僕らの最高刑
汀と薫子の最高刑とは。
朦朧とする意識の中で、僕は瞼を開いた。
仰向けに倒れているようで、目の前には星空が広がっている。
吸い込まれそうになるほど広くて深い空を見て、この先に湯澤はいるのかな、なんて思った。
僕は冷たいコンクリから頭を上げ、あたりを見渡した。
屋上からあの燃えるような赤い光は消え去っていた。月明かりが優しい影を造りだし、先ほどとは違う世界にいるようだった。
ふと、フェンスの傍に座り込んで下を眺めている人影を見つけた。長い髪と白いワンピースが夜風になでられ曲線を描いている。
薫子だ。
僕はゆっくり立ち上がった。少し眩暈がした。
そのままフェンスのところまで歩いて行く。
近くまで行っても薫子は気付いていないようなので、一度優しく肩を叩いた。
薫子が振り向き、僕の顔を見て安心したように笑った。
「おはよう、汀」
いつもと同じ挨拶。今が何時かはわからないが、僕も同じように返す。
「おはよう。ごめん、僕どれくらいあっちに行ってた?」
「10時間くらい、思ったより早かった」
「ずっとここに?」
「うん、室外機の陰に隠れてたら誰にも見つからなかったよ。学校の警備って意外と甘いんだね」
薫子はまたフェンスの外に目を向けた。
僕も彼女の隣に同じように座り、フェンスの外を見た。
下を見下ろすと、月明かりの当たらない建物の斜面は殊更に黒く見え、違う世界に繋がっているようだった。
ここから飛び降りていなくなった湯澤。あの情景は、やはり今も忘れられない。薫子もきっと同じだろう。
「湯澤に会ったよ」
僕は目線を前に向けたまま、話しかけた。
「湯澤、なんて言ってた?」
薫子も、目線を前に向けたまま返した。
僕はできるだけ鮮明に、夢の世界での出来事を薫子に伝えた。そして、千代和富、否、彼女の父親の自殺とその過去の事も。
千代先生のことを薫子に伝えるのは心苦しい事だった。彼女は自分を通して母を愛していた父親に気付いていたが、そんな父親でさえも愛していたからだ。
僕の知っている全てを告げると、薫子はやっとこちらを向いた。僕も彼女のほうを見た。
その瞳は濡れておらず、凛とした光を放っていた。
「私達は、大罪人だね。湯澤も、父さんも、巻き込んでしまった」
「うん、そうだね。僕らは罪を償う事も許されない大罪人らしい」
一生、優しい罪に縛られて生きる。罪を償えなくとも、それでも生きる。僕らにはそれ以外の道は無い。
僕らの最高刑は、最高刑を受けないことだ。
きっと薫子も、それをわかっている。
薫子の周りには昔から人が少なかった。澄みすぎた水には魚はすめないから。
僕の周りにも昔から人が少なかった。にごりすぎた水にも魚はすめないから。
僕らは無理やり互いを中和させて、周りに人をつくろうとした。
互いに依存しあう事で生きていこうとした。
湯澤はそれが罪であると教えてくれた。それが罪だというのなら、もう僕らは依存しあうべきではない。
周りに人をつくる必要もない。
だって僕らは二人になれたから。
僕には君がいるから。
これからは、罪も償えない大罪人として、この世界を君と生きていくんだ。
その感情は、恋愛感情と呼ばれるものとはほど遠いものだ。そもそも恋愛感情がどのようなものかを僕は知らないが、きっと僕が湯澤に対して抱いたそれに近いモノだろうと、勝手に想像している。
薫子は、僕が生きるのに不可欠な存在で、いつでも僕の世界を明るくしてくれる。
僕が薫子に抱いていた畏怖は、人類が偉大なる太陽に抱くそれと同じであるという湯澤の言葉の意味が、やっとわかった。
薫子が近づく事も遠ざかる事も無くこの世界に生きているのなら、僕は生きていける。
二人の人間として、生きていける。
それが僕の答えだ。
僕は立ち上がって、フェンスに手を掛けた。
頬をなでる夜風が心地よい。
「二人で生きていこう。僕はずっと薫子の傍にいるから、もう死ぬなんて、言わないで」
薫子に語りかけた。薫子も僕を見上げ、応えた。
「わかった。私も、汀の傍にいる」
薫子も僕の隣に立った。
その時、僕らを白い光が包んだ。
夢の世界が復活したのかと思ったが、それはただの朝日だった。
朝焼けは徐々に夜の闇をぬぐい、力強い光と影を造りだす。
「なんだか、違う世界みたいだ」
薫子が言った。
「僕も同じこと思った」
僕が言った。
airfishです。読んで下さった方ありがとうございます。
予定ですが、次がエピローグになります。
やっとここまでこれた…という感じです。
ご評価くださった方や感想を送ってくださった方、読んでくださっている方、
どうか最後まで見届けてやってください。
よろしくお願いします。




