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後日談 (前編)

 パンッと濡れた洗濯物を叩いて干す音が裏庭に響く。

 白く洗い上げられたそれらは温かい風に吹かれて揺れていた。

 青い空を見上げて今日もいい天気になりそうだとチェルシーは手を額に当てて、眩しげに目を細めた。

 台所から漏れる朝食兼昼食の匂いは腹の虫を活発にさせる。

 台所の真上の二階の窓がまだ閉まっていることから寝坊助の二人はまだ夢の中だろうか。

 昨日は二人共夜遅く戻ってきた様子だったから、今朝はこちらから起こさず、ゆっくりと寝かせてやろうとチェルシーと夫のデニーは思っていた。だから自分達も朝食は果物を搾った物を口にしただけで先に細々とした雑用を済ませてしまった。二人と一緒に食事を取りたかったからだ。

「そろそろこの匂いでラファなら起きてくるかねぇ」

 部屋まで出向いて甘い朝の時間を邪魔するほど野暮ではない。だから匂いで二人を階下へと誘い出す。

 久し振りに会う二人の顔を思い浮かべながら歌を口ずさみ、チェルシーは空いた籠を抱えて家の中に入っていった。




 頰に当たる尻尾髪がくすぐったくて、エレスは目をゆっくり開けた。

 斜め上には黒い髪。枕に半分顔を埋めるようにして愛しい男は微かな寝息を立てていた。

 いつもだったらラファの方が起きていて、隣は空っぽといったことも少なくないのだが、今日はなんと珍しい。

「昨日まで、強行だったもんね……」

 人差し指で男の鼻をつつく。ラファは犬のように二度鼻を動かして、また寝息を立てた。

 ソフィアからの手紙が届いたのが三日前。

 それからすぐに村を発って王都まで急ぎ足で戻ってきたのだ。

 家に辿り着いたのは月明かりが眩しい頃。

 チェルシーとデニーを起こさないように抜き足差し足で部屋に入ると、二人して小さな寝台に崩れたのだ。

 エレスは自分の部屋がまだあるのだからそっちに入れば良かったのだが、

 「俺の寝台は……エレスのより大きいから」と腕を引かれ、エレスはそれを振り払うことが出来なかった。

 昨晩はどうしたんだろう? 村ではいつも別の寝床に入るのが当たり前なのに……。

 ラファが「んっ……」と声を漏らしてエレスの方へ顔を向けた。

 黒の瞳は閉じられていて、今は見えない。長いまつげが細やかに揺れるのをエレスはじっと見つめた。

 真っ黒じゃなくて……ちょっと茶色かも。

 あっ……髭も生えてきてるし……。

 耳、大きいなぁ。あっ、右耳の中にすごく小さな黒子……。

 至近距離になったのはもちろんこれが初めてじゃない。

 でもいつもはラファがこちらを見つめていて、その視線が恥ずかしくて、どこか彼をちらりちらりと盗み見ることしか出来なかった。

 だからこんなにも間近でじっくりと観察するのは初めてで……一つ一つの新しい発見に胸が高鳴る。

 いつも優しく「エレス」と名前を呼ぶ唇がほんの少し開いているのを見て、エレスは自分の頰を両手で覆った。

 わ、私から口づけたい! とか……駄目かしら!?

