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キャプテン・マリオン

 あの忌まわしいハイジャック事件から二週間。わが社も落ち着きを取り戻し、慌しい、日常の流れの中に居た。

 社長のリズ以下、オレ、マリオンの運行係三名のパイロットは事務所で会議を実施していた。

 リズがホワイトボードに《最重要案件》と書き込んでいた。

「営業努力が実って、大きな仕事を受注しましたわ!わが社の実力が試される時がきたのよ。皆、私に力を貸して!」

 リズに協力する事に対して異議は全くない。粉骨砕身、この重要案件に取り組んで見せてやるぜ。

「はーい!」

 元気よく手を上げたのはマリオンだ。小学生が授業で先生に指して欲しいみたいな挙手だった。

「ハイ、マリオンちゃん」

 リズがノリノリでマリオンに指を刺した。この二人、遊んでいないか?

「大きな仕事って何ですか?」

「今から説明するわ……耳をかっぽじって、良く聞いてね」

 リズ、女の子が「かっぽじって」なんていうなよ。何だか聞いているこっちが恥ずかしくなっちまう。

 リズはホワイトボードをグルンと廻して裏返しにした。そこには大きな紙が貼られていた。残念なのはホワイトボードがひっくり返る事を考えていなくて、貼ってある紙が逆さまだった。字が読み難くてしょうがない。マリオンは首を横に倒して逆立ちしそうな勢いだ。なにやっとんじゃ。

「あららら……たまにやるわよね、誰もが……ね」

 リズは照れ笑いしながら、紙を貼りなおしている。

 オレとマリオンはホワイトボードに張られた紙を見た。その紙は何かの設計図のような書き込みがなされている。円筒形の物体で正面、上面、側面と立体図が描かれている。

「リズ、そのでっかい筒はなんだい?」

「もしかして……スペース・コロニーを運ぶの?」

 マリオン……それはアーリャに積めないよ。マリオンは真顔でそんな事を時々言う。冗談なのか本気で言っているのか良く判らん娘だ。多分……本気だろうな。自分の発言に自信を持っているような感じだから。

「これはねえ、天体望遠鏡よ、よく天文台にあるじゃない。あの大きな望遠鏡よ。この望遠鏡を運ぶのよ」

「その天体望遠鏡を運ぶのがどうして実力を試される事に繋がるんだい?望遠鏡は精密機械だろうケド、そんなものは今まで沢山運んで来たよ」

 リズはニコッと笑った。含み笑いだろう。

「この天体望遠鏡をエルベ空港へ運ぶのよ」

「ハーイ先生!エルベ空港って何処ですか?聞いた事がないんですけど」

 エルベ空港……エルベ空港……どっかで聞いた事がある空港だ……何か凄い特徴のある空港だったような気がする。

「この空港は世界一離着陸の難しい空港って言われているわ」

 そうだ思い出した。パイロットが嫌がるランキング堂々一位の空港だ。

「えー?何が難しいの?」

 リズは机の上に地図を広げた。エルベ空港の周辺地図だ。オレにはもう難易度が高い空港の理由がわかってきた。だって、広げた地図はアルプス山脈なんだもん。

「エルウィンとマリオンちゃんに今回の仕事の最大の見せ場を説明してあげるわ」

 リズが赤いサインペンでマルを書き込んで行った。

「このエルベ空港の周りには一万四〇〇〇フィート級の山々が連なるアルプスの中にあります。当然山間部なので気流が悪いわ。飛行機が安定しないの。それに天気も凄く変わり易いのよ。霧、風、雨、雪、一日のうちで凄く天候が変わるのよ。そしてねえ……」

「そして……なんですか?」

 リズは地図に描かれた空港に丸で囲った。

「この空港は山を切り開いて無理やり作った空港なの。スキーヤーや観光客の為、山の上に作ったの。だから滑走路が九〇〇メートルしかないわ。幅も狭いのよ。定期就航している機体はボンバルディアとかビーチクラフトみたいな小型機よ」

 そんな所に降りるのか?アーリャで?

