「ワタシはモンスターだ(3)」
森の深く、静寂の中で静々と湧き続ける清らかなる泉。そこから這い出してきたのは精霊にしては妙に生々しい物体であった。
「ほれ、危ねっけ! クマさおるろ? オラがなんとかすっから、君さこっちの方さ来なせって!」
清らかなる水の滴をしたたらせ、「ブルブルッ」と身体を震わせてまき散らすパウロ少年。湿った大男はノシノシと岩を降りて少女のもとへと迫ってくる。
相手が誰であるか解っている少女アルフィースがこれに驚く道理はない。ないのだが……「嫌だなぁ」と思う要素ならふんだんに見受けられる。
それらの結果――
「いやぁぁっ、こっちに来ないでよぉ!!!」
――と、拒絶めいた反応になるのである。しかし、現状が把握できていないパウロは悲鳴を聞いて「まだ危険なんだ」と信じており、気味悪がる少女へと容赦なく近寄っていく。
状況を第三者視点で分析すると、“テカテカな大男が血で汚れた衣類の乙女を襲おうとしている場面”に思える。大抵の人なら少女に逃亡を促し、腕に覚えのある者なら状況に割って入ることも考えられる状況となろう。
「ありぃ、ほいでクマさ何処行った?? あんにゃろ、しかも強えぇーっけな。こっちもしこたま繰り出さんと勝てそうに――――ットトト!? なんね、なんね!??」
大柄なパウロに挑みかかるにはかなりの勇気が必要となる。2m近い体格に”170cm強くらいの男”が立ち向かうのはかなり分が悪いものだと思って間違いない。特に武器などを用いない格闘戦となると、体格差はあまりにも大きな要素となる。
つまり。現在パウロの進路を塞ぎ、あまつさえ“敢えて”空ぶった拳の振り払いを行った【白衣の男性】は勇気ある者といえよう。
「このような場所で若い男女が……これは、けしからんことだ」
燕尾の白衣を着こなす男は若干くぐもった声を出す。それは口元を覆い隠すように襟を立てているからだ。
白衣の男が振り払った拳はすでに下げられており、今は見るからに“無為”な立ち姿にて平然としている。
「な、なんねあんた?? クマは……クマさどこいっただ???」
目の前にある中肉中背な様相の男が誰なのかも気になる。だが、そんなことよりパウロは「戦闘中であるはずの大きなクマ」が気になってしかたがない。残念ながら、それを今から探しても見つけるのは難しいであろう。それはかなり遠くまで逃げているからだ。
現在、少年の目の前に立つ男ーー手の甲までを袖で覆い、立てた襟で口元を完全に隠している“その男”こそが、クマを2連の掌打と流し目の下に逃走させたからである。
まさか、あれだけの猛獣を目の前にある人がどうにかできるなど……見た目で判断したパウロは「眼中にない」とそれを無視した。そして一歩を踏み出す。
「――――ッおぉ!?」
「……そこまでだ。詳細は知らないが、ここはそこの娘に加担させてもらおう。手荒な真似はしたくない。大人しく立ち去るがいい、不審者よ……」
今度は拳が突き付けられた。絹の白手袋が鼻先に触れたパウロが思わず三歩、退く。
パウロの視力は非常に良い。そして、その動体視力もまた優れたものである。彼の実家ではしょっちゅう食卓に小バエなんかが紛れ込んだものだが……父も母もパウロも、誰もが容易くそれを摘まんで外へと捨てることができた。
速さとしてすばしっこい小バエとそう違うわけではない。だが、パウロは鼻先に触れるまで“その拳”に気が付かなかった。
「先ほどから聞く“クマ”が緑色のものであるなら……ワタシが追い払っておいた。君には傷があるようだが……それは見るに、あのクマによるものだな?」
「おぅ、そうだっぺ。こんの肩と胸んとこ叩きおって……んでも不思議とあの泉さ浸かってたらなんか痛みが――――って。ッッッンナヌゥゥゥゥゥウゥ!?!?!?」
「……なんという肺活量。それに、見れば君の筋量……なんという密度か。骨格にも異様を感じるが、これは一体……」
パウロも驚いていたが白衣の男だって驚かされていた。視界に映る少年の姿、その常人離れした肉付きと骨格を観察できたからである。
完全予想外の答えを聞いたパウロは思わず、また一歩踏み出して気になることを聞こうとしてしまった。
「いぁ……いぁいぁいぁいぁ!? おめさアレを追い払ったって、ほんとけ?? だとすっとおめぇ、どうやって――」