 だ、だ、駄目だわ! せっかく気持ちよさそうに眠ってるんだもの。

 もうちょっとだけ……こうして見つめていたい……だからどうか、まだ起きないで。

 しばらく寝顔を見つめた後、エレスはそっと温かい胸に手をあてて耳を当ててみる。

 ドクンドクンと規則正しく打たれる鼓動。

 大樹の中を通った時と同じように心から安心出来る音。

 この音が続く限り、自分はこのひとと一緒にいるのだ、とエレスはいつも思う。

 そして……徐々にまたエレスの瞼がとろんと重くなり――夢がエレスの手を取る一歩手前で、ふわりと温かい風がエレスの額を撫でた。びっくりして目を見開く。

 ラファの唇が押し付けられたのだった。

「――――ラ、ラ、ラファ!」

 見上げれば黒の双眸。朝日が差し込んで輝いている、とは恋の欲目か……

「起きてたなら起こしてくれたら良かったのに」

「う、うん」

 先ほどまで自分が思っていた事が恥ずかしくてエレスは朝の挨拶すら口に出来ない。

 自分の体がラファにとても近いのに気づいて、エレスは少し体をずらして上半身を起こそうとしたのだが――――

「もう少しこうしていたい」

 ラファの手がエレスの体をまた寝台に埋もれさせ、今度はすっぽりと彼の胸の中へと収まった。少し冷たい唇が首筋を伝い、エレスの体を震えさせる。

「ラファ……でも、もうそろそろ起きた方がいい、かも」

 陽はもう高く昇っている。

 階下から上がってきた美味しそうな卵やデニーの焼きたてのパンの匂いが、エレスにチェルシーとデニーが朝食を用意してくれているのだと知らせてくる。食いしん坊のラファの事だから、エレスよりも匂いに早く気づいているだろうに……彼は起き上がろうとはしない。

「うん。でも……寝起きのエレスの顔を……もっと見ていたい」

「そ、そんなのいつも見てるのに……」

「うん。でも……今日は……特に綺麗だから……愛してる、エレス」

 妙に熱っぽいラファの声と視線にエレスの思考は破裂しそうだった。しかもこの姿勢が特に輪をかけてエレスを動揺させる。

 今朝はど、どうしたの?

 口下手なラファだが、それでも「愛してる」と言われたことは何回かある。

 しかし「綺麗」や「寝起きの顔を見ていたい」なんて甘い言葉を朝から囁くような人では決してないのに。

 まさか酔っているというわけではなさそうだし、昨晩は自分と同じ物を食べたので、食べ物が原因ではなさそうだ。

 ラファの唇がゆっくりと落ちてきて、重なり合う寸前の所でエレスはなんとか正気を取り戻す事に成功し、勢い良く体を起こした。

「チェ、チェルシーとデニーがま、待ってるし……昨晩は遅くて挨拶出来なかったから……そろそろ降りよう……ね?」

 足を床につけると寝台の軋む音が沈黙の部屋を埋めた。

 エレスは自分の部屋に一端戻って着替えを済ませようと思い扉に手を掛けた時、後ろでラファもまた寝台から降りる音がした。

「エレス」

「えっ、はっ……はい……」

「俺、リアムの所に先に行ってるから。エレスはサラの所に行くんだろ? 後で二人で来て」

「えっ……でも、朝食は……」

「チェルシーとデニーとゆっくりしたらいい。きっとチェルシーは色々エレスと話したがっていると思うし」

 リアムがいつもする仕草のように片目を瞑った微笑んだラファはエレスの為に扉を開けてくれ、今度は彼女の頭の天辺に唇を落とすと扉を閉めた。

 エレスは部屋に戻ってからもしばらくぼーっとして何も考えられず、なかなか身支度が進まなかった。




「起こしてくれれば良かったのに」

「でも本当に夜遅かったから。邪魔したくないと思って」

「で、こっちにはどれくらいいられるんだい?」

「まだ、良く決めてないの。ソフィアが来たの、突然だったし。村の人達の事も気になるし」

 デニーが女二人の間を行き来し、かいがいしくおかわりを持って来てくれる。

 カップに注がれたデニー特製のお茶はとれたての庭の花が可愛らしく水面に浮かんでいた。

「向こうの生活はどうだい?」

 チェルシーは二つ目のパンを小さくちぎって口に入れた。

「呼ばれる事が多くて村から村へ走り回ってるけど……行く先々でとても良くしてもらってる」

「あっちこっちで人気者だって聞いてるよ」

「人気者だなんて……」

 エレスは牛の乳を使った栗粥を匙で掬って口に運んでいたのを途中で止めた。

 ラファと一端王都へ戻ると伝えた時の村の友人達はとてもがっかりした顔をしていたのを思い出したのだ。

 また以前のように長期で帰るのかと聞かれたけれど、「分からないけど、でも必ず戻るわ」と答えるしかなかった。

 貴重な治療師が一人いなくなるのは心細いだろう。しかも最近は妊娠する女性が増えていて、今では村でエレスは一番頼りにされる存在になっていたのだ。

 だから自分がいなくなるのが無責任なような気がして、以前からいる治療師に不在の間、出来るだけ皆の所へ回ってもらえるように頼んできた。出発するまでは女達の調子は皆良好だったから、よっぽどの事がない限り大丈夫だとエレスは思う。