「九〇〇メートルの滑走路なんてアーリャで降りるのは大変だぜ、重そうな天体望遠鏡を積んでだろ。オーバーランしそうだ!」

「オーバーランは絶対禁止よ。だって行き過ぎたら、崖から真っ逆さまよ」

 そうか……天国へのダイビング。または、紐なしバンジージャンプじゃ。

「ねえ、リズさん。天体望遠鏡の重さは?軽いと制動距離が短くなると思います」

 珍しくもマリオンがまともな質問しているぞ。明日は雪だな。

 「そうね、望遠鏡は約一万二五〇〇ポンドよ」

 キログラムで言って三十トンだ。ベルーガのフル・ペイロードが四十五トンだから結構重い荷物だ。

会話の中でMKS単位系とヤード・ポンド法が飛び交う。頭の中で計算が大変だぜ。

「じゃあ、搭載燃料を減らしても、結構、制動距離が伸びそうね」

 オレは経験則から色々考えてみた。滑走路目一杯使って……フルブレーキして……スラスト・リバーサー使って……グランド・スポイラー立てて……ん?……九〇〇メートルの滑走路?

「降りられそうな気がするぜ。ただ……滑走路が乾いていて、機体が風上に向いて、燃料が空に近い状態なら……」

「えっ?エルウィン、ホント?あなた、降りられるの?」

 マリオンがオレに、にじりよって来た。餌に食い付くブラックバスのように。

「ああ、アーリャなら出来そうな気がする。アイツは元々A300がベースの機体だから飛行機自体はそんなに大きくないし、重くない。双発ワイドボディにしては小型だ。改造で、あんなヘンテコな格好になったけど」

「ヘンテコ言うな!イルカちゃんみたいで可愛いじゃんか!」

「まあまあ……二人とも喧嘩はよして。エルウィンの言う通り降りられるわ。ただ条件が揃って、アーリャちゃんを正確にコントロール出来ればね」

「でも、結構難易度が高い着陸になるのは間違いないな。オレは降りられるって言ったけど、練習はしておきたいよ」

 オレも百パーセント着陸できる自信は無い。シミュレーターで練習したい。

「そうね、練習が必要よ。さっきも言ったけど、山の天候は変わりやすいから、どんな気象状況でも安全確実に着陸できるように練習しなきゃ」

 リズの言う通りだ。着陸態勢に入ったら、突然雨なんてありえそうだもの。そうなれば更に難易度が上がる。

 三人とも考えてしまった。オレも、リズも、マリオンも着陸できるって言うのは理解できても、絶対的な自信があるヤツは居ないだろう。このフライトは二の足を踏んじまう。

 でもオレがやった方がいいんだろうな。空軍時代に野戦滑走路へ着陸する訓練やっていたもんなぁ。経験じゃオレが一番か?

「ハーイ!私にやらせて下さい。アーリャを私の物にしたいから……いつまでもリズさんやエルウィンに負けてられないもの」

 マリオンが手を挙げた。ほう、何て前向きなヤツなんだ。自分から困難な目標にチャレンジするなんて。マリオンは素晴らしい機長になるだろうな。

「そうね、いいわよ。マリオンちゃん。エルウィンもいいでしょ?」

 リズもマリオンの前向き発言に期待しているんだろう。

「異存は無いよ。マリオンが仕事を完遂できるよう、手伝うよ」

 そうだな、マリオンがこの先、機長として世界中の空を飛べるように、オレは力を貸すぞ。まあ、オレはたいした事はしてやれないけど。

「じゃあ、決まり!マリオンちゃん!来週から一週間出張ね」

 リズがビシッとマリオンへ指を差した。

「出張ですか?何処へ……」

「トゥールーズのエアバス本社。シミュレーター借りて、練習よ」

「フランスですか?お菓子が美味しそう……私、また太っちゃうわ……」

「オレの顔を見て言うなよ。オレはフランス語が苦手だから。やっぱり、マリオンの方が適任だよ」

「そうね、マリオンちゃん。お願いするわ。この仕事にはフレイヤ航空の未来が掛かっているのよ」

「わかりました。私、頑張っちゃいます。有難う、リズさん。エルウィン」

 マリオンは小さくガッツポーズをとった。うーん応援してやりたくなったぞ。

「それに……トゥールーズにはアーリャちゃんの兄弟が居るわ。五人のお兄さんが。ベルーガちゃんのパイロット達に色々聞いてみたら?」

「そうですよね、うちのアーリャは六人兄弟の末っ子だもんね」

「六番機だろ」

 ベルーガは六機製造されて、そのうち五機はエアバス本社で運用している。ヨーロッパ各地で作られたエアバス機の部品をトゥールーズへ運ぶ仕事をメインでやっている。そして最後の一機は我がフレイヤで発注したものだ。決して安いものではない。飛行機って。大きな借金をして買った。

