「オレってマジモンスター(1)」
『おい……いつまで泣いてんだよ』
『ぐすっ、うっ……だって、だって……』
『だってじゃねぇって。お前、あれからもう3ヶ月だぜ? いい加減毎日しょぼくれ顔されてっと、こっちが滅入って仕方ねぇだろうが』
『うぅ……ごめんね。私のために……』
『……っツァー! っせーヤツだなったくよぉ!! オレはもうなんともねぇし、お前はそうしてピンピンしてるし、なんの心配もねぇだろうが。だいたいだな、オレはお前のためならなんだ――ッ、なんでもねぇよ!!』
『あうっぅ……そんな、私は――』
『……いつも言ってるだろうが。オレは、お前のためならなんだって……』
『――ふぇ?』
『チっ、っぜぇんだよ! ……シラケちまった。オレは帰るけどよ、マジ明日には笑顔みせろって……それ何度も言わせてくれんなよ!? じゃぁな、ケッ!!』
『……ジェット、ありがとう。私は、私だってあなたのこと……』
CASE2: オレってマジモンスター /
空は焼けたように朱く染まり、焦げ付いた雲がゆったりと彼方の稜線へと消えて行く。靄がかかったように星々は輝き、間もなく出番を待つ月が雲の狭間から見切れていた。
ガサガサと森の枝葉を除けて姿を見せる大きな影。その正体は少女を背負った【パウロ少年】である。何分、道なき道を越えて来た為に腕は傷だらけだが、まるで疲れた様子はない。ただしその表情は真顔である。
「――ッちょっと!? 今枝が当たったぁ!」
「すまんす……」
「すまんじゃないわよ、まったく。ガサツな人ね、図体の通りだわ!」
「誠に、すまんす……」
背中におぶさっている少女は随分と傲慢な有様で文句を垂れている。
この【少女アルフィース】は初対面が嘘のように、まるっきりパウロを動物か何かのように叱ってくる。なんとも酷いものだが、パウロはそれに対してまったく怒りをみせない。それどころか緊迫した面持ちで「キリッ」としてすらいる。
この時、彼は思い悩んでいた。
(柔っけなぁ……なしてこんなフワフワした感じさするだ? そら、抱えた時もちっとは思ったけんども……。おんぶすっと、なしてかこう……オラ、なんか恐ろしいべよ)
パウロ少年はまず、少女――というか母親以外の女性に触れたことすらなかった。それが今日の朝に抱きかかえ、今日の昼に抱きかかえ、そして今の夕刻におんぶして……それ以上に衝撃的な口づけまで経由して。
彼は“強い恐怖”と“不思議な熱”に思い悩んでいたのである。会話すらほとんど経験がない“少女”なる未知の生命体とこれほどまでに接することになろうとは……。故郷を旅立った事実よりも、正直そっちの方が少年の混乱を呼ぶに相応しいものだった。
「――ちょっと、聞いてるの!?」
「……はぇ? なんの話すだ??」
「ほら、見えたでしょ、急いで! 夜になっちゃうわよ、まったくノロいんだから!」
「だっけ何が・・・・・と、ぬぉぉぉ!? 何だありゃぁ!!?」
色々と考え込んでいたパウロ少年の足が思わず止まった。ゴチャゴチャした考えも一時的に吹き飛んだようだ。
彼が目にしたのは“家の群れ”である。今までは最大で5軒ほどの家が集った市場こそが彼の中の最大であったのに対し、現在やや前方に広がる景色には家が5、10、20、40……もしかしたら、100軒くらいあるのかもしれない。
「家と家が近け~~~っ!? すっ、すっげ……どうなってんだ?? 全部人が入ってんのか?? だとすっと……ここにはなんつぅ大勢が集まってんだ!? みんな何をしに集まってんだっぺや!?」
「何をもなにもないわよ、町なんだから……生活しているのでしょ? ほら、さっさと“歩きなさい”、下僕!」
「おっ・・・ホワァァ!? なんか足さ勝手にぃ……ま、待っちくり! あんな得体の知れねぇ場所、何があるか解ったもんでは……!」
異様な景色に恐れおののき、意識としては後退したいパウロなのだが……。その想いとは反対に彼の足は前へ、前へと歩み進めていく。まるで身体が別の意思に従っているかのようだ。
「うひゃっ!? もうすぐ夜だっつのに、あんなに人が……!!」
