「オラはモンスターだっぺや ~私、お嬢様ですのよ?(END)~」
「おいっつにぃ、さんしっ! にぃにっ、さんしっ! ふんっ、ふんっ!!」
「・・・・・。」
良い天気だ。早朝の渓谷は晴天に恵まれ、山脈を介した陽光が森林の水気を輝かせている。
輝く雫を手足で弾きつつ、逞しく隆々とした若い肉体が躍動する。
「ふぉぉぉぉぉ~~~っ、ヨイサァァッ!!!」
「・・・・・。」
跳び上がって回転し、繰り出される蹴り足。真っすぐと伸びた鋭い一撃はまるで大剣の一薙ぎである。
轟として風を巻き起こしてから、巨体は脚をたたんでくるり、空中で回転。生動する巨漢は土埃を巻き上げて着地。「フゥゥゥ」と深く息を吐きだす。
そして気合一発、「パァン!」と自身の片尻を叩いて「よっしゃ!!」と太陽を見上げた。
この活気に満ち溢れる存在――――それは【パウロ少年】だ。彼はやや睡眠不足にも朝日によって飛び起き、堪らず野外に出て充ちる気力を体操として発散したのである。
陽光の加減によって、影に染まる姿が「サァ……」と色味を帯びる。まぁ、色味と言ってもそれはほぼ1色だ。
「・・・・・ハァァ、これだから」
これも深い呼吸だが、“彼女”の場合は溜息である。
呆れた溜め息を察したのか、パウロ少年が振り返る。隆々とした巨漢が表情を明るくして「おはやぅ~~~!!アルフィースつぁん、よっぐ寝れたか??」・・・と。ウキウキとした歩行で近寄ってくる。それはつまり……。
早朝の渓谷に流れる冷たい風などいざしらず。股隠し1枚、それだけあれば十分だぜと、勇ましい姿がスキップ混じりに近寄ってくる……そういった現象に他ならない。
「ほんっとうに……何度言えば解るのかしら? このっ――」
「あんね、あんね、聞いてアルフィースつぁん! オラさ昨日すっげの見て、聞いたんよ? ぐっへへ、君にも見せて聞かせてぇから、オラってばもうワァクワクしちってよぉ!」
「このっ――――愚か者ぉ!!! 何度言わせるの!? 容易く裸にならないで、露出しないで頂戴!!! ――って、だからちょっ、もうっ…………ええいッ!! 下郎めが、“あっち行けぇ”!!!」
「うっひひ♪ ほんでね、これからも一緒に――――ニンっ??? お、おわわっ!? なんか足さ勝手に……あっ、これってましゃか……ややや、やっぱす!? ぁあぁれぇぇぇぇぇ………………。」
「ハァ、ハァ、ハァ…………パウロォ! もうご飯できたからね!? 反省したら戻ってきなさい!!! ……だから、そういうところよ。困るんだから、まったく……」
駆け寄っていたパウロ少年は急停止し、今度は猛スピードで後ろ向きに駆けて離れて行った。彼は木々にぶつかり、枝葉を吹き飛ばしながら……渓谷の森林へと姿を消した。
かなり遠くまで離れたようだが……きっと聞こえるだろうと、少女は多少に声を張って「本来伝えに来たこと」を言う。実際、岩肌にめり込んで制止した少年には聞こえている。
一体、何がマズかったのか……何が【少女アルフィース】を怒らせてしまったのか?
逆さの状態で悩んでいた少年が「もすかして、これかに?」と自らの姿が原因だと勘付いたことは大きな進歩と言えるだろう。
反省して、何よりどのように機嫌を取り戻そうか……浮かれていた先ほどの気分はすっかり、萎れてしまっている。
| オラはモンスターだっぺや ~私、お嬢様ですのよ?~ |
渓谷の森林。その奥地にひっそりと存在する館にて。
老いた執事と気品ある老婆……静かに時を過ごしていた2人の日々に、彼らは突如として現れた。
「またっ、もう! あなた、パウロ――そうやってお皿を舐めないで、零さないで!!」
「んあっ?? おっとと、勿体にぃ。チゥチゥ……」
「だからぁっ!? テーブルクロスを吸わないで!? もぉぉぉっ、はしたなぁぁい!!!」
「お、おちち……す、すまんす? らって、あんまし美味ぇっけ、汁だって残さず――」
「お行儀よく食べればよいのよ!! 最初から零さないように、丁寧に食せばよろしいでしょう!? どうしたってあなたはそう、いっつも急いで食べてしまうのかしら!? そういうところがイヤなんだってば!!!」
「ウっ!? ん、んだか……アルフィースつぁんさ、イヤっつぅんなら……ほんに、気をつけっぺよ。もっと落ち着いて今度から食べるっけ……すまん。許してけろ……」
「ウっ!? な、なによ……解ったならいいの。そうよ、気を付けてくれるのならば……そうやって直してくれるのならば……構わないから」
ただ1晩、泊っただけ。少年少女にとっては長い旅の一期一会、その中の1つに過ぎず。老人達からすれば長い生涯のほんの僅か一時に過ぎないだろう。
彼らの誰にとっても、この出会いが人生で最大級の印象……ということもないはずだ。しかし、それぞれがこの出会いを「よかった」と思える……それが何より大切で、かけがえない記憶である。
「――――して、お嬢様。昨晩はどのような話をされまして?」
「ふぅむ、ローゼンハックや。淑女の交流を詮索するなど……帝国紳士として無粋でありましてよ?」
「おっと、これは失礼。何か、あなた様がまた悪戯でも仕組んだのではないかと……余計な心配でしたね」
「またとは何よ、“また”とは……。いいじゃないの、ああしてじゃれ合うのも一興よ? むしろ争ってせめぎ合って……境界線を互いに探ることが醍醐味でしょうが」
「左様でしたね。私も随分と、仲裁に苦労致しました……」
「それこそ余計な世話が多かったわよ…………うむ。今朝の加減は丁度だわ、美味しい」
