしでかした“罪”の重さにこそ彼は恐怖したのである。知らず知らずの内に犯してしまった大罪。その重責に耐えきれず、怯えている。
少年はそんな様だが、アルフィースは頬の火照りを押さえて冷静。手先で首元を扇ぎながら少し安心したらしい。
「ええ、解ってくれたようで何より。あなたの気持ちは嬉しいのだけどね、互いに淑女と紳士として、適切な距離感と配慮――そう、デリカシーは大事だと私、思いますの」
「ひぃぃぃぃ、ご、ごご、ごもっともだすぅ……!! アルフィースつぁん、許して、許してけろ……オラさなんっつぅことを……!」
涙を流している。鼻水も垂れている。何か、意図せず人でも殺めてしまったかのような……そのことを知らされたかのような悲壮感がそこにある。想定していたとはいえ、パウロがあまりに悲惨なので少女もさすがにたじろいだ。
「わ、解ってくれればいいの。まぁ、着替えだけに留まらず……淑女の寝室というものは聖域ですからね? 許可なく侵入し、あまつさえ居座るようなことはご遠慮してくださいな」
「は、はひ……よっぐわかっただぁ!! んでも、ほしたらオラさどうしたら……」
「気にかけてくれていれば、それでいいから。あなたはあなたのお部屋で休めばいいわよ。何かあったら、私が呼んだら…………駆けつけてくれれば、それでいいの」
「ん、んだな! うんうん。オラさ、君が呼んだらすっぐ駆けつける。君さ護るって、それが一番大切だっけ……」
「――――だ、だから。声が届く範囲になるべく居てほしい、かな。まぁ、そうとばかりもいかないでしょうけど……なるべくなら……」
涙を擦って頷いている少年。その姿に、アルフィースは再び熱を感じて首元を扇いだ。
「――もうっ、しかしなんて顔よ! ほら、これで拭いなさいな……」
あまりにだらしない泣き顔に、少女は見かねてハンカチを1枚差し出した。
「ありがてぇ、ありがてぇ、めんぼくねぇ……あっ。んでも、アルフィースつぁん?」
「ふむ。パウロ、なにかしら?」
「オラさなるたけ君の近くにさ居てぇんらけど……君っていつも気が付くとふっらふら居なくなるろ? それはちっと、気を付けてもらいてぇんらけど……」
アルフィースは自分と適切な距離を保てと言う。しかし、そのアルフィースが自ら姿をくらますようでは気をつけようもない。
「・・・・・失礼な! フラフラとなんて……そんなお化けか綿毛みたいな言いぐさしないでくださいますぅ?? 私はいつだって、必要なことを、必要だからと感じて行動しているの!! 無駄に私が何処かにほっつき歩いているようなこと、ないんだから!!」
「え……んでもこの前、ウサギがどうたらってよ? ほしたら森に迷って……その前だって君さ迷子んなったってフィナンシアさんがルイドと大慌てで……」
「い、意味はあったの!! おかげでお嬢様達と出会えたでしょう!? ――というか、そうならないようにあなた、ちゃんと私をよく見てなさいって、そういうことでしょう!! 私の守護者ならば!!!」
「お、おおっ……ほぉだな。アルフィースつぁんの言う通りだっぺ。オラさ君を護るんだっけ、君が迷子にならねぇように、しっかり見守ってあげんと……」
「・・・なんか、その言い方だと子供扱いされているみたいで、イヤね」
どちらかと言うと保護者であろう。アルフィースは自分が随分と我儘なことを発言している自覚がないらしい。
――宿屋の食席にて騒がしい2人。朝っぱらからの小さな騒ぎを、木製のカウンター内から観察している者がある。
「……思ったより大胆ね、パウロくん。しかしアルフィースも中々……すっきりしないわねぇ? でもまぁ、年相応に。焦ることはないよ、2人共!!」
何かブツブツと独り言を呟いている人。それは店主の【マイサ】だ。噂好きの女店主は誰に語るわけでもなく、勝手に1人で想像を膨らませて「ニヤリ」としている。
何やらまた謝っている少年と、呆れた様子の少女。それを陰から見守る店主。
一方、宿屋に備えられたソファ。賑やかな光景から外れて、静まり返っている宿屋の一角。
そこで寝そべっている男は「うぅぅん」と頭を押さえてまともに動けない様子。彼は昨晩、珍しく間違えたようだ。慣れたはずの酒を飲み間違えて、すっかりノック・ダウン。加えて筋肉痛も併発しており、顔色は優れない。
二日酔いの青年【エリック】はしばらくそうしていた後、痛む頭を押さえてふらつきながら宿屋を出た。
外の風にでも当たって、落ち着こうということなのであろう……。
|オレらはモンスター!!|
ウォールナット村を通る道。むき出しの砂地を風が撫で、砂粒が舞い上がった。
舞い上がった砂粒を避けて通る、勇ましい走行音が村を駆ける。追いかける様に駆ける子供たち。彼らが遊ぶ姿は渓谷の伝承を今に伝えている。
道半ばで円を作り、話し込む婦人の集団。噂の議題は少し変な旅人のこと。それに――
「うぅ~~ん……こういうの、どうかな? どう、あなたこういうの好き?」
