「オラはモンスターだっぺや ~俺って、情けねぇんすよ(6)~」
少し時間は遡る。それは少女が無表情に部屋へと戻り、閉じこもった頃……。
パウロ少年はしなびた巨木のように傾き、よろめきながら歩いていた。
虚ろな瞳で薄暗い通りを歩く大男の姿。その横で彼を気遣いながら歩むのは青年エリックである。彼もまた、活気のない様相で調子悪そうにトボトボとした足取りだ。
2人の男はしばらく進むと、やがて「腹減ったな」の一言で停止した。それを発したのはエリックであり、反射的にパウロは足を止めたのである。
「はら……おなか……」
「あっ――――そ、そうっす。腹、減りましたよね? 俺らなんも食べてないし……そうだ、丁度良いや! そこに美味い飯屋がありますから、そこで食いながら元気を――」
「アルフィースつぁん……腹いっぺこと食えてて良がっただ。あんなに嬉しそうで、満足そうだったんに……なのにオラは、オラってやつは……」
「あらぁ・・・・・。ええと……ええいッ!! とにかく飯だ、飯を前に置いて話しましょう! パウロさん、食わなきゃ死んでしまう!!」
「死ぬ、か。オラさ、オラなんか……あの子を困らせてばっかしの、オラなんかいっそ……」
「ちょちょ、ちょっとぉ!?!? マズイ、マズイ、マジ!? ええいっ、このっ……こうなったら押し込んで……くのっ……んぎぎッ!!!」
「オラってやっぱす恥ずかしい男だ……何も解らん。知らんことが、こんなに彼女を苦しめるなんて……知らんことより、そんことが辛ぇ……ほんにオラってば情けねぇ……」
「うぉぉぉぉ!!! 頑張れ俺ッ! ヒッパレ、ヒッパレ!! パウロさんを、とにかく飯の前に!!!」
完全に木偶の坊と化した少年。無気力で反応が薄い巨漢の男を懸命に引っ張る青年。
パウロの旺盛な食欲を目の当たりにしていたエリックは少年の食欲にこそ希望を見出す。何か食べ物を与えれば刺激となって活力を取り戻すのではないかと、そう考えたのである。
息も絶え絶えに。どうにかエリックは大男を食事処に連れ込んだ。まるで腕力のか弱い青年だが、これはもう意地の綱引きだったのであろう。
飯屋へと倒れ込むようにして入ると、店主が「どうしたんだ?」と迷惑そうにエリックを見下ろした。
飯屋店主の男は頭に鉢巻き、袖は肩まで捲った姿をしており、見るからに勇ましそうだ。顔立ちには深いしわが多く、険しい顔つきに太い眉毛が凛々しい。
「お、親父さん! め、飯を……取り合えず握り飯を2――――いや、10! 10個出してくれ!!」
這いつくばって手を伸ばすエリック。その背後にある大男は脱力した表情で物言わず、ただ突っ立っている。
店主の男はしばらくそれらを見て状況を考えたが……しばらく考えてもよくわからない状況だった。
「しかし飯ったっておめぇ……エリックよ。ツケはどうした、ん?? まだもらってないけど……」
「は、払うっ!! 払いますから、ついでにこいつも……前払いッ!!!」
「おっ。なんでぇ、羽振りがいいじゃねぇか! ――そういやおめぇ、盗賊をやめたってな? 覚悟したんなら良いことだが……帰る前に面倒ごとは残してくれるなよ? さっき娘から聞いたが、なんでもおめぇ……ナラーシャを怒らせたってな。一体なにをやらかし――」
「そんなんあとで話すから、今はとにかく――――とにかくッ、飯をくれぇぇぇぇ!!!!」
殴りつける様に御代金を支払う。大体がヘラヘラとしているエリックの険相など珍しく、店主の男はキョトンとして“オニギリ”を作り始めた。
オニギリ【握り飯】――それは米を握り固めたもので塩などで味付けされる。これは帝国と古くから交流ある異国の食べ物らしい。携帯しやすい主食として、分断戦争で広まり、以後にも好まれた歴史がある。ただ、あまり日持ちはしないので管理には注意が必要である。
おにぎりを待つ間、力尽きたようにエリックは座敷のテーブルに突っ伏していた。
テーブルを挟んで対岸には壁に立てかけられたパウロ。彼はズリズリと、次第に背中を擦るようにして座り込んだ。魂が抜けたかのように、まるで意思を感じられない有様である。
「へいよ、握り飯10個……しっかし、こいつか? ユーリィのやつが言ってた“カワイイ大男”ってのは?? 確かに立派な図体してやがるが……どうにも面に覇気ってもんが感じられねぇ。ちゃんと飯食ってんのか?」
店主の男は値踏みするようにパウロをジロジロ見まわし、拍子抜けしたとばかりに顔を振る。そうして大男を気にしていた店主だが、彼は他の客に呼ばれて渋々の様子でその場を去った。
確かに現在のパウロは見た目だけの存在である。たくましい巨漢も、口を半開きに虚ろな瞳で人形のように壁にもたれて座っていては……魅力も何もない。
「うぅ、疲れた。ほんと重いんだもの、この人。でも、どうにか……」
限界を超えて引っ張った腕が痺れている。明日の筋肉痛を直感しながら、エリックはオニギリの1つを手にした。
そしてテーブルを周り、虚ろな大男の顔におにぎりを近づけてみる。しかし、それは反応しない。
「パウロさ~ん、おお~~~い? ほら、握り飯っすよぉ~~食べないっすか~~? またあの豪快な食べっぷりを見せてくださいよぉ~~……ダメか??」
