エピローグ
秋晴れのある日。
二人の新しくて変わらない日常。
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あれだけで死ぬなんて、人はなんて脆いんだろう。
僕もここから落ちたら死ぬのかな。
そしたら彼女のところへいけるかな。
それだけで全部終わるなら、なんて簡単なリセットボタンだろう。
それで来世にバトンタッチできるなら、なんて都合の良いリセットボタンだろう。
人生とは不当なものだと誰かが言った。
その通りだ。
彼女が死んだのに、僕が生きているなんて。
どこまでも不当だ。
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僕、もとい能登汀は携帯端末の電源ボタンを押して眩しい画面を閉じた。
ある小説投稿サイトに高校時代に投稿していた小説を久しぶりに読み返していたのだ。
今読んでいたシーンは、主人公が思いを寄せていた女子生徒の自殺を知ったという場面である。そして、その投稿以来七年間、その小説は更新されないまま「連載中」となっている。
最後の投稿であるこの回は、武富湯澤が自殺した日の数日後に投稿されていた。
高校時代の僕の感情をそのまま主人公に当てて書いたその小説は、当時の僕の心境を良く表していた。
「お前、昼飯食わねーの?」
大東哲司に声を掛けられ、僕は首だけ彼のほうへ向けた。
今は会社の昼休み。大東さんはコンビニ弁当をかき込んでいる。
「今から買いに行きます」
僕の反復性過眠症はあれから回復の兆しを見せている。ときどき、くらっと強い眠気に襲われるが、新しい病院で処方された薬に頼れば、通常の仕事はできるまでに回復した。そのため、今も同じ会社の同じ部署で働いている。
「食わねーと死ぬぞ。ただでさえ細いんだから」
そう言って、大東さんはパックの緑茶を飲んだ。
千代先生の自殺を知った時、大東さんはひどく悲しんだ。でも、僕に詳しく訊いてはこなかった。僕はそれが嬉しかった。
千代先生の自殺はちょっとしたニュースになったが、すぐに治まった。千代精神科病院は今は名前の違う精神化病院になっている。やはり僕は事情徴収を受けたが、先生はきっちり遺書を用意していてくれたので、事情徴収は一回で済んだ。
葬儀は行われなかった。千代先生が遺書にそう書いたからだ。
遺体はとっくに骨となり、今は千代家の墓の下に眠っている。一度、彼岸に薫子と墓参りをしにいった。立派な墓だった。
ガーネットのピアスは、二つとも骨壷に入れた。あちらの世界でも一緒にいられるように。
僕は昼飯を買おうと、財布と携帯だけ持って席を立った。
会社を出る間際、誰かに声を掛けられた。
「よう能登。昼飯?」
木森直人だ。
彼は、僕の傾眠期の期間中の仕事の5割を受け持つと言っていたが、僕が事情徴収やら火葬の手続きの手伝いやらをしている間に、7割ほどの仕事を片付けられてしまった。
昨今も安定した王道主人公ぶりである。
僕のような人間と一緒に過ごせるなんて、こいつもかなりの変わり者だ。
「うん、コンビニ」
「ああ、もう結構寒いぞ、外」
木森と別れ、会社を出ると確かに風が冷たかった。
そういえば、昨日の帰りに見かけた帰宅中の学生達は、もう冬服を着ていた。セーラー服を見て、不覚にも僕は湯澤を思い出した。
もう僕はあの夕焼けの教室に行くことができない。それでいいのだ。あの場所は開かれるべきではない。
でも傾眠期をなんの夢も見ずに終えるたび、やっぱり会えなかった、と天井を仰いだまま涙を流した。
湯澤はやっとあの教室から解放されて、安らかに眠れたと言うのに、僕はやっぱり会いたいなんて思ってしまう。愚かだとわかっていても、人間の気持ちというのはすぐには消えてくれないらしい。
湯澤には結局伝えられなかったことが多すぎた。
一度だけ、と願ったが、この世界はそんな弱さには厳しいようで。結局神様(か誰か)のお許しは出ないまま、秋になった。
身震いをしながら、コンビニを目指し歩いていく。
街路樹の葉が寒さに呼応して、いい色をつくりだしている。
風がその葉を撫で、カサカサと乾いた音がする。もうそれは夏の音ではなくて、なんだか少し切なさを感じた。
「汀?」
と、後ろから声がした。
誰だかわかった。
僕は振り向いた。
輪郭のぼやけた世界がいっきに鮮明になった。
彼女は、やっぱり、と呟いた。
どうやら彼女も昼休みらしい。この辺一体は飲食店が多いので、昼時は人が多く集まるのだ。
「薫子も昼ごはん?」
僕が聞いた。
「うん、一緒に食べない?丁度、そこのカフェに行こうと思ってたの」
コンビニの予定だったが、まあいいか。少々値はかさばるが、偶然に会えたこの確立は大事にしないと。
「いいよ、いこう」
僕らは並んで同じ方向へ歩き出した。
最近は互いに忙しく、週末にも会えないことが多かった。
特に前々から予定して会うようなことはしたことがない。ただ、会いたくなったら、寂しくなったら、電話をする。会えるときには会ったりする。メールは相手を感じられないので使用しなかった。
そんな不安定な関係で、今は安定している。
だから、湯澤。僕は、僕らは生きていくよ。君が教えてくれた僕らの罪を、これからも抱えて生きていくよ。
見上げると、青い空は夏の頃よりも高く、広く感じた。その空を、秋らしいうろこ雲が飾り付ける。いや、あれはうろこ雲ではなくていわし雲だっただろうか?
薫子なら知っているかと思い、話しかけようとすると、先に話しかけられた。
「ねえ汀、あの雲、なんていう名前だったっけ?」
ああ、やっぱり、同じ事考えてたのか。
僕はなんだかそれが可笑しくて笑った。
「汀、知ってる?」
「いや、僕もわからないな」
僕らはそのまま、雲の形について議論した。あれはうろこというよりも綿だ、いや、綿というより小麦粉だ。
やはり僕らの意見は合うことがない。
だからこそ、彼女と僕なんだ。
結局雲の名前は決まらず、僕の「ふるいをかける前の薄力粉」と薫子の「ぬいぐるみの中身」で決着がつかないまま、カフェについてしまった。
カフェの古びた木製のドアを僕が開け、薫子が入るのを待っていると、薫子は店の前に立ったままで入ろうとしなかった。
「汀」
名前を呼ばれたので、僕は開けていたドアを静かに閉めて、店の前に立って下を向いている薫子の近くに行った。
「なに?」
言い終える前に、彼女は僕の胸に何かを押し付けてきた。かなり強い力だったので、慌てて両手でそれを受け取る。それは木の小箱だった。艶のある赤っぽい色をしていて、金色の留め金にも細かい細工がしてある。
「薫子、これ、なに…?」
「開けて」
なんだか彼女らしくも無い。どこか動揺した声だった。
僕は言われたとおり、留め金をはずして木箱を開いた。
すると、中からかわいらしい音楽が流れた。オルゴールだ。
小箱の中ではガラス細工の小さな妖精が、左手に小さな宝石を掲げてくるくると回っている。
「綺麗だね」
率直な感想だった。開いてみたが、これがオルゴールだという事しかわからない。
薫子はまだ何も言ってくれないまま僕の手元を見ているので、僕はどうでもいい質問をした。
「この、妖精が持ってる石、なんていう石なの?」
ガラス細工の妖精の手にあったのは、虹色に輝く白っぽい色をした綺麗な石だった。
「それ、オパールだよ」
オパール、石の名前だろう。あいにく僕は石の名前には常識程度の知識しかないので、それ以上はわからない。
意味が解らないままオルゴールを見ていると、薫子は痺れを切らしたように教えてくれた。
「オパールは、十月の誕生石」
そこでやっと、気付いた。そうか。彼女がくれたこれは、僕への誕生日プレゼントだったのだ。
それでもやっぱり信じられなかった。なぜなら、僕らは互いの誕生日を祝った事がなかったからだ。
十四年前から、一度も。
「はじめてこんなこと言うけど、誕生日おめでとう。生まれてくれて、私を生かしてくれて、ありがとう」
薫子は僕の目を見て、言った。緊張していたのか、声が少し震えていた。
薫子らしくない、人間らしい声だった。
「ありがとう」
その言葉しか出てこなかった。純粋に、それが嬉しかった。この感情もなんだか人間くさいなと思った。
僕はオルゴールを閉じて、薫子の右手をとった。薫子は抵抗しなかった。
体温を感じる。血が巡っている。生きている。僕を認識している。
もう僕は透明人間じゃないんだな。
君は僕を見てくれるんだ。僕も君を見ることができるんだ。
僕は彼女の手を離した。
「嬉しいよ」
僕が笑いかけると、薫子はそれまでに緊張していたのが嘘のように、赤ん坊のような無邪気な笑顔で返した。
ただの小さな人間のはずなのに、それはやはり太陽のように僕を照らす。
僕はそれを見て、心が締め付けられるのを感じた。
僕らは今、秋の風を感じながら誕生日を祝って笑いあっている。
ああ、なんて罪深い。
僕も薫子も、十分自覚した上だ。
「ところで汀」
薫子は僕の手の中のオルゴールの蓋を再び開け、中のガラスの妖精を指した。
「この妖精は、何をしていると思う?私は、石を日の光に透かして見ていると思うけど」
「僕はそうは思わないな。きっとこの妖精は、誰かに石を捧げているんだよ」
僕らの議論は、終わらない。
最高刑なんにしようか・完
airfishです。「最高刑なんにしようか」、今号にて完結致しました。
ここまで続けてこれたのは、読んで下さった方、ご感想を下さった方、評価をつけてくださった方のおかげです。本当にありがとうございました。
最終話ということで、私のことを少し書かせていただきます。
小説を投稿したのは今作が初めてで、なんの予備知識も無く始めたので、最初は話の進め方、見せ方が解らずに苦労しました。それから、他の作者様の作品を読んだりして勉強しました。
元々小説が好きで、自分も書いてみたいと思ったのですが、やはり自分で書くというのは難しいものですね。プロの方々の凄さを身にしみて感じました。
話の構想のヒントをよくもらったのは、何故か高校の化学の授業でした。化学はこの世界のそもそもを学びます。だからなのか、人間にも通ずるところが多いようで。0になりたがる性質や、足りない物が求め合う結合なんかは、もろに人間関係に直結しているように感じます。
特に、共有結合は私の中では汀と薫子の関係でした。(23部目の湯澤のセリフでもありましたが)
共有結合とは、簡単に言うと非金属元素と非金属元素が互いの足りない分の電子を共有しあう、という結合です。足りない分をお互いで埋める、なんだかあの二人のように思えてきませんか?
そう思うと、化学の授業もいくらか聞きがいがあります(笑)
そんな風に練られてきたこのお話は、私の理想がたっぷりつまっています。汀と薫子は、私の理想です。自分から断罪を求めるというのは、なかなか難しい事。ほとんどの人が、罪から逃げます。私もその一人でしょう。
でも、この物語の登場人物は、逃げないんです。罪に向き合い自分を責めてしまう、優しすぎる人が集まった物語でした。こんな人がいれば、とよく思います。これは、私の理想とする人物像だったのです。
話は変わりまして、今作について。作中では書けなかったこと等を書いてきます。
今作に繰り返し出てきた表現として、夕焼けが挙げられます。
最初の方から読んでくださっている方はおわかりだと思いますが、私はこの表現をよく使用していました。夢の世界だったり、湯澤の自殺シーンだったり、汀と薫子の再会シーンも夕焼けでした。
夏の、それも夏の終わりの夕焼け、というのはなんだか悲しいものがあります。(と、感じるのは私だけでしょうか)
もちろん、秋冬の夕焼けの方が空が高くて綺麗に見えるんですが、夏の終わりの夕焼けというのも、また味がありますよね。
そして、夕日の作る影が時間の経過を表すように伸びていく。この悲しい感じが、この物語にはぴったりなんじゃないかな、と思いいろんなシーンにあてました。
エピローグを書くにあたり、一度自分の作品を読み返してみたのですが、なんとも登場人物の少ないお話でした。ほとんどが、汀、薫子、湯澤の三人で展開していくような物語で、殺人犯がいるでもなく、甘酸っぱい恋愛があるでもなく、ただただ彼らの生き方をつづった物語です。こんな単調な物語でしたが、私はこういうものを書くのが好きです。
次回作もただいま構想中です。今作より変化のあるお話にしていきたいと思います。構想が出来次第、またこのサイトに投稿していくつもりです。よろしければ、是非。
まだまだ未熟者ですが、これからも日々精進していきます。
さて、「最高刑なんにしようか」、いかがでしたでしょうか?
私としては、この作品が読者様の記憶に少しでも残ってくれれば幸いです。
最後に、この小説を読んで下さった全ての方に感謝します。あなたのおかげで、この物語は完結できました。
またお会いしましょう。
追伸
エピローグで汀と薫子が議論していたあの雲は、「巻層雲」という雲で、秋を代表するまばら状の美しい雲です。「うろこ雲」、「いわし雲」、また「さば雲」、なんて呼ばれたりします。
決して、薄力粉雲などという名前ではありません。