「アンタは飛行に対する愛情が足りないわよ!あんなに可愛いのに」

 マリオンをまた怒らせてしまった。この娘はアーリャを凄く愛しているんだよな。迂闊にアーリャの悪口は言えない。

「じゃあ二人とも、格納庫へ集合して!この事を会社の皆に話すわ」

 オレ達ばアーリャの居る格納庫へ降りた。



「……と言うわけで、今回のプロジェクトはわが社の総力が試されます。みんな私に力を貸して下さい。社長として力及ばす、皆さんにご迷惑ばかり掛けています。その恥を忍んでお願いしますわ」

 リズは全社員の前でさっきの話しをしていた。

飛行機の部品が入っていた木箱の上に立って。この木箱には赤い缶スプレーで《Elizabeth Onlyエリザベス専用》と書かれている。

木箱に立つリズを囲むように全社員が揃う。我らの視線をその細い一身に受けて、リズは演説をしている。

「いいぞ!エリザベス!」

「おう!俺たちに任せておけ!」

 整備クルーの励ましの言葉が飛ぶ。リズは「みなさん、有難う」と言って涙を拭っていた。この会社はいいヤツばかっりだ。オレも居心地がいいなと思う。

「それで、もう一つ報告があります」

 おっ?何だ。さっきは無かった話だな。

 オレとマリオンは顔を見合わせた。マリオンの額にクエスチョンマークが見える。

「なんの話だろうね。さっきは無かったわ」

「そうだな。まあ、聞いてみようぜ」

 リズは腰に手を当て「コホン」と咳払いした。

「おかげさまで、わが社の業績は好調で、仕事も絶え間なく入ってきています。そこで私は思い切って業務拡張をする事にしました!」

「オー」と歓声が上がった。業務拡張とは景気いい話だな。

「と言ってもわが社は零細企業なので、無理な借金は出来ません。丁度、空軍から払い下げの中古格安輸送機を百ユーロで買っちゃいました。どお?お買い得でしょ?」

 百ユーロは格安すぎるんじゃなじゃないか?殆どタダ同然じゃん!そんな輸送機、本当に大丈夫か?離陸した途端、分解するんじゃねえか?リズ、騙されたんじゃないの?

「実は、その輸送機……今日、わが社に届きます。皆、楽しみに待っていてね!」

 リズの話が終わり、解散となった。皆、自分の持ち場に戻って行った。オレとリズとマリオンは三階の事務所に戻り、パソコンに向って仕事を始めた。

「新しい飛行機……楽しみ。アーリャの弟ですね」

 マリオンは飛行機を擬人化している。よっぽど好きなんだね。

「リズ、百ユーロなんて安い飛行機、良く手に入ったね。結構古いんじゃないの?二十年選手のC‐130Hハーキュリーズかい?」

「うふふ、どうかしら?……ただ、軍用機って民間のエア・ライナー程、酷使されないから、二十年でも傷みが少ないのよね。だからお買い得なのよ」

 エア・ライナーはお金を稼がなきゃいけないから、出来るだけ沢山お客を乗せて、絶えず飛んでいなきゃならない。当然傷みが早い。軍用は任務で飛ぶだけだから、格納庫にしまってある時間の方が長い。軍用機が退役する理由は性能が陳腐化するからだ。古くなって壊れたからじゃない。兵器は性能第一だから。

 リズは新しい機体の事をよほど内緒にしたいらしい。そんなに驚くような飛行機が来るのか?

 


 それから一時間。リズの「そろそろ来るわよ」の言葉の後、整備班長のクルト親爺の怒号が社屋に響き渡った。

「来たぞ!新しい機材だ!……何だこの機体は……XB‐70ヴァルキリーそっくりじゃねーか!」

 その声は火災報知機のサイレンよりデカかった。また、その声の内容にに悪寒が走った。

「うふふ……きたわよ」

 リズは細い目でオレを見つめ、口元を少し吊り上げ、不敵な笑みを浮かべた。まるで、映画女優のような作られた笑みだった。

 マリオンは窓を開けて、顔を出した。

「エルウィン!あれ見て!早く、早く!」

 マリオンが大きく手招きをして、オレを呼んでいる。そんなに凄い飛行機が来たのか?

