再び夢へ
再び夢の世界へと戻った汀。
いつものように、彼女はそこで待っていた。
夕闇の迫る高校時代の教室で、死者と生人は何を思う。
能登汀は、再び夕暮れの教室に立っていた。
目の前にはいつものように、武富湯澤がこちらを見つめて座っている。
いつもと同じだ。一つ違うのは、湯澤の表情が穏やかでない事だった。
「汀の心、すごくざわついてた」
彼女の一言目だ。いつも微笑みを浮かべていた湯澤の顔には、焦りが浮かんでいた。汀でもあまり見たことが無い湯澤だった。
「汀の心が、ここへ来たいって望んでた。だからあなたを呼んだの。ごめんなさい、この前に呼んだばかりだったけど。何があったの?」
彼女は真っ黒な瞳で汀を見つめる。
「手紙だ」
汀は必死で記憶をたどった。
「湯澤、君からの手紙が届いたんだ。僕の会社に。たぶん君が生きている時に書いたものだと思う」
湯澤は驚いたような目をした。しかし、すぐにいつもの笑顔に戻った。
「たしかに、私は死ぬ前にあなた宛に手紙を書いたよ。自殺の二日前、私が死んだ後に汀が迷った時、読んでもらおうと思って。その時はまさかこんな空間でまた汀に会えるなんて思わなかったからね」
「その手紙はどこに置いていたの?」
「簡単には見つからないところに隠しておいたはずだけど、結局あなたは見つけ出せなかったみたいね」
ふふ、と笑みを漏らす。
「そして、あなた以外の人がそれを見つけてあなたに送ったのね?」
湯澤は小首をかしげて汀に答えを求めた。
「たぶん、そんなところだ。問題なのは薫子だ。あの手紙が来た事を、薫子に伝えたんだ。内容までは伝えてないけど。そしたら薫子はまた最高刑の決定を急ぎだした。一人で刑を執行するとも言い出した。だから、刑を受けるのは僕だけでいいと言ったんだ。…そこまでしか覚えてない」
「それで心がざわついていたんだね」
「君は、誰が手紙を出したかわかる?」
「さあ、わからないな」
湯澤はそう濁して席を立った。教室の古い椅子は懐かしい音を立て後ろに下がった。そして、汀のほうへ歩み寄る。
「汀、私が生きてた時、私はよく太陽と月の話をしたね。覚えてる?」
「うん、覚えてるよ」
湯澤との会話は一つ残らず鮮明に覚えている。
「薫子は太陽。あなたは月だった」
そうだった。よく僕たち三人はそんなたとえ話をしていた。
薫子は紛れもなくこの世界の太陽で、その光を受けて存在する僕は月だった。そして、朝と夜の恩恵を受け、美しく咲く湯澤は花だった。僕と薫子、二人の創る世界を生きてくれたのは、湯澤だけだった。
花を失った太陽と月は存在意義を失った。今や太陽は世界の存在さえ望んでいない。
「あの頃に戻りたいよ」
三人でいた頃。僕の人生で、一番幸せだった頃だ。何もかもが安定していた。
湯澤は汀の頬に触れ、うつむく汀に前を向かせた。
その指の感触は、驚くほどに冷たくて非人間的だった。
「あなたはいつでも過去ばかり見ているね」
湯澤の顔は汀のすぐ目の前にあった。
「薫子は未来ばかり見ている。あなたたちは一体いつになったら、互いの顔を見合わせられるんだろうね」
日が傾きだした。夢の世界が終わりに向かい始めている。夢の世界は生人である汀が長くこの世界にいることを許さない。汀がいくらそれを望もうと、それは禁じられた行為であった。
「太陽が無くなったら、月はどうなっちゃうと思う?」
湯澤は背伸びをして汀の耳元に囁いた。
「消えてしまうだろうな」
汀は答えた。
「そうね」
彼女はまた、ふふっと笑みを漏らした。
「一体どういう意味?」
「ただのたとえ話だよ」
いつもと変わらない笑顔だ。
「私が言いたいことは、全て手紙に書いておいたよ。薫子をそっちの世界に残すの。世界の軸を、残し続けるんだよ」
二人の影は、どんどん長く、薄くなっていく。
「湯澤、どうして君は、そんなにも薫子を生かそうとするんだ?」
夕焼けの赤色が、だんだん闇に飲み込まれていく。
「薫子を、そしてあなたを救う為に」
世界が眩んだ。
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