驚き慄くパウロが足を踏み入れたのは【シャナーラ】と呼ばれる家の群れ……ようは「町」である。規模としてはそれほど大きなものではなく、賑わっているというほどでもない。夕刻の大通りには10人ほどが閑散と姿をみせているかどうか、といったところだろう。
しかし、夕刻ともなれば基本的に帰宅しているヤットコ村から考えれば異常な光景である。市場だって、早い時は昼飯の後しばらくしたら全部閉まるというのに……。
「はぁ、いちいち騒がしい人ね。ともかく、こういう場合はええと……そうよ、宿! 宿を探すのよ、いいわねパウロ?」
「や、やどぉ?? しっかすアルフィースつぁん……あんま顔近くすんなね? なぁんかオラあんましこんなんダメだっけして――」
「グチグチうるさい! 誰のせいであんたなんかに乗ってると思う!? 解ったら探すの!!」
誰のせいかと言われてもそれは自己責任なのであるが……一応、拡大解釈してみよう。
――現在アルフィースがパウロの背に乗っているのは彼女が足を“くじいた”からである。それはふっ飛んではぐれたパウロを探す行程で負ったものだ。遡れば、パウロを吹っ飛ばしたのは彼の父親であり、そこに責任があると言えなくもない。さらに難癖をつければその子であるパウロの責任と言えなくも……ないのだろうか?
ともかく、アルフィースはそういった理由に基づいて「パウロのせいでケガをした」と憤っていることは事実だ。実に勝手なものである。
「うんと、やど、やど、やどぉ……やどぉ? やどぉは……やどってなぁ、なんだず??」
「――なんだずって、なんですって? あなたまさか、宿を知らないって……」
「め、面目ねぇ……」
「――――はぁあぁぁぁあぁ~~~~~~、つっかえない男!!」
「あ、あぅ。すまんす……」
背中に乗っているので少女が「溜息を吐いた」と理解できる。パウロはどうやら普通は知っていて当然のことらしいことを知らない自分を恥じ、こういうことがあると予想したからこそ、村を出ることが怖かったのだと再認識した。
「あのね――宿ってのはお客が泊まるところよ、つまりお店! 身なりの整った従業員達が荷物を運んでくれるし、居室でコールを押せば飛んできて世話をしてくれるし、食事だって一級のシェフが美味しいものを沢山用意してくれる……それくらい知ってなさいよね!?」
「しょんぼりだす……」
アルフィースは呆れかえっていた。「もういい!」と言い捨て、パウロにはともかく歩き回れと命じる。パウロは素直に自分の意思でもって言われるがままにシャナーラの町を歩き回った。
……歩き回ったのだが?
「ちょっと、どういうことよ!? この田舎町ったら、宿の1つすら無いの!?」
「お、落ち着いて。怒ると顔に悪いシワができるっておっかぁ(母)が――」
「お黙りっ!!」
宿が無い……いや、実を言えばある。シャナーラには全部で5軒の宿泊可能施設が存在する。さらに言えばパウロとアルフィースはそれら全ての前を通過済みだ。その上で彼らは宿を発見できていない。
ふと周囲を見渡せばいよいよ夜の闇が一帯を包み込もうとしている。シャナーラは“帝域”にも“聖圏”にも入っていない“中立”であるので、今一整備が行き届いていない。街灯は少なく、路も薄暗い……。
人口の少ない町なので部外者は割と目立つ。それが「大柄な若者が少女を背負っている」という存在であるなら、よりいっそう際立って仕方がないだろう。
……町の宿屋、その内の1軒に灯された部屋の灯り。建物の2階から窓の外を眺めている「女」がほとんど夜道の景色に異物を捉えた。
「ねぇ……あれって何かしら?」
頬杖をついて何気ない、食事を待つ間になんとなく発した一言である。
「あン? んだよ、化け物でも見たか?」
部屋の奥で読書にふけっていた「男」は重厚な書物を閉じ、器用に片手でしおりを挟みこんだ。
ひょいと顔を覗かせて、男と女が宿の2階から街路を見下ろす。そこには……なんであろう? 大男が少女を背負って右往左往という、なんとも見事に奇妙な存在があったーー。
宿屋で男と女の2人が不思議そうにしている頃。いよいよ焦り始めた少女は大柄な少年の背を叩き始める。