「おお、これは恐縮……しかし珍しいですね。お嬢様がそのように素直な――」
「なに、私が捻くれてると? 今、そう言った??」
「いいえ、まったく。お褒め頂いて、一日の良い始まりを迎えることができました。ただただ、感謝で御座いますよ?」
朝食の席で少々気まずそうな|少年と少女|。それをテーブルの対岸から眺める|紳士と淑女|。
頬杖を着いてぼんやりとした表情。老婆は口元を拭うと一息吐いた。傍らに立つ細身の執事はそれこそ悪戯気に――老婆と、その視線の先にある2人を、老いた紅い瞳にじっくりと写し込んでいる。
そんな朝食を終えて――
「・・・・・ま、まぁいいか。これくらいなら許容範囲、かな?」
少女監修のもと、少年の身支度が行われている。
許容範囲ということだが、大柄な彼の上着のボタンは留まらず、その逞しい胸元が全開放状態なのは致し方が無い……と。諦めかけていた少女に執事が「お嬢様からです」と1枚のシャツを手渡した。
大きなシャツだ。それこそ大柄な少年にピッタリな、あつらえたようなサイズ。「きっと同じくらいだわ」と、老婆が見立てて仕舞い込んでいた1枚を持ってこさせたらしい。
「お~~~……これ、ピッチリしなくていいな。ほりぇ、こんなんしてもビリビリいわんけよ。いやぁ、あんがとねぇ~~」
凄まじい勢いと異様な体勢にもシャツは耐えている。少年は村時代からして母のこしらえた前開きの服が当たり前だったので、こうして丁度良い“Tシャツ”というものは初めての経験だ。
そうしてどうにか、少女が“許せる”装いになった少年。
そんな彼と揃って、少女は重厚な扉の先に足を踏み出した。
「――――んじゃぁ、世話なったな」
日差しが照らす、森林奥の館。朝になって見てみると、やはり古びてはいるものの……補修も成されており、よく手入れされた花壇の花々が凛としていて映えている。
白いカバンを手に、保存のきく食料を袋にぶら下げて……【パウロ少年】の笑顔がそこにある。だが、どうにも朝食前後のことが効いているらしい。彼の表情は若干弱々しく、早朝のハツラツとした、ちょっとありすぎなくらいの元気が薄れているようだ。
少しだけ元気のない少年。その横に立つ【少女アルフィース】は……チラリ、チラリ。横目に見上げて彼の様子を窺っている。
「世話になったのはこちらです。昨晩は助かりましたし……こうしてお嬢様が久方に、わざわざ玄関にまで出でて見送ろうと、気を出してくださったことにも感謝です」
「ローゼンハックよ、余計なことは言わないようにしなさい」
「コホン……左様で。して、御2人はここから渓谷を抜けるということですが……昨晩は道に迷ったと聞いております。よって私から……ささやかながらの礼として、“案内役”をご用意させて頂きたく存じます」
【執事のローゼンハック】はそう言うと、長い身を屈めて地面に……正確には地面から少し浮かせて、何か指を動かし始めた。
彼の赤紫な指先は手際良いらしい。少年少女にはまるで解らないのだが……ともかく彼はサラサラと、淀みなく地面の少し浮いたところに青白く発光する線を描いていく。
曲線であったり、直線であったり、文字のようであったり……繊細で多様なそれらの集合体は不思議なものだ。少年少女はポカンとして、この老人が何をしているのか首を傾げて眺めている。
そして数秒程度であろう。老いた執事は指先を線の集合体から離し、スックと立ち上がった。
すると、そこに……。
「 ・・・・・あっ!/・・・・・あっ? 」
「はい、こちらで御座います。これは我が“使い”の1つでして……渓谷を抜けるまで道を示すよう、指示を組み込んであります。これに従って歩けば、道を違えることもないでしょう」
線の集合体が「パァン」として弾けると、そこに青い生物のようなものが出現した。耳が三角型に尖って細く、小動物の様相を呈している。
それを見た少年少女は「あっ」と同じく驚いた。そして一度顔を見合わせ、改めて声を揃え、その生物じみた存在を注視する。
「これ! これってねぇ、青い――/んだんだ、こりぇは青いウサ――」
「はい、<タヌキ>で御座います」
「「 ・・・・・え? 」」
2人は同じく、その青い存在を同一のイメージをもって声を合わせようとした。それに先んじて、老齢の執事が正解を述べる。
執事の発言は2人にとって意外。思ってたのと違ったので、同じように顔をしかめた。
「え、いや……こりぇってウサギらろ?」
「そうそう。だってほら、耳も長いし?」
「はて……いいえ? これはタヌキです。私が召喚した青いタヌキで御座います。よくご覧ください、尻尾が特徴的でありましょう?」
執事こそ意外な反応を受けて困っているらしい。そして彼の言う通り、よくよく見ればこの青い存在は……。
目元に垂れたような模様があり、尻尾は丸みがあってポコンと長い。体格もずんぐりとしており、後ろ足が目立って逞しいわけでもない……。
タヌキだ。耳は少し長いようだが、それにしたって……これはタヌキである。
少年少女は屈み込んで青い存在を観察する――が、確かに。見れば見るほど、実はそれがタヌキなのだと納得せざるを得ない印象を受ける。むしろ、何故初見にして“ウサギ”だと感じたのか……それはおそらく、昨日にあった少女の奇行が原因であろう。
「まぁ、しかしウサギと申されてもよろしいです。何と呼ばれても、コレが気に掛けることもないでしょうし……」
「本当だ、タヌキさん……あれぇ? でも昨日、確かこの子だったような……」
