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最高刑なんにしようか  作者: airfish
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懺悔

赤い光が差し込む院長室で、湯澤(ゆざわ)の死の真実が明かされる。

そして、彼の最高刑は。

波は容赦なく僕の体をさらっていった。

能登汀(のとみぎわ)は目の前にいる男の言った事が信じられずに、ただ自分の記憶を欺こうとしていた。

千代(せんだい)先生が、湯澤(ゆざわ)の自殺を示唆した?

何を。そんなの嘘に決まってる。そもそも先生と湯澤が繋がっていたなんて…。

「先生、何を…?」

きっと、先生は僕をからかっている。そうでなければ僕の聞き違いだ。

「今言ったとおりだよ。私は武富(たけとみ)湯澤の自殺を示唆した」

冗談を言っているような口調ではない。

先生はベルベットの小箱を持って立ち上がった。そして、汀が部屋に入った時と同じように小窓から外を見た。

「どうして…?」

声がかすれていた。激しくなる動悸を抑えようと、こぶしで左胸をこすったが無意味だった。

「私の妻の事を、君はどれだけ知っているかな?」

その声は、いつも汀や患者に掛ける優しい声とはあまりにも違ったので、自分以外の誰かと話しているのかと錯覚した。

「…薫子(かおるこ)が4歳の時、癌でなくなったと薫子に聞きました」

僕が先生の妻について知っている事なんてそれくらいだ。

「その通りだよ。胃癌だった」

先生の表情から、感情は読み取れなかった。

「私は心から妻を愛していた。出会えた時に、この世界の存在意義を見つけた。彼女がいるなら、自分はこの世界に一生絶望しないだろうと思ったよ。君ならわかるだろう?汀君」

先生が誰の事を言っているかは知らないが、確かにそれは僕が薫子に抱く感情と少し似ていた。

先生は僕の返事を待たずに話し続けた。

「しかし、彼女は死んだ。この世界から消えた。この世界はもう存在する意味もなくなったと私は思った。だが、彼女は一つ、忘れ形見を残していった」

先生の表情を見て、僕は背筋に寒気が走るのを感じた。気付いてしまった。

「薫子だよ。あの子は柘榴(ざくろ)にとてもよく似ている。あの子は柘榴がこの世界に生きた証であり、生まれ変わりだ。薫子がいることで、私はまだこの世界に生きる事ができた。私は、柘榴の小さな分身を、柘榴と同じように愛で、育てた」

ぞっとした。娘を、妻の分身として愛する、なんて…。

千代先生は汀を見ないまま、小箱を開けてガーネットのピアスを取り出した。

「このピアスもそうだ。元々柘榴がいつもつけていたもので、彼女の誕生石がトップに使われている。このピアスは、私の中で柘榴の象徴のようなものだ。だから薫子には、いつもつけるように言っていた。あの子は聡い子だから、きっと父親が自分を母に重ねて愛していると気付いていただろうね」

「じゃああなたは、薫子を愛していなかった?」怒りがこみ上げてきた。

「もちろん愛していたさ。柘榴を通しての愛であったとしても、愛していることに変わりは無い」

先生が小窓から目を離しこちらを向いたので僕もソファから立ち上がった。

「しかし、その愛するべき分身の薫子までもいなくなれば、私は生きる事ができない。彼女はとても頑丈なように見えて非常に脆い。薫子には、柘榴にとっての私のように、支える土台となる誰かが必要だった」

先生は僕の目を見た。

「君だよ。汀君。君が初めてこの病院に来た時から、運命は決まっていたんだ。君と最初に話す以前に、薫子とまともに話せた子なんていなかった。どの子も畏怖を抱いて薫子を遠ざけたよ。しかし君は違った。初めて薫子を受け入れた。あの日診察を終えて、薫子から君の話を聞いたとき、薫子を支えるのは君だと確信した。私の思惑通り、君達はすぐに惹かれあった」

