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後日談 (後編)

 サラとアリスまでもが付き添いで来ることになり、アリスがサラの家に到着したと同時に王宮から遣わされた馬車が家の前に止まった。

 ラファがすでにリアムの所へ行っているからリアムがエレスも戻ってきていると知ってのことだったのだろう。

 三人で乗り込んだ馬車はゆるやかな王宮への道のりを進む。

 エレスは初めて王宮へ来た時の事を思い出していた。

 あの朝は一人で歩いてここまで来たのだった。初めてリアムに呼ばれ、向かった王宮では坂の下から立ち並ぶ立派な木々に圧倒され、正門から見える大樹の島は輝くばかりだった。

「ちょっと門の中に入る前に止まってもらえませんか」

 温かな風が気持ち良い。去年の今頃は外套を着ていても風が冷たく感じたのに。

 大樹の島は緑に満ちていた。

 エレスはあの緑の中心にいる大樹に思いを馳せる。

 ――――会いにいけるのならばいつでも会いに行きたいと思う。でも一人であそこまで辿り着く自信は到底ないし、今はその時ではない、とも思う。

 容易く会いに行けないから、その分目に焼き付けたあの姿を思い出してエレスはそっと囁くのだ。

「おはよう」

「今日はどんな日になるんだろう」

「おやすみなさい」

「今日も一日ありがとう」

 いつでもどこでも大樹がエレスを守ってくれている。見守っていてくれている。

 そう思うことでエレスはいつも安心に包まれた。


 アルフォードに王宮の一室に通されたエレス達は少しだけ待たされることになった。出されたお茶を三人は会話をするでもなく啜る。三人の間に少し緊張が見て取れた。

 そうして底に残ったお茶が冷たくなった頃、リアムが部屋に入ってくる。エレスが挨拶をしようと立ち上がるなり、彼に抱きしめられた。

「リ、アム……」

「エレス、よく戻った! 見ない内にまた綺麗になった!」

 抱擁をやっと解かれて見上げた男は以前と変わらない穏やかな笑顔を顔に浮かべていた。見る人をほっとさせると同時に心をも奪ってしまう笑顔だった。

 後ろに立つサラとアリスもリアムに挨拶をする。

 そしてリアムは「さっそくだけど……」と椅子に座ることもせずに切り出した。

「サラとアリスからエマ様の事は聞きました。それで……エマ様は?」

「今日は朝から機嫌がいいんだ。すぐで悪いが、さっそくエマの部屋まで来てくれるか、エレス」

「はい。その為に戻ってきたんですから」

「あれ? 私に会いに戻ってきたと言われたかったね」

 後ろでサラが咳払いをする。

「リアム様……そんな発言はくれぐれもエマ様の前ではされませんよう。特に今は、ですよ」

「ははっ……冗談だよ、サラ。全く今日も怖いんだから」

 サラの肩をポンポンと叩くとリアムはエレスに片目を瞑った。

 呆れ顔をしていたサラだが、一瞬エレスと目が合った時に、彼女はくすりと笑いを零した。


 エマの部屋へリアムが先に入り、少しすると扉がまた開かれ、入室を促された。

 部屋の主は深緑色の長椅子に座り、本を膝に広げていた。

 リアムの後ろから入ってきた人影に「あら?」と首をかしげたエマは後ろに立つエレスを見つけると目を見開いた。

 以前のような毒々しい真紅ではなく、妊婦の女性が着るようなゆったりとした服はホープ家の人間に相応しい緑。

 胸から足にかけて薄い緑が次第に濃くなっており、腰元には飾り紐が揺れていた。

 見事な金の髪を一つに結い、右肩から流れるように胸へと落ちている。

 エレスを見つめる瞳は青緑。それが何度か驚いたように瞬かれた。

「エレス・フトゥール」

「エマ様、お久しぶりです」

 赤く小さな唇が小刻みに揺れるのをリアムが認めて、そっと隣に腰を下ろし、妻の手を自身の手でそっと包んだ。

「エマ、エレスの力のこと、話しただろう? 今日はエレスに見てもらおうと思ってわざわざ来てもらったんだ」

「えっ……」

 エマがリアムに向く。リアムは右手を残したまま、左手をエマのお腹の辺りに当てた。

「エマが不安だとお腹の子も不安になる」

「それは……分かっているわ……でも、私……」

 エレスはサラとアリスの間を通って、エマの足元まで進んだ。

 そこで膝を折って、王妃と目線を同じくすると彼女に微笑んだ。

「エマ様、まずはご懐妊のお祝いが遅れた事、お許し下さい。リアム様、エマ様、本当におめでとうございます」

「ありがとう、エレス」

 リアムが礼を言う。

 顔を少し上げて、夫を見たエマは膝の上の手をぎゅっと握りしめた。