パウロは動かない。虚空を見つめた瞳でオニギリを見ようともしない。というより、視線が動かない。むしろ瞬きすらしていないような……。
そのことに気が付いたエリックの脳裏を過る、「まさか」の思い。
「え。そんな……パウロさん? おいおい……いや、マジっすか!? え、そんな……どんだけ健気なんっすか?! まさかそこまでショックだったすか!? いや、ショックだろうけども……そんなまさか死――」
死ぬほどショックだったのかと、エリックが少年の安否を確かめようとさらに近づいた時。
彼はうっかり、よろけて大男に近づきすぎた。
倒れ込むようにしたので、突き出したオニギリが少年の鼻にめりこんでしまったのである。
「あ、すんません。いや、それより…………アっ!?」
エリックが「アっ」と言ったころにはもう遅い。すでに青年の細い腕は大きな掌に掴まれ、メリメリと音をたてはじめている。
「あ痛だだだだだ!? ちょ、ちょちょちょっと、ちょっと!?!? パウロさん、マジ勘弁っッ!! お……折れ折れッ!?!?!?」
腕の痛みにエリックが悲鳴を上げていると、目の前で口が大きく開かれた。それはパウロ少年の口であり、健康そうな歯並びを確認できるほど間近である。
少年の強靭な咬筋力と頑丈な歯並びは、石をも容易くかみ砕く。それはそれは怪物的なものである。
「うっ、うわぁぁああぁあ!? た、助け――――ヒィィィィィィ!?!?!?!?」
「ガキン」――っと。それは金属と金属がカチ当たったような音だ。
寸前、エリックは怯えて震えのあまり空中でオニギリを手放した。それによって間一髪、助かった。
空中に浮いたオニギリを鋼のように硬い歯が捉え、強靭な咬筋力によってそれを咀嚼する。
「モグモグ」とオニギリを頬張り、一口に飲み込むパウロ。半泣きで硬直しているエリックは自分の手先があることを確認して、力なくへ垂れ込んだ。
オニギリを胃袋に収めて……ようやく、少年がまともな反応をみせる。
「……うんめぇ」
ただ一言。そう言うと、掴んでいた青年の腕を手離した。大柄な少年はテーブル上のオニギリを注視する。
そして残りの9個を――――食べ終えた。
「うわぁ、一瞬で……化け物すか?」
「うん、うん……うめうめ……っプぅ! いんやぁ、美味かったなぁ。もっと食いてぇなぁ……」
「おっ……よし来た! 親父さん、握り飯追加で……あと何か肉の料理ください! 5人前くらい!!」
まだ朧気ではあるが、どうにか人間性を取り戻した少年。これを見てエリックが声を張り上げた。2人客で随分食うんだなと、店主はまたツケにされることを訝し気にしながらも注文をこしらえる。
テーブルに並べられた料理の数々。焼いた肉の皿が隙間なくテーブルを覆い、中央にはオニギリの山が築かれた。
「おぉ~~~。んじゃ、いただくっぺや!」
そう言うと、半分眠ったような眼で……されど動きは高速に。旺盛な食欲であっという間にテーブル上の皿を空にしていく大柄な少年。
呆然とその様子を見守っていたエリックは出遅れて、気が付けばオニギリの1つを確保するので精一杯だった。もっとも、エリックはそれくらいでもそこそこ腹はふくれる。少年が異常すぎるのである。
すっかり食べ物がなくなったテーブル。腹を撫でて満足そうな少年はここにきてようやく、まともに意識を取り戻したらしい。テーブルの対岸にある青年を発見して、何かを探すように周囲を見渡した。
「うんむ、食った、食った! ……あり、エリック?? なした、ここは……アルフィースつぁんは??」
「よ、よかった……パウロさん、平気っすか? 心配しましたよぉ~~。一時は本当に逝っちまったんじゃないかって、マジで反応ないっすから」
「んぉぉ?? ……そうさ、アルフィースつぁん。オラはあん子さ怒らしちって……うぅ、なしてオラってばそんなんばっかし……!!」
思い出したことで苦痛も蘇った。
パウロは少女の冷たい視線を思い出したらしい。両肘をテーブルに着き、怯えた表情で震えている。
少年の振動でテーブルからずり落ちる皿。それが割れたので店主の男が睨みつけてきたが……青年エリックは黙って振り向き、真剣な表情で首を左右に振ってみせた。店主はこれも訝し気にしながら、「なにか事情があるんだな」と黙って皿を片付け始める。
エリックは一度深呼吸をした後。少年を真っすぐに見据えた。
「……パウロさん、あんたが負い目を感じることは何一つないっすよ。全部が全部、俺のせいなんすから。俺からもアルフィースさんに説明しますよ、今はちょっと……間が悪いけど。少し時間を置いてから、間違いなく!」
「んでも……んでもな?? オラのこの、頬と首の痣みて~なんきっと、アルフィースつぁんにとってすんげく腹の立つことだったんだわ。そんなん付けてしかも“よっぐわがんねぇ”ってのは……やっぱすオラが悪ぃんだわな……」
擦るようにして頬と首を掻く。少年は意味も理由も解らない謎の“痣”が悔しくって仕方がないらしい。
あんまりと「ガリガリ」引っ掻くので、見かねたエリックはテーブル越しに手を伸ばして少年の腕を制した。
「落ち着いて、パウロさん。そいつぁ……痣だけど、痣じゃねぇ」