 オレは窓から顔を出して、その飛行機を見た……鼻血が出そうなくらい驚いた。

「リズ、やっぱり騙されたし、全然お買い得じゃないよ。コイツは金食い虫になるよ」

 今オレの目の前に真っ白な機体がある。細く長いノーズ・コーン。操縦席の後ろにはカナード翼がある。二枚の高い垂直尾翼が太陽の光を反射してキラキラ輝いている。そして特徴的なデルタ翼は先端に上反角が付けられている。

「リズ、この機体は……届くと言うより、自分で飛んで来たんだろ」

「これ、この前のハイジャック事件の時の飛行機ですよね」

 リズがゆっくりと席を立ち、オレ達の方へ来た。

「説明は要らないわよね。XC‐7、試作超音速輸送機よ」

 見紛う事なき、その特徴的な美しい機体。愚直なまでに、スピードを追求した形が具現化したものだ。ハイジャックの時から変わっているのは胴体に書かれてあった《AIR FOCE》のロゴが消され、代わりに赤い文字でFryja Air Cargoと会社名が書かれ、垂直尾翼には我が社のコーポレートマークの豊穣の女神フライヤが描かれていた。

 プルルルルル……プルルルルル……。

 カンパニー・ラジオのコールだ。事務にある無線機が鳴っている。マリオンが無線機のスイッチを入れた。

 聞き覚えのある声が聞こえて来た。

『こんにちは、二週間ぶりですね。ミステル。いいや、ここではエルウィンでしたね。お元気ですか?リズ、フレイヤ航空の制服も可愛いですね。いやあ、見とれてしまいました。胸のボタンを二つぐらい外して谷間を見せた方がよりセクシーです。あとマリオンさんですか……もっと牛乳飲んだほうが良いですよ。身長とおっぱいが大きくなるように』

「余計なお世話よ!」

 こんなスケベ親父みたいな物言いをするヤツは一人しか居ない。ジャックだ。

「リズ」

 オレはリズを見た。目は口ほどに物を言う。オレは言いたいことを視線に集めてリズへ送った。

「この性能なら百ユーロは安いものよ。わが社の特徴は《他の航空輸送会社が運べない物を運ぶ》よ。アーリャは搭載力で勝負。XC‐7は《世界一速い荷物の輸送》が売りね。これも他の会社じゃ出来ないわ」

「そうだけどよ……スピード出し過ぎで、一歩間違えたら、Gとかで命を削る事になるぜ?」

 でも、オレはそれ以上返す言葉が無かった。リズの言う事はあながち間違いじゃない。この厳しい航空業界で生き残るには他社と同じ事をやっていてはダメだ。他に出来ないことが出来るから仕事がもらえる。そう考えると《世界一速い輸送機》も有りか?《マッハ三で荷物を配達》ってキャッチコピーを作れる。

『自分が皆さんのお役に立てるときが来ました。正直嬉しいです』

「ねえ、リズさん。エルウィン。クルトさんが言ってたヴァルキリーってどう言う意味?良く聞く言葉だけど」

「北欧神話に出てくる《戦乙女》だよ。戦死者の魂をヴァルハラに連れってくれるらしい」

「戦乙女?人工知能はスケベ親父なんだけど」

 マリオン。君の言う事はもっともだ。おっぱい好きのドスケベだ。

「《戦乙女》は表現としては古いわね……どっちかって言うと《美少女戦士》じゃないかしら?」

 うーん、リズ。訳し方としては間違ってないかも。

「戦乙女って仰々しい名前ね。戦争やってやるぞって感じ丸出しじゃない?」

「マリオンの言う通りだよ。コイツは軍用機だったから。軍用機ってそう言う勇ましい名前多いんだよ……でもさ……ヴァルキリーって戦死者をヴァルハラに連れて行くんだろ。兵器の名前としては縁起が悪いと思わないかい?戦死者だぜ……」

 オレはふと思ったことを言った。名前の縁起が悪いから先代のヴァルキリーは開発中止になったんじゃないか?