少女がシャツを広げた。それは随分と大きなシャツで、ゆったりとして……まったく少女の体格に合わない。
少女は身体の向きを変え、広げたシャツをあてがった。それは座っている大柄な男の胸元にである。
「……好きっちゅーかにぃ? いぁ、オラさ隠せるんならなんでもいいっぺよ。君さ納得する布面積のやつを選んでくだしぇー」
大男――大柄な少年は正座の姿勢。つまり座った姿勢で少女にシャツを合わせられているのだ。この姿勢でなければ、こうして目線を揃えることもできないので仕方がない。
「なんでもいいってことはないでしょう? パウロ、あなたそもそも故郷ではどのように服を選んでいたのよ。まるで無関心みたいだけど、それってどうなの??」
「どうなのって……なんか家にあるのをテキトウによ。おっとぅ(父)とオラの大きさは大体同じだっけ、お互いに好き勝手してたわ。服の洗濯はおっかぁ(母)がするし……市場で交換したり、もらってくるのも大体そうだわな」
「・・・はぁ、信じられない! 仕方がないわね。それじゃ、このアルフィースのセンスによってあなたの装いを定めますわ! そうなると、ちょっとこれは違うか……」
「おっ、んだな。アルフィースつぁんが選んでくれるんなら、それがいいっぺ。オラ、それを着るっけよ」
「――――もうッ! しょうがないなぁ~!!」
そうと言われて……アルフィースは普段ないような機敏な動きで次々と衣類をパウロにあてがっていく。
――現在、こうしてやたら張り切る少女と座ってその様を眺めている少年が在るのは“雑貨屋”である。ウォールナットの雑貨屋には小物や鞄から装飾品、それに衣類が混雑した様子で陳列されている。
少女アルフィースは先日から気になっていた、“胸元が丸出しな少年の姿”をどうにかしようとここを訪れた。自身の衣類補充もあるだろうが、第一の目的はそれである。彼の胸元にぶら下がっている赤い宝石のペンダントも隠せと占い師に言われたし……。
いくつか、少年のサイズに合うものを……しかし彼があまりに大柄なのでほとんど選択肢なく、「もっと大きなお店でないとダメね!」と憤りながら会計へと向かう。怪しい旅人2人の一部始終を観察していた雑貨屋の店主は、少女の発言に眉をひそめた。
会計カウンターに商品を乗せて、アルフィースはやや緊張した面持ちでピンクの財布を握りしめた。どうにも『金を払う』という行為に対して未だに慣れないようだ。
「……このシャツとこのシャツとこのカチューシャに、ええと……しめて9200PLってとこだね」
「――――ッ、9200!! ・・・・・よしっ!! ほぅら、払えますわ!? ふふん、これでよろしくって??」
手持ちは一万九千三百PL――支払い可能である。「勝った」とばかりにアルフィースは笑みを浮かべる。
何故か嘲笑われてるような、それとも威圧されているような……。雑貨屋の店主は訝し気にしたものの、金は確かに提示されたので商品を手渡した。
「よかったわね、パウロ!」
――と嬉しそうにシャツやらなにやらを抱えている少女。その姿を見て、パウロもまた喜びを表し、硬くしていた拳を緩めた。
そして押し込む。パウロがここに持ち込んでいた“白い鞄”へと、購入した何やらを強引に押し込んでいく。店の中で何をしているのかと、眼鏡越しに店主の眼が光る。
「――よっし! ではパウロ、宿に戻って着替えましょう? それでは店主の紳士様、私たちはこれにて……失礼いたします」
お淑やかに礼をこなす。それまでの不審な行動からは想像もつかない可憐な振る舞いに、思わず店主は顔を赤らめて「へへ、どうも」と会釈した。
雑貨屋を出るとそこはすぐに村の通り。この時間、渓谷へと流れ込む風が度々に強く吹く。
「――――あっ!/――――っと?」
跳ねるようにして通りへと出でたアルフィースはよろけた。風に吹かれて傾いた彼女を、予想していたかのように支える太い腕。
「大丈夫かに、アルフィースつぁん? あんまし跳ねてっと……ここさ風強いっけ、気をつけんとね?」
「――あ、ありがとう……うんっ。エへへへ」
そっと、静かに離れて顔を背ける。頬の赤い少女はニヤけて笑った。
何かは知らないが……ともかく、アルフィースの機嫌がよければそれでいい。パウロは「うんうん、転ばんでえがったねぇ」と納得して頷いた。
気を取り直して前を向き、宿屋へと向かうアルフィース。数歩歩いて、少女は振り返る。
――可憐な彼女が振り返ると、ワンピースの裾がゆらぎ、艶のある長い黒髪が風に踊る。
耳元に下がる金の髪飾りが、キラキラと陽の光を反射した――
誘う少女の声。可愛げのある笑顔に、お淑やかな仕草。急かされたというのに、パウロ少年は足を止めてしまう。
「―――――。」
「?? どうしたのよ、パウロ? ほら、早く買った服を着てみましょうよ。きっと、このアルフィースの目に狂いはないのだから!」
「―――――。」
