最高刑なんにしようか
「私たちが国を作るなら、最高刑なんにしようか」
急ぐ薫子に、逃げる汀。
そして、遠くで響く、湯澤の声。
能登汀と千代薫子は、よくこんな話をした。
「私たちが国を作るなら、最高刑なんにしようか」
いつも言い出しは薫子だ。
「終身刑かな」
彼の答えはいつもこうだ。
「私は死刑かな」
彼女の答えはいつもこうだ。
こんな話を八歳の少年少女がしていると聞けばぞっとする。しかし彼らは飽きることなく、よくこの議題で議論するのだ。(ちなみにこれは、高校三年生の二人の会話である)
彼の言い分はこうだ。
「殺して終わりなんて、そんなことで罪人の罪は償いきれない。被害者の受けた痛みよりも大きな苦しみを与えなくちゃ。それには殺すだけじゃ足りない。生かして苦しめるべきだろ?」
彼女の言い分はこうだ。
「私はそうは思わないな。罪人が苦しむべきだって意見には反対しないけど、それならなおさら死刑なんじゃない?罪を償えないまま死ぬなんて、これ以上の屈辱は無いと思うけどなあ」
彼が反論する。
「みんながみんな君のような善人であると思わないほうがいい。罪人の中には痛みを受けずに終わらせてしまったほうが助かると思う奴だっているんだ」
彼女も反論する。
「死は人類普遍の最高刑でしょう?昔から何よりも恐れられていたのは死。だって死んでしまえば何もかも終わってしまうんだよ」
「何もかも終わって欲しいと思っている罪人だっている。僕だってそうだ」
彼らの議論は誰かが止めるか、何らかの時間の区切りが来るまで終わらないので、このくらいにしておくが、互いが二十四歳になった今でさえ、二人がわかりあうことは無い。
能登汀は、苦しみながら生きるほうが罪人にとって苦しみであると言い、
千代薫子は、罪を償えないまま死ぬほうが罪人にとって苦しみであると言う。
互いに二十四歳になった今も、千代薫子の父が経営する病院の近くのカフェで、いつものように千代薫子からこの話題を投げ出している。
「僕の意見は変わらない。最高刑は生きる事だ」
「私の意見も変わらない。最高刑は死ぬ事だよ」
いつもどおりだ。
「でも、いつまでもこれじゃ埒が明かないでしょ?私たちの意見が合わないのは知ってるし、私たちが絶対意見を変えないのも知ってる。でもこのままじゃ、いつまでたっても、湯澤が……」
わかっている。それは僕も。これではいつまでたっても湯澤が報われない。
湯澤は自分を犠牲にして、僕たちの存在の罪深さを教えてくれたのに。
黙り込む僕を見かねて、また薫子が口を開いた。
「いつまでも決まらないなら、私は一人で死ぬよ。汀と意見が一緒になるのを待っていたら、結局いつまでたっても…」
「それはだめだ!」
気付いたら口走っていた。薫子も驚いたように僕を見た。僕が大きな声を出す事などめったに無いからだ。
「…いや、なんでもない。ごめん」
僕は、どうして薫子が一人で死のうとすることにこんなにも激しく嫌悪を抱くのかがわからなかった。しかし、彼女を一人で死なせてしまう事だけは避けなければならない事態だと確信していた。
遠くで、湯澤の呼ぶ声が聞こえる。わかってるよ。
「汀…?」
彼女が灰色の瞳で僕を見つめる。ああ、やめてくれ。頼むから、僕を見るな……。
「ごめん、その話はまた今度しよう」
僕は伝票を持って席を立って、出口に向かった。彼女が僕の手をつかもうとしたのが横目で見えたが、足を止める気は無かった。薫子の分の会計も済ませ、店を出た。薫子は追っては来なかった。
また、逃げた。本当に嫌になる。できることなら、早く死んでしまえれば。明日の事なんて考えず、全て終わらせてしまえれば。夢の世界から、戻って来れなくなってしまえば。
一人になると、湯澤の声がさっきより鮮明に聞こえた。
―薫子を死なせちゃダメだよ―
わかってるよ。あいつは世界にいなきゃならない存在なんだ。僕はそれを生かし続けなきゃならないんだ。
不安定で不完全なこの世界の、いろんな物がごった混ぜで漂っているこの世界の、一本だけまっすぐな軸みたいなものだ。もしその軸さえなくなってしまえば、こんな世界すぐに崩れ落ちる。僕はその軸が倒れないように支える土台だった。
湯澤も僕も、それだけは確かな事だとわかっている。だから湯澤は、僕と薫子が永遠に離れることができないように、自分の命を投げ出し、僕は千代薫子という軸が倒れないように今も支えている。
きっと支え方は間違っているだろう。しかし、僕はこれ以外やり方を知らないんだ。ただ逃げて逃げて、薫子が追いつけないところまで行くしかないんだ。
airfishです。見てくださった方ありがとうございます。
前投稿からかなり時間がたってしまいました。すいません。
引き続き投稿していくのでよろしくお願いします。