「・・・?? ともかく、コレに付いていけば安心ですので、どうぞ遠慮せず利用してくださいませ。目的は渓谷の出入り口として栄えた“ウォールナット村”です。……ああ、コレは目的を成せば勝手に戻りますから、そこは気になさらず」
「ううん、やっぱりこの子だった。昨日、私はこの子を見て――――でも、ガッカリ。なぁんだ、タヌキさんなのかぁ……あ、ごめんなさいね? タヌキさんが悪いってことでもないのよ。でもね、そのね、やっぱり青いといったらウサギさんでして……って、冷たっ!?」
アルフィースは屈み込んで青いタヌキの背中を撫でている。それは青い毛並みでふかふかとはしているものの、そこにどうにも生物らしくない温度を感じて……意外さに驚く。
「おぉ、これがそうなんね? やっぱす、アルフィースつぁんさウソ言わねぇんだわ。らっけ、昨日こいつさ居ったんらよ、うんうん。ほんでこいつ追っかけて、んでオラたつ…………迷ったんだにぃ。んだけど、なしてオラは気がつかんかったんだや?? 今は何か変らけど、ここに居るって解るんに??」
パウロは少女に感心していた。しかし、言う割に昨日は少女を疑っていた気もするが……。
2人は疑問を抱きつつも、昨日にあった不思議の原因を知って納得したような気分ではある。
だが、2人の様子を見ている老齢の執事は――――それこそ実に、“不思議”そうだ。
「昨日……見た?? いえ、それは異なりましょう。以前にこれを呼び出したのはもう何年も前のことですし……腹を空かせて私の魔を吸いに寄っていたかもしれませんが、だからといって普通に見えるものでは――」
言いかけて「まてよ?」と。執事は口元を押さえた。
顔色の悪い老人は冷静に2人の会話から推察する。昨日彼らは……いや、“少女だけ”がこのタヌキを見たと言い、少年は見るどころか気が付かなかったらしい。
少年が鈍感だったのか? いや、それは無い。昨夜、気配を絶つ自分のことを明らかに予感し、警戒していた素振りからして……この少年は“鋭い探知能力を備えている”。それをもってして気が付かなかったのだから、やはり間違いなく。このタヌキは今日の瞬間まで“この世界に存在していなかった”……。
だとすれば。普通には見えないものを見えていた少女。それはつまり――――。
「そうか。アルフィースさんはセイデン出身……つまり、なるほど? マグナリアの庇護がありますか。だから自覚されていない……ならば、有り得ます」
「よぉしよしよし! ま、タヌキさんでもいいわよ。カワイイのねぇ~、でもこうして撫でたって、タヌキさんだから幸運の調べは響かないのねぇ~……別にいいけどさ?」
老齢な視線の先――――そこには青いタヌキを撫でまわす少女。タヌキはさして気にせず、地面をほじくったり草を噛みちぎったりして暇を持て余している。もしかしたら、しつこい撫でまわしに苛立っているのかもしれない。
それはともかくとして。執事のローゼンハックは出会いというものの気まぐれさに感心し、感情を抱いたように反応を見せるタヌキの姿を見て……推察の確信を得ていた。
それは彼の傍らにて。穏やかに少女を見守る老婆もまた、同じである。
「――ねぇ、ローゼンハック?」
「はい、お嬢様。如何されました?」
「せっかくだし、彼女にお土産を持たせてあげたいわ。そうね……“アレ”が良いでしょう。四代目の“アレ”をお持ちになってくださる?」
「え――――あ、“アレ”ですか!? かの四代目の……しかし、それはよろしいので??」
「はぁ?? 当主の私が“良い”と言うのだから、何を疑うことがありますか。……珍しいわね、あなたが素直に応じないなんて」
「あ、いえ……さすがお嬢様だと。実に気前がよく、豪胆であります。これにはこのローゼンハック、感嘆の想いと共に驚嘆にも似た意外性を感じざるを得ません。ただし、それによる戸惑いがありまして、然るに――」
「いいから。もってきなさい」
「アっ、はい・・・賜りました。直ちに……!」
執事のローゼンハックは一礼し、そしてちょくちょく足を止めながらも……背中に感じる“圧”によって、渋々と館に入っていく。
一瞥することもなくその様子を知る老婆は――
「やれやれ……忠誠心が高いことはいいけど、思い入れも強すぎるのよね。本当にらしくないというか、なんというか……フゥ。」
――と、呆れた様子で溜息を吐いている。
一方。いきなり執事が駆けたので、少女と少年は「なに?」と呆けた表情で館を見ている。パウロに尻尾を掴まれたタヌキが露骨に暴れて、逞しい腕に噛み付いた。もっとも、その小さな牙では彼に出血させることはできず、「なんかちくっとすんね」とわずかに感じさせるのみだ。
ちなみに。不用意にタヌキの尻尾を掴んだことで少年は叱られた。「かわいそうでしょ!」と、ペシペシとはたかれたらしい。少女は手を振り払って痛がっている。
・・・数分ほどして。執事が館から出てきた。
今度は跳ぶように駆けることもせず、しずしずとした慎重な歩みで老婆達のもとへと戻ってくる。
その手には<荘厳に飾られた箱>……。
「ううむ、しかしお嬢様……本当によろしいので?」
「くどい! ほら、よこしなさい! …………さてさて、アルフィースちゃん。こうして出会えた縁を記念して、これを土産に差し上げましょう。きっと、あなたに似合いますからね」
見るからに悲しそうな執事を尻目にして、老婆のユリーシャが荘厳な箱を開く。
その中には――
「お土産?? まぁ、有難うございます。あら、これって……腕輪ですのね!?」