「……ちょっと、聞こえてまして? 何よ、そんな……じっと見て。私、何かおかしいかしら?」
「―――いぁ、なんも。なんもおかしくなんかねぇ」
「ん~~~?? じゃ、なに……あー、解った!! あなたやっぱり、子供を見守る目で私を見ているでしょ?? だから違うってばぁ! 私が気にかけてって、そういうことじゃないのっ!」
「ほ、ほぉだか? オラは別に……」
詰め寄られた。振り返った彼女が頬を膨らせて反転し、背伸びして自分の胸を指先で突く。
パウロ少年は目の前にある人の笑顔から視線を外せない。
今はもう、他の何も見えな――――
「 ア~~ッ!? お2人、ここにいましたか!! ……痛つつぅ。頭っ、マジくらくらっすよ~~。ハハハ、参ったなぁ! 」
見えた。夢のようにぼやけていた周囲の景色から、「ニュっ」と生えてきた男。それはエリックである。
「あらエリック。なに、何か用かしら??」
少女アルフィースは少年に背を向けた。たったそれだけのことなのだが、パウロは物悲しい表情になる。
唐突に沸いたエリックは頭を抱えて項垂れた。体調不良で急に走ったものだから、何かが込み上げているらしい。だが、それはどうにか堪えて呼吸を整える。
「あなた、大丈夫でして? 顔色が優れないようですけど……」
「あ、いや……単に二日酔いっす! ガラにもなく深酒をして……アッハハハ」
「そう、お身体に気を付けてくださいな。じゃ、行きましょう、パウロ?」
別に怒っているわけでも嫌っているわけでもない。ただ、なにか……アルフィースはどうもこの青年エリックと噛み合わないらしい。
彼が何か少女に対して悪いことを意図して行ってもいないし、そういった感情もまるでないだろう。むしろ尊敬するパウロの隣にある人、ということで尊重してすらいるようだ。
だが、合わない。自分を敬う人に優しい傾向があるアルフィースだが、どうしてもこの青年とは距離をとろうとしてしまう。第一印象というものはかくも強く人間関係に影響するものなのであろうか。それとも、他に何か偶然による理由でも重なったのであろうか……。
パウロを急かしてさっさと歩き出そうとするアルフィース。しかしエリックはまるで平然として、彼女達を呼び止めた。
「あ、待ってくださいよぉ! 俺、さっきそこらふらついてたら……良いものを見つけたんす! 是非、お2方に報せようって。そんで走ってきたんすよぉ――――オえっ?!」
言葉の終わりにえずきながら、青年は一度片膝を地に着いた。実際、かなり体調は悪いらしい。
しかしそうまでしても、彼は少女と少年に伝えたいものがあるとのこと。
「・・・・・。/―――――。」
少女は見上げ、少年は下を向く。2人は顔を見合わせた。まぁとりあえず付いていくか、と少女が促す。
青年エリックが見せたかったもの。それは――
“ ヒッヒィィィィ~~~~ン!! ”
「わぁ、すっごぉ~~い! 大きい!」
「ほへぇ~~、立派なもんだなぁ……」
「どぉっすか、これ!? 確かお2人は“帝都”に行くって……だったら、これ丁度良くないっすか!? この渓谷にまで“馬車”が寄せるなんて、割と珍しいっすよ!!」
いななく2頭の馬がそこにある。その横に立つ御者がシルクハットを外し「ご利用ですか?」などと会釈をしている。
――そう、『馬車』だ。本日このウォールナット村へ移住してきたという一家を乗せた馬車が、村の出入口付近に停車していた。
パウロの故郷たるヤットコ村にも馬は存在するが「牛の格上」みたいな扱いを受けていた。役割は異なるものの、数が少なくしかも現在目の前にするものより脚が短くて種別が若干異なる。
アルフィースの故郷であるセイデンにも馬は存在する。だがそれは鑑賞や競技、時に儀礼や精鋭部隊の機動に用いられる少し特別な存在であり、こうして目の前にして見ることは稀なものだ。
だから2人共に瞳を輝かせて馬を見ている。それぞれが関心した様子で馬車に繋がれた立派な2頭を眺めた。
「この馬車、こっから帝都に戻るらしいっすけど……乗せてく客はないんだそうで。できれば誰か乗せて戻りたいっつーんで、んじゃ俺と……あと2人。つまり、お2方を紹介させて頂きました! 如何でしょう!?」
エリックは得意気に馬車を示している。少女と少年は「……つまり?」と同じ思いで顔を見合わせた。
「歩くとまだ少し、“ドゥ・アンダ平原”までかかっちまいますが……こいつに乗っていけば早い、早い! どうです? しばらくは待ってくれるそうだから、ゆっくり準備してからでも平気っすよ。ああ、俺はほとんど着の身着のままだからいつでも――」
つまり……この馬車に乗って一緒に帝都に向かわないか、ということである。
どうやらある程度の交渉はすでに行っているようだ。エリックは気さくな様子で御者に確認を取りながら2人に提案している。
「馬車……か。階下では行き交っていたみたいだけど……確かに、ちょっと乗ってみたいかも」
