能登汀の過去
能登汀の悲しい幼少時代。
そして、彼の病名が明らかになる。
反復性過眠症。
どこかの、もう顔も覚えていない医者が僕に告げた僕の病名だ。
僕の両親は昔から仲が悪かった。元々父親は単身赴任で、家を空けていることがほとんどであったが、母はそれに耐えられなくなり、父親を責めるようになった。
そして、僕が六歳の時に、離婚を決断した。僕は、思ったよりも遅かったなと思っただけだった。二人を近くで見ていれば、別れることは六歳の子どもでもわかる。
ただ、そこからが予想外だったんだ。
両親は今度は、どちらが僕を引き取るかで揉めだした。どちらも、自分の仕事だけが生きがいのような人間だったので、僕がいると邪魔だったんだろう。互いに僕を押し付けあった。僕は、きっと父は僕を引き取りたがらないだろうと思っていた。父親らしい事なんてほとんどしたことが無いような男だ。それは目に見えていた。
しかし、僕は母が自分を拒むとは考えていなかった。きっと母は自分を何も言わず僕を引き取ってくれるだろうと思っていた。しかし、母までもが僕を拒んだ。
それを見かねた伯母が、僕を引き取ってくれた。
両親は邪魔なお荷物が無くなったのをいい事に、仕事に熱中したらしい。
きっと今も幸せに生きているんだろう。僕はあれから連絡をとってはいない。
丁度伯母の家に引き取られた頃だった。僕は、ときどき強い、抗えないほどの眠気に襲われるようになった。強い眠気は約一週間に渡り続いた。僕はその間何もできなくなる。時々起きて、少し食事をしたり、排泄をしたりはするが、一時間も起きていられなかった。伯母は僕を心配し、まず小児科に連れて行った。そこでは異常無しと診断されたが、僕の症状は改善せず、登校も難しいほどになったため、その小児科医に睡眠障害全般を専門として扱う県外の医科大学への紹介状を書いてもらい診察を受けた。そこで、僕は反復性過眠症だと判明した。
その専門医によると、非常に症例の少ない疾患であり、正確な発症理由や改善法は不明らしい。(現時点では、間脳視床下部の機能に異常がある、という説が濃厚である。)
強い眠気に襲われる傾眠期が三日から三週間ほど続く。(僕の場合は一週間ほどだ。)その間はほとんど何もできなくなる。
その専門医は、僕の症状は、両親から見捨てられた精神的なショックのせいだろうと考え、定期的に治療・観察を行うために、伯母の家から比較的近くにある精神科病院への紹介状を書いてくれた。僕が八歳の時の事だ。
それが僕の人生の転機であった。
そこで僕は千代薫子に出会ってしまった。
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