「あ、りがとう……エレス……わ、たし……」

 エマはちらりとエレスに視線を向けて、膝に落とす。

「あなたに……謝らなくては……」

 微かに耳に届いた小さな声。

 エレスにはエマがサラとジャスティンの結婚式の夜の事を言っているのだと気がついた。

 兄であるウィンデルからあの夜の加護者狩りのような仕打ちはステラ家が一枚噛んでいると聞かされた時の事を思い出していた。

 そしてあの夜があったから、前ホープ王を葬り、リアムが即位できたことも聞かされている。

 だが、今こうして色んな事があった後では、エレスにとって争いの数々が遠い昔のことのように思えてならない。エマの謝罪もエレスにとってすでに何も意味をなさず、ただただもういいのだ、と思えてならない。

 振り返りたくない。前を向きたい。

 王女であった時の自分や白界の事がどうでもいいと思っている訳じゃない。白界で過ごした日々があってこその自分なのだから。

 だけど、わざわざ辛い事を思い出せば、泣きたくなる。泣くよりは笑顔でいたい。泣いている人を笑顔にしたい――――

 だからエレスはそっと手をエマの口近くに翳した。「謝らないで」「顔を上げて」という合図だった。

「私にはどうやら大樹から不思議な力を頂けているようなのです。今も北の村で妊娠中の女性たちの治療師として働いています。サラとアリスにはお腹の子がとてもお健やかに育っているとの話を聞いていますが、エマ様とリアム様は私にとって大事な方。そのお二人のお子を診察する機会を私に下さいませんか。もしかしたら成長が早ければ、声が聞けるかもしれません」

「こ、え……子どもの声が聞けますの!?」

「日によっては静かな日もあるんですが、赤ちゃんは大抵おしゃべりですよ」

「リ、アム……!」

 エマの沈んでいた顔に少し朱色が差した。そんな彼女の興奮を鎮めるかのようにリアムがエマの背中をゆっくりと擦る。

「エマ……エレスに診てもらわないか。エレスはとても優秀なんだ。ほら、なんたってサラの見習いだったんだよ?」

「リアム様、私はまだサラの見習いです。サラから学びたい事がまだたくさんありますから」

 名前が出たサラがエレスの隣に進み出た。

「あら、エレス。あなたはもう見習いなんかじゃないわ。私とは違う形だけど、でもあなたはもう立派な治療師だわ」

「そうね、私も……認めるわよ」

 アリスも腕を組みつつ、サラの隣に立って、笑顔でエレスを見下ろした。

「…………エマでいいわ」

 一通り治療師三人の顔を見たエマがぽつりと言った。

「えっ……すみません、今なんて――――」

「様なんていらないわ。エマと呼び捨てでいいわ、あなたなら」

「エマ、様……?」

「元は白界の王女だったあなたに敬称をつけられるなんて変な気持ちだもの。それに……」

 エマは強く握り返した手を見つめて、その持ち主である夫を見上げると笑顔を見せる。笑顔はエレスにも同じように向けられた。

「緑界の大樹を救ってくれたあなたはステラ、ホープ両家にとって恩人だわ。以前の私はあなたが大嫌いでしたけど、恩人をずっと嫌ったままでいるような卑劣な女ではありませんわ。それから――――あなたは私とリアムの子の特別な治療師なんだもの。これからはもっと気さくに、率直に私と話をしてもらわないと困るの」

「エマ様……」

「だから、エ、マ、よ! その丁寧な言葉使いもなし!」

 エマの白く長い指がエレスの手を取った。

 笑顔になったエレスは言われた通り彼女の名前を呼び直そうと口を開きかけた。その時――――

「エレス!?」

 エレスは床に崩れ落ちた。 


 サラ、リアム、アリスがエレスの姿を見て駆け寄った。座り込んでしまったエレスを前にしたエマは何がどうなったのか分からない。離れてしまったエマとの手をもう一度震える手で取ったエレスはエマに引き上げられ、二人してそのまま後ろの長椅子に雪崩込んだ。

「ちょっと、大丈夫? あなた顔が白いわよ」

「エ、マさ……いえ、エマ。お腹に手を当てても?」

「え? ええ……もちろんいいわよ……だって診察の為に来たんで、しょ」

 エマが全部を言い終わらない内にエレスは手を伸ばす。

 触れるか触れないかの辺りでも、エレスの手はまだ震えていて、やっと手がエマの服の上に辿り着いた時、エレスの両目から涙が零れ落ちた。

 それを拭うこともせず、ただ、エレスは目を閉じる。

 見守る四人は声を発せなかった。エレスの涙があまりに綺麗で、目を奪われていたからだった。風がエレスの周りに起こったようにエレスの髪の毛先がふわりと浮いた。アリスは一瞬窓に目を向けるが……窓は閉じられたままだった。