そう、中身は銀製のように輝く腕輪。輪は銀の紐で編んだかのような形状をしており、3つの紅い小石が並んで装飾されている。大・中・小……といった具合に、石は3段階の大きさである。
少女は問題なく腕輪を左腕に着けた。陽にかざすようにしてそれを眺め、それなりに満足しているらしい。装飾品にうるさい彼女にとって「悪くないわね」と思える代物だ。そしてそれは実際にして、「悪くない」どころのものではない。
物憂げに切ない表情をしていたローゼンハック。しかし、少女のあどけない笑顔と、すんなりと腕輪が装着された光景を眺めて……諦めがついたようだ。
相応しい場所へと着いたのだと実感して、思い出したようにハタと手を打つ。
「そうそう、私からも用意が……パウロさん、どうかこちらをお受け取りください」
「ぬぉ、オラか? オラになんかくれるって、そりぇ・・・そりぇ、なんね??」
執事が少年に手渡したもの。それは『折りたたまれた紙』である。「どうぞ」と促されるままに、パウロ少年は紙を――――開く前に思い至り、破かないように集中した。これ以上雑な振る舞いをして彼女の機嫌を悪くしたくないと考えたのであろう。
「おっ。これ…………あぁッ!? こ、こりぇはァッッッ!!!!!」
「はい、大広間のモノとほぼ同じ。若干の表記と詳細さや年代、あとは大きさが異なるくらいです。大まかに見る分には問題はないでしょう」
「う、うぉぉおおお……す、すげぇッ!! こりぇあの天井のヤツとほんに同じらっけよ! 確かに文字とかちっせけんど……いぁ、十分!! ローゼンハックさん、ほんにほんに、あんがとぅよぉ!!!」
「ハ、ハハハ。そこまで喜んでいただければ、何よりです……」
老齢の執事がやや困惑する程にパウロ少年は感動している。
少年が執事から受け取った物――それは“世界地図”だ。昨夜に見上げ、そして存在を知った、あの巨大な地図を持ち運べる程度に小さくしたものである。折りたためばポケットにも入る大きさだ。
「そうだ、アルフィースつぁんっ!! 見て見て、見てコレ!?」
「うわっ!? なな、何よいきなり……ビックリさせないで!?」
興奮が再燃した少年は「これだよこれ!」とばかりに勇んで地図を少女の目の前に示した。
腕輪に覚える妙な肌感覚に気をとられていた少女は心底驚いている。彼女は若干怒り気味なのだが、それすら押し切るような勢いが少年にある。余程、見せたかったのであろう。
「これね、すごいんよ、一緒に見たかったんよ!! あんね、これね? へっへへへ……実はオラ達の――」
「あら、何それ……世界地図じゃない。貰ったの? 良いんじゃないかしら。思えば私達、旅をするにも地図の1つすら無かったものね」
「そうそう、せかい――――えっ? あ、アルフィースつぁん……コレ知ってんの???」
「はぁ? 何よ、その言い方は……馬鹿にしているの? かのセイデンの淑女たるこのアルフィースが、世界地図くらい知らないはずありまして? というか、大体見たことくらいあるでしょうに、そんなもの。ちょっと私が知るものと違う気がするけど……」
「そ、そうなんか、知ってるんか……そうか。知ってて、普通のことなんだか……」
「・・・え。あなた、見たことなかったの?」
「……た、たはは~~! オラってばまぁた知らんくて……はは、は……面目ね」
「な、なによ。何をそんな……もしかして、落ち込んでいるの??」
「いぁ、ハハハ…………いぁ、ほんに面目ねぇ。いつもオラってこんなんだわな……」
「パウロ? 私、別に今は怒っているわけではないわよ。だからそんな……何よ、どうしたの?」
パウロ少年はがっくりとして、すっかりうつむいてしまった。少女はその理由が解らず、ただ何か「やってしまった」ような気がして落ち着かない。
これに困ったのは地図を渡したローゼンハックもそうである。彼は予想外の状況を前にして考え込んでしまった。
(しまった! まさかこのような流れになるとは……私の思慮が不足してましたね。はてさて、どうしましょう、この状況……)
冷静で洞察に優れた彼ではある。しかし、さすがに地図の一枚によって、ここまで少年と少女に温度差が生じるとは想像できなかったのであろう。無理もない。
少年は俯き、少女の目は泳ぎ、執事は唸って天を仰ぐ……そして、その光景を眺めている車椅子上の老婆。
老婆は「キィ、キィ……」と。車輪を漕いで玄関から少し外に出た。
外は腐葉土の地面である。車輪が食い込み、上手く進まない様子だ。ハッとした執事が手を添えようとしたが、その手を制し――尚もゆっくりと、ほんの少しずつ。苦労しながらわずか前に進み、大柄な人を見上げた。
俯き加減の少年。丁度、その視界に入ったのは弱々しい老婆の姿である。
車椅子上の老婆は言う。
「何をうつむいているんだね、そんな立派な身体して……シャンとしなさいな、シャンと!」
「ぬぇっ!? な、なにさ婆さん、いきなし……」
「あなた、何をそんなに哀しんでいるの? 今にも泣きそうな顔してさ。この爽やかな朝に似合わないじゃない?」
「お、オラは…………オラはらっけ、恥ずかしいんだわ。知らんかったことが……」
「何がかね。世界を知らなかったことが恥ずかしい?? ……“たかが地図の1枚”、知ろうが知るまいが、それが何さ。その子が知っていて自分が知らない、そんなことを比べて恥じているのかい?」
「い……いぁ、違くてよ? 別にそうじゃねぐって……アルフィースつぁんだけじゃねぇもの。ローゼンハックさんも、あんた……婆さんだって知ってたこと、“オラだけ知らねぇ”ってのがよ……」