「どうやって、だと? 知りたいか、そうか……ならばその身をもって、理解させてやろう……」
末尾の言葉「やろう」の発声とほぼ同時のことである。白衣の男は左の拳を真っ直ぐに突き、パウロ少年の顎に触れた瞬間、手首を掃うようにして外側へと向けた。
「ほっ――――ワ……???」
ぐらりと、歪むパウロの視界。天と地が入れ替わったかのように足元の感覚が曖昧となり、全身を脱力感が襲う。
「不審者よ、立ち去るだけの余力は残しておく……これ以上、無駄な抵抗をしてはならない」
膝は曲がり、上体が傾がっている大柄な少年。その腹部に向けて白衣の男は右手による攻撃を行った。それは手先を丸め、中指2番目の指関節部が標的を打つように工夫されたものである。
パウロの腹筋はピシっと割れた逞しいものである。その鍛えられた硬い部分を避け、柔らかな部位を工夫された拳が打ち抜いた。
「ぷォッ――――!?」
「……堪えるな。出してしまった方が、楽になる……」
中身に貫通した衝撃が少年の胃腸を蠢かせる。パウロは口を膨らませて深く屈んだ。このまま先ほどのクマのような現象が彼を待つものだと……普通はそうなるものだと考えられる。
だが、様子を観察していた白衣の男は「うっ!?」と声を零した。そして咄嗟に右の腕を水平に優しく、送り出すように振るう。
「――――んんんぅ!! 出すわけねっぺよぉ! 女子の前でそっただなことすたら、あんまりにも失礼らろォが!!!」
失礼うんぬん言うならば少年の現在の姿格好こそが無礼であるはずだが……それはともかくとして。
「……通常あり得ない。まして、この速度で反撃だと……? 内臓のゼン動も収まっている……何故だ」
白衣の男はとても驚いたように目元を力ませている。じっくりと集中して観察すればするほど、対象の異常性が実感された。
予測を超えた速度での“反撃”。パウロが放った反撃の蹴りは図らずも不意を突いた形となったのだが……それは石つぶてが布に当たり、流されたかのように虚空を泳いだ。つまりは威力をすっかり無駄にされてしまったのである。
「おめさ、なにか知らねが……クマを倒してオラまで倒そうってのけ? 欲張りにもほどがあんらろ!?」
「興味深い人間だ……しかし、思考に問題が憂慮される。ここは少女の無事を優先するべきであろう……」
「なぁぁにさッ、ごちゃごちゃ言ってんだべやぁぁあぁ!!!」
丸太の一本が振り回されているかのような迫力、風圧がある。振り回されるパウロの両腕が当たれば人間などひとたまりもなく吹き飛ぶはずだ。普通は掠っただけでも体勢が崩れて倒れるだろう。
そう、当たればだ。流されず、まともに触れることができたのならば……どうにかできるはず。そうでなければ効率の悪いうちわのようなものに過ぎない。
「……筋力に全てを委ねているな。振りの前後に緩みもなく、常に張っていて考慮が感じられない。呼吸の間には知識を感じるが……これらの動作は野生動物の突進に近いものである」
確かにごちゃごちゃ言っている。言いながらも白衣の男は身を逸らしたり屈めたり、腕を使って攻撃の方向を誘導したり、足先の位置によって距離を調節したり――と、複数の動作を連動させて危険なうちわのそよ風を堪能していた。
「くのっ、くのっ……くのぅっ!!」
「……すごい発熱だな。それでいて心拍、血中酸素飽和濃度共に適切値を維持できている。……生まれ持ってのものか? これは“戦う身体”が成長の過程で作られたものなのか……それとも?」
ハッキリ言って、まるで当たる気がしない。頑張ればいつか……と思うことも難しい。それほどに「パウロは必死」で「白衣の男は余裕」なのである。
肉体的な強さ――有り体に表現して数値として比較すればパウロが断然勝っているのであろう。だが、動作の練度で完全に実力が決定づけされてしまっている。
白衣の男は何か少年を褒めている節もあるが、それはつまりそれだけ余地をもって行動できている証左に他ならない。
実を言えばパウロだって身体的には余裕満点ではある。しかしそれは力強さの意味であって、ここからどれだけパワーを増しても当たることはないだろう。そしてパウロ自身もまた、次第にそのことを実感として覚え始めている。
(な、なんだぁ? オラは人間と喧嘩してんだ……なのに、なのに……なんか風とか水と戦っている気分さなるのは、なんでだ?? オラは何と戦ってんだ??)