 静かに流れるエレスの涙は長椅子を濡らす。

 しばらく誰も何も言わない時が流れ、やっとエレスが瞼を開けた。

「リアム……エマ」

「な、なんだい、エレス?」

「なに? 子どもは大丈夫、なのよね……?」

「はい。とても元気なお子です……素敵な笑顔を見せてくれました」

「そう!」

 エマは弾けんばかりの笑顔を夫と治療師に向けた。だが、夫が真剣にエレスを見つめる視線が気がかりで、エマは二人を代わる代わる見ながら「どう、したの?」と聞いた。

「エレス、何が見えた? 何を感じた? 君がそうやって涙を流す理由は何だ、と聞いても?」

 リアムが右手でエマの手を取り、左手をエレスの肩に置いた。

 重みに少し肩を震わせたエレスが視線を緑界の王に向ける。

 それにリアムははっと息を呑んだ――――エレスの顔が違って見えたからだ。

 先ほどとは違う、大樹の前に立ったあの時のエレス――白界の王女としてのエレス――――

「命は巡っているのだ、と大樹の島で言ったのを覚えていますか、リアム」

「ああ……もちろんだ」

「私が白界で過ごした日々の話も?」

 リアムは頷くことで応えを返す。

「命は白界から緑界へと巡るんです。でもそれは決して、そのまま同じ命、というわけではないんです。でも根本は同じ光。温かさ。ウィンデル兄様が白界へ戻る前に言っていました。私にも、もしかしたら白界から巡った命に出会えるかもしれない、分かるかもしれない、って。そんなことあるなんて、と半信半疑でした――――今日までは」

「と、いうことは私達の子が白界で君が知る人、だったんだね」

 エレスは涙をまた両目に溢れさせながら頷く。

「どんな、方だったの? きっと素敵な方だったのよね? 女性、男性?」

 エレスはエマの質問に一度頷いたが、その後で首を横に振った。

「きっと白界と緑界での姿は違うでしょう。性別も違うのかもしれません。ただ芯に宿る命が一緒なだけで。もちろんこの子は私の事を覚えてはいないでしょう。だから、今ここでこの命が存在していた白界での事を色々お二人に言わない方がいい気がします」

「命が同じでも別人、ということか」

「そうです」

 エマがエレスとリアムの言葉を聞いて血色の良い唇を付き出した。

「私は前世がどうであったのか気になりますけど。まぁ……いいわ」

 エマは仕方がない、と言いたげに長い溜息をついて納得を示す。

「エマ、リアム……一つだけお願いがあるんです」

 何も欲しがることのなかったエレスが願いとは珍しい、と二人は首をかしげて彼女に先を促した。

「私をお二人の子の友人となることを許して下さいませんか。白界で私達はとても良い友人同士でした。きっと緑界ここでもそうなれると思うんです」

「もちろんだ」

「あら、そんなの私達が認めるもなにもないわよ。生まれる前も、後もよろしく頼むわ、エレス」

 エレスが再び両目を閉じた時、脳裏に浮かんだのは一人の少年だった。

 いつもエレスの後ろをついて来て、離れなかった小さな男の子。

 立派な青年へと成長してからもエレスをいつも笑顔にしようとエレスの前で明るく振る舞うことを忘れなかった。そして王とエレスの争い事に巻き込まれ……若くして命を落としてしまう……

 生まれてくる子が幸せで満ち満ちた人生を歩むことが出来ますように――――

 エレスはそっと大樹に願わずにはいられなかった。






 エマが疲れて少し休みたいと言うので、四人は離宮へと場所を変えることにした。

 廊下に出た時、エレスはリアムを呼び止めた。ラファの事を聞くためだった。

 エマの事で頭が一杯だったので、恋人の姿がどこにもないことに今の今まで気が付かなかったのだ。

 リアムの所へ行くと言って先に家を出たラファなのに、そのリアムは自分と一緒にいるではないか。

「ラファ? あぁ、あいつなら離宮にいるよ」

 少しでも離れてしまうと不安になってしまうのは悪い癖だとエレスは自分を戒める。「そうですか」と安心して返事をした時、サラが「エレス」と後ろで呼び止めた。振り返れば、いつ現れたのかアルフォードがサラの隣に立っていた。