「“自分だけ知らないことが恥ずかしい”――――そうかい。あんたさっき、“いつも”と言ったね? こういった事がしょっちゅうあるんだろうねぇ」
「んだ……オラって何てモノ知らずかと。なんでこんな、間抜けなんだって……」
「はぁ?? 間抜け?? もの知らぬことが……間抜けですって??」
「え。ら、らってそうらろ……。いっつもみんな知ってんのに、オラだけ知らんくて。アルフィースつぁ…………や、ともかく。オラは面倒ばっかかけてっけよ」
少年は恥じていた。ずっと、旅の中で「またオラだけ」が引っ掛かっていた。自分はとんでもなくもの知らずで、とんだ間抜け男だと。それを傍らにして見られていることが……だから自分は頼りないんだろう、そうなんだろうと……。
一瞬、言葉を止めた少年と、一瞬だけ視線が交錯した少女。彼女は彼が哀しむワケを知りつつある。きっと、この大柄な人は自分と“共有”したかったのだと……その想いを、叩き落してしまったのだと。
どちらからも目線を逸らしてうつむく。眉を下げて悲し気な2人を前にして――――。
老婆の顔面では、眉が限界一杯にまで吊り上がっていた。
「あんたねぇ………………あんたッ!! 馬鹿にするんじゃぁないよぉッッッ!!!!!」
「んおっ!? お、おわぁっ!?!?」
老婆が吼えた。弱々しい足を支えに、細い腕でひじ当てを掴んで――プルプルと力み、怒りによって全身が震えている。老婆は手足に精一杯な力を込めて立ち上がろうとするが……立ち上がれない。
車椅子の上で座ったままの老婆――だが、その気迫を受ける少年は完全に気圧されているようだ。鋭く睨まれて動くこともできず、ただ彼女の瞳を直視している。
「もの知らないことが間抜けって……そりゃ、この私だって間抜けってことかい!? あんた訂正しなさい!! 恥ずかしいのは“あの子と喜びたい、できれば得意に教えたいという下心が外れてしまったから”だと……正直に己が欲を認めなさい!!」
「えっ……ええっ?! あいやっ、そら、そういうんは…………なな、なして解ったの!?」
「わからいでか!! あんたそうやって、無知を恥の理由にするんじゃないよ!!!」
「い、いぁ……そんなん言われても、知らねぇってこと……それもやっぱす恥ずかしいっぺよ。情けないことだって、オラはいっつも――」
「情けないですって!? あんたね、誰だって知る知らないはあるのよ!! ねぇ、ローゼンハック?? この前だって、私っ、手紙出せなかったものね!!! それって恥ずかしいかしら!?!?!」
「――――っ!? は、はい。まさかお嬢様が“宛名の書き方を知らない”とは思わず……いや、それも今まで私や先代様が勝手に手配していたせいですから。お嬢様は何も恥ずべきとは……お、思いません!!」
「ほら見なさい!! ローゼンハックも恥ずべきじゃない、と! ハッキリ申しておりますわ!!?」
「い・・・・・如何にも、はい。フゥ……」
いきなり話を振られた老齢の執事は冷や汗を拭いつつ答えた。主のこうした気性の激しさはよく知るものの、ここまで懸命にされるとさすがに驚くというものだ。
老婆のツバしぶきが掛かる勢いに、少年は一歩後ずさる。
「お、オラも……その、手紙さ書き方わがんねよ? おっかぁ(母)、おっとぅ(父)は書いてたけんど……」
「ならば私と同じね!!! 私だって未だに解らないもの、知ろうとしないもの!!! ……恥じるんじゃないよ。それはつまり、私を恥ずかしい老人だと馬鹿にすることだからね!!!!!」
「ええ……め、メチャクチャ言うなぁ、こん婆さん……」
「何が滅茶苦茶ですと!? お黙りっ、この――――ウッ!? エッホ、ゲホゲホ、オエッ……!!」
「おわぁっ、お嬢様!!?/きゃぁっ、お嬢様!!?」
刹那にだが、白目を剝いていた。老婆が車椅子から倒れそうになったので、経験からして嫌な予感がしていた執事と少女が即座に寄ろうとする。
しかし、老婆はすぐに意識を回復。枯れ木のように細い手首と足首に力を込め、踏ん張った。そして寄ろうとする2人に視線を1刺しずつして、制止させる。
「ぜっ、ぜぇ……ぜぇ…………フゥゥゥ。いけないわ、一度落ち着きましょう。ねぇ?」
そう言うと、老婆はふっかりと車椅子に腰を降ろし、穏やかな表情で空を眺める。少年は口を開いた表情で何も言うことができない。
確かに滅茶苦茶言っているようだが……老婆は勢いを落として、尚も続けた。
「――――パウロくん。あなたは人に比べて知らないことが多いと言うけど……思うにきっと、それは生まれ育った環境ゆえにでしょうね? 口調からしたって、どうにも帝都紳士とは思えないし、聖圏のボクちゃんとも思えませんわ。だからその子や私達と“知識”が異なっていても、それは仕方ないことよ」
朝の空に流れる白い雲。水色の情景に心を落ち着けた老婆は、何事も無かったかのように少年へと穏やかな視線を向けた。
この落差である。突拍子もない言動を受けた人間は驚き、理解しようと注意を向けざるを得ない。そうして意識を受けていることを確認した上で、落ち着いている老婆はゆっくりと語り始めるのである。
「周りの人が知っていて、自分だけが知らない……そうね。それって、恥ずかしいと感じてしまうかもね」
「お、おう……そうらろ? オラはらっけ――」
「ねぇ、あなた……自分が“知っていること”を気に掛けたことはありまして?」
「・・・・・ほぇ??」
老婆はこの大柄な少年が呆然と生きていたとは思わない。昨夜に見せた真摯な態度、度量――あれは普段から物事に挑み、探求し、よく学ばなければ出せない“迫力”である。何せ自分が気圧されたのだから、それも相当なものだと直感している。