少女アルフィースは乗り気ではある。乗り気ではある……のだが。
そこにおまけが付いて来ることが少し引っ掛かるようだ。別に、悪い人というわけでもないのだろうけど……ともかくそういう印象なのである。
「ばしゃ――へぇ、なるほどにぃ。山ん中でもねぇし、遠い距離を移動しようって、そうすっと馬がこうして人を引っ張るんか。んだっけ、じいさんばあさん乗せた牛車に近いもんだわな」
パウロ少年もまたすっかりその気らしい。彼としては何も気になることなく、素直に青年の提案を受ける気でいる。乗る部分らしい小屋のようなものが狭そうで、それはちょっと気になるが……いずれにせよ。
こうした場合、少年は「チラリ」と少女を見る。
そこに在るアルフィースは腕を組んでやや斜な姿勢をとり、見下ろすような視線を虚空に刺していた。しばらく押し黙った後、彼女は……「ま、いいでしょう」と頷いた。
「わぁ~~い! オラ馬車なんて初めてだっぺよぉ。どんな感じなるんかね?」
「さぁ……でもパウロ、あなたはちょっと身を屈めないと入れなさそうよ。まぁ、私が場所をとらないから無理はないでしょうけど。ウフフ♪」
存在、嬉しそうではないか。パウロは素直なものとして、アルフィースもなんだかんだ楽しそうである。
こうして、アルフィース達と青年は一度、宿屋へと戻った。
少年が着替えを済ませている間、宿屋の食席にて。少女は女店主に事の経緯を話す。
店主は「そうか」と。しかし寂しそうに笑った。
「しかし、名残惜しいねぇ……いや、たった一晩だけどさ。あんた達は随分と私にとって印象強いよ。素敵な出会いをありがとうね!」
「こちらこそ……マイサ、本当に良くしてくれてありがとう。お洗濯まで……えへへ、なんだかまるで、私にとってあなたは――――ッ」
何かに例えようとしたらしい。だが、そこでアルフィースは言葉を詰まらせた。何か記憶にある障害物に引っ掛かかって――赤い眼の“嘘”を思い起こして――胸の奥が痛む。
少女にある表情の不自然な変化。そのことをマイサは気にかけた。これは欲による詮索ではない。実直さから慮った気持ちである。
「どうしたアルフィースや、なにか心配でもあるのかい?」
「あ……マイサは本当に、私にとって良いお友達だな、って。そのことが嬉しいの……」
「そうかい、この子はまた嬉しいことを言ってくれるねぇ!」
「うん。本当に……あなたって優しくて、頼りになって、温かくて……」
目の前にあるマイサだけではない。アルフィースは瞳を潤ませて、遥か遠くにある人のことを重ねて見ている。
マイサは――自分を見る少女の視線がどこか遠く、悲しいものであると感じたが、そのことを探ろうとはしなかった。
「――アルフィースや。どうにも、あなたは強くあろうとしすぎる。きっとあなたの境遇がそれを強いているのだろうけどさ」
「…………そう、かな?」
「背負いこまなきゃいけない荷があるのなら、時には誰かに支えてもらうといい。ほら丁度、大きな付き人さんだっているんだから……おっと、噂をすればさ!」
のそのそと、宿屋の奥からカーテンをくぐって姿を現す大柄な人。
真新しいシャツを着たパウロが大きな鞄を下げて出現した。胸元にデカデカとあるのは強そうな模様・・・シャツには睨み顔の“トラ”が描かれている。ちょっと可愛く丸い感じにデフォルメされているのがポイントだ。
その姿を確認して、少女アルフィースはニッコリと笑う。店主のマイサは若干引いたような笑顔を作っている。
「――そうね。今は付き人と少し違っちゃったけど……頼りにしてみるわ」
「おや、違うのかい? 付き人じゃなかったら……一体、彼は何者なんだい??」
「・・・・・えへへ、解んないっ!」
「――――ほほぅ??」
これは興味心である。店主のマイサは顎に指を置き、注意深く少女と少年を観察した。沸き上がる情報欲が2人の関係性に「ビンビン」と変化の兆しを感じているのであろう。
「あっ、そうだ――――御代! お支払い致しますわ。そう言えばここって宿屋ですもの! ええと、確か……」
「ん? ああ、そうだった。一泊400PLだったね……ま、もらっておこうか。別に無料でもいいんだけどさ……」
「そうはいきませんわ!? ええと、400――――あら? これ、小さいのこれだけで、あとは大きい数字しかありませんわ?? これ、どうしたら・・・と、とりあえず・・・えいっ!?」
宿屋のカウンターに置かれたピンクの財布。まるごと所持金を渡されてマイサは困惑する。財布の中身は1万PL札と100PL硬貨。支払いは400PLなのだから、1万札だけ置けばよかろうに。
「なんだい、余計なのが入ってるよ? まったく、アルフィースったらそそっかしぃねぇ! ほらよ、“お釣り”だ、受け取んなさい」
何故に少女がこのようなことをしたのか。戸惑いながらもマイサは代金を受け取り、9700PLを財布に入れて少女に返した。