「うぅ、なしてこんなん・・・・・んぁ??」
「パウロさん、それはね――“キスマーク”っつぅものっす。キスですよ、チューのマーク」
「きき、きっすまーくぅ?? なんね、それ。キスって……ききき、キスって……き、キッス(小声)だか??」
得体のしれない言葉にパウロは眉を顰める。「そげなはしたない」と恥じらいを感じているようだ。具体的に解っているわけではないだろうが……。
エリックがその得体のしれないものについて説明する。
「文字通りっす。そうやって頬や首にキスを……大体強めに“チュッ”て、そうされるとそうなるんす。……つまりパウロさん、さっきいつの間にかあの人らにされたってことっす!」
「うぅん?? なんさつまり・・・・・・つつ、つっ、つまりィィィ!?!?」
「たぶん、位置関係と性格からして……ナラーシャっすね。あの人はすぅぐそうやって自分の痕跡を…………どうしました、パウロさん?」
対面をキョトンとして見るエリック。彼としては想像より意外な反応だったのであろう。発想にない光景を見て……首を傾げている。
対面にある少年は――――愕然としていた。パウロ少年は落雷でも浴びたかのように驚愕して、硬直した表情で慎重に、小刻みに震える両手を頬と首元から離した。まるで爆発物から手を離すような慎重さだが……ともかくそしてゆっくりと、離した手の平を眺めてから怯えた表情でエリックに視線を送る。
「いや……だから、単なるキスなんすよ。こう、挨拶みてーにチュッてして……それが痕になってんす。色はそんな濃くないし、しばらくで消えると思うすけど……あの、パウロさん???」
エリックはまるで自然体であるが、パウロは到底そうはいられない。
自分が先ほどの女性に――見ず知らずの大人な女性に『キッス』をされた事実。その事が衝撃的すぎて、しかも証拠までまざまざと残っていることから現実味が強すぎて……受け止め切れていない。
エリックは額に指を置いた。少年の反応からして想定を変更せざるを得ないのであろう。それはエリックの想像にある“純朴”さより、さらにパウロが“清純”であったことを意味している。
「パウロさん――きっとアルフィースさんも。2人とも、ほんと素敵っすよね。俺と違って、背伸びばかりじゃなくって……」
青年がずっと感じていたパウロと自分との「価値観の違い」。改めてそのことを考えてみると、目の前の少年がなんとも異質で不思議な存在に思われる。
キスの1つで狼狽えて衝撃を受ける少年。
人間離れした体力で野性的に跳び回り、豪快に戦う大男。
誰にでも臆さず自分の意見を述べ、真向から対面できる勇者。
全部が全部、同じ人物であることが不思議で仕方ない。そして、そのどれも自分にないものだからこそ惹かれているのだろう、と。エリックは自身を鑑みて悟った。
青年は目の前にある少年を羨望と嫉妬の眼差しで見つめている。
「きっと、アルフィースさん……今はマイサさんと話してると思うすけど。それで解ってくれると思いますよ。いや、そうでなくっとも……あんたを一番見ているのは彼女でしょう? だったら、本当は解っているんすよ。だから、あとは落ち着いて冷静になって……感情のことで解決できるはずっす」
悟りきったようにエリックは話す。今は少年ではなく、空になったテーブル上の皿を見ている。
真っすぐに少年を――誰かを見据えられるほど、彼には勇気がない。
次第に独り言のようになってしまった青年の語りを聞いて、パウロはなんとなく少女が怒った理由を知る。
「んだば、するってぇと……つまり?? オラが怒らせちまったんは、こうしては、恥ずかしい印さつけてノコノコ帰ってきたからか? いっつもアルフィースつぁんさ言ってる、“でりかしーがない”って、これもそういうことなんらか? ……あれか、裸で堂々と宿に戻ったみてぇな……それより情けない姿だったんだかな?」
「――ま、そんなところでしょうよ。具体的にはちょっと違うと思うすけどね。でも、まぁその認識で彼女に会えば……きっと彼女も怒りを収めてくれるでしょう」
「や、どうやっても怒るには怒ると思うべ。ただ、それが怒鳴って喚いて叩くんなら……オラは“いつものアルフィースつぁんさぁ”って。それで安心できるんだわ?」
確かにそうだ。パウロが言うように、このまま再会したらまず第一声は怒号であろう。この時すでにアルフィースはだいぶ落ち着いた状態になっているものの、当人曰く「やっぱり怒ってる」らしいのでそれは仕方がない。
無視、無関心、無反応――距離を置かれて突き放されるより、余程よい。
「器がでけぇなぁ、パウロさん。まぁ、それだけ彼女のことが大切ってことなんでしょうね……」
「ん? おお、そらそうさ。なんせオラはあの子さ護るって、“約束”してっからに? 頼りにしてもらったから、オラはあの子に信じてもらいてぇんだわ」
「約束? ああ、そう言えば昼に俺の部屋で言ってましたね。“親父に投げ飛ばされた~”って。そん時約束したんですっけ?」
「んだ。おっとぅ(父)の教えでもあるべ。“男さ一度女ん子護る言うたら、何が何でも守り通せ!”――それがオラとおっとぅ(父)との親子の誓いだっぺよ」
