営業努力
「チェックリスト・コンプリート」
「APUは元気に作動中よ」
アーリャの出発準備は佳境に入っていた。結局、積荷は一時間遅れで積み込みを始めた。だから出発も一時間遅れ・・・・・・どころではなかった。遅れが遅れを呼ぶスパイラルに陥り、結局離陸は三時間送れとなった。遅れスパイラルに陥った理由は気象状況の再確認だった。三時間もあれば、当然気象状況が変わってくるから、オレは航路の変更とか結構忙しかった。マリオンも航路入力を何回かやり直した。とか、色々と理由があって、遅れた。オレだって定時運行をしたいと常に心掛けているが、そう上手く行かないことがある。チョッと悔しい。
今度は攻守交替、オレが機長で、マリオンが副操縦士。エリザベスさんは居ないけど、A300‐600STは〈ツーメンクルー〉。乗員二人でフライト可能な機体。オレの相棒は〈メン〉じゃなくて、〈フィーメル〉だっけ。オレが機長だけど、信念を通して、右側の副操縦席へ座る。
「エルウィン、どうしていつも機長席に座らないの?エルウィンは機長でも必ず、右側に座るでしょ?」
機長席に座っているマリオンが不思議な顔でオレを見ている。特に機長が必ず左側に座らなきゃならない決まりはない。オレが機長席に座らない理由は簡単だ。
「オレは右手で操縦幹、左手でスラスト・レバーを操作するのがいいんだ。右利きだから。機長席は逆だろ」
予定フライト時間は一時間三十分。リントン空軍基地へ向う。
「失礼します」
ガチャリとコクピットのドア開いて、一人の女性が入って来た。長身で、長く美しい黒髪を後ろで縛っている。前髪は綺麗に切り揃えられている。手入れの行き届いた髪だな。
「シンシア・フェアリー空軍大尉です。キャプテン宜しく」
彼女はオレに握手を求めてきた。オレは咄嗟にフライトグローブ(軍手)を外し、右手で握手をした。
「機長のエルウィン・シュレディンガーです。宜しく」
「どうぞ、そちらのサード・シートに座って下さい。あとベルトもお願いします。もうすぐ出発です」
マリオンがフェアリー大尉をサード・シートへ案内する。
「有難う・・・・・・ええっと・・・・・・」
「副操縦士のマリオン・ライスハートです」
マリオンとフェアリー大尉が握手をしている。フェアリー大尉は積荷である空軍輸送機だった残骸、トライスターC2の責任者さんだ。
トライスターC2輸送機とは昔、航空会社の旅客機として活躍した《ロッキード L-1011 トライスター》の空軍輸送機タイプだ。
フェアリー大尉は目的地のリントン空軍基地まで、オレ達に同行する。広い意味で彼女も積荷だな。フェアリー大尉はオレ達の後ろのサード・シートへ座り、ベルトを締めた。
「さあ、プッシュ・バックの許可も出た。出発しようか」
オレ達のアーリャはブルジェル空港を飛び立ち、リントン空軍基地へ向った。
上空三万〇〇〇〇フィートへ到達した。一連の離陸シーケンスは完了。パイロットがちょっとだけホッとできるタイミングとなった。
「オート・パイロット」
「オート・パイロットに切り替えるわ」
マリオンがバスケットを取り出し、中の美味そうなスコーンをフェアリー大尉に振る舞った。ポットのコーヒーもまたいい香りがする。オレの腹に済んでいる怪物が「ぐぎゅるるる」と唸り声をあげる。
「腹・・・・・・減った。オレに食わせてくれ」
「何言っているのよ。お客様が先でしょ!」
「シュレディンガーさん・・・・・・でしたっけ?一度お会いした事有りませんでした?」
フェアリー大尉がドキッとする事を言った。
「いいえ、申し訳有りませんが、オレには覚えが有りません」
「そうですか、済みません」
フェアリー大尉と会った事が無いのは事実だけど、オレの名前は知られているかもね。リントン空軍基地はこのフレイヤ国際貨物航空に勤める前の職場だから。だけどオレが、空軍にいた事は話さないで置く。色々、詮索されるのが嫌だから。
「ところで、この輸送機はなかなか個性的と言うか、何と言うか・・・・・・可愛いね」
「ですよねー。空飛ぶイルカちゃんなんですよ」
「そうか・・・・・・ベルーガだったね。愛らしくなって、情が移ってしまいそうね。一度操縦してみたいな」
