主人公に向いている友人と知らない男
主人公に向いている友人、木森の語る、手紙の送り主とは。
能登汀は、波打ち際という場所が嫌いであった。そもそも彼は、不安定なものを何よりも嫌うが、海というのは不安定の代名詞とも言える場所だった。
いつも同じような周期で、波が迫り、また帰る。でもときどき、空気の読めない波はいきなり迫ってきて、波打ち際ぎりぎり、丁度波に触れない所で安定していたつま先を、冷たい海水で濡らすのだ。
そこで、油断していた安定という名の至福は壊される。
丁度そんなところだ。湯澤が死んでからこれまで数年。波は立つものの、どうにか安定していた。
つま先の濡れない位置をちゃんと見定めてきた。
しかし、空気の読めない波というのはやってくる。
傾眠期の周期は狂い、薫子は死ぬと言い出し、挙句の果てに、死人からの手紙が届き、しかもその送り主が誰かを会社の同僚が知っていると言い出すなんて。
収集がつかない。どこかへ逃げてしまいたい。でも逃げ場なんて用意されていない。目の前にあるのは、ただただ不安定に広がる海だけだった。
その、送り主を知っていると言った同僚、木森に、つい先ほど大至急話がしたいと言われたばかりで、碌に用意もせず、来ていた仕事用のシャツのまま家を出たところだ。
なんとか駅前まで行く一番本数の多いバスに乗り込む。
目的のバス停で下車し、指定されたファミレスに入り、すかさず「何名様ですか?」と訊いて来る若い店員に、「連れが中にいます」とだけ言って店内に入る。木森は煙草の煙を嫌うので、禁煙席にいるはずだ。
予想通り、彼は禁煙席の窓際の席に座って、妙にそわそわしながらスマホをいじっていた。
「木森」
僕が呼びかけると、電気で打たれたように素早くこちらを振り返った。
「能登!待ってた。とりあえず座ってくれよ」
促された通り、向かいのソファに座る。
「あの手紙、どういうこと?」
まず僕が何よりも知りたかったのはそこだ。
「男に頼まれた」木森は言った。
「男?」僕は繰り返した。
「ああ、二週間前だ。課に来客があって、俺が指名されたから応接室に下りたんだ。応接室には見たこと無い男がいた」
木森は必死に記憶を掘り返すように、額をこぶしでこすりながら話した。
「そんでそいつは、能登、お前の疎遠になった親族だって言った」
「なんだって?」
「そちらの会社に勤務している、能登汀の親族だって名乗ったんだ。名刺ももらった。これだ。心当たりあるか?」
木森が名刺入れから出したのはシンプルなデザインの名刺で、そこには諏訪衣人とあった。聞いたことの無い名前だ。
「わからない…。僕を育ててくれた伯母以外、両親に兄弟はいないはずだし、祖父母はとっくに他界してる。伯母も独身だったし、思い当たるような人はいないけど」
「そうか…。まあそいつが本当のことを言っていたのかもわからないけど。その男は俺にあの茶封筒を渡して来た。そこには切手、住所、消印がついてて、丁度送られてくる郵便物の形をしてた。それを、能登、お前に渡してくれって言われたんだ。しかも、この封筒が会社に送られて来たという仮定条件付きで。変な話じゃないか?切手や住所まで書いてあるんだから、自分でポストに入れりゃいいだけだ。でもそいつは、この封筒が郵便物として送られて来た体で、能登に渡してくれないかと言ってきた。変な頼みだったけど、渡すだけならってことで預かったんだ。まあお前の親戚ってことなら、顔を合わせられない理由もあるのかと思ってさ」
確かに、木森には僕の家族関係を話していたので、そう思っても無理は無い。
「それで四日前、お前に渡したらお前が傾眠期に入ったんだ。お前が倒れてたのを最初に見つけたのは俺だったけど、お前のすぐ近くにあの茶封筒と便箋が落ちてたから、きっとそれが原因だろうと思って…。すまん。俺がお前にこの事をちゃんと話してれば、最後の傾眠期は無かったかもしれない。四日も仕事休ませちまって。あんな男の変な頼みを信じた俺が馬鹿だったよ」
木森はテーブルの上に両手をついて頭を下げた。
「木森は謝る事ないよ。それは気付けなくても無理はないし、傾眠期に入ったのは木森のせいじゃない。むしろあれを渡してくれたことに感謝してるよ」
本音だった。木森はそれを聞いて安心したようで、テーブルの上にへたりこんだ。この四日間、自分のせいで、仕事を四日も休まなくてはならなくなったのではないかと、ずっと気に病んでいたらしい。