「ああんっ、もうっ! どうして無いのよ、何この町!? 旅行者に厳しすぎるでしょう!?」
「あ、あんのアルフィースつぁん……」
「うるさいっ! 役立たずの下僕は黙ってキリキリ歩き続けなさい!!」
「い、いあ……その、“やど”ってのだけど……」
「だってあなた知らないんでしょう? 無駄口開いてないで、そのエネルギーを私の脚代わりとして使うのよっ!!」
「た、確かに知らんけど、看板くらいは読めっぺ。んで、ほれ……あれって“やど”って意味だべ??」
「黙って、黙って! 私は視覚の活用に専念したい――って、エ?」
パウロは指示した。それは確かに「宿」の意味であり、具体的には「ほほえみのやど」と表記された看板である。間違いなくそれはこの町に5軒ある内の1つだ。
「・・・・・え、コレ? え、嘘でしょ? だってコレ……こんなにみすぼらしい……」
「いぁ、立派なもんだべ? 2階もある家なんて、オラの村じゃ村長とトミエんとこくらいで――」
「あんたの価値観なんて知りたくないわッ!! ……でも、これはまるで冗談みたいだけど……どうやら、本当に宿屋らしいわね」
アルフィースはものすごく疑っているが……どれだけ信じられずともそこは宿屋だ。造りは石造りで、開業30年ではあるものの、昨年に建て替えたばかりのピカピカに近い宿屋である。しかしどうやら、アルフィースのイメージしているソレとは大きく乖離した存在のようだ。
「こんなんじゃプールだって備えられそうにないけど……ま、まぁいいわ。ともかく泊まれそうならここで妥協するしかないわね。もうほとんど真っ暗だし……」
「そうすなぁ……いやぁ、オラやどってはずめてだっけ、なんか緊張すっぺや!」
苦笑いで心底不満そうなアルフィースと緊張した面持ちで内心ワクワクのパウロ。想いは別々ながら、彼らは宿屋「ほほえみ」へと入って行った。
宿屋ほほえみのカウンター席には老人が座っており、シワだらけの風貌である。老人は来客を察すると即座に満面の笑みで応対を始めた。
「ややや、ようこそお客人! どうぞ入ってくださいな。さてさて、これからだとどうにか夕食には間に合いますな。どうぞ、ゆっくりと泊って行ってください!」
「おーっ、なぁんて親切なお方だ! 腹も減ってたんだ、ありがてぇだす、ありがてぇだす!」
「・・・・・。」
ニッコニコの老人。それに対してパウロはペコペコと何度も頭を上げ下げしている。その背に乗っている少女は「ムスッ」としているが、それは何もパウロの動作に対してのみの不満ではない。
「……降ろして!」
「んぁっ、はい……」
何か不機嫌なアルフィース。少年は一体どうしてそうなのかまるで解らず、言われるままに彼女を背中から降ろした。
「……フンっ! そうね、まぁいいわ。食事を頂くからにはシェフの顔も見ておきたいから……ちょっと呼んでくださる?」
「はぁ……しぇふ?? いや、料理はワシが作るんですが……」
「――は?? えっ、てことは……ん? あなたが作る???」
「ええ。うちは会計から料理から掃除から何まで全部ワシ1人でやっております。だから、最大でも6人泊めるのがやっとなんです」
「・・・・・。」
この時アルフィースの脳内では様々な議論が交わされていた。全部1人ということは料理を作りながら客のコールに対応するということであろうか? 全部1人ということは掃除を行う人間がその手で客の荷物を扱うということであろうか? 全部1人ということは全部1人ということは……。
「・・・いいわ。では、1泊お願いね」
アルフィースは考えることを止めた。脳内の議会では未だに侃侃諤諤の議論が飛び交っているが、彼女は強引に事を推し進めることにしたのである。
「はい、どうもご利用ありがとう御座います! ではここにお名前と、宿泊プランによる料金の選択を行ってくださいまし」
提示された宿泊者名簿。並ぶ文字列の最後、ジェット=ロイダーの名前直下に書き込もうと少女がペンをインクに浸す。そして、そこで何気なく質問を繰り出した。
「……パウロ。あなた、お金はどのくらい持っているの?」