 ソフィアの手紙は緊急だったけど、こうして機会が出来て戻って来られたことは嬉しかった。

 ラファに至ってはリアムとなにやら話があるようで、それはまたリアムの護衛の仕事に戻る、という話ではないか、とエレスは少し不安に思っていた。

 もしラファがこのまま王都に残りたい、と言い出したら……どうすればいいのか? 村でもラファは細々とした仕事を村人からいつも頼まれ、エレス同様忙しくしているけれど、元々ラファはリアムの下で働いていたのだ。エレスが村に戻りたい、と言ったから快くついて来てくれたわけで。ラファがもう村に戻りたくないと言ったらエレスにはその彼の気持ちを無視することは出来ない。しかし、村々では王都よりも治療師が少なく、彼らを見放すことも出来ないのも事実――――


 黙りこんでしまったエレスの変化を見てチェルシーは話題を変えた。

「それにしてもエレス、あんたしっかり食べてるのかい? もともと食の細かったあんただけどさ、少し痩せたように見えるよ?」

「う、うん。食べてるよ。帰っている道中は急いでてこんな素敵な食事は食べられなかったけど」

 デニーがエレスの言葉を聞いた途端、おかわりを持ってこようとしたのをエレスは丁重に断った。これ以上食べたらお腹がはち切れそうだったからだ。

「でもね……前よりも食べなくていいの。お腹がすくって事があまりないの……記憶のせい、かもしれない」

「記憶の?」

「ほら、白界フトゥールでは『食べる』っていう事をしないって言ったでしょ? だからその影響があるのかも。力が前より大きいのもそのせいじゃないか、ってラファが言ってた」

「そうなのかい? でも今にも腕なんか折れてしまいそうだけどねぇ……せっかく食のおいしい緑界エトゥールにいるんだからもったいない気もするけどさ。前みたいに戻したりすることないんだろう?」

 チェルシーの隣に腰を降ろしたデニーが眉を下げて心配そうにエレスを見つめた。

 その視線を感じ取ったエレスは「大丈夫」と言うようにデニーに微笑んで見せた。


 後片付けを一人ですべて引き受けたエレスは、手際の良さをチェルシーとデニーに褒められた。いつも家の事はラファと半々でこなしているのだ。慣れたものです、とエレスは胸を張る。それから特に料理の腕は上がったとラファに言われた事を話せば、チェルシーは

「そりゃここにいる間に一つ腕を振るってもらおうじゃないの」

と、膨よかな体を揺らして楽しそうに笑った。






 後片付けも済み、エレスはサラの家へと向かった。

 王都はたった三ヶ月ぶりなのに、もう一年以上離れていたように感じる。

 しかしよく考えてみると冬の間は村に住んでいたし、色々あって帰ってきてからも、街中の片付けやらリアムの即位式やらと忙しく走り回っていた。その後ゆっくりする暇もなく村の女達の事が気になってすぐまた村へラファと戻ったのだから、久し振りに思うのも当たり前かとエレスは思う。