「いや、でもやっぱ俺のせいもあるわ。能登、お前の四日間分の仕事俺に回せよ」
木森が言い出した。責任感の人一倍強いこの友人はこういう所を譲らない。
「大丈夫だって。こっちだって迷惑かけたんだし。そもそも木森、今新規企画の副長やってるし、それで四日間分の仕事なんてできないでしょ」
「う…。じゃあ、5割だ。半分は俺がやる。それでどうだ」
思わず吹き出しそうになった。本当に譲らないな。
「わかった。それで手を打とう。僕も助かるし」
「本当か!よし、じゃあ明日半分回せよ」
木森がどこまでも屈託の無い笑顔で笑ったので、思わずこらえきれずに吹き出してしまった。
「なんだよ」
「いや、なんでも」
友人は不服そうに僕を見た。
僕は友人が少ないほうだ。「友人」なんて呼べる人物は、両手の指さえあれば十分に足りる程度だ。
木森は僕の数少ない「友人」の一人である。
木森は、いわゆるコミュニケーション能力というのが相当高い奴で、友人も多いし上司との付き合いも上手い。そういう能力は、僕のような人間には努力して得られるようなものではない。これは妬みでもなんでもなく、事実だ。
木森は仕事は速い方では無いが、そのコミュニケーション能力から、よくプロジェクトリーダーに抜擢される。
僕がこの職場に勤務し始めた時、最初に話しかけてきたのは彼だった。
僕の中で「友人」と「知り合い」とを隔てる壁は、一緒にいて疲れるかそうでないかだ。
木森は、その部類で言うと「疲れない」人間だった。
打ち解けが早くて、人情深くて、どこか憎めない。なんだか漫画の主人公みたいな奴だと思った。
僕は彼の主人公じみた行為を見るたび、なんだか可笑しくなって笑ってしまう。実はそれを見るのが楽しみだったりする。
実際、彼から学ぶ事は多かった。
その頃から、どこの部署にも顔が利くような奴だったので、一緒にいると何かと便利だというのもあって、社内で数少ない「友人」と呼べる存在となった。
「お前って、よく俺を見て笑うよな」
なんだ、気付いてたのか。
「なんか木森って、主人公みたいだなあと思って」
「主人公?なんだそれ」
「気にしなくていいよ」
その鈍感な所も主人公要素だから。
「よくわかんないやつだな」
木森は言いながら水を飲んだ。僕も水を飲んだ。目覚めてから初めて体に養分を入れた。
「それで、電話で言ってた渡す物ってなんだったの?」
「…あ、そうだよ。渡すものがあるんだった。お前が傾眠期の間、諏訪がまた会社に来たんだよ。そんでまた俺が呼ばれた。そんで、諏訪に言ったんだよ。能登に何を渡したんだって。でもあいつ、俺の話は何も聞かないで、これを能登に、って…」
木森がそう言いながら自分のリュックをあさったが、僕がまた倒れる事を危惧したのか、手を止めた。
「大丈夫だよ。見せて」
そもそもこの前の傾眠期は、手紙を見たときに僕が強く湯澤に会いたいと望んでしまった事が原因だった。気をつけてさえいれば大丈夫なはずだ。
「そうか、じゃあ。これだ」
恐る恐る、という感じで木森がリュックから取り出したのは、丁度婚約指輪を入れたりするような、ベルベットの小箱だった。しかし、指輪を入れるには箱は小さすぎる。
「諏訪は、『汀君にこう伝えてくれないか。これを持ち主に返してあげて欲しい、と。』って言ってた。できるだけ早くに渡してくれって、なんか結構焦った感じでさ。だから、お前の傾眠期が明けたらすぐ渡さなきゃって思ってたんだ。俺は開けてないよ。お前が開けた方がいいだろうと思って」
木森からその小箱を受け取り、息を一つ吐いて留め金をはずした。子気味の良い音がして、ふたが開く。
シルキーな中布の上に、それはあった。それを見て、僕は諏訪衣人とやらの企みを知った。
彼が誰なのかも、彼が僕にして欲しい事も、この小箱の中身の持ち主も。
そしてそれが合っているのならば、確認しなければならないことがある。
「ありがとう木森」
そう言って僕は、立ち上がった。
「僕はちょっと行かなきゃならない所がある。確認したい事があるんだ」
「そうか、わかった。なんか手伝える事あったら言えよ」
木森は驚く様子も無く、ただそう言った。
頷いて、出口に向かう。レジの前を通る時、「5割忘れんなよ!」という友人の声が後ろから聞こえ、また僕は笑ってしまった。
airfishです。読んで下さった方ありがとうございます。
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