「えっ、お金だすか? いんやぁ、お金はここんとこしばらく触ってねぇからなぁ……」
「何よ、それ。じゃぁ、お買い物はどうしてたのよ?」
「買い物ってか、物は交換してやりくりが基本だべ? 金はそんで割り切れねぇときの補助みたいなもんだっぺ」
「……はぁ、まったく。これだから山奥の田舎者は……いいわ、また口を閉じてなさい、役立たずめ」
「む、むぐぅ、すまんす……」
悪態を吐きながら料金表に目線を落とすアルフィース。そこには三段階の宿泊プランが表記されており、1の「999PL」から2の「2999PL」に3の「7999PL」とランク付けされている。ちなみに「PL」は“ペルラ”と読む。
一般的な宿の1泊となればここでの「3」プランがやや高めとなるか。つまり、1と2のプランは“安い”ということになる。
「プラン3なら最高の料理に最高の部屋をご用意いたしますよ。プラン2ならそれでも立派な部屋に、上等な料理をご用意いたしましょう。ま、あまり選ばれませんが……プラン1は宿泊のみとなりますね。また、これだけは連泊できません」
老人は客をよく見ている。彼なりの見立てでは……それこそ若者の男はどうやらみすぼらしく、もしかしたら例の未だに物々交換で成り立っているヤットコの……という具合。
対して少女は衣類や風貌からして気品があるものの、如何せんドレスが汚れており、何か訳がありそうだ。よってここは「プラン2」となるだろう、最悪ちょっとの値切りはあるかもな――と予想した。
しかし、それは甘い見立てである。
「当然ね。ここはプラン3で行くわ!!」
「!? おっと、これはどうも。ではご用意の方を……」
「会計の時は頼むわよ、パウロ?」
「……むむぅ??」
「なんて顔をしているの、当然でしょう? 付き人のあなたが払わなくって、どうするの?」
「・・・あの、だっけ、オラは金なんてここんとこ触れたことも……」
「あ~~~あ、そうだったわね。ヤレヤレ……ま、いいわ。ともかく頼むわよ」
「いぁ、だっけして頼むって言われてもだな……」
「!? あら、そうか……お金が無いのだものね。まったく……使えないわ! 付き人の下僕であるあなたが払えないなら、誰が払うって……ん?」
「そら、この場合はアルフィースつぁんに頼むしか……すまんす」
「…………あら?? これはもしや……」
アルフィースは気が付いた。これまでの人生において、彼女は財布というものを手に持ったことがない。金に触れたことはあるが、それは確か遊びのルーレットか何かを楽しんだ時だけだ。今だってそれは同じであり、財布はおろか札や小銭だって微塵も無い。そして横で「えへへ」としているパウロもまた、現在は所持金が無いという……。
「これは……つまり?」
「ありゃ……ましゃか?」
顔を見合わせる少年と少女。会話を零れ聞きながら不穏な気配を推察していた老人。
状況を把握した老人のニッコニコとした表情が一変。口と眉毛が反転したように曲がり、袖を捲ってカウンターから身を乗り出してくる。
「お客さん……まさか、お代が無いってんじゃぁないでしょうね??」
「ひ、ひゃひぃっ!?」
「あ、はい。金はまるでないだすよ。オラもアルフィースつぁんも」
「ひっ!? ひわわわっ!?」
少女アルフィースは2度叫ぶ。図星を突かれて驚き、あまりに素直な自白にも驚いた。彼女は強張った表情で恐る恐るに店員の老人を見る。
すると――
「……金がねぇってんならぁ、泊めるわけにはいかねぇな!? ふてぇ野郎共めっ、塩塗れになりたくなきゃ、さっさと帰ぇんな!!!」
何処からか取り出したツボの中から老人が“塩”を握って取り出し、投げつけてきた。
老人によって突然と繰り出された怒髪天を突くような怒りとわけの解らない攻撃――。
塩のシャワーから逃げるように、慌てたアルフィースは店の外へと駆け出した。それを追いかけるようにパウロも走って出ていく……。
「金がない」――あまりにも生々しい問題に直面した少年と少女の運命。
彼らの夜は一体、どうなってしまうのであろうか……?
第5話 「オレってマジモンスター(1)」END