 今となっては王都が「帰る」場所なのか、村が「帰る」場所なのか。

 どちらにせよ、エレス自身にとって「帰る」場所があるというのが緑界エトゥールで暮らす意義になっていると思える。

 白界フトゥールにいるべき自分が大樹の恩恵で緑界で暮らすことが出来る――――愛する人達と共に。この幸せがエレスにとって毎日の活力となっていることは否めなかった。

「あら? エレス? いつ戻ってきたの?」

「おかえり、エレス!」

「あー! エレスだぁ!!」

「おお、エレスじゃないか! サラの所に行くのかい? 帰りに店に顔出しなよ!」

 すれ違う人達が皆、エレスの顔を見るなり声をかけてくれる。

 目的地はすぐそこなのにいつもより倍以上の時間をかけてようやくサラの家に辿り着くことが出来た。

 扉を叩く前に中から扉が開いて懐かしい顔が飛び出してきて――エレスを抱きしめる。

「外の皆の声が響いて聞こえてきたわ! エレスだってすぐ分かった」

「遅くなってごめんなさい。チェルシーとデニーの朝食が美味しくてついゆっくりしちゃったの」

「ふふっ――――チェルシーがあなたを離さなかったんでしょ?」

 肩の所で切り揃えられた焦げ茶色の髪が同じ色の瞳と共に揺れていた。

「待ってたわ、エレス。急な知らせでごめんなさい」

 エレスの親友であり、治療師の師匠でもある、サラ・ユーナスは申し訳無さそうに眉を下げて苦笑いを浮かべた。


 ジャスティンは学校に行っていて留守だった。

 エレノアとタニスを始め、学校の皆に変わりはない事を聞き、エレスは明日にでも学校に顔を出してみようと決めた。

 そして手紙の件を切り出した。

「ソフィア、迷惑かけなかった?」

「あっ……ははっ……えっと、相変わらず私は嫌われているみたいだったけど、彼女が来た時にラファがちょうど帰ってきたから……大丈夫だったの」

「そう。別の鳥にしようとしたんだけどね、手紙を書いている時にちょうどソフィアが父の手紙を持って来てくれたの。そうしたら彼女、自分が行くって聞かなくて。いつもならこっちがいくら頼んでも絶対私と父の間以外は飛んでくれないのに。おかしいわよね」

「多分それ、ラファに会いたかったからかも……それと、私が兄を紹介しなかった文句を言いに来たんだと思う……」

「あぁまったく、あの鳥ときたら!」

 サラは額に手を当てて脱力した。

 ソフィアがかなり年上であることは間違いないのだが、いくつになっても男好きなのは変わらない。女に対してはとても厳しいが誰も彼女を憎めないのよね、とサラは付け加え、女二人はくすりと笑いを零した。

「できるだけすぐにとは書いたけど、こんなに早くに帰ってきてもらえるとは思ってなかった。急がせたでしょう? ごめんなさい」

「大丈夫。急いで村から戻ってくるのは慣れてるから」

 肩をすくめてエレスは笑う。

「でも、他には何も書かれてなかったから……ラファが特に心配してて……リアムのことじゃないかって言ってたの。本当?」

「さすが、ラファね。リアム様……に関係あるって言えば関係あるんだけど……」

 サラが少し困った顔をしながら胸元の首飾りに手を当てた。

 それはサラが結婚の約束としてジャスティンからもらった耳飾りを首飾りとしたものだった。

 金にほんのり茶色がかかり、涙の雫の形を取った石は大きすぎることもなく小さすぎることもなく、サラの胸元で輝いていた。石に通された細い鎖と共にサラの華奢な首の回りを静かに、それでいて品よく彼女の内外面から沸き上がる美しさを引き立てている。