「エレス、ちょっといい?」

「えっ? 何ですか、サラ」

「はい、この部屋に入ってね。アリス、髪をお願いね」

「任せて」

「えっ、何、何ですか!?」

 女二人に両腕を取られ、アルフォードによって開けられた一室にエレスは引きずられるようにして入れられる。

「どうしたんですか、二人とも!?」

「エレス、後でね。待ってるよ」

 扉が閉まる直前でリアムが笑顔でこちらに手を振っているのが見えた。

 部屋の中を見ればがらんとして何もなかった――――ある数点を除いて。

 椅子が三脚。白い布がかかった円卓の上には櫛だの髪留めだの細々とした物が置かれてある。

 そして大きな姿見の上に掛けられてあったのは……目を瞠るほど白く輝く花嫁衣装だった。

 他人が見ればそれはただの美しい衣装だったかもしれない。でも、エレスにはそれが一目で花嫁の衣装だと分かった。

 白界の王妃である母が遠い昔エレスに一度だけ見せてくれた、母自身が着たものだ。

 手に吸い付く布は一枚一枚がとても薄くて軽く、幾重にも重なり合っている。少し角度を変えて見ると故郷の七の樹を思い出させるように七色の光を放った。

 腰回りにはエレスの片耳を飾る兄の虹色の耳飾りにも使われている乳白色の細かな石の飾りがあしらわれ、それは同じように裾にも使われていた。

 以前の衣装は裾が大きく広がり、床を引きずるほどの長さを持っていたが、今エレスの目の前にあるのは、エレスの身長に合わせた、床すれすれの長さ。サラに手伝ってもらって着てみると、全てがぴたりと吸い付くようにエレスの身体に合った。

「これ、どうして……サラ、アリス……、これ、お母様の……」

「あなたの世話役はとても優秀な方だったのね。本人不在の中、ここまであなたの身体に合わせることが出来るだなんて」

「ローラが……? でも、どうして……どうやってこれがここに……?」

「さぁ、それをこれから確かめに行きましょうか」

「待って、もう少しだから。ちょっとエレス、顔を背けないで。やり難いったらありゃしない」

「えっ、は、はい」

 エレスの背後ではアリスがエレスの髪を右に左に引っ張っている。

 一体何が起きているのだろう。

 離宮で何かが自分を待っているのは分かるのにそれを確かめるのが怖い。もしも自分が思っている事と違ったら? きっとすごくがっかりするに違いない。でも……でも……もしも……

「よし、出来たわ。サラ、そっちは?」

「さっき泣いてしまってちょっと顔が赤くなってるけど、まぁ、これなら大丈夫でしょう。元が綺麗だもの。それに向こうに着けばまたこの子、泣いてしまうだろうし」

「それはそうね」

「あの……サラ、アリス?」

 姿見が横にあるのにエレスはそれを見ることが出来ない。見てしまったら期待してしまうから。女性が一生に一度は袖を通すことを夢見る衣装に自分が包まれているなんて。自分にもそんな幸せが訪れるなんてありえない……ラファと一緒に入られるだけで幸せだと思っていたのに。もうこれ以上何も欲しいものはないと思っていたのに。それ以上を望もうとする欲が出てきてしまうではないか。

「私は……これを着ていいのでしょうか……」

「エレス?」

「多くの人を傷つけ、亡くし、使命を放棄し、緑界に逃げてきたような女がこれ以上の幸せを願ってはいけないと思う、のです……」

 せっかくサラが口紅を塗ってくれた唇をエレスは噛みしめる。それに気づいたサラがそっとエレスを抱きしめた。

「ラファったら……あなたがそんな事を言い出すと分かっていたから、こんな風にあなたを驚かすような事を考えたのね」

「ラファが……?」

「あのね、エレス。あなたがもし躊躇するような事を言い出したら今から言うことをあなたに伝えて欲しいってラファから頼まれたの」

 そっと抱擁を解き、サラは焦げ茶色の瞳を細めて笑う。

「『お前はいつも何を思って命を送り出してきた? この命が緑界で幸せになるように、愛されるようにと思ってきたんじゃないのか。その命は今お前に感謝をしているだろう。そしてお前にこう言うはずだ。あなたも愛されているのだ。今度はあなたが幸せになっていい番だ、と。エレス――俺は待っている』」