一連の流れを注意深く見守っていた少女は……納得した様子で「あ~~」と零す。
「そういう仕組みなのか……ずっと思っておりましたの。こういう場合、支払う側がえらく損をするのではありませんこと――って。なるほど、“おつり”って仕組みね。……うん、理解したわ!」
「んお~~。なんかおらたち、ちゃんと金さ使えてる気がすんね? やっぱす、アルフィースつぁんはさっすがだなぁ~」
やっぱり、なんだか変わっている。昨日にここを訪れた時からそうだが……マイサはちょっと普通ではない旅の2人を、愛おしそうに眺めた。
支払いを終えた頃、宿屋の扉が開かれる。開いたのは青年エリックであり、彼も彼なりに何かをしていたらしい。未だ痛む頭を押さえつつ、2人に様子を伺う。
少女は頷いた。そして背の高い少年に声をかけて、宿屋の扉を越えて行く。
陽の中で映える花園。渓谷へと吹く風にゆらぐ色鮮やかな花々。
朝霧によって雫が残った花弁に、陽の光が当たって輝いている。
アルフィースは丁寧にお辞儀をした。深く頭を下げて感謝の気持ちを宿屋に向けている。仰々しい仕草に慣れない女店主は照れた様子で後頭部を掻いた。
そして歩き始めた2人と青年に向けて――
「達者でやんなよ~! どうしても困ったら、ここに戻ってきな! あたしゃいつだって、あんた達を歓迎するからね~~!」
大きく手を振っている。活気ある大きな声が響いてくる。
3人は振り返り、手を振り返した。それぞれが故郷を立ち去るかのような、名残惜しさを感じて……。
ただ、この内の1人はこれから本当の故郷に向かう。昨晩になって彼はようやく決心がついた。しかし、これは覚悟を要する帰郷である。
「――エリック、おめさの家は帝都にあんだわな??」
「はい、ガリンスキーの工房は……案内もしてぇけど、そうするなら俺が親父とケリをつけねぇとだから……」
青年エリックの表情はどこか硬い。これから自分自身の力を試すという決意もあるが、同時に気まずいままの父親とどのように顔を合わせたらいいのかという思いもある。
そうして緊張しているような彼に向けて、少年が言う。
「案内なんていつかしてくれりゃいいさ。まずはおめさのことが大事だっけ……きっちり、おめさの“強ぇ”とこ、見せてけや?」
「……ハハ、そうっすね! 今更迷うこともないっす……こっからは俺が、本当に行きたい道を歩きます!」
「おほっ、良い顔すんねぇ!! おめさエライ男前になってぇ……その調子さ、オラも応援すっぺよぉ~~!」
「あたっ!? へへへ、ありがてぇ……パウロさんにそう言ってもらえっと、俺、マジ勇気でます。あざっす、マジのマジに感謝っす!」
肩を小突かれて大きくよろけるエリック。しかし彼は嬉しそうに、そして自信に満ちた表情で前を向いた。
馬車がある。これに乗れば、帝都まですぐに着くことができるであろう。
3人を視認した御者の男が、被っているシルクハットを外した。挨拶している彼に、3人もそれぞれが軽く挨拶を返す。
「しかしほんと、パウロさんには世話なった。あんたがあの時、俺と出会ってくれなかったら。きっと、今頃も俺は――」
馬車での旅を前にして、エリックが改めてパウロへと向き直る。
そして彼なりにずっと感じていた感謝の気持ちをちゃんと伝えようと、そうして表情を真剣にした時――
「 ――――ェエリックゥゥゥゥゥゥ!!!!! 」
そこに、物凄い勢いで駆けてくる人がある。しかもそれは凄まじい険相で叫んでいる。
3人揃って勢いが迫る方向を見た。不意を突かれて「何かな?」と呆ける3人。
直後、少女と少年は呆然としたままだが――ただ1人。
青年エリックだけは状況を理解し「げぇっ!?」と表情を愕然とさせる。
「ハァっ、ハァっ……! ハァアァァァ…………ッ、エリック!! あなた……言ったでしょう?? フゥ、フゥ……!」
「うわぁっ!? な、“ナラーシャ”!! どうして解ったんだ!?」
この場に突撃してきたのは1人の女性。それは昨日に賭博場でパウロ達へと絡んできた大人な女、【ナラーシャ】である。
「ゼぇ、ゼぇ……ユーリィがね、教えてくれたわ。『お父さん達に別れの挨拶してるわよ、あの人』――って。ちょっとあなた、それってどういうことでして!?」
「あ~~~マジか、あいつ。うわ、しまった……ヤバいな、コレ……」
「何がしまったなの!? なにがヤバいの!? どうして、あなたエリック!! このナラーシャに挨拶を……いいえ、そもそもどうしたって“私の村”を去るというの!? 答えろ、このお調子者!!!」
掴みかかった。ナラーシャは香水の香りをまき散らしながらエリックの胸元を捩じり上げる。
ナラーシャは豪奢なドレスで着ぶくれしているものの、本来は細身の女性である。しかしエリックは体格的にほとんど互角。むしろ勢いで負けてそのまま馬車の客車に押し付けられた。
「あ痛っ!? タンマ、タンマ! 頭打ったから……つかマジ、そもそも二日酔いで……っつか、ちょ、首、首が苦しッ……うゲっ?!」