誇らし気に語るパウロ。父親との思い出に自信を覗かせる少年を前にして。
自信も勇気もない青年は、避ける様に顔を伏せた。
「――――情けねぇ」
「……んえっ、なした?」
「う、うぅぅぅ……!! 俺はっ、俺はなんて……なんで俺だけこんな情けねぇんだ!? ほんと、俺ってやつは……情けねぇっすよ、マジ……!」
「んほっ!? どど、どうすた!? エリックさなして泣いてんだか?? 気を落とすでねぇ!! よぐわがんねけど、オラとおっとぅ(父)の誓いがマズかっただか!? なして!?」
突然の号泣である。どうしたことか、エリックはいきなりに泣き崩れてしまった。それもかなり心にきているようで、ポロポロと涙がテーブルに落ちていく。
あまりにいきなり……パウロはまた、原因不明の事態に狼狽する。
「ど、どしたんエリック? ――あっ、そうだ!! そういやおめさもおっとう(父)が……父親が怖いって、そう言ってたな。思い出して怖くなったんか? え、そげな泣くほど怖いんか……父親が??」
先日、森の中での別れ際。青年に共感した理由をパウロは思い出した。
そう、どちらも“父親”について思うところがあるということ。エリックはそのことをずっと、心に思いながらパウロと接していた。
ただ、ここで聞く限り。どうやらパウロの言う父親への「怖さ」とエリックの言う「怖さ」には違いがあるらしい。だからこそ、共通点に思っていた弱みが消えて、青年は完全に自信を喪失したのである。
「俺はあんたみてぇに強くなれねぇ。ヒョロイんだ、何もかもが……何もないんだ」
「エリック、落ち着きなせって! おめさ……親父さんと何かあったんか?」
「…………親父と喧嘩しました。そんで、家を追い出されました……」
「ぬ。親父さんと喧嘩……そうだか。追い出されるほど、でっけぇ喧嘩……か」
エリックは指先でテーブルの溝をなぞる。そして、行き着いた先にある掘り込まれた文字に触れた。
「家は……俺の家は“ガリンスキー”つって、家具を作っている職人集団なんす。親父はそれをまとめる、頭っすね……」
「かぐ?? ・・・あ、家具ってこの机だとか椅子とかの……」
「そうっす。ちなみにこれも家の商品っすね。ほら、ここにロゴが入ってるでしょう? ……下請けの製品だけど」
「どれどれ……んおっ? “が・り・ん・す・き・ぃ”……お~~、ふんとだ。“ガリンスキー”っておめさの名前だわな。――ん?? そすたら偉いでねぇの、おめさの家は大したもんだわ。こんなん、生活するのにみんな助かるっぺやなぁ~~」
パウロは頷いた。こうした生活に必要となる物を作ることは偉い、大したもんだとすっかり関心している。
褒められて少しだけ、エリックは嬉しそうだ。しかし、すぐにその表情は暗くなり、俯く。
「んなら、おめさも家具さ作れるんか? 親父さんがいっちゃんの職人なんらろ?」
「……それなりっすけどね。親父なんかと比べりゃ、とんだ腕足らずっすよ」
「ほぉだか……したら、なしてだ? おめさも親父さんも家具作って……どうすて喧嘩になんだ?? こだわりの違いだか??」
パウロは素直に気になったことを聞いている。聞いたらマズいとか、そこに触れたら気を悪くするかもとか、そういった考えはない。目の前の男が落ち込んでいる。その事実にただ……ただ向き合いたい。
元気づけたいのではない。話し、聞き、彼を理解したいのである。
青年は苦しそうにした。思い出したくないのか、直視したくないのか……しばらく項垂れた後、自分の中で触れやすい楽しい記憶から語る。
「……俺、昔は家具作るの好きだったんす。みんなが教えてくれたし、小さいころから作ってるとこ見て育ったし。何より、この手で出来上がった物を……誰かが使ってくれている光景を見るのが大好きだった。将来は立派な職人になろうって、子供のころは夢を持っていたんす……」
「おぉ、そらいいことだわな! ……いぁ、“昔は好きだった”……」
「変わったんです。大好きだった家具作りが……いつしか、苦痛になっていた」
青年は拳を握り固めた。テーブルの上で拳を握り、感情を露わとしている。
「親父にとって……つまり、俺は跡取りなんすよ。一介の家具職人じゃぁなくって、職人たちのまとめ役になることを望んでたんす。だから俺に言うんすよ。“失敗をするな、皆の手本であり続けろ、自分の役割を考えて作れ”……って。ハハ、俺だけはただ家具を作るだけじゃダメなんすね。仕事に対して、常に完璧じゃないと……許されない」
「周りの人らまとめるために、立派な見本になれってことだわな? 自分のようにって……」
「ええ、確かに親父は立派だし、完璧に見えますよ。だから俺が少しでもミスをすると怒鳴りつけて、叱るんです。“どうしてできないんだ、まだやれるだろう、期待を裏切るな”……ってね。その頃から、俺にとって家具を作ることは楽しみではなくなった。だって、それは親父に叱られることだから。俺はいつだってミスがあるから……家具を作ると親父に叱られて、怒鳴られる……それが、いつも怖かった」
「それは辛ぇな……。喜んでもらえると思ったら叱られるって……自分の期待さ裏切られるの、いっちゃんおっかねぇわ」
