大東哲司の過去
大東哲司の悲痛な少年時代。
千代和富を「恩人」と慕う所以とは。
大東哲司は決して面倒見の良い人間ではない。しかし、能登汀のこととなるとどこか過保護になるのだ。
そもそも、能登汀がちょっと目を放した隙に会社の非常階段の踊り場で倒れていたりするような男でなければこうまで目をかけたりはしない。
二日前、電話をかけると言って出て行った汀が、一時間経っても戻ってこなかった為、部下の木森を使って探しに行かせた所、踊り場で倒れていたということだ。
木森は半狂乱で戻ってきたが、どうやらまた傾眠期らしいと大東が言うと、少し落ち着いたようで、汀の回収に向かった。大東が現場に向かったところ、汀は確かに傾眠期の状態であった。そばに転がったスマートフォンから、電話の最中に入ってしまったらしい。汀の回収は、大東が手伝うまでもなく、木森一人で十分だった。なんせ軽い。傾眠期中にほとんど食べない分、そこらへんの細々した女子共に引けをとらない軽さだ。木森が汀を負ぶい、とりあえず会社の休憩室のソファに寝かせた。
それから一人、来客があったが、それは汀が起きてから話してやるとしよう。
汀の話によると、傾眠期は約一週間に渡るそうで、通常は始まる前に予兆があると聞いていたが、今回はどうやらその予兆が無かったらしい。
家の住所は知っているし、鍵も汀の荷物の中にあったので、勤務を終えてから車に乗せて家まで送り、木森がどうにかベッドに寝かせた。明日も出勤せねばならないので、とりあえず戸締りくらいは確認してやり大東も帰宅した。
それで今日。二日経ったが、まだ出勤してこない所を見ると、未だ夢の中らしい。
さすがにそろそろやばくないか。
終わった翌日にまた入るなんて。しかも予兆無しだ。これが続けば仕事も録にできないし、下手すりゃ解雇だ。会社側も、他と同量の仕事ができるのであればということで汀を雇っていた。(そもそもそこまで大きな会社ではない。)今までは確かに同量の、いやそれ以上をこなしていた。しかし周期がここまでとなると、さすがの汀も同量の仕事をこなすには無理がある。
さて、久しぶりにあの人のところへ行ってみるかな。
幸い明日は土曜。仕事は今日中に済ませておこう。
大東の家は母子家庭で、母親は毎日のように働いていた。兄弟が多かったのもあって、母親が一日中休んでいるのを大東は見たことが無い。父親のことは、当時何も知らなかった。知りたいとも思わなかった。
十四の時、母親が死んだ。過労死だった。大東は深く悲しんだ。
兄弟は、遠縁の親戚に引きとられることになった。
丁度その時、両親の離婚の理由を聞いた。父親が女をつくり、金を持って逃げたという。それから俺は、密かに元父親について調べた。勤務先、住所、そして愛人の個人情報まで。
母親は別れた後も、愚かな父親の事を愛していた。生前、時々写真を見て泣いていたのを知っている。だから、せめて母親の葬儀に出てはくれないかと、元父親であるその男に連絡した。大東自身、元父親に憎悪を抱いていたが、全ては無念に死んだ母のために。
その頃から情報収集能力に長けていた大東には、特定したアカウントから電話番号などの個人情報をさらす事など簡単な事だった。電話を入れた際、男は最初は戸惑いを隠せないでいたが、母の葬儀に出て欲しいだけだと告げると、人が変わったように声を荒げた。
あいつが死んだ?俺にはもうどうでもいい事だ。
葬儀に出るつもりは無い。二度と連絡するな。
そこで電話は切られた。男はまた電話をかけられるのを警戒して番号を変えたようだった。大東がその気になれば、また割り出す事も容易であったが、もうその必要は無かった。
大東は元父親を殺害することを決めた。
母を殺した罪を死んで償えと思った。
聡い子供だったので、死体の処理やアリバイ工作など、入念に計画を進めた。
殺害方法は手っ取り早く薬殺で。重視すべきは殺し方より死体の処理だ。
計画としては、骨まで溶かして下水に流す。溶かすのは簡単だ。苛性ソーダ系のパイプクリーナーを用いればいい。これはネット通販で簡単に手に入る。
本気で計画してみれば、ヒト一人を殺してそれを隠蔽するのは意外と簡単な事だった。年間何万人と出ている行方不明者の数が一つ増えるだけの事だ。
もしかするとあれは、成功してしまっていたかもしれない。今考えるとぞっとする。
しかし、幸いなことにその計画は実行されなかった。千代先生に出会ったからだ。
殺害の計画中、精神が不安定になった大東を、親戚夫婦は千代精神科病院へ連れて行った。
父親を殺そうとしていた事は、千代先生にはすぐに見抜かれた。この人には逆らえない。そう思った。
そこで計画は断念した。さらに千代先生は、「暇な時、寂しい時はいつでもここに来なさい。仲間がたくさんいる」と、大東を歓迎した。
俺がどうにか普通の人間になれたのも先生のおかげだ。もし出会えていなければ、今頃どうなっていたか。
これが、大東が千代和富を恩人と言う所以だ。
汀と会ったのは十五の夏休みの時だった。その頃はほとんど毎日病院へ行っていた。診察を終えた汀が中庭にいたときに、声をかけた。二人とも親無しということで、何かと話が合った。
よく汀の隣にいた千代先生の一人娘、薫子とはそこまでの関わりは無かった。というより、大東はできるだけ彼女を避けてきた。ひどく綺麗な女の子で、いい子であるのには変わりなかったが、なんだか非人間的なものを感じたからだ。ともかく、触らぬ神にたたりなし、ということで。
千代先生の計らいで、汀とは今では就職先まで同じだ。
就職して何年かは病院に良く通っていたが、最近は滅多に行かなくなってしまった。
去年の夏に寄ったきりだから、一年ぶりになるのか。
自車のフロントガラスの向こうに、懐かしい病棟と中庭が見えた。
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