「そうよね。もう軍用機じゃないから、相応しい名前付けてあげましょうか?マリオンちゃん、何か良い名前はないかしら?」

「そうですね、神話繋がりで……ほら、頭が三つある犬って居なかったっけ?」

「あっ!わかったわ。それって《キングギドラ》でしょ!勇ましい名前ね」

「違う!それは《ケルベロス》だ。地獄の番犬だ」

「地獄って縁起悪いわね……じゃあ、どうしようか……」

 結局、いい名前が出てこなかった。ヴァルキリーをドイツ語読みして《ワルキューレ》で行く事になった。マリオンが言う正確な本名は《ワルキューレ・ブリュンヒルデ》と言うらしい。

 もう、何でもいいよ。



 翌週。

「ジャック……オート・パイロット」

『コピー。オート』

 オレは今ワルキューレに乗って一路、トゥールーズへ向っていた。今日の積荷はベルーガの故障部品、消耗部品をトゥールーズのエアバス本社へ運ぶ。故障品は修理をしてもらい、消耗部品はリビルトして再利用する為だ。そして、一番大事な積荷はオレの左隣の機長席に座っている。本日よりエアバス本社でシミュレーション訓練を実施するマリオンだ。部品をトゥールーズへ運ぶついでに、彼女も一緒に行く事になった。

『マリオン、如何ですか?ワルキューレは』

 マリオンはワルキューレで飛行するのは初めてだ。ジャックはその事が気になるようで、さっきから、しきりにマリオンを気遣っている。

「……可愛くない……」

『なんと?』

「可愛くないわ、この飛行機。定規で線を引いたような角ばったデザインなんだもん」

 マリオンの感想は可愛くない……多分、ジャックはワルキューレの性能に付いてマリオンに尋ねたんだと思うけど、マリオンの答えは……ジャックがちょっと可哀想になった。

『このワルキューレのデザインは音速の三倍のスピードを出すためのデザイン……機能美なんですよ』

「だって可愛くないんだもん。翼は三角定規くっ付けたみたいだし。アーリャの方が可愛いわ」

 オレはアーリャを可愛いと思ったことは無い。むしろカッコ悪いと思うぞ。その点、ワルキューレは美しい機体だと思う。

『エルウィン、何とか言って下さい』

「オレに振るなよ!マリオンの素直な感想だと思うぞ」

オレは人工知能が困り果てているのを初めて見た。

「ねえ、今の速度は?」

『マリオン、今はマッハ一・三です。スーパークルーズです』

「ねえ、スーパークルーズって何?」

『マリオン、スーパークルーズはアフターバーナーを使用せずに超音速飛行する事です。このワルキューレは二十一世紀の最先端技術で設計された飛行機です。空気抵抗は非常に少ない値なので、アフターバーナーの力に頼らず超音速飛行が可能となっています』

「ふーん……」

マリオンとジャックの禅問答が繰り広げられている横で、オレはコーヒーを飲んでいる。今日は快晴。視界良好。偏西風も穏やかで快適なフライトだ。

 マリオンとオレは、耐Gスーツとフライトジャケットを着ている。マリオンのはそんな小さなサイズ良くあったな。だが、空軍のフライトジャケットとは決定的に異なる所があった。それは真っ白なフライトジャケットだった。胸にはフレイヤのコーポレートマークのパッチが入っている。リズが機体の色に合わせて新調してくれた。勿論、オレとマリオンはお揃いで、リズの分もある。アーリャを操縦するときはいつもの制服で、ネクタイ締めだ。これは新しいルールとなった。ワルキューレの操縦室は与圧されているから、酸素マスクはしていない。ヘルメットから伸びたインカムでコニュニケーションを取っている。

