型に嵌めるべきではない
文才なくても小説を書くスレで、お題を貰って書きました。 お題:アイドル
「……つまり巷間に良く言われる、ツンデレやヤンデレという分類こそがキャラの魅力を消しているといっても過言ではない。
ツインテキャラという分類もそうだ。ファンならばそのキャラならではの雰囲気や風情を探し出し、それを分類とするべきであって、巷に溢れかえっているファッションの一つを以ってしてそのキャラを表現するとは何事だ。
懐の広さ。優しさ。了承の早さ。若さ。美しさ。穏やかさ。謎ジャム。年上の人。料理の上手さ。そういう要素は彼女の一部でしかなく、分類上のタグにするにも不適切。だからこそ、秋子さんは秋子さんで、何キャラとも呼ばれない。
ファンはキャラをそういう風に読み取るべきだし、製作者はそれ程迄のキャラにすると努めるべきなのだ。
もう一つの例として、新たなるカテゴリー、もしくは用語としては普通に存在するがそのジャンル的には広く流布していない用語でキャラを表すこともある。それはファンの行動としてアリだろう。
曰く、PAD長。曰く、瀟洒。この場合の瀟洒は、瀟洒なとか、瀟洒だとかいう形容動詞的な働きを示さず、瀟洒という名詞として用いられることも多い。用例としては、『さすが瀟洒』とか『瀟洒きた』とか『瀟洒だな』とかが挙げられる。
これはつまり、風情の用語を以ってして彼女の個体を意味しているからであり、それ故にこそ、昔ながらの言葉ではあっても彼女個人を指し示す単語になりうる。
つまりは、キャラ分類とは他のキャラとの類似点を探すことではなく、そのキャラにしかない魅力を見つけ出す目的で行われるべきなのである。
そうしてそのキャラに没入してこそ、見えてくるものがある。
ツンデレキャラが語られるにあたって、幼馴染キャラという分類は下火になった。タグや設定としての存在ではない。キャラ分類として主流ではなくなったというべきだ。
ツンデレはその語源に由来する通りにツンツンデレデレという二つの側面を見せる存在である。昔の見せ方とは差異もあるが、その点に関してのブレはない。
いわんや幼馴染をや。
ツンを見せない幼馴染とはなんだ。デレを見せない幼馴染とはなんだ。リアルならそれは大勢いることだろう。だが、物語の中でそんな幼馴染などいるか。
明らかに最初っからデレまくりのキャラですら、攻略時にはアクセントとして主人公との隔絶を入れられるのだし、かのラスボスなどはツンから始まるツンデレを見事にゲームシステムに組み込まれているではないか。攻略したいかは別として。
そうだ。驚くなかれ。つまりツンデレとはその行動パターンはかつての名作の幼馴染がとった行動と殆ど差異はない。突き放しても大丈夫という信頼感。もしくは見失っていた魅力の再確認。これらは身近にある存在に対してなら創作の世界では散見されるパターンで、だからこそ日常から身近にいる設定の幼馴染などもその分類に含まれる。
だが、誰がらんま1/2のあかねをツンデレキャラと呼ぶか。あの作品は確かに名作であったし、その作中のキャラは魅力的であった。故に、あかねはあかねというキャラであり、ツンデレキャラというタグが構成に付け加えられたとしても、人は彼女を古参のツンデレとは呼ばない。
ただあかねとだけ、呼ぶ。
それを指してツンデレキャラと呼ぶなんて、このなんと無味乾燥なことか。
知っている人は思い出せるだろう。どたばたコメディの日常でみせた数々のあかねの素の表情を。それが、そのパターンをするキャラだから生まれたものだと、馬鹿な。分類を意図せずに、愛しいと思われるキャラをとひたすら思い描いたからこそ彼女は今も生き生きとしているのだ。
であるからして、好きなカテゴリーのキャラであるから好きだというのは間違いなのである。
例えば、年上の人。旦那の姿が見えない(又は後家)。そういう分類で音無響子と水瀬秋子を同類としていいものか。
前者はまだまだ化粧っけもあり、掃除のときにはすっぴんに近く出かけるときには化粧をしっかり施した様が見て取れる。対して後者は、絵の少なさもあるだろうが、その立ち位置に求められているのは家庭的な穏やかさ。つまりは化粧をして己を美しく見てもらおうというようなアイシャドゥを引いた攻勢的な瞳ではなく、主人公のいいところをしっかり見る優しい視線であることが求められている。つまりは、そのキャラの概念として化粧という行為が不適切となっているのだ。
そう。彼女たちは別の存在であるし、カテゴリー分けをしていくとそういう根本的なところで相反する性質を持っていたりする。
響子さんの亡き夫に操を立てようとしつつも尚も女であろうとする姿勢が好きな人もいれば癇に障る人もいるだろう。
秋子さんの夫の存在すら悟らせず、女としての魅力を有しつつも決して手の届かないところにいる事に対して不満を覚える人もいれば、むしろそれで萌え上がるM気質の人もいるだろう。
だが響子さんが好きで、でも物足りなくてそこに母性を求める人や、秋子さんが好きで、どうにかして攻略したいので女であってほしいと願う人もいる。それは間違いなどではない。
根本的な違いはあるのに、十把一絡げに分類することの愚を説いていただけであって、しっかりとそのキャラを見据えた上で、更に別の側面から愛したいという願いを払いのけるようなことはしない。
なんとなれば、それこそがファンフィクションのあるべき姿だろうからだ。
もっと○○であってほしい。もっと××したい。そのキャラを心底好きになったからこその思いの発露を誰が否定しようか。
賛否両論あるだろうが、私はここで夏Kan○nをこそ評価したい。