「それもいつしかなくなりましたよ? 期待に応えようとか、喜んでもらいたいとか……そんなん、全部なくなった。ただただ怖い、辛い、どうして俺ばかり……って。客に作品を褒められたって、ちっとも嬉しくない。思うことはいつも“お前たちに何が解る?俺がどんな気持ちで作っているのか解らないだろう?”……そんな愚痴はね、解ってたんですよ。ただの八つ当たりだって……だから自分自身も嫌になったし、家具そのものが憎くすら思えた」
「エリック……」
「誰かが俺の作品を幸せそうに使ってくれていても、その光景は嫉妬の対象でしかない。“どうして俺じゃなくてお前が幸せなんだ?”って。俺の不幸を糧に、こいつらは幸せなんだって……ハハ、最低でしょ?」
「…………そうか?」
「…………だって、そうじゃないすか。俺はただただ辛いだけなんですよ? 俺は強くないんだ。弱い男なのに……圧力を加えられすぎておかしくなってたんです」
「弱い…………ふむ」
「だから俺、止めたんす。もう、家具作るの止めて……全部投げ出して街に出ました。……うん、楽しかったすよ。毎日毎日、遊んで笑って……ゲームも上手くなったりしてね! ハハ、酒も美味いし、言うことなしっす!」
「あ~~、らっけさっきんのも……得意だって言ってたわな?」
「…………でも、どれだけ遊んでも満足できなかった。遊んでも遊んでも、その日満たされるだけだった。夜になるといつもこの手が……何千何万と、金槌振るって釘を叩き、鋸を挽いてきたこの腕が……夜な夜な俺を眠らせないんす。まるで腕が腐っていくような気分で……」
青年は両手の平を広げて眺めた。細身でヒョロイ体格でも、指先は職人然として太く、研鑽の跡が窺える。
パウロも自分の手の平を眺めてみる。以前に比べれば……今は多少、大きく感じるだろうか。
「あの街に居ると嫌でも家の話が耳に入る。それが嫌で、だから酔って遊んで忘れようと……そしたら親父に呼び出されてね。いや、ずっと無視してたんすけど……無理やり合わされて。そん時はそりゃもう、滅茶苦茶に怒られましたよ! ……でもね、俺ももう子供じゃない。だから言い返しました、“家具を作るのはもう嫌なんだ!”――って。そしたらまた言い返されて、こっちも言い返して、次第に……」
「それがさっき言ってた喧嘩か……」
「……んで、最後は親父が言ったんす。“がっかりした、家を出ていけ、帰ってくるな”……ええ、そうですかと。言われた通りに家を出ましたとも! つまり俺は……哀れにも家を追い出されたんす!」
「それで食うに困って盗賊してたってことか?」
「あ、はい。家出たは良いけど、稼ぎが無いもんで仕方なく……。その節は本当に申し訳ない。ま、家を出た俺にできることなんてな~~んもないっすから! 俺ってヒョロイから、弱いから。だれかに頼らないと生きてけないんすよね、ハハハ……」
エリックは笑う。額を掻いて俯きながら、青年は笑った。
「…………ふむ」
パウロは……己の手の平を握り込んだ。そうして拳をつくると、「ムンッ!」と腕を曲げて力こぶをつくる。
そしてテーブル越しの青年に見せつけた。
「ほりぇ、エリック! オラの腕さ太いんだわな? オラは力さ、強ぇんだわな?」
「え。…………そ、そうっすね! いやぁ~~、やっぱし逞しいなぁ。パウロさんは強くって、マジ憧れますよぉ!」
「うむ……オラは確かに力さ強ぇよ? んでもな、エリック。実はオラさ……基本的にいっつも負けてんだわ。ここんとこは勝ったりもしてっけど……」
「ハハハ、負けるってそんな・・・・・はい??」
パウロは大きな拳を開き、そして手の平をテーブルの上に着いた。
大きな手の平だ。しかし、少年はまだ満足できていない。
大きさというのは見た目のことではないからだ。それは――
「頼りにしてって、そんなん言ったくせによ……オラはいっぺこと負けた。まんずブルンゲルらろ? ほいで緑のでっけ熊に、その後のルイドさほんに強かったな……ほいでこの前のカイルだわ。やっぱす、アレ引き分けってかオラの少し負けって気分なんらよな」
だれしもが負けるものだと師は言っていた。未だに想像つかないが……彼は負けたことがあるという。
少年は今をもってして、自分が“強い”という確信はない。
自分が他の人に比べて力が強いということは理解できてきた。だが、それは“強み”の1つにすぎない。他の強みも自覚しつつはあるが……同時に“弱さ”も実感していた。
「オラはさ、きっと普通よりは力が強いんかもしれんよ? んでも他には弱いところもいっぺことあって……らっけ、いつもアルフィースつぁんに頼ってばかしなんだべや。よっぐ、“もっと頼もしくなってよ”って言われるし。だっけもっと……こんなんで満足しねぇで、もっともっと強くならねぇとイカンのだわ」
「パウロさん……いや、でもやっぱりあんたは十分に強いっすよ!?」
「強いって……そうさな。力もそうらけど……気持ちというか、心だか? ともかく、そういうのがオラには足りねぇって思うんらわ。“なんしても護る!!”って、カイルにはそういう迫力があったんだわな。あいつ見てたらオラにはもっと覚悟とか気持ちが足りてねぇと、それはずっと思ってんだべ。自分さどんなんなっても……ってね?」