「知らないことばかりと言うあなただけどね。例えばその子――アルフィースが知らなくて、あなただけが知っていたこと、あるのではない?」
「お、オラが知ってて……アルフィースつぁんが、知らんかったこと?」
「そうよ、何かなくって? 旅をしているのでしょう。困りごとや危険なことを――乗り越える為に、知恵を絞ったことはなくって??」
「そ、そんなん……あったか? いんや、オラってばやっぱす、いっつもアルフィースつぁんにさ助けてもらってばっかでよ。頼ってんのは、オラだっけ……」
自信なく、やっぱりうつむこうとする大柄な少年。彼はよほど少女のことを信頼しているのであろう。彼女をよく見ているからこそ、彼女の活躍ばかりが思い浮かぶのである。
ならば。彼を一番よく見ている人は――――
「――――炎。そうだわ、炎よ」
「んぉ??」
「ウフフ、そうだわ。あなたってば……私が“寒い”と言ったら枝なんて持ってきて。何をするのかと思えば……最初は魔法かと思ったわよ?」
「??? ほのお……あ~~~、“焚火”かに? いぁ、ありはだって簡単にやれっけ、しかも誰だってやるべよ?」
「私はできないし、知らなかったのだけど……今だってね。いや、できるわけないじゃない! あれほど高速でシャカシャカ……手がどうかしてしまうわ!?」
「ん、んだか? 村のもんはみんなやってたっけ。オラも小せぇ頃から盛らせてたし……」
少女が真似をするように虚空で手を擦り合わせる。「初めて見たわよ。こんなことする人」と苦々しい笑顔で隣の人を見上げた。
少年はその笑顔を見つつ、「そっかなぁ」と不思議そうに後頭部を掻いている。
老齢の執事は2人の姿を安堵して眺め、車椅子の老婆は「ウフフ」と零した。
「――――知らないことが恥ずかしい、その気持ちは解る。誰だってそういうものよ。特に、周りが知らなくて自分だけだなんて……でも、そのことを卑下することはない。何故ならその時“知れた”のだから。知ってしまえば同じだもの。……むしろ“世界がまた1つ広がった”と、誇るくらいで丁度良い……そうじゃない?」
老婆はシワだらけの指で指し示す。促されたように、少年は手にしている世界地図を改めて眺めた。
「これからもきっと、パウロくんは……アルフィースちゃんも。“知らなかった!”に沢山、遭遇するのでしょうね。そしてその度に、世界が広がる楽しみを得るのだわ。なにもかもが、一度知ってしまったら二度とは体験できない感動よ。私なんかが今更旅したとしても……あるかしらね、感動??」
「えぇ、もちろん、あるでしょう。何分、この世界は広い――このローゼンハック、百年以上をこの地で経て尚、度々として驚きを覚えている次第であります。お嬢様ならば、まだまだ……失礼ながら、知らぬことだらけでありましょうな。宛名のように……」
「おや、嬉しいこと言うわね。ま、この足じゃ旅なんて…………って、私はいいのよ。そういう齢じゃないから! 何を言わせるの、まったく……あと言い過ぎよ、無礼者!!!」
「え・・・!? も、申し訳ありません、お嬢様……」
不機嫌にそっぽを向いた老婆に頭を下げる老齢の執事。顔色の悪い彼は仕舞ったハンカチを再び取り出して、額の汗を拭いた。
「……オラ達の、知らないこと。たすかにオラは昨日、すんげぇ楽しかった。あんだけでっけところさ住んでるって知った時……ほんに、興奮したんだわ。らっけ、アルフィースつぁんにも見せてぇと思った」
「…………パウロ。あの、私……さっきは――」
「んでもね? オラ、確かに婆さんが言うようにさ、こっからだと思うべよ。ここまでも2人で驚いたこと、いっぺことあったけど……まぁだまだちぃっとだもんに。ほりぇ、こんなに“せかい”はでっけもの! きっと、もっとすげぇことさある。それを2人で一緒にさ見れると思うとよ……オラはすっげ楽しみなんだわ!!」
「あ――――」
彼の言葉。語る彼の横顔に――少女の視線は釘付けにされた。
陽光射す森の中。見上げるそこに、高々と地図を掲げる少年の笑み。
当然のように、当たり前として……彼は言った。
そう、【2人】で一緒に――と。
その言葉を聞いて、彼の姿を見て……今度は少女が勢いよくうつむき、目を伏せた。
なんだか熱い耳をいじる。大きな胸の鼓動が聞かれていないか心配になる。聞こえるはずもないと、解っているのに……。
その姿を見て……「ニヤリ」。老婆が笑った。
「そうそう。そうやってさ、パウロくん。もっと胸を張って……堂々と肩で風切って歩きたまえよ。きっと、そのほうが喜ぶよぉ?」
「ん、胸さ張るって……よろこぶって、なんさね?」
老婆の言葉に対して少年はへらへらとするのみだ。
「?? ・・・・・オほぁっ!?!!?」
一方、少女は青天の霹靂が直撃したかの如く。シビレて硬直している。
「いやさ、その方が相応しいだろうよ? あと、無茶はだめさね~。いくら力が強いからって、それを雑に――」
「あわわわわっ、おじょっ――おおお嬢様ッッッ!!? お黙りいたらしてくださって!??!?!」
「おやおや、怖いねぇ~~。どうしたことか、お嬢ちゃん? 突然に声を荒げて……ビックリするじゃないかい、フゥゥ。心臓がとまるかと思ったよ、やれやれ」
車椅子上でニヤニヤとしている老婆。それに向けて「キッ」と視線を強くし、鼻息荒い少女。
少年はよく解らずぼんやりとしている。なんとなく少女が焦っていることは解るが、理由は不明なので……そういう場合は静観しようと経験から決めている。