「そうでしょ?《アーリャ》ってパーソナルネームが付けられているんですよ」
マリオンとフェアリー大尉は早速仲良くなったようだ。マリオンの性格は得だな。明るくて気さくだし、人当たりもいい。友達を作る天才だな。
「ところでフェアリーさん・・・・・・聞いても良いですか?」
「ん?なんだい。ライスハートさん」
「積荷のトライスターはどうしたんですか?「墜落した」って聞いたんですけど・・・・・・」
マリオンは積荷が気になるようだ。パイロットが墜落って聞けば、気にならない訳が無い。当然、オレも気になっている。軍のトライスターが墜落したニュースは聞いていない。もしかして、墜落の事実を公にしたくないモノでも積んでいたのか?と勘ぐってしまう。墜落した理由もその積荷にあったりしてな・・・・・・。
「ああ、あのトライスターかい?あれは私の搭乗機で、私はその機長だった。一週間前、ウェールズの森に不時着した。死者が出なかったのは幸いだったけど、副操縦士と乗っていた隊員4名が重体だ。病院から出られるまで、暫く掛かるだろう。無傷なのは私だけだったよ・・・・・・突然、機体のコントロールが出来なくなって落ちた。原因は未だ不明。残骸を基地に持って帰るのはその原因を究明する為だよ」
「そうですか・・・・・・」
コクピット内が重苦しい雰囲気となった。質問をしたマリオンが済まなさそうな顔をしている。
「気にしないで下さい、ライスハートさん。私が貴方に言える事は、ライスハートさんのパイロット人生で墜落とかの事故に遭わないでって事かな・・・・・・事故から立ち直るのは辛いことだし、時間もかかるのよ・・・・・・」
「わかりました。有難うございます。フェアリーさん」
「久しぶりに女の子と喋れて、少し気が晴れたよ。こっちこそ有難う」
オレは完全に蚊帳の外に出された。まあ、女の子の会話に混ざる自体、オレには難易度が高い所業だ。男の相棒が欲しいのう。
空港からバスに乗り込んで、市街地へ向うエリザベス。
「緊張してきたなぁ・・・・・・・」
私は思わず口に出して言ってしまった。周りの乗客に聞こえていないか、心配になった。バスのシートで小さく蹲る。恥ずかしいわ。
バスが目的地に近付くにつれ、これから大きな商談が控えている事を否応無し考えさせられる。
「私、もうチョッと根性があるかと思ったのに」
緊張がドンドン大きくなって、不安になっていく自分が情けないと思う。こんな時はエルウィンの秘密な豪胆さと、ある意味鈍い所が羨ましいと思う。
この商談はなんとしても成功させないと、わが社の売り上げを確保しないと、私の事を信頼してくれている社員とその家族に迷惑を掛けてしまう。
こんなプレッシャーを受けることは、社長になる時に覚悟出来たハズなのに。
でも、私の今の正直な気持ちは「誰か、社長を代わってくれないかなぁ」と思ってしまう。
今、無慈悲にも目的地へ私を連行していくこのバスと運転手を恨めしく思っていた。
「エルウィン、ミニマムよ」
「了解、ランディングだ」
アーリャは無事リントン空軍基地に到着した。
誘導員に従い、駐機場へ停止させる。マスター・スイッチを切って、機体を完全停止させた。
「荷を卸したいわ。部下がやるので、カーゴ・ドアを開けて下さい」
「了解、フェアリーさん」
フェアリー大尉はささっとアーリャの操縦席から降りていった。オレはカーゴ・ルームへ行き、アーリャのおでこを開いた。
オレとアーリャの目の前には大型クレーン車が2台、今まさにオレ達に飛びかかろうとして、アームを伸ばしていた。
「有難う、後は我々がやるから、シュレディンガーさんとライスハートさんは仕官食堂で休んでいてくれ。案内はこちらのフランソワーズ少尉がする」
「カトリーヌ・フランソワーズ少尉です。こちらへどうぞ」
金髪のツインテールの少尉さんに案内されて、オレとマリオンは仕官食堂へ向った。オレは案内されなくても行けるけど、ここは『初めてここに来ました』って顔を決め込もう。
暫く歩いて、仕官食堂目前まで来た時だった。
「つかぬ事を聞いても宜しいでしょうか?シュレディンガーさん」
「はい?な、何ですか」
嫌な予感がするぞ。もしや、この娘