「はぁ……そういうもんすかね。俺からしたら、あんたみたいなすっげぇ強い人に護ってもらえるなんて、滅茶苦茶に心強いだろうと思いますけど。まぁ、俺みてぇな“ヒョロイ”やつは自分護るので精一杯すけどね! ハッハハハ……」
エリックはパウロのことを「強い」と讃え、そして自分は「弱い」と蔑んでいる。
少なくとも現在、パウロは目の前にある青年を“弱い”などとは思っていない。
「エリック……ずっと気になってたんだけどよ?」
「ハハハ……え、なんすか?」
「おめさがよく言ってる“ひょろい”ってそれ、自分が弱ぇとか情けねぇって、そういうことなんだか? 身体が細いって、そういうことかと思ってたんだがに?」
「へぇ?? いや、まぁ……身体が細いから弱いってのもありますよ。それで力だとか、ついでに心だって弱いし? そんなんだから俺の人生、失敗ばっかしで情けないったらありゃしないっすよ~、本当で!」
エリックは笑った。自分の弱さを語るとき、自分を蔑む時にエリックは楽そうな表情をみせる。
そのことが……どうにも少年の心にひっかかる。
「エリックさ……おめさはいいんか?」
「え、なにがっすか? いいって、何が――」
「家具さ作るの、好きらったって言ったわな。父親さんがおっかねぇから止めたけんど……それって、家具作るってこと自体が嫌いになったんじゃねぇわな?」
「それは――――いや、だからもうど~~でもいいんすよ。もう、家具作りのことなんて忘れました!」
「そっか? んでも……ほりぇ。忘れても思い出せるらろ。こんなん……どんだけおめさが頑張ったんかって……オラは関心するわな」
「あっ!? ちょ、ちょっとなんすか!? いきなり手を……俺の、俺の……手の平、なんて……」
パウロはテーブル越しに青年の手を掴み、そして指を開いてやった。
広げられた手の平……エリック=ガリンスキーの指先はゴツゴツとしていて、古い傷も沢山ある。
それはヒョロイ体つきからは想像もつかないような……“職人の証”である。
「いぁさ、ほんに嫌いになったってんならよ。そんならこっからも好きにすりゃいいわな。んでも盗賊とか、そんなんは無しらよ? だけど……もし、おめさ本当はまだ未練あるってんなら――」
「――止めてくれ、放してくださいよ。俺はもう、いいんす。こんなもの、忘れたいんだ……」
「忘れたいって、そら忘れてねぇってことだわな。だったらよ……もっかい、作ってみたらいいんでねが?」
「だから……だから、それは無理なんだって!! 俺はもう家を追い出されたんだから、ガリンスキーの男じゃない、ただのヒョロイ半端者なんすよ!! 今更どうしろってんすか、やっぱり家に戻って父親に叱られろって!? そんでまた怯えながら家具を作る日々を送るんすか、俺は!? だから、そんなの…………家具作りがもっと、嫌いになっちまうだろう!!!」
エリックは腕を振り払うようにした……が、まったくパウロの手は放れない。どうやら振りほどこうとしているらしい感じに気が付いたパウロは、彼の手を放してあげた。
放された手を振ってから。桁外れの握力を精一杯加減したのであろう、手に残る赤い痕を眺める。エリックは目の前にある大男の力を再確認して「やっぱり、強い人は違ぇや」と呟いた。
苦笑いしている青年。テーブル越しにその姿を見る少年は――パウロは首を傾げていた。
パウロは不思議そうに言う。
「いぁいぁ、らっけよ? おめさ腕に自信はあるんらろ。らったら自分で家具作ればいいんでねぇの? 自分で店開いてよ。ダメなんか?
父親さんには“好きにやらせろ”言うて、ほいで好きに作りゃいいんでねぇが?」
「しつこいな!! だから、そんなこと――――え。」
「おめさ、自分が“ひょろい”って……弱いって言うけどよ。そんなん、立派に家具を作る腕前があるんなら、それって十分な“強み”らろ。喧嘩が弱くっても、そんなん家具作る上手さになんか関係あるんか?」
「い、いや……だけど、こんなヒョロイ俺が1人でなんて……」
「あり? なにさ……おめぇは父親さんが護ってねぇと家具作れねぇんだか? んだったら、やっぱす言うこと聞いたほうがいいらろ。自分でできねぇんなら、手伝ってもらうしかねぇわな」
「――――はぁ!? そんなわけないでしょうが!! ……俺はね、確かにまだまだ父親には及ばないっすよ。でも、それ以外には誰にも負けねぇ……俺が作る家具は誰が作るより丈夫で、長持ちするんだ!! 見た目なんかも、それこそ塗装だったら誰も俺には敵わねぇよ!? そればっかりは頭より上だとすら思うね!!!」
「おお、ほぉか。おめさやっぱし家具作るのすんげぇ上手いんだわな~」
「馬ッ鹿野郎!! あったり前だろうが、誰に物言ってんだ!? このガリンスキーの跡継ぎを舐めないでくれよ。多少ブランクがあったって――俺は誰よりも、“最高の職人”になってみせる!!!」
「…………へっへ、そっか。」
「ハァ、ハァ・・・・・・・あっ? あ……あわわわわ!? い、いやちがっ、あのっ…………すんません!! ヤベェ、とんでもないこと言っちまった! ば、馬鹿だなんて……それは俺のことっす!! 俺こそ大馬鹿野郎なんす、どうか勘弁してください!!!」