背筋の寒気はまだ消えてくれなかった。それどころか、どんどん首筋に向かって上ってくる。

「しかし、時がたつにつれ君は薫子といることを望まなくなっていった。丁度君達が同じ高校に入った頃からだね。完全で、赤ん坊のように無邪気な彼女の隣にいることに耐えられなくなったんだろう。このままでは二人は離れてしまう。既に当時薫子は、支えである君がいなければ生きる事もできないほどに君に依存していた。君ももちろん、拒絶の中で薫子に依存していた。自覚していただろう?君達は互いに、離れては生きられない運命なんだ。しかし君は、それに気付かずに薫子から離れようとした。だから、私は君達二人の数少ない共通の友人を利用した」

骨格にはめ込まれた心臓が飛び出そうとするようにもがいている。冷房が効いているはずなのに、首筋に冷や汗がつたう。

「もうわかるね。武富湯澤だ。彼女が初めてこの病院に診察に来たのは、君達が高校一年生のころだった。彼女は自己肯定感が非常に低い子で、自分が必要とされているという実感がなければ生きる事ができなかった。近年よく見られる症状だ。私はそれを利用した。私は彼女に、君達二人に近づくように言った。それが私の役に立つ(・・・・)ことになる、と言うと、彼女はすぐにそれを実行した」

どうやら声はどこかに行ってしまったようで、空洞になった喉からはただ細い息しか出てこない。

頭の奥で、夕闇の教室が広がる。湯澤…。

「武富湯澤の人望もあって、君達はすぐに打ち解けた。君達二人を受け入れる初めての友人というだけあって、彼女の存在はすぐに君達にとって大きなものとなった。全て私の計画通りだったよ」

理解してしまいたくない。その事実は…。解ってしまえば、僕は、薫子は、湯澤は……。

「そして、君達が高校二年生になった夏、私は武富湯澤に自殺を示唆した。「君の自殺は私だけでなく、汀君や薫子を助ける事になる」とほのめかすと、彼女は何も疑わずに自殺したよ。これで、君達二人は罪の意識により離れる事はできなくなった。これで薫子はこの世界に存在できる。そう思ったんだ」

脳は情報の受け入れを拒否するかのように、理解を遅らせる。

「どう…して」

か細い声を絞り出して、荒ぶる呼吸をどうにか正常に戻そうとした。信じられない。

先生が、ずっと慕っていた千代先生が、湯澤を自殺させたなんて。

そしてその原因は、僕が薫子から逃げようとしたから、なんて。

僕の…僕のせいだった?

「しかし、誤算だった。薫子は武富湯澤が死んだ事を自身の最高の罪であるとみなし最高刑を執行しようとした。否、死だ。最近、つまり、汀君の傾眠期が狂いだした頃から、薫子はそれを強く望むようになった。薫子が死んでしまってはこの計画は元も子もない。私は再び武富湯澤と交渉した」

「湯澤と…?」

声が出にくかったはずなのに、それを聞いた瞬間に喉が開いた。湯澤と先生は、今でも繋がっているというのか?

「汀君、君は傾眠期のときに、武富湯澤に会えるのだろう?私も同じさ。私が眠れば、彼女の機嫌しだいで私をあの教室に招いてくれる。彼女が自殺した後から、私たちは君と同じように、ずっと繋がっていた」

吐き気がした。湯澤が、自殺を迫った人物とまだ関わりを持っていたなんて。

「死のうとする薫子を止めるには、やはり君の力が必要だったよ。だから、生前に彼女から預かっておいたあの手紙を、君の同僚君を通じて届けた。素直ないい子だったよ。彼は言われたとおりに仕事をこなしてくれた」

そう言うと先生は、院長室の奥に置かれている、古びた金庫のダイアルを慣れた手つきで回し、その中から僕が受け取った物と同じような便箋を一枚とりだした。先生が手招きをしたので、僕は砂袋のように思い両足を意識的に前へ動かした。その空間で、僕に拒否権はないように思えた。