執事は解らずとも察して、静かに首を振った。そして「オホン!」と強く咳払い。苦々しい表情で車椅子上の人に視線を向ける。
無言のままに言葉を感じる。老婆は叱られた少女のように気まずい表情をして、されど反省の色も無く。すぐにひょうひょうとして斜め上を見上げてみせた。
顔を赤らめて興奮気味な少女。よくわからないが静観モードに入った少年。呆れたように溜息を吐いている紳士……。
そして、老婆が言う。
「――あぁっととと? そう言えば君達、あの“タヌキ”はどうだっていいのかね??」
「フゥ、フゥ……お嬢様ったら、まったく…………え??」
「タヌキぃ?? あぁ、タヌキって、あの青いやつか。それならそこに…………いねぇな?」
「ええと、申し上げようか迷ったのですが……取り込み中でしたので機会を逃しました。はい、私の遣ったタヌキは先ほどノソノソと歩きだしまして……そちらの茂み。すなわち、渓谷の道へと抜ける方角、森の中へと入った次第です。報告が遅れましたことをここに謝罪いたします」
4人が館の前でごちゃごちゃと話し、中々動かなかった頃合い。
散歩に待ち焦がれた子犬のように“青いタヌキ”は行動を開始してしまったらしい。茂みの中に入って、生命に記された指令通りに渓谷の先を目指している。
あれは道しるべであり、2人が迷わないようにと執事が気を利かせたものだ。あれが無くとも森林を出でて道なりに行けば渓谷を出られるだろうが……この2人は目印がないと何に気をとられるか解らない。
そこまで考えているかは不明だが……ともかく少年と少女は「しまった!」と反射的に意見を合わせたらしい。
「大変ッ、急いで追いかけないと……あんなに小さい子だもの、1匹では可哀そうよ!!/
/てぇへんだッ! せっかく用意すてもらったんに……見失ったら、申し訳ねっぺよ!?」
あわあわとその場で円を描く運動を行った後。2人は茂みに向かって駆け始める。
そしてすぐに停止して、これも慌ただしく振り返った。
「あのっ――――ありがとう、お嬢様、ローゼンハックさん! お世話になりました。また、きっと…………きっと訪ねます! どうかお元気で、お達者で!/
/ほんによぉ、なんて感謝すりゃいいんだか……あれ、ローゼンハックさん。今度、来っときは代わりのなんかもってくっけよ? んで婆さんも年なんだっけ、どうか身体さ気ぃつけてな? また会うっけ、ほんときまで元気よぐ……達者でな!!」
同時に話すので聞き取りにくい。しかし老婆は地獄耳であり、「はいはい」と把握して手を振った。執事もまた、人ならざる聴覚によって理解しており、「お待ちしております」と深く礼をして応えた。
慌ただしい2人が慌ただしく去っていく。
茂みを前に足踏みする少女の先に出て、少年が道を切り拓く。騒ぎ立てながら、彼女は彼の背を追いかける。
そんな姿があっと言う間に見えなくなって……。
晴天の朝。森林奥にひっそりと聳えた石造りの館。
鮮やかな花壇を背にして在る執事と老婆。
渓谷の館に平穏な日々が戻る。
思い出したように花壇の花に水をやる紳士と、久しぶりに外で花壇を眺める老婆。
もう、ずっと昔……そこに在った人が好きだった土いじりを夢中にする姿を思い出す。
美しい思い出に今日という美しい日を重ねて……。
今日は気分が良い。筆を手に取り、いつもとは違う題材。老齢のお嬢様は可愛らしい2人の姿を描くつもりだ。
それはあんまり上手なものではないけど、|2人揃って色合いを話し合う。いつか見てもらった時、喜んでもらえるように……。
そして渓谷の森へと入った|2人|は――――。
彼らは青い生き物(?)を道しるべに渓谷の道へと歩み出た。渓流沿いの崖は険しく、また何かを落とさないように注意深く歩く。
青いタヌキはよく案内しているようだが、時折止まっては道に穴を掘り、何かを食べる。いや、食べているのかは解らないが……2人から見てそのような仕草に思われる。
気まぐれなタヌキの後をつけつつ歩く2人。しかし、なんだか様子がおかしい。
様子がおかしいのは大体いつもではあるが、どうやらこの場合は少女が”変”なのだ。具体的には少し赤みのある顔で少年を無視している……ように少年は感じている。
「ん~~~と。たすかここん道さ抜けっと、村みてぇのがあるって言ってたわな?」
「…………うん」
「ほしたらそこで何か食えっぺね? いぁ、飯さまた持たせてくれたけんど、何があるかわかんねっけよ。こういうんはなるべくとっといた方がいいんよね? 君さ前、そんなん言ったね?」
「…………そうね」
「・・・・・ま。んまぁ~、あんます腹減るようなら食ってもいいかに? へへへ、オラすでにちぃっと腹が空いちったぁ~!」
「…………どうぞ」
「ほしたら……んでも、あ~~~っと……ううぬ」
困っている。パウロ少年は困っているようで、会話をふっては詰まり、言葉を失う。そしてしばらくしてまた会話をふるが……やはり反応が素っ気なく、続かなくなってしまう。
アルフィースが変というのはコレであり、無視というよりは“反応が薄い”のである。しかも普段怒ったり注意しそうなことにも割と寛容……むしろ興味が無いかのように、薄い。
なんだか少年は怖くなってきた。もしかしたらまた「やってしまった」のかと。しかし、それがどの場面か解らない。
今は服も着ているし、特に物を壊してない。飯にがっついてもいない……では、何が悪いのであろう。何が彼女を“怒らせた”のであろうか?