「またはぐらかそうって?? 今だけはそれ、許さないから!! “覚えておきな”“逃げるな”と昨日忠告したのに……この大嘘つきめが!!!」
歯をむき出して顔を迫らせる女。締め上げられて息が止まりそうなエリックはもがき、どうにか彼女を突き放す。
咳込んでノド元を押さえている青年。感情の高まりによって息を切らしている女性。
その光景をすぐ隣で見ている少女と少年。それと、御者の男性。
「ゲホゲホッ、ナラーシャ……君ってほんと加減しらねぇもの。何にしたって……マジ、勘弁だぜ」
「勘弁するわけないでしょう!? あなた、ここで一番挨拶をしなければならないのは私でしょうが!! 私が一番ッ、この地であなたに良くしてあげた!! あの時も、この前も……ここ最近だって!!!」
「それは解ってるよ。感謝もしてるけど……でもよ? お前、絶対許してくれないと思ったから。俺が帝都に帰るなんて言ったら――」
「許すわけないでしょうが!?!? 責任感のない男よ、ほんとあなたって人は……昨日の借りも、この村で初めて出会った時の借りも!! 私の気持ちも、何もかも!! 全てツケを放棄して去ろうなんて、男として恥ずかしくないの!? それでもガリンスキーの長男なの!?」
「・・・ツケなら払ったし。飯代、きっちり昨日払ったから」
「私へのツケって話しよッ!!! 誰が飯屋のツケを話した!!? そんなんどうだっていいのよぉぉぉぉ!!!!」
「ぐ、ぐぁぁあっぁ!!! だからやめ、やめ……やめろ、ナラーシャ!! 落ち着け!!!」
再び掴みかかり、客車へと激突させる。荷台が揺らいだことに驚いて、馬たちがいなないた。
一連の事と次第を見守る少女と少年、それに御者の男性。
少女と御者は「大変なことになってるな」と状況をおおまかに把握し、気の毒そうな表情で頭を「ガンガン」とさせられている青年を見ている。
少年は「助けたほうがいいのか?」と思っているものの……よく解らないが青年も悪い気がするので手を出せない。何より、女性が激怒している様と理由が未知数すぎて触れられない。
苦戦するエリックは渾身の力で女を跳ね退けた。よろけたナラーシャは転んで尻もちをつく。
「うぐぐぐ……あっ!? ナラーシャ、ほら、無茶苦茶するから……大丈夫か?」
「いぃぃぃいぃ、嫌ッッッ!! 触らないで、もう知らない!!! あなたなんか、あなたなんか……知らないっ、嫌いっ、勝手にすればいい!!!」
暴れる手足をどうにか制しながら、エリックはナラーシャを支えて起こす。
そうしてから、顔を押さえて興奮冷めやらない彼女の肩を抱き、青年は口調を穏やかに話しかけた。
「――――ったく、悪かったって。でも、俺はようやく決心ついたんだよ。街に戻る勇気が……自分の自信ってものを、思い出せたんだ。君にはいつか、ちゃんと説明しようとは思っていた」
「いつかって……また嘘ばっかり! 信じられないわ、もう。そうやってあなたも私から離れていくんでしょう、その口実なんでしょう!?」
「ナラーシャ……俺は帝都に戻る。だが、ここに戻ってこないって、そういうことじゃない。君から逃げるとかそういうつもりでもないんだ。解ってくれ、俺はあの場所で……決着をつけなきゃいけない相手がいるんだ」
「…………でも、私を置いていくのは変わらない」
「置いていくってそれは……じゃ、そもそもさ。君だって――――ッ」
男と女の会話が止まる。それは、彼らが会話不能な状態に陥ったからだ。
少女は目を見開いた。その光景を見ると、何よりも彼女は心を奪われる。
少年は口を開いて唖然とし、御者も口を開いて驚きを隠せない。
いつの間にか遠巻きに人々が状況を見ていた。騒ぎを聞きつけた村の野次馬が一定の距離を空けて輪を形成し、事の成り行きを監視している。通りで遊んでいた子供達も野次馬に紛れて状況を観察していた。
衆人環視の中で抱き合っていた2人――押し付ける様に触れあっていたくちびるとくちびるが、しばらくしてようやく離れた。
「……なんだよ、人前でマジなのはすんなって。照れるじゃねぇか」
「だってこうでもしないと、あなた解らないでしょう?」
キスを終えた2人はそのまま会話を再会する。周囲のざわつきなど意に介さず。当然、小柄な少女の熱い視線など気にすることもなく……。
「解らないって、何がだよ。解ってるって、全部さ……」
「本当かしら? なら、私の誘いも解っているのでしょう?」
「いや・・・・・だって“遊びだろ”、君のソレって」
「はぁ!!? ―――――――ッ!!!!!」
弾けた。いや、実際に弾けたわけではないのだが……あまりに大きな音で「パンっ!!」と鳴ったので周囲の誰もが肩を竦ませる。
エリックは横を向いていた。頬に奔る痛みを押さえ、手を当てる。
「……痛てぇな。殴るのも、マジなのはよせよぉ」
「――――知らないッ、もう知らない!! ……嫌いよ、あなたなんて……うわぁぁぁぁん!!!」
強く打ったので自分も痛むらしい。ナラーシャは痛む右手を押さえて、瞳から大粒の涙を流しながらその場から駆けだした。
「痛たた……ったく。やれやれ、嘘は自分だって――――と。うわぁ……」
その場に残されたエリック。左の頬を押さえてふと、周囲を見ると……。
無数の視線が自分に集中していることを自覚した。そして、それらが何を目撃していたのかも十分に理解できている。
「こりゃぁ、参ったね。しっかし……しょうがねぇなぁ」
青年は乱れた衣類を整えながら、ガリガリと頭部を掻いた。
注目は実感したが、それほど周囲を気にはしていないらしい。見たいなら見ていろよといった具合に、さして注意を払わずに御者へと歩み寄る。
御者もそうだが、その近くにある少女と少年も。平然と寄ってくる青年に恐縮して目を逸らした。
そして、青年は苦笑いを浮かべつつに言う。
「――悪ぃ! 御者さん、1人キャンセルで頼むわ。ちょっと野暮用ができちまって……ほんとすまん!!」
苦笑いにそう告げる青年。まざまざと特等席で「理由」を見ていた御者はもちろん、遠慮がちに「はい、結構ですよ」とだけ答える。
続けて、エリックは少女と少年へと向き直った。「へっへへ」と自嘲気味に笑う青年に対し、2人は緊張した面持ちで彼を見る。
「パウロさん、アルフィースさん……すませんっす!! 俺、今はちょっと帝都に帰れねぇっすわ。あっ、でも違うんすよ? 俺の決意ってのは揺らいでないっすから……こっちのケリをつけてから、追ってそちらに向かいます。しかし俺から馬車の旅に誘っておいて……ホント、そこは申し訳ないっす!!! すませんっした!!!」
頭を下げてくる。これまでと変わらない様子で調子良く、頭を下げている青年。パウロは彼に対して「おう、なんかしんねぇけど頑張っちくれ!」と心配しながら声を掛けた。
その隣にあるアルフィースは……何か、自分達とは次元の異なるものを見せられた気がして……。
あの女性の振る舞いもそうだし、この青年の言動もそうだし……迫力にすっかり圧倒された。目の前にある青年が舞台上にある役者かのように、遠い存在に思えている。
「いやぁ、泣かせちまった女を放ってはおけないっすから……まぁ、そういうことで! タハハ、やっちまったなぁ……頭、くらくらするっすよ、ホント」
青年は2人の姿を名残惜しそうに眺めた。そして、意を決する。
「お2人共、どうか身体に気を付けて――――また、会いましょう!」
笑顔を残し、調子者の青年エリックは駆けだした。遠ざかる背中に向けて少年は大きく手を振り、少女は呆然と見送っている。
走るエリック。それに向けて、遠巻きに状況を見ていた人々が続々と野次を飛ばした。
「エリック! おめぇやっちまったか、こりゃ絶対に拗れるぞぉ~」
「エリックぅ~~、ナラーシャあっちよ、あっち走ってった! 早く、早く!」
「……あ~~あ、知らねぇからな。これは村長、いよいよお前に目をつけるぞ!」
「ヒュゥ~♪ 魅せてくれるねぇ。エリックふぁいと、俺はお前を応援すっからな!!」
投げかけられる言葉を「うるせぇっすよぉ~マジ、勘弁」と邪魔そうにしながら、苦笑いに走る青年。
砂地の通りを走る彼の後には、砂が巻きあがって小さな渦を作る。
風の強いこの地で、彼の足跡はすぐに消えて――
「・・・・・。」
「・・・・・。」
「・・・・・エリックあいつ、なんでさっき殴られたん?」
「・・・・・。」
「あ!! んだ、い、いきなしキキキ、キッスをすたから……ありぃ? んでもそれはあの人の方からこう、ぐいッて近づいて……んじゃなして?」
「・・・・・ハァ。」
「ねぇねぇ、アルフィースつぁん。エリックなんかやっちまったんか? オラさまたすまんけど、解らんくって……」
「う~~ん。まぁ、やっちまったんでしょうよ。いや、言ってしまったというか……」
「ほほぅ、ふむむぅ? きっとあいつさ、また説明不足だったんだな。解る解らんと、なんかそんなん言ってたし……親父さんとも、いつかきっちり話せるといいんらけど」
「あら、おやじさんって……彼のお父様? 何かあったの?」
「んぁ、そりゃ――」
“ ヒッヒィィィインン!!! ”
「おお、馬が……あ。すんません、ええと……」
「び、びっくりした。お馬さんの声か……あ。ごめんなさい、ええと……」
すっかりその場で話し込みそうになっていた少女と少年。その横で立ち尽くしている紳士はシルクハットを弄って不安そうにしていた。
2人だけになった客人……そわそわとする御者に、少女が「よろしくお願いいたしますわ」と華麗な挨拶をかます。
御者の表情は「ハッ!」として明るくなり、2人を客車へと案内する。そしてニコニコとしながら何かの紙を取り出した。
「お客様方、どうか足元に気をつけて……ああ、お荷物は対面席でよろしいでしょうか? ――――ええ、それでは…………ゴホンっ!
あ~~っと、まず。本日は当社、クラウンボール交通、馬車運行サービスをご利用しただきまして誠にありがとうございます! 出発を前にしまして、いくつか注意事項をば……。
ええと、1つ。運行中は車内で騒がず、なるべく落ち着いてご利用ください。2つ、運行中は無暗に窓を開かず、決して顔を窓から出したり身を乗り出したりしないでください。次に3つ、運行中に有事の際、荷物類の紛失等におきましては当社で責任を負いかね――――云々(うんぬん)」
御者は取り出した紙にある文面を丁寧に読み上げている。
「ちょ、ちょっと? もう少し奥にいけませんこと??」
「あ~~~……やっぱし狭いっぺねぇ。ちとまって、もちっとこう、縮こまって……」
「あっ、大丈夫よ。乗ったら意外とここ、スペースがありますわ。パウロ、あまり身を小さくすると苦しいでしょう?」
「いぁ、アルフィースつぁんこそ。あんまし狭いと辛いろ、オラはこれでいいっけ……」
「だからほら、あるって、空間! 鞄をこうして……斜めにね? こうすれば余裕がありますから。そんなお団子みたいに丸くならなくたって――」
聞いていない。客人達はまるで御者の言葉など聞かず、自分達の環境作りに夢中となっている。
「――――となり、馬車賃は下車後にお支払いとなります……はい、以上ですね。そして私は本日の運行を担当いたします、御者のウォードと申します。何かありましたらそちらの呼び鈴を鳴らしてください。尚、走行中におきましては状況によって呼び鈴に気が付きにくいこともあります。どうか予めご了承いただきまして、え~~・・・はい。では、出発いたしますッ!!!」
そして御者もまた見ていない。紙の文面を読み上げるのに必死で、それを通して読み終わるとようやくに顔を上げた。
それほど若くはないようだ。中年男性である御者の【ウォード】はキチッとした帝域式敬礼をこなすと、少し気合の入った表情で御者台へと乗り込んだ。
若干に手間取りながら、御者台に上がって手綱を握るウォード。
「は、はいやぁ~~あ~~っ!」
彼がそのように震えた声を発すると、手綱の刺激を受けた馬の2頭が走り始めた。
「 うぉっ!? / うわわぁっ!? 」
ガクンと急発進したので、客車の中で対面して座っていた2人は驚いた。「こんな感じなのか」と馬車の始動に驚きながら…………ともかく。
座席に座るアルフィースは身体を斜めにして客車後ろの窓を見る。
窓に映る世界。そこを景色が流れて、離れていく。歩くよりもずっと早く、さっきまで居た場所が遠くなって……。
砂地を走る馬車。巻きあがる砂煙の中に、ウォールナットの村が次第に小さくなっていく様子が少し曇って見えた。
やがて窓には左右を過ぎ去る森林と、雄大過ぎて離れているのか解らないテッペルの山々だけが映る。
渓谷の出口、ウォールナット村。そこを離れるということは渓谷を離れるということでもある。
時折に蛇行するようなちょっとだけ不安定な走行。そうした馬車の中、狭い客車の中で少女と少年は向かい合っている。
揺れる客車の中。シートの後ろにもたれかかって眠る少女。見守る少年の眼差しは穏やかで……窓から射し込む陽もまた、暖かい。
自然豊かな地を離れて2人が向かう先……それは人の群れる都市圏。
果たしてこの先、少女と少年は何を見るのであろうか――――――?
|オラはモンスターだっぺや ~俺って、情けねぇんすよ(END)~|




