罪人のもがき
死んだはずの高校時代の友人、武富湯澤からの手紙に困惑するも、薫子に伝える事を決めた汀。
薫子の反応は。
「大東さん、すいません。すぐ戻ります」
「は?今度はどうした」
「電話入れるだけです」
スマホと便箋だけを持って、さっきと同じ非常階段の踊り場に向かう。
薫子に電話を入れるなんて、いつぶりだろうか。
そもそも僕らは連絡を取り合って会うようなことはしない。だって彼女とは、あの病院に行けば必ず会えるから。薫子からときどきメールが来る以外、ネットワーク上でのやり取りはほとんど無い。
千代薫子の名前をさ行項目の一番上で見つけ、無意識に目を閉じた。
できることなら、僕は彼女と必要以上に関わりたくは無かった。彼女のどこか人間離れした存在感は、何故か僕に畏怖をもたらすのだ。そういえば、湯澤がまだ生きていた時に、この話をしたことがあった。
湯澤は、「それは、人類が偉大なる太陽に抱くものと同じようなものだよ」とだけ答えた。僕はその意味を理解できなかったが、湯澤はそれ以上の説明はしてくれなかった。
不意に、便箋を強く握った。強く、生前の湯澤に会いたいと思った。今でも僕だけは、夢の世界で湯澤に会える。でもそこにいる湯澤は、どこか違うんだ。何かを我慢していて、何もかもあきらめたような、そんな表情で笑うのだ。
湯澤がこの手紙を生前に書いたというなら、これを送りつけた現存する誰かを早く知りたかった。
しかし、まずは薫子だ。理由は知らない。でも自分の行動に間違いは無いと確信していた。
液晶画面をタップし、耳に当てる。薫子は2コールですぐに出た。
「どうしたの?」
まず一言目がそれだ。
「ごめん、いきなり。あと昨日のことも」
「別にいいよ。汀、仕事中でしょ?電話なんてめずらしい」
「すぐ伝えたい事があって」
便箋を握る。果たして、薫子にこの手紙の内容までを話してもいいのだろうか。
「汀?」
薫子がせかすように名前を呼ぶ。息を吸う。
「湯澤から、手紙が来た」
薫子は、無言だった。
「僕宛だったから、内容までは言わないけど、いつも夢で話し合ってるようなことしか書いてない。問題は、これが送られてきたってことだ。しかも僕の会社に」
「本当に湯澤の?」
「間違いない。湯澤の字だ。たぶん生前に書かれたもので、それを誰かが送ってきたんだ。送り元の住所は書いてない」
「消印、読める?」
茶封筒に目を落とし、消印を確認する。インクが薄く、かろうじて読み取れたが、それはここから最寄りの郵便局からだった。
「近いね。駅前のところだ。前を通ったことがある」
たしかに、そこは駅前のわりと大きな局で、ここらに住む人間なら知っていておかしくはない。
「変な話だ。どうして今送ってきたんだろう」
電話の奥で、声が黙った。
「私たちの決断が、遅いから。そうじゃない?」
決断、とはなんのことか。言われなくてもわかった。僕たちの最高刑だ。
「ねえ汀、早く決めよう。もう七年も逃げ続けた。汀が決めないのなら、私は一人ででも刑を執行するよ」
だめだ。薫子を、死なせてはいけない。湯澤も、ずっとそれを言っていた。この手紙でも。
「汀、私たちがわかりあうことは、きっと一生無理なんだよ。今までずっと一緒にいたけど、汀が私に意見を合わせるようなことはしなかった。他の誰かに合わせても、私だけには。私だって変えられない。だったら、私は汀と分かり合えなくても自分の思う最高刑を受けるよ。人を殺して、罪を償えないまま自分は生きてるなんて、もう耐えられないよ」
薫子の声は懇願するようだった。それでも、僕は折れてはならない。僕の役目は、薫子を生かすことだ。
「薫子、どうして湯澤と夢で会えるのが僕だけか、わかる?」
「…わからない」
薫子の声は泣く寸前の子どものようだった。僕は、そんな彼女の声を聞きたくはない。
「手紙が来たのも、僕のところだ」
「うん」
この言い訳は、ずっと前から用意していた。もし薫子が一人で死のうとしたら、こう言おうと。
「つまり、刑に値するのは僕だけなんだよ。君は最高刑に値しない。本当の罪人は、僕だけだ」
―汀
声がした。薫子が言ったのかと思った。しかし声はスマホを当てていない左の耳にも聞こえた。
―汀、来て
二言目を聞いて、気付いた。湯澤の声だ。
電話の奥で、薫子が何か言っている。でも聞こえない。スマホを持つ手に力が入らない。
どうして。傾眠期なら昨日に明けたはずだ。翌日にまた来るなんて、経験したことが無い。
それでも体は言う事を聞かない。強い眠気が、上ってくる。
スマホが床に落ちた音がした。そこで意識は途絶えた。
airfishです。読んでくださった方ありがとうございます。
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