「ねえ、ジャック。エルウィンがリズさんへプロポーズしたのを見てた?」

「がほっつ!げほげひ」

 マリオン!なに言ってんだよ。肺にコーヒーを飲ませちまって、むせたじゃねーか。

『はて、そんな事ありましたかな?』

「うん、リズさんが言ってた。エルウィンに裸にされてプロポーズされたって」

 なんじゃそりゃ。話に尾ひれが付いて、おまけに垂直尾翼まで付いているぞ。

「裸にしたのはオレじゃない。それにプロポーズもしてないよ」

「えーっ!だって、リズさんが言ってたもん」

『そういえば……エルウィンは「オレの残りの命はリズの為にある!」って言ってました。リズがプロポーズと受け取れるような台詞ですね』

「うあ……キザ」

「オレ、そんな事言ったっけ?」

『確かにいいましたよ』

 マリオンがまじまじとオレを見ている。何か言いたそうな顔だ。

「ねえ、エルウィン」

「ん……」

「リズさんの事好きなの?彼女を愛しているの?」

 この手の話はハッキリ言って苦手だ。女の子のマリオンは興味深々でオレを見ている。何とかこのめんどくさい話題から脱出しなければ。

そうだ、オレは今サイド・スティックを握っている。

「ジャック、G警報を四Gに設定。ワルキューレの性能テストをする」

『コピー。G警報を四Gに設定。四Gを超えたらマスター・アラームを発報します』

「あーっ!エルウィン、誤魔化したわね!」

 オレはスロットル・レバーをMAX。アフターバーナーに点火。サイド・スティックを引いた。ワルキューレは狂ったように上昇して行く。

「ハイ・レート・クライム!」

 ドゴオオオオオオオオオ!

 ワルキューレはロケット宜しく、垂直に上昇して行く。高度計の値が読み取るのが困難な程、数値が激しく変化していく。

「きゃあああああああ!たすけてぇ!」

 マリオンの悲鳴が聞こえた。オレはサイド・スティックを左に倒し、機体をひっくり返した。

目の前の景色がグルンと回る。ワルキューレのロール・スピードは戦闘機並。素晴らしい機動性だ。

そのまま、スティックを引き、今度は垂直降下!

「いやああああああああああああああ!」

 ブー!ブー!ブー!ブー!ブー!ブー!ブー!ブー!

 マスター・アラームの警報が鳴った。もう四Gか。オレは機体を水平に戻した。

「えっ、えっぐっ、ひどいわ……」

 ヤバイ、マリオンを泣かしてしまった。しまった!やりすぎた。ワルキューレの高性能に我を忘れてしまった。

『うーん。エルウィンは大人げないですね』

「わあ、ゴメン、ごめんなさい。マリオン。オレが悪かったよ。済まない。許してくれ」

 オレは必死に謝った。もう必死に。全身から冷や汗が吹き出るのがわかるくらい焦っていた。女の子を泣かすなんて……スゲエ罪悪感だ。軽い気持ちでやっちまったケド、こんな事になるなんて……。