僕が近くに行くと、先生はその便箋を僕に手渡した。手が震えているのを悟られたくなかったので、僕はできるだけ素早くそれを受け取った。

そして、それを読んだ。その端麗な字を見て、僕はまた心臓が締め付けられるような感覚を味わった。


千代先生へ

私がいなくなった後、薫子は自分を責めて死のうとするだろうから、汀にはそれを止めてもらわないと。

だからこの手紙を先生に預けます。

もし薫子が本当に死のうとしたら、これを汀に届けてください。

きっと汀だったら止めてくれるから。

         湯澤


便箋を握る手の震えを隠すことはもう難しかった。便箋も僕の冷え切った指に連動して震えていた。

どうにも形容しがたい感情だった。嬉しさもあったし、怒りもあった。

湯澤が自分を頼ってくれた事は素直に嬉しかった。でもそれ以上に、自分を自殺に追い込んだ人間をここまで信じる事ができる湯澤の優しさを哀れに思い、千代先生のことを憎く思った。

便箋から目を離さない僕を見て、先生は少し笑った。それまで、この人物の笑みは僕を落ち着かせてくれるものだったが、今となっては憎しみしか湧いてこなかった。その存在が、笑みが、憎くて堪らない。

「武富湯澤は、自分が死ぬ事で薫子が最高刑を求めるだろうとわかっていたらしい。やはり賢い子だった。あの手紙を見れば、生前に武富湯澤がいつも言っていた事、「薫子を死なせてはならない」という事を、君が思い出してくれると思ったんだ。生前の彼女に固執している君なら、あの手紙に受ける影響は強いものだったろう?」

先生は笑ったままだった。

憎い、憎い、憎い、憎い…。この男が、湯澤を殺した。湯澤を―

自分が何をしたかに気付いた頃には、既に先生のシャツの襟をつかみ上げていた。凍り付いていた体は一気に熱くなって、息がはずんでいた。

「なんで…」

喉が開いた。

「なんで!あなたが!」

叫んでいた。悲しかった。こんなにも慕っていた人が、湯澤を殺したなんて。

先生は笑っていた。あきらめたような笑みだった。それは夢の世界での湯澤の笑顔に何か似たものがあった。先生は僕の腕を優しくつかんだ。

「汀君、ありがとう。怒ってくれる事に感謝するよ。君は本当によくやってくれた。君のおかげで、今日まで薫子は生きる事ができた」

その言葉に、僕は違和感を覚えた。

「今日まで…?」

そんなわけがない。そんなことがあっていいわけがない。

「そうさ」

先生の表情は変わらない。そんなわけが…。だって薫子は、世界の軸だ。無くなるはずが…。

その時、僕の腕をつかんでいた先生の力が強くなった。握る、というより、しがみつくような強さだ。

「もう遅い…。何もかも遅い。私は薫子が強く死を望むようになったのを見かね、あのピアスを届け、君にここへ来てもらおうとした。あのピアスを薫子が大切にしていたのを君は知っていただろうから、すぐに来てくれるだろうと思ってね。そして君は思惑通りにすぐに来てくれた」

僕は驚いた。先生が取り乱すところなど見たことが無かった。想像もできなかった。

「しかし、薫子の意思はもう決まった。薫子は今朝、あの高校へ向かった。君たちが通っていた高校だ。そこで自殺する気だ。もう遅いんだ!」

「自殺…?」

違う、薫子がこの世界から消えるはずが無い。嘘だ。嘘だ。

「こんな時に嘘なんかつかないよ」

先生は僕の思考を読んだかのように答えた。

「…止めたんですか」

僕の声は、何か爆発しそうなものを押さえつけるかのように、震えていた。

今日はリーマス錠を飲んでいないせいか、いつものように感情を隠せない。

「止めたところで、あの子が考えを変えるわけが無い。力ずくで止めようと、それはもう私の愛した彼女ではない。今から薫子を追いかけても無駄だよ。ずっと前から彼女の意思は決まっていたのさ。きっともうすぐ、薫子はあの学校につき、武富湯澤と同じ死を迎える。彼女は自身の最高刑を執行するんだ」