 最後のサラの言葉にエレスは顔を上げた。

「ああ、ほら……また泣く。サラ、あんた花嫁を今ここで泣かすんじゃないわよ」

 アリスがそっと後ろから花嫁の両肩を抱いて彼女を扉へと押し出す。サラが花嫁の右手を取った。

「さぁ、行きましょう。皆も待ちくたびれているわ」






 故郷の空を思い出させるような限りない青い空が広がっていた。

 見覚えのある赤茶色の門は少し開いていて、それを先に歩くアルフォードが押し開いた。

 まず目に飛び込んできたのは、蔦の緑が艶やかな懐かしい木の家。碧色の小花が二階から地面へと流れるように咲き乱れる様子は以前と同じだ。

 だけど、その家の前に集う顔ぶれは――――

「ラファ……に、皆も……」

 愛しい黒の男を真ん中に据え、エレスの知る顔が彼の両隣に揃っていた。

 チェルシーとデニー。

 ジャスティン、パーマストン学校長、エレノアにタニス。

 レノアにレオナルド。レオナルドの肩の上にはソフィアが羽を降ろす。

 元白界人だったレノアの横には……懐かしい世話役の姿。そして彼女の肩をそっと抱く白界の王、兄のウィンデル。

 黒の男の隣には緑界の王、リアム・ホープが微笑んでいた。そしてリアムに寄り添うようにして立つのは先ほど休みたいと言っていたエマ。

 さっきの嘘を誤魔化すように真紅の女はちろりと舌を出して肩をすくめて見せた。

「どうして……皆が……」

「どうしてって……」

 右少し手前を歩くサラがエレスの右手を取り、エレスを立ち止まらせることなく前へ進ませる。

「皆、二人のために集まったの。ううん、むしろエレスの為に、と言ったほうがいいのかしら」

 サラがエレスの手を黒の男へと引き渡す。

 治療師の言葉に男は頷いた。

「エレス……去年の今日、何をしていたか覚えてるか?」

「えっ……」

 ラファの手からじんわりと温かさが伝わってくる。

 はじめて感じた時のラファの熱を。二度とこの手を離さないと誓った彼の言葉を思い出す。

「俺は大樹の森で一人の女に出会ったんだ……今日はちょうどその女が緑界に来て一年になる」

「今日で一年……?」

 エレスが震える声でそう言った時、どこやら上空の方から甲高い鳴き声が聞こえ、茶色の子リスが黒の男の肩に上に飛び降りた。茶色と白色の小さな身体には何かが紐で括りつけられていた。

 男はそれを子リスの身体から外してやると、エレスの手の中に落とした。

 首飾りだった。

 大樹を形どった手作りの木の飾り。真ん中には三つの石が埋め込まれてあった。

 葉の部分には乳白色に輝く石が。

 幹の部分にはホープ家の緑の石が。

 そして根の部分には黒の石が輝いていた。

「耳飾りなんて持っていなかったから、どうしようとずっと考えていた。出来上がってみたら耳飾りにするには大きくて、首飾りになったけどな……ごめん」

「そんなっ……」

 エレスは耳飾りの事を気に揉んでいた自身が急に恥ずかしくなった。

 ラファは耳飾りの事を忘れたわけじゃなかったんだ。こんなに真剣に考えてくれていたのに……

「……受け取ってくれるか?」

 もう一生分の涙を流してしまったのではないかと思うほど、エレスの涙は次から次へと止まらない。

 エレスの手から首飾りを取ったラファはそれを細い首へとかけた。

「あっ……わたし、も……ラファに受け取ってもらいたい物が……」

 そう言った後に、エレスははっとする。今言った「物」は白界にしか存在しないのだということに気づいたのだ。

「でも……ここにはないのだけど……」

「エレス様。もしかしてこれではないですか?」

 聞き慣れた世話役の声が耳に届く。

 もう決して会うことは叶わないと思っていた彼女が兄の隣で微笑んでいた――――緑の葉が付いた枝を持って。

「必要なんじゃないかと思いまして持って参りました」

「僕の妃はなんと用意がいいんだろう、そう思わないか、妹よ」

 大好きな兄が妹に片目を瞑る。

「ローラ……王妃さま」

「エレス様。これからも『ローラ』とだけお呼びください。私はいつまでもあなたの世話役であり、姉でもあるのですから」

 手渡された枝を受け取ったエレスは前に立つ黒の男に視線を向けた。

 微笑むのは見慣れた黒の瞳。子リスの尻尾がラファの尻尾髪と並び、毛先が風に揺れていた。


「一年前の今日、私を助けてくれてありがとう、ラファ。私……誓いをお受けします」


 差し出された愛しい女からの緑色の葉を受け取った黒の男は満面の笑みを浮かべる。

 葉と同じ色をした瞳を見つめ返した彼は未だ彼女の頰に伝い落ちる涙にそっと唇を寄せると……

 二人は周囲の拍手と歓声に包まれたのだった。









ここまで長々と読んで頂きありがとうございました。

川乃 亜由

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