「嫌!許さない」

「ゴメンよ……本当に」

 マリオンは手の甲で涙を拭っていた。更に罪悪感が広がって行く。穴があったら入りたいよ……。

「もうしない?」

「ああ、スプリットSは絶対にやらない」

「じゃあ、トゥールーズに付いたら。エッフェル塔パフェ奢って!そしたら許してあげる!」

「わかったよ。パフェでも、ジェラートでも、あんみつでも何でも奢るよ。だから許してください。マリオンさん」

「てへへ……よし、許してあげる」

「何だよ!嘘泣きかい?」

 嘘泣きと聞いて、オレは胸を撫で下ろした。こんなに変な緊張したのは久しぶりだ。

「私だって、パイロットよ。ジェットコースターなんて怖くないわ!」

 オレは女の子の扱いが下手なんだよ。今回はそれを痛感したよ。



 約三十分後、トゥールーズのエアバス本社滑走路に到着。オレはワルキューレを駐機場へ廻した。 

「駐機ブレーキ、セット」

「チョーク・イン」

「マスター・スイッチ・OFF」

 機体は完全停止。

 機体にボーディング・ラダーが付けられた。オレとマリオンはワルキューレの操縦席から外に出た。出て、ビックリした。

「な、なに?この人だかり」

 マリオンが驚くのも無理は無い。だって、ワルキューレの周りは大勢のギャラリーに囲まれていたから。

「素晴らしい、見事な機体だ」

「まさに音速の精神が形となっている……」

 ギャラリーが口々にワルキューレの形を褒め称えている。何か、オレも嬉しくなってきたよ。やっぱ自分の会社の機体を褒められるのは、誇らしい気分になる。

 ギャラリーの中から一人、ラダーを上がってきた。

「ようこそ、トゥールーズへ。私が今回のシミュレーターを担当する運行管理官、マルセル・ダッソーです」

 眼鏡の中年オッサンがマリオンへ握手を求めて来た。彼女はグローブを脱ぎ、彼と握手した。何時になく、可愛い笑顔を振りまいて。

「マリオン・ライスハートです。宜しくお願いします。こちらが、ワルキューレの機長のシュレディンガーです」

 マリオンはオレをダッソーさんに紹介してくれている。彼はオレに手を伸ばしてきた。オレはグローブ(しつこいけど軍手)を外し、握手する。

「エルウィン・シュレディンガーです。宜しく」

 オレ達はダッソーさんに付いて、ラダーを降りた。

「早速シミュレーターへ……と言う前に、お願いがあります」

 ダッソーさんはオレ達に振り返り、営業スマイルを振りまいている。そのオッサンスマイルは0円でもいらねぇ。

「お願いってなんでしょうか?」

 マリオンが大人の対応をしている。こういう交渉事はマリオンの方がオレより上手だ。また、彼女に勉強させられた。オレは本当に飛行機を操縦するしか能がないのかなぁ?社会人としてまだまだだ。

「ワルキューレを見学させて貰えませんか?世界に一機しかない超音速貨物機を……我らも次世代超音速旅客機を妄想中でして、色々参考にさせて頂きたいと考えています」

 マリオンはオレの顔をみた。オレに返事しろってことだな。まあ、ワルキューレの機長は今、オレだから。

 でも、妄想中ってなんだよ。本気で超音速機を作る気までは無いってことか?まあいいや。

「構いませんよ。是非参考にしてください。操縦席も自由に見ていいですよ」

 次世代旅客機の石杖となるなら、ワルキューレも本望だろう。コンコルドが退役した今、超音速旅客機は《失われた技術》に成りつつある。それはちょっと寂しい。

「有難う御座います」

 ダッソーさんは群がるギャラリーに見学の許可が下りた事を伝えている。

「ジャック、エアバス社の皆さんがワルキューレを見学したいといっている。案内を頼むよ」

『わかりました。皆、自分の素晴らしさに感嘆するでしょう』

 ジャックはノリノリだから任せておいても良いだろう。

「じゃあ、我々は早速シミュレーターへ……」

 オレ達はボーディング・ラダーの前に止まっていた。ルノー・カングーに乗り込み、シミュレーターのある訓練棟へ向った。

 トゥールーズのエアバス本社工場はとにかく広い、歩いていたら何日掛るかわからない。皆、自動車や自転車や、原付バイク(ホンダ・カブ)を移動の手段として使っている。

 カングーは訓練棟の前に停車した。オレ達はダッソーさんに案内されるがまま、訓練棟の中に入って行った。

 


 トゥールーズから電車で三十分の距離。隣町のミュレ駅にリズは居た。傍から見ても今の彼女はがっくり肩を落として、落ち込んでいるのが誰の目から見ても明らかだった。

「ダメだった……認めたくないけど……仕事を受注出来なかった……」

 私は営業で得意先を訪問していた。アーリャで運ぼうとしていた荷物が鉄道輸送へ流れて行ってしまった。

「はあ……自信なくしちゃうわ……社長って大変……早く空を飛びたいわ」

私心の中で社長としての責任と、パイロットとして空を飛びたいという気持ちが交錯する。

「ダメよ……私は社員さんたちの生活の糧となる仕事を採って来なきゃならないのよ」

 私は肩に重い荷物を背負ったような感覚を覚えた。

「弱気は禁物よ……」

 私は仕事を取れなかった悔しさからか、独り言が多くなっていた。

 ♪空ー男だ!航空健児、月月火水木金金!♪

 私の携帯電話が鳴った。コートのポケットから慌てて出す。この着メロは営業用携帯だわ。

「はい!フレイヤ・エア・カーゴ、エリザベス・ブラックバーンです。……オーエンス叔父様……いいえここは大佐でしたね。お世話になっています。……はい?……はい。わかりましたわ。来週、弊社でお待ちしておりますわ。宜しくお願いします」

 リズは携帯電話を閉じて嘆息した。

「オーエンス叔父様が……何の用かしら?運んで欲しいものってなにかしら?」

 電話は空軍のオーエンス大佐からだった。運んで欲しいものがある……それは私には願っても無いビジネスチャンスなんだけど……。

「胸騒ぎがするのよね……」

 私の胸に黒い霧が広がってくるのがハッキリと感じられた。

 その不安な気持ちが私の顔に出てしまう。

 私の前にトゥールーズ行きの電車が到着した。エルウィンと合流して、ホームベースへ帰るため、電車へ乗り込んだ。


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