違う。こんなの、違う。

「ふざけるなよ!あんたの罪はどうなる?!罪から逃れて、どこまで逃げるんだ!」

叫んでいた。そしてその自分の声は、なんだか自身にも向けられているように感じた。

「汀君」なだめるような声だ。

「私は逃げも隠れもしない。これまでの罪を償わなければならない。最愛のわが子と同じ、最高刑を受けるつもりだ」

僕はすぐにはその意味を飲み込めなかった。先生はシャツの襟から、力の抜けた僕の腕をはずすと、先ほど便箋を取り出した開けっ放しの金庫の中を覗き込み、窓からの夕日に照らされ銀色に光る何かを取り出した。

ハサミ。自分の知るそれとは少し形状も大きさも違ったが、確かにそれは磨き上げられたハサミだ。

「これがなんだかわかるかな?」

先生はその銀色に光るハサミもどきの刃をなじみのある手つきですり合わせた。シュキン、と重厚感のある冷たい音を放った。

「これは医療用のハサミだよ。肉を裂いたり、皮を剥いだりするためのものだ」

彼はその凶器めいたハサミを首筋に当てた。丁度―頚動脈。

何をするかは思考の止まった僕の頭でも想像する事ができた。

「これが私の最高刑だ。最愛の娘を残し、死ぬ。これが私の、この上ない苦しみであり、償いだ」

先生はその凶器を、真っ直ぐに自分の首筋につきつけ、刺した。

すぐに首筋から噴水のように鮮血が吹き出し、院長室の低い天井を真っ赤に染めた。ガチャン、と重たい音がして、先生の手からハサミが落ちた。その銀色の輝きも、すぐにどす黒い赤で染められる。

僕の白いシャツもところどころ赤く染められる。僕は後ずさりした。人間の中にはこれほどの量の血液が入っていたのか、と思った。

先生の背の高いシルエットがぐらりと傾き、そのまま崩れるように倒れる。赤の噴水は、その人間の生きた証を残そうとするかのように、まだ必死で吹き出している。

先生はもう傷口を覆おうとはしなかった。叫びもしなかったし、助けも請わなかった。

「み…ぎわ、君」

先生の口が、僕の名前の形に歪んだ。僕は近づいた。噴水は、少しずつ枯れていっている。

「汀君」

はっきりと、僕の名を呼んだ。まだ目が見えているかは知らないが、僕が近づいた事に気付いたらしい。

なんだか変な感じだ。つい先ほどまで、殺してやりたいほど憎んでいたのに、自分から命を絶たれると、どこか悲しみのようなものを感じてしまう。

千代先生の口が動いた。かすれた声。でもしっかりと聞き取れた。

「汀君。私はもう、薫子を救う事はできない。きっともう、君にも、無理だろう。ただ、できるだけあの子を、この世界にとどめて、やってくれ」

僕は、承諾を伝える為に先生の右手を握った。ゴツゴツした大きな手は血にまみれていて、冷たく、重たい。感覚が残っているかは解らない。もうそれは無機物のように、動かない。

別に湯澤を殺した事を許したわけではない。許せることができる罪になら、最高刑なんて必要ないのだ。

僕はただ、先生が全てを話してくれたことへの感謝を伝える為に、その動かない手を握った。

ある意味、先生は僕と一番近い存在だったのかもしれない。

もう噴水は枯れ果て、院長室の床は血の海となっていた。先生の体には、もう血が一滴も残っていないんじゃないかと思った。

薫子と同じ、灰色の目の奥の何かが消え、生物だったそれはただの有機物の塊となった。

僕は千代先生の最後を見届け、ゆっくりと立ち上がった。

死体はそのままにしておく。自殺ならそれが当たり前だ。

それよりも、僕は行かなくてはならない所があった。

初めて彼女に、心から会いたいと思った。

薫子に、会いたい。

airfishです。読んで下さった方ありがとうございます。

投稿が遅くなって申し訳ありません。できるだけ間隔をあけないように投稿していきたいと思います。

引き続き投稿していくので、よろしくお願いします。

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