はじめてのお外
奇妙な共同生活が始まってちょうど一週間。
私はついに、覚悟を決めた。
「ミリー。出かけるよ!」
通じているのかいないのか、ミリーは私の顔を見つめてこくりと頷く。
「お出かけって、そんな一大イベントなの?」
のんびりとした声に私はキッと振り返る。
「文明社会はね!ミリーにとって、危険がいっぱいなの!初めて見るものばっかりだろうし!」
「でも、ここに来るまでにもう見てるでしょう。」
ごもっともなツッコミに、言葉が出てこない。
そうだった。
ミリーがタクラマカン砂漠からここへやって来たのだとしたら、外の世界なぞ当然見たことがあるのだ。
しかし、違う。
時折ベランダから外を見てはいちいち悲鳴を上げているミリーにとって、外の世界はまさにすべてが新鮮で、危険。
「サラちゃん、やっぱりミリーのこと、何か隠してるんじゃないの。」
ユウに問われ、私は口笛を吹く。
「そんなわかりやすい嘘つき初めて見たよ。」
ユウは笑うが、私は答えない。
「まぁいいや。」
その言葉にほっとする。
「俺もついて行っていいでしょ?」
「いいけど、つまんないと思うよ。」
「なんで?」
「女子の買い物なんて、つまんないでしょ。定説じゃん。」
「そんなことないよ。洋服選んだりするの、俺好きだよ。」
「ふぅん。」
慣れてそうだもんねー、と小声で呟くとユウは笑った。
「やっぱりサラちゃん、わかりやすいよね。」
「何が。」
「ヤキモチやいたりとか。」
…意味わからんから、聞こえなかったことにしよう。
さっくりと話題チェンジだ。
「ミリーがその服脱いでくれないからさ、ミリーのお気に召すようなワンピース買ってあげようと思って。」
もうここへ来て2週間になるのに、ミリーはかたくなに分厚い服を脱がなかった。肌を見せるのが嫌なのだろうかと無理やり冬物のハイネックや長ズボンなどを引っ張り出して見せても、決して首を縦に振らないのだ。
「だから、そういうところがわかりやすいんだってば。」ユウは笑う。
「さぁ、でかけますか。」
無視だ、無視。無視に限る。ヤキモチなんてやいてない。ただ人生の先輩として、いいかげんなことしてるといつか痛い目見るよと教えてやりたいだけだ。
事件は部屋を出てすぐに起きた。
マンションの廊下に出た瞬間、ミリーがひいっと声を上げて床に這いつくばったまま動かなくなったのだ。
悲鳴は万国共通なのか。
万国よりもさらに広いくくりに属するであろうミリーの言葉でも「ひいっ」なのねと感心しながらミリーの背中を軽くさすってやる。
マンションの3階の共用廊下から見える景色は、ミリーには刺激が強すぎたらしい。
「ミリー、大丈夫だから。」
ミリーはその姿勢のままじわりじわりと前に進んでいく。
匍匐前進ってやつか。
小太りの割に悪くない身のこなしにまたも感心していると、ユウがしゃがんでミリーの手を優しくつかんだ。
「ミリー、大丈夫だよ。手つないでたら、落ちたりしないから。」
優しい声。
ミリーは「ワオハァ」と言いながら、つかまれた手を振りほどこうとする。このおばさん、男の子苦手だからね。
が、ユウは離さない。
このメゲない感じ、こやつの心臓には間違いなく剛毛が生えている。
「大丈夫だから、ね?」
ミリーはじわりじわりと身を縮め、這いつくばっている、から座り込んでいる、に近い状態になった。
とそこへ、共用廊下の先にあるエレベーターの動くさらさらとした音が聞こえ、チンと音がしてドアが開いた。すれ違ったら挨拶するかな程度の同じ階の住人が姿を現す。いつも綺麗な服を着ている割にバッグだけがやたらと安っちい人。
私たちを見て一瞬足を止め、遠慮がちに口を開く。
「あの…大丈夫ですか?」
はたから見たら、大丈夫じゃないのだろう。
変な服を着て廊下に座り込む小太りのおばさんと、その手を握りしめる今風のイケメンと、背中をさする同じ階の住人。
「あ、すみません。」
私の口から思わず謝罪の言葉が飛び出したのも仕方ないってものだ。
変な光景作り出してすみませんだし、
バッグが安っちいなんて思っててすみませんだし、
よく考えたらここ、この人の玄関のドアの真ん前ですみませんだし、
ミリーがおびえてる顔って限りなくホラーに近いからすみませんだし、
日本人が「ありがとう」の代わりによく使う「すみません」でもある。
「いいえ…その…どうかされたんですか?」
「あー…」
この状況が全体的にどうかしてるのは間違いないけど、どこから説明すればいいのかわからない。
ミリーは目玉がこぼれ落ちそうになるホラー顔で住人を見上げ、何かつぶやいている。
「♨∃★⊇◎●※…!」
「☆ДΩ:…???」
「♨∃★⊇…!!!」
とまぁ、よくわからない言葉で住人とミリーが交信をはじめ、こっちの目玉がこぼれ落ちそうだ。ユウも驚いている。
この人、ミリーの言葉がわかるのか。
ミリーが思いっきり楽しそうな笑い声をあげた時点で私はその問いの答えが肯定であることを確信し、住人に声をかける。
「あの…言葉、わかるんですか。」
「わかりますよ!わたしの、故郷の言葉です…!」
「へ?」
「ミリーは、私と同じところから来たんです…!まさか、こんなところで同郷の人に会えるなんて…!」
住人は感動しきりといった感じで目を輝かせているが、こっちとしてはそんな余裕皆無だ。
「あの、ミリーの故郷って…」
「異世界です!」