あれこそは、秋子さんを秋子さんのまま、本編に見せなかったヒロイン的な部分をより深く色濃くした作品だからだ。
そこでは謎ジャムも、了承も影は薄い。色濃いのは秋子さんという風情であり、秋子さんの女としての側面である。
そして、それを見た上でも本編がギャグになることもなければ、エロい目で見たことにより攻略できない不満を募らせることもない。
あの作品でのHな側面は、エロいことができるヒロインというカテゴリーを生み出さないのだ。あくまでも秋子さん。彼女の淑やかで穏やかな風情そのままに、夏の熱気と夜の闇が交じり合った真夏の夜の夢の如き幻惑の一時であり、そういう側面もあるのだなという説得力はそのまま、普段の笑顔の穏やかさをより魅力的に見せてくれる。
与えられるばかりではない。紋切り型に解釈するばかりではない。
受け止めきれる限り受け止めて、生み出せる限り生み出す。そしてそれは決して本来の道筋を外れぬように、尊敬と、尊重と、尊崇と、そして敬服するばかりではなく慈愛と慈悲を以って、その魅力を更に引き出そうと努力するべきなのだ。
故にこそ、偶像崇拝は唾棄するべきなのである。
アイドルはうんちしない。こういう文句がある。これは一面では正しく、一面では間違っている。
実際はアイドルといえど人なのだからうんちくらい当然するだろう。だが、プロデューサーが見せるべき方向がそういうのであるなら、心の底から妄想するべきなのだ。穢れなき少女というものを。それは正しい。
そして過ちとは、うんちしないアイドルという清純像に囚われて、その魅力以外を見い出せないままでいる事だ。清らかだからうんちもしないだと、何を馬鹿な。まだまだ修行が足りていない。
清らかな存在がうんちするのがいいんじゃないか。
だが、ここで重要なのは、昨今はやっている”等身大”なアイドルとは趣を異にするという点だ。その辺でありふれている人程度に汚れている存在がその辺の人程度に汚れていてどうして萌ゆることが叶おう。
汚すべからずという神聖不可侵な存在だからこそ、汚れた時の魅力もまた深まる。そういう意味では、根源は原理主義者であってもいいのだ。
それゆえにこそ、自由な原作解釈などは時には論争の種となる。作品を尊重しているのか、作品を愛しているのか、そこを疑われたのならつまりはそれを見せるべき原作のファンを全て敵に回すことにもなりかねないからだ。
決して崩してはいけないイメージをそのままに新たな魅力を付加していく。それこそが二次作家が最低限守るべき規範であり、伝え広めるべきモラルであると思う。
往々にして、そういう規範を持たない二次作品上では主人公の敵とカテゴライズされた存在は、そのキャラ本来の味も失い目も当てられないようなやられキャラにされたり、逆に主人公に対するヒロインとカテゴライズされた存在は、そのキャラが本来独立姿勢の持ち主であったとしても嘆かわしいまでの従属物にされていたりする。
これは全てカテゴライズから生まれた弊害であり、物語的に戦って物事が改善するかどうかすら定まらない存在であるなら主人公よりも強くていいはずだし、物語的にヒロインの道を進むかどうかすら定まらない存在であるなら主人公と触れ合わなくてもいいのだ。
それは決して勝つなとかくっつくなとか言いたいのではない。
そのキャラを活かすに、勝つ必要があるのか。そのキャラを活かすに、蕾を散らす必要があるのか。そういうところをしっかり考えるべきだということだ。
創作によって原作に触れる者には責任がある。
より愛すべしという責任だ。
己の筆で、ペンで、マウスで、キータッチで、そのキャラに触れるというのなら、せめてそのキャラを愛そう。
いま、大切な友をを思い浮かべて、友というカテゴリーだから大切だと思うものなどいないだろう。悪友か、親友か、腐れ縁か、ライバルか。どれであっても、そのカテゴリーは後付に過ぎないと分るだろう。
恋人がパートナーを想う様に、母が子を慈しむように、友を信じるように、先達を尊敬するように。そのキャラをそのキャラとして愛そうではないか。
それこそが、偶像を廃する本来の目的であり、偶像を廃することによって得られる幸せな未来なのだ」
反論を差し挟む暇すらないくらいの勢いでそこまで言い切って、俺はゆっくりと息を吐いた。
しばらくの沈黙。それを破ったのは、めがねとスーツが似合う年配の人の声だった。
「ご高説は、まあ、熱意は受け取った」
そういうと先生はメガネをクイと指で押し上げて、聞いてきた。
「だが、今はどこで何をしている時だったかな?」
だから俺は自信満々にこう答えた。
「はい、今は学校で、世界史でムスリムによる偶像崇拝の禁止がキリスト社会に伝わった所を教わっていました」
アイドルというお題をアイドルのままに使うなんて安直だろうと思いましたので、こういう形にしました。
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352 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2013/08/15(木) 18:22:05.55 ID:n4RMlHCW0
お題下さい
353 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします :2013/08/15(木) 18:23:24.25 ID:zzbL3qSPo
>>352
アイドル
356 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2013/08/15(木) 18:35:33.51 ID:n4RMlHCW0
>>353-354
把握しました