「……腑に落ちない部分はある。しかし、割り切ることも必要だ。そうだな……ここらで倒そうか」
末尾の言葉「倒そうか」と発した時。パウロの脚は絹手袋の手によって掬われ、「ズデン!」と大柄な少年はうつぶせに倒れた。
「あ痛ッ!? な、なんか左腕がすんげ痛ぇっ!?」
土の味を知る暇も、自分がどのような体勢であるかを把握する間もなく。逆側に引っ張られている左肩と左肘に鋭い痛みが奔る。
「不審者よ、君の腕は危なすぎる……2度とこの腕で少女を襲うことのないよう、“人の痛み”というものを知り、体感療法として以後、思いを改めてもらいたい……」
うつぶせ状態のパウロを押さえつけ、左腕の関節を軋ませている白衣の男。観察し、分析するかのように無機質な瞳が骨の強度限界を測っている。
関節技を決められた経験などパウロにはない、初めてのことである。クマもキツネもオオカミも、こんな攻撃をしてきたことなどなかったからだ。抜け出し方など知るわけがない。
「あがががっ!! ど、どうなってんだ?? オ、オラの腕……が……ぐぬぬぬ!?」
少年はなんとか力んでみるが……力むほどに痛みが増していく。力と力の真っ向勝負はそこにない。あるのは技と技の練度比べである。そこに持ち込まれた時点でパウロに勝ち目など皆無だったのだ。
何かなければこのまま左腕を肘から折られるだろう。たとえ鋼のような太い骨だとしても、弱い部分に梃の力と作用に若干の力と体重を加えることでそれは容易く折れてしまう。
「申し訳ない。しかし、あの子や近くに“彼女”がいる以上、君のような不審者を野放しにしておくわけにはいかな――」
そう、折られていたはずだ。ここで“何者か”が介入しなければ……。
“ スパァンっ! ”
「――――えっ?」
「……それ以上は、お止めになってくださいな?」
「・・・えっ???」
まったく解らないでいる。白衣の男は何故、自分の頬がヒリヒリと痛むのか解らず、またどうして隣に立っている少女が靴を手に持っているのかも解らない。
立てた襟で口元を隠しているので表情がハッキリとしているわけではない。だが、この時白衣の男が“呆然として口を開いていたのであろう”ことは予想がつく。
落ち着いて靴を履き直してから。少女アルフィースはワンピースの裾を少し上げ、軽いお辞儀をした。そこには謝意が込められていたらしいが……同時に別の感情がその瞳に宿されている。
「先ほどはクマさん――いえ、獣の脅威から助けてくださりまして……まずはそのことに感謝をさせてください。
しかし、それはそれとして――――この無礼者めッ!! それは私のものです、私の許可なく壊すことは許されませんわ!!!」
「・・・・・え。」
「フゥ、フゥ! ……解って、いただけましたか?」
少女は震えている。気丈に顔を上げ、大男を取り押さえている人を睨み付けながらも……その身体は怯えを隠せていなかった。
「・・・・・。」
白衣の男は――しばらく言葉を失っていた。それは不意に頬を引っぱたかれたからでもある。
しかし、何より――
少女の“決意”した表情があまりに凛としていたので、圧倒に近い魅了を受けていたのである。気が付くと彼は不審者の腕を放し、その背中から降りていた。
そして這いつくばって「うぬぬ」と呻いている少年と、震えながらも睨んでいる少女を交互に見て判断する。
「……どうやらワタシは事実の取り違えを行ったようだ。少女よ、許してはくれないか? 幸いにして彼の腕は無事のままだ……」
真摯に謝ってはいるのだろうが……その無機質な瞳孔に真っすぐ見据えられた少女は怖気づき、息を呑んだ。
「わわ、解ればいいのです・・・・・まぁ、先に殴りかかったのはパウロですし?」
「およ、手が自由さなった……一体ぇなにがどうなってんだ???」
パウロはすっくりと起き上がって不思議そうに自分の左腕を眺めている。のしかかられて自分が何をされていたのか……何も理解ができていない。
清浄なる飛沫の舞う泉のほとり。少年少女……それに白衣の男。3人がそれぞれ別々な感情を抱いてその場にある。
そこに「ガサガサ」と。森の茂みが“何か”によって掻き分けられた。
「ヒっ!? く、クマさん……!?」
反射的にアルフィースが振り返る。
すっかりクマの恐怖が染み込んでしまったアルフィースだが、その心配は杞憂である。
茂みの枝に引っかかりながら「ステン!」と姿を現したのは獣……ではなく、“女性”。
「えへへ」と照れくさそうに転倒を誤魔化す女性。彼女は何やら重そうな金属の箱をズリズリと引きずりながら、非常にゆっくりとした亀のような速度で3人の方へと向かってくる。
その様子を確認した白衣の男は「……しまった、申し訳ない」とくぐもった声で零した。
ゆっくりと歩く女性は「ムスッ」と頬を膨らませた。
「んもぅ、困りますぅ。センセイったら、大事な道具も放って走り出しちゃうんだから……」
フワフワとした飾りのある、エプロン備えのような衣類。長めのカチューシャを揺らしながら、女性は改めて「ステン!」と転んだ。
転んだ有様に慌てて駆け寄る白衣の男。彼は女性が1ミリも持ち上げられずに引きずっていた金属の箱を片手で持ち上げ、軽々と肩に担いだ。
なんとも重厚な箱だ。ガチャガチャと中身の音が零れ聞こえるそれには何が入っているのだろうか? 縦長のそれは遠目に棺のように見えなくもない。
「――――何者なの、この人達?」
少女アルフィースは白衣の男に怪しさを感じている。
彼に助けてもらった恩と自分の下僕を壊そうとしたことへの不安……そうした相反する感情が少女の感情を揺るがせている。
果たして。この森の中で出会った|男と女|は一体……。
「…………あん人、強ぇんだな。オラはさっき、何をされたんら?」
一方、ぽけ~~っとして2人を眺めているパウロ少年。彼はこの時、ぼ~~っとしながらも感じるものはあった。
それは、己の拳に対する“疑念”である――――。
第16話 「ワタシはモンスターなのです(3)」 END