その答えが導かれることはない。何故なら、そもそも少女アルフィースは“怒っていない”からである。
彼女の顔が少し赤いのは怒りによって紅潮しているからではない。大人しく歩いているのは元気が無いからではなく、物思いにふけっているからである。
「アッ、あのタヌキさ、まぁたほじくって……! やいやい、そんなんしてっと、また尻尾掴んでまうからねぇ~~~~・・・ネ?」
「……………。」
「た、たははぁ~~~、ウソだっぺよぉ。ビックらこいただかぁ?? ハッハハハ、ハ……いやぁ、参ったにぃ……」
「――――ねぇねぇ、パウロ?」
「ドヌワアァァっ!?!? な、ななな、なにさ、どしたねアルフィースッつぁん!?」
いきなりで驚いた。まったく能動的な発言が無かった少女が突然に寄ってきて名前を呼んだので、心底驚いた少年は諸手を斜めに挙げた姿勢で硬直している。「悪い事しません、何もしません」という無抵抗の意を本能が示したのであろう。よほど怯えていたらしい。
そんな彼の姿にキョトンとして、少女は「まぁいいか」と続ける。
「あのね、パウロ。さっきの――――あなたが受け取った地図、見せてほしいのだけど?」
「ち、ちちち、地図って……ああ、せかい……世界地図だっぺね!? い、いいよ……どんぞ??」
「ありがとう……って、何よ。そんなに“ピン”と腕を伸ばしたまま……私に触れたくないの?」
「ふっ、ふれっ…………ふれあべっ?!!?」
「?? 何か変よ、あなた。ええと、それで……」
館の執事に受け取った世界地図。それを手に取り、眺める少女。少年は再び諸手を天に伸ばした姿勢に戻り、緊張した面持ちで事の成り行きを見守っている。
少女は地図をサッと眺め、そこに描かれた大きな枠組み――即ち、大陸の左端を指さした。
「――――ここ。ここが女神様の神域……ようは聖圏ね。区切りは複雑なのだけど、大体この辺り・・・って、あのね? もっと近づいてよ。見えないでしょ、そんな高い位置から見下ろしてたら……」
「あ、あい・・・・・」
「いい? ここがマグナの聖地。そして大聖塔、イダシアがそびえているのがこの辺り……見えてる?」
「み、見てるっぺよ。んだか、ええとまぐなのだいせいとうがいだすあで……」
「……別に復唱しなくていいわよ。今は覚えなくたって、いい。どうせ今の目的地は違うのだから。ただ、何となくね…………知って欲しかったの。私の生まれた場所……」
「え。アルフィースつぁんの生まれた…………いつものセイデンか?」
「そう、セイデン。それが……まぁ、場所と言うと変だけどね。一応、花園もこのイダシア上層部に存在するわ。これだとまったく解らないけど……その一階層が、私のお家よ」
「ほぇぇぇ……あっ、す、すまんす。まったくわがんにぃ……」
「だから、これだと解らないのは当然だって。そういうものだって、なんとなくでいいから……」
「なんとなくすらわがんねけど……」
「でしょうね。ここまで旅して、私の住んでいた場所がどうにも特殊なものだと……ああ、品位ではなく物理的にね? そう、実感してきたから。たぶん帝都の人だって、完全に把握はできていないでしょうね」
「はぁ、ほうだか? んでもさっすがアルフィースつぁんさなぁ。やっぱす物知り――」
「――で!! 私達は今、こうして右側に向かっているのよね?」
「お、おぅ……んだな?」
「そしてココが…………こう見ると、本当にもうすぐ近くなのね。ウォーレンダリアの現帝都、帝域の頭脳と呼ばれる……オーヴァルキュア」
「ん? ああ、そうなんか。ココが今、オラたつが目指してる場所なんらな? ほぇぇ……あ、そっかぁ。今まで歩いてきたのがこの長さらっけ、あんれまぁ…………こりぇって、けっこう近くでねぇの?」
2人から見て世界地図の右側。同時に指し示した場所で、指先と指先が当たる。
「そうみたいね。ま、聞くに帝都は相当広いらしいから、端っこまであと少しってところでしょうけど……どれほどなのかしら。まるで、想像できないわ」
「お~~、そっか。アルフィースつぁんでも解らんのか」
「ええ、まったく。聞きかじった程度には知識があるけど……どうだかね? 敵国の首都だもの。恐ろしい印象があるし……建物や、それらが並ぶ風景なんか、まるで解らないわ」
「――――オラたつの、どっちも知らね景色……」
「そうよ、パウロ。私達はこれから……いいえ、今までも。ずっと、知らない場所を歩いてきた」
「そうらね。らっけ、驚いてばっかしだわ」
「私もよ。良くも悪くも、驚かされてきた……知らないことばかりだったから」
「・・・・・・・あっ!? アルフィースつぁん、もすかすて君さ――」
「だからと言って。パウロ、いいこと? “これまでもそうだったけど”……私はあなたのように取り乱さないから。そして未来の淑女たるセイデンの気品をもって、この悪しき都を見据えてやりますわよ」
「おほっ、ん、んだかね……? たすかにオラってばいっつも、しこたまたまげるっけねぇ~。だぁって、すげぇことばっかしなんだもの。アルフィースつぁんの言い草からして、きっとこの場所は今までよりビックらさしてくれんだろうねぇ!」
「フフフ、解らないわよ? なんだ、この程度……そうして肩透かしを受ける可能性だって十分にあり得ますわ? 特に私なんて、比較対象が女神の塔を囲う聖地なわけだし……」
「――――よかった。アルフィースつぁん、“怖い”言ってっけど……案外君もワクワクしてんのね? そこさちぃっと心配らったんよ。ルイドと話す時もなんか嫌がってたっけ……」
「・・・・・私が帝国を恐れているような言い方、やめてくださいます? 怖くないわよ、別に。どうせ大したことないのだし……精々、嘲笑ってさしあげますわ? ンォオ~~ッホホホホホ…………ウヌォオオ~~ッホホホホホ、オホホホホォッ!!!!!」
大股開きに大地を踏みしめ、高笑いするアルフィース。渓流の流れる音を背に、豪快な立ち振る舞いが大自然に炸裂している。そこに気品は見当たらない。
少女の元気そのものな姿。それを見て安堵したのか、パウロもつられて「ウワッハハハ!頼もしいねぇ!」と呑気に笑った。これは軽率な発言である。
「頼もしくなきゃいけないのはあなたよ!!もっと自覚なさい!!」と豹変したように威嚇されて、度々に諸手を掲げる少年。少女がどうしてそこまで顔を険しくするのか……彼は不思議そうだ。
そして、地図に夢中となっていた少年と少女は見失った。
せっかくの道しるべ、貸してもらった生き物(?)の姿を……。
慌てて道を行き、青い姿を探す2人。特に「大変大変!(あの子が)迷子になっちゃう!」と心配しきりな少女は悪い足場に引っかかるだろう。
そして背負われ、顔を紅潮させるのである。不条理にわめき散らすそれは今度こそ、純然たる“怒り”によるものであろう。
渓谷に射す日差しは高く、煌々と。
渓谷の古びた街道を行く、賑やかな2人の姿を照らしている――――――。
「オラはモンスターだっぺや ~私、お嬢様ですのよ?(END)~」