 エレスの視線に気づいたサラが触っていた石を持ち上げた。

「これ、やっと出来たのよ。首飾りなんて今までほとんどしたことがなかったから、これをつけるようになって考え事してる時とか何気についつい触っちゃうの。もう癖ね」

「綺麗……。ジャスティンの髪の色、でしょう?」

「そう、分かる?」

 そう言ってサラは照れた顔を見せる。エレスはサラのその顔を見て、

 ――――ああ、幸せそうだなぁ

 と心の底から嬉しく思った。それと同時にちょっぴり悲しくも思った。

 ――――自分とラファの事を考えたからだ。


 ラファから想いを告げられて、エレスもその彼の気持ちに応えてから暫く経つ。

 二人の関係は確かなものだったが、それでもそれをより確かにするために一つだけ、エレスには欲しいものがあった。

 ラファの耳飾りだった。

 彼が耳飾りを始めとする装飾品を身につけないのは知っていた。持ってすらいないことも知っている。

 だからもうラファから耳飾りをもらえないのだろう、とエレスは諦めていた。

 だけどこうしてサラの首飾りを目の当たりにして、ああ、やっぱりいいな、という気持ちが胸の底から沸き上がってくるのを隠せない。

 サラとジャスティンのように想いを寄せ合う男女が耳飾りを結婚の約束として男から女に贈る――――というのがエレスはとても素敵なことのように思うのだ。

 それは生まれ育った白界で女が男に緑の葉を贈って愛に応えるのと少し似ていて、ラファと自分の事を考える度にエレスの小さな胸は早鐘を打ち始める。

 しかしいくら待ってもラファの口からは耳飾りの「み」すら出て来ない。

「ずっと一緒にいる。離れない」というラファの言葉を疑うわけではないのだが……現に村に一緒に来てくれて新しい生活を二人で始めたのだが……

 エレスは思う――――だって……憧れだもの。

 皆から祝福の中、大樹の下で誓い合う言葉。

 優しく自分の手を取るのは愛する人。

 「エレス」と優しく呼ぶのはこれから黒界へ旅立つまでずっと共に過ごす男――――


「エレス? どうかした?」

 サラの呼びかけにエレスは我に返り、なんでもないのと手を振り、話を手紙の件に戻す。

「実はね、エマ様の事を少し心配したリアム様が私に相談されたんだけど、どうせなら、エレスの方が確実で、安心出来ると思って」

「エマ様……? がどうかされたの……あっ、もしかして……」

「そう。あなた達が旅立ってすぐにご懐妊されたから、もう三か月ほどになるわ」

 エレスは手を合わせ喜んだ。でもサラの少し暗い表情を認めて、エレスは眉を顰めた。

「お腹の子どもは順調だと思うのよ。でもね、エマ様の心の持ちようというか、それがちょっと不安定なのよね。リアム様も色々手は尽くされてはいるんだけど……。見えない不安に飲み込まれてしまう母親がたまにいたりするのよね。でも大体は大きくなってくるお腹を見て徐々に心が落ち着いてくる、というか……ほら、エマ様、気性が激しい所があるから……それが輪をかけて酷いのよね……」

「サラの見立ては順調なのよね? 他の治療師の方は?」

「アリスの方が赤ちゃんに関しては経験が豊富だから彼女にも診てもらったけど、特に問題はないって」

「二人の優秀な治療師でもエマ様は診断に不安があるっていうこと?」

「私達の診断を信じている、と仰ってくださるけど……リアム様によればね、でもなぜか特に月が綺麗に見える夜に限って泣かれたり喚かれたりされるみたい。どう、思う、エレス?」

「月……?」

「リアム様にね、エレスに一度診てもらいたいってお願いされたから手紙であなたを呼びつけた形になったんだけど……エレス、お願いできるかしら」

 サラが不安気にエレスを見た。

 彼女の視線を見て、ああ……とエレスは納得する。

 エマは昔からエレスに良い感情は抱いていない。無理もない。子どもの父親が昔好きだった女がエレスなのだから。

 そんな自分がエマの近くに行くことすら彼女は許してくれるのだろうか。

 エレスは困っている妊婦がいればどこであったとしても助けに行きたい。

 それが知っている人ならなおさらだ。

 お腹の子どもはエマだけの子どもではないのだ。リアムの子どもでもあるのだ。だから余計にエレスはエマを助けたい、と思う。

 エマがエレスにそれを許してくれれば、の話しだが……

 それに……以前感じたエマに対する居心地の悪さも思い返される。

 しかし、エレスは思い直した――――以前の私と今の私では違うのだから。エマ様だって、あの時はリアムに想いを寄せられていた頃なんだし……大丈夫よ、大丈夫。

「……私の力が役立つのなら、エマ様をお助けしたいわ。私が赤ちゃんの様子をお伝えすればきっと心も少しは安らぐんじゃないか、とサラは思っているんでしょう?」

「お願い出来る、エレス?」

 サラはぎゅっと手を握りしめる。それにエレスは笑顔で返す。

「もちろんです」

「ありがとう! リアム様もきっと喜ばれるわ!」

 大樹に与えられた力を人が求めるなら求められるだけ返していきたい――――それがたとえ自分をよく思っていない人であったとしても。

 エレスは自分自身を落ち着かせるにもゆっくり息を吐いた。






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