語る中で何かを思い出したようだ。青年エリックは立ち上がって熱弁を振るっていたが、途中で放ってしまった失言を畏れてその場に蹲った。
エリックは膝を着き、手を着き、額を床に着いて後頭部を大男に見せている。
そのようなものを見る大男――パウロ少年。それは腕を組んだ姿勢で座っており、そして「うんうん」と頷いていた。
「へへへ。やっぱす、おめさは“すげぇ”やつなんだわな。ほいで熱い男らわ……ひょろいって、そんなん嘘こくでねぇ!!」
「う、嘘って……それは事実ですよ。だって俺は実際に弱いし、そら家具は作れるかもしれませんが……」
「それだけでねぇろ。少なくともオラはおめさの”すげぇ”とこを他にも知ってるべさ」
「――――え??」
「あの遊び?らって、あんなんオラはまるで意味解らんもの。ただ“すんげぇ……”って、口さポカンと開けるだけだわな」
「あぁ、ページャ盤は……あんなものはただの遊びですから。別に大したものでは――」
「ほいでよ? さっき、オラはどうにもならんかったんだわ。あんなして女ん人に近寄られて……もう、自分が生きてんだか死んでんだかも解らんくれぇになってた。んでも、おめさはすっげぇわなぁ……なんか話して、そんだけでどうにかなったんらもの。オラにはとてもできねぇっぺよ」
「さっきのって……ああ、酒場でのことすか? いや、そんなん普通に話してどっか行ってもらっただけで……」
「その普通がオラと違うんだわな。おめさはオラのこの――コレとか、すんげぇって言うけどね? オラはこんなんは普通なんだわ。オラからすりゃ、おめさの女ん人とのあの……あんなん、ほんにどうしたってできんのか解らんわな?」
「いや、だから彼女らと話すなんてそれは別にいつもの――――えっ?」
「オラから見たらね、おめさのああいう普通ってもんが強さに思えるんよ。おめさ、オラのこと尊敬だの羨ましいだの言ってくれるけどよ。オラこそおめさのこと尊敬してっけね? 羨ましいってのは……その……よぐ解らにぃ」
急にモジモジとしはじめる。パウロ少年は左右の人差し指を胸元の前で軽く擦り合わせた。
そうして勝手に照れている大男はともかく。青年エリックは自身の手の平をあらためて眺めていた。
(俺の……強さ? こんな俺がすごいって……でも、そんな……)
傷だらけの手の平を見て思い出す。初めて金槌を握ったあの日から――。
何千、何万と釘を打った。失敗もあったし、怪我もした。
(そうだよな。俺って、結構頑張ったはずなんだよな……でも、どうして頑張っていたんだっけ?)
初めて店頭に置いてもらった椅子。それを買っていった家族の笑顔……それを見た自分の感情。それらが鮮明に甦る。
青年は思い出した。そしてもう一度、この手に金槌を……そう思うと自分の手の平が大きく、頼もしく思えてくる。
心の奥に隠した工具箱。そこに被せた薄布を取り払い、埃を掃い除けて……。
「――パウロさん」
「んや、なした?」
「俺、やっぱり戻ります……“帝都”に、帰りますよ」
「おお、そっか! んだば家具、作るんらね?」
「はいっ、自分の力を試してみます。思えばそうだ……なんだよ、まだ自分の力ってやつをまともに試したこともなかった。いつだって家の、父親の顔色うかがって……それこそ情けねぇもんだ。しかし、それはもう止めだ……俺の強さってやつを、確かめてやる。
露店でもいいから、とにかく自分で作ってやってみます! 俺の店で俺の力を試してみたい!!」
「おっしゃ、応援すっぺや! んで、オラでも安心して座れる頑丈な椅子を作っちくりぃ!」
「ハハハ、任せて下さい! ――よぉしっ、景気付けだ。親父ィッ、酒くれ!! あっ、パウロさんも……ジャコック、飲んでくれます??」
「おっ、いいっぺよ。も一度挑戦してみっか! よす、おっちゃぁ~~ん、オラにじゃこっく? ちゅーの1つくらさい!」
「アっハハハ――――なんでだ? まだ飲んでもねぇってのに、なんで……なんで涙が出るんだよ。ほんと俺って…………情けねぇや!」
家具職人のエリックは酒を飲み、思い出した夢を語った。
いつか自分の家具を家族のために作りたい――と。
最高の出来栄えを幸せに使っているのは自分と、まだ見ぬ最愛の人や子供達。
そしてそこには、できることならば……。
|オレらはモンスター!!|
月光の射す夜。民家の灯りが点在する草地の丘。
渓谷から流れる風の音と、流れる川のせせらぎ。
穏やかな夜の情景に風を裂くモノ。それは自然に有るまじき“金属が擦れる”「シャリシャリ」とした音色を奏でながら、宵闇を駆け抜けていた。
青白銀の体躯が躍動する。大地を駆る四肢は力強く、口からは青白い煙を漂わせながら奔るそれは……“獣”である。
人が駆けるより速く、犬が駆けるより速く、馬が駆けるより速く……疾走する獣は大型なもので、牛舎や草原のそこらで寝そべっている牛より一回りは大きい。
鋭い牙が口元から覗いている。この大型な獣はどうやら“狼”らしい。体毛はなく、金属質な装甲が全身を覆っている。
高速で駆ける青き狼、その金属質な背中には人が乗っているようだ。鐙に足をかけ、片手で手綱を握って、しっかりと狼の背にしがみついていた。身を裂くような風から目を守るためか、目元にはゴーグルを装着している。
月夜で判別が難しいが、それは藍色で袖のない外套を身に纏っているらしい。風圧によって外套はまくれあがり、はためいている。
疾走する金属質な狼は草原を越え、小さな橋を飛び越えると渓谷の朽ちた街道へと入り、やがて身を隠すように森林へと突入した。
夜の森には視界などあったものではない。ほとんど真っ暗な状況だが、高速で動く狼は問題なく、木々にぶつかることなく変わらぬ速度で駆け抜ける。その眼光には赤い光が灯されており、光はレンズである瞳の奥から零れているようだ。
赤い残光が闇を裂くように刻まれる。金属質な狼は暗がりの情景を進み、その背に跨る人はこれも赤く光っているゴーグル越しに周囲を見渡していた。
そうして鬱蒼とした暗がりをしばらく駆け抜けていると……狼の背に跨る人は「ハッ」とした表情を浮かべ、そして叫んだ。
「ーーー止まれッ!!」
何かに気が付いたのであろう。そのように“彼”が叫ぶと、金属質な狼はその場で速度を落とし、ほとんど急停止に留まった。背に乗る人は抱きつくようにして狼にしがみつき、吹き飛ばされないように堪えている。
停止した大型の狼。その背中に抱きついていた“男”は「ふぅ」と溜息を1つ。慣性の勢いを堪えた後に顔を上げ、そしてゆっくりと獣から降りた。
青白銀の狼がその赤い瞳で周囲を見渡す。「キィィィ……」と甲高い音がその巨体から発せられたが、そのことを制するように「よせ、アウトロゥ」と強い語気で声がかかる。金属質な狼は顔面部の装甲を歪ませて「キュウゥ」と小さく口元で音を鳴らした。
狼から降りた男、それが赤いゴーグルの光越しに見る景色――。
真っ暗闇であるその光景に彼が知覚したもの……それは“黒い霧”。
どうやら周囲一帯を覆っているらしいその黒い霧。突然として局所的に沸いたそれを察したからこそ、彼は狼に命じてこの場に留まったのである。
実際には「留まった」と言うより、“留まらざるを得なかった”か。
周囲に立ち込める黒い霧はどうやらこの森林の一角に霧の檻を形成しているらしい。ただ、檻とは言っても霧なので、無理に突破することも可能に思われる。
だが、この黒い霧にある異質な感覚――背筋が凍えるような悪寒。そうしたものを感じた男は警戒と、同時に敬意をもってその場に降りた。
彼の研ぎ澄まされた勘が告げている。彼らはそれを女神の導きだなどと言うが――ともかく、そうした感性によって彼は「突破は不可能」だと予感したのである。
夜の森林。その只中で立つ男。藍色のケープ(袖のない外套)を背中に垂らすその“青年”は着ているブレザーの襟を正した。
そして、暗闇に向けて話しかける。
「――どのような方かは存じませぬが、私が何か気に障ったというのならば謝罪いたしましょう。なので、どうかここは見逃して頂きたい。私には時間がありません……急ぎの用があるのです」
ブレザーの青年はそのように言った。そうしながらも両手に僅か、青白い光を「ピリピリ」と迸らせている。
青年の言葉。まるで虚空に発せられたかのようなその言葉。
それを“聞いた”黒い霧は――その一部が人の形を成していく。
暗がりの森。その一部に木々の枝葉が空いた場所がある。
月明かりが射し込む森の中の一角。そこに漂う霧の一部が人の形を成すと、それに気が付いた青年が視線を向けた。
朧な月光が照らす腐葉土。そこには大きな平たい岩があり、高さは人が腰を下ろすのに丁度よい塩梅に見える。その上にも枝葉は積もっており、だれが座るということもないのだろうが……。
音もなく、気配もなく。静かに平たい岩の前に創られた人――いや、“人のようなもの”。
それは首元にある蝶ネクタイの角度を調節すると、「コホン」と喉をならした。汚れ1つない、律儀に着こなしたタキシードの立ち姿がいかにも紳士的である。
そこに在る存在は穏やかな口調で問う。
「宵闇を急ぐ人よ、こちらこそ驚かせてしまって申し訳ありません。されど何分、ここは本来のところ私有地でありまして……主の名誉を守るためにも、こうして警戒をさせて頂きました。
ええ、まずは名乗らせていただきましょうか……我が名はローゼンハック。キャラバック家に代々仕える一介の執事でございます」
後ろに手を組み、まるで無防備な様で立つ存在。
紳士な存在が律儀に名乗ると……それを聞いたブレザーの青年は目を丸くした。恐怖や警戒というよりは、単に“驚いた”といった表情だ。そうして口を半開きにしたまま、彼は青白い光と共に目元のゴーグルを虚空に消し去った。
息を飲み、裸眼にして「ジィっ」とタキシードの紳士を見る青年。そうした眼差しを向けられた紳士は「二コリ」と微笑み、問いを続けた。
「して、お若い“異国の人”よ。そんなに急いで一体…………何用ですかな?」
動くことなく、無防備に立ったまま微笑む紳士。
その紳士らしき存在を前にした青年は……意を決したように表情を硬くし、視線を鋭くした。
「バチバチ」と青白い光が青年の両手に奔る。
緊張した面持ちで得物の“召喚”を行う青年。
その様子を見た紳士は――――紳士然とした“悪魔”が、1つだけ呟いた。
|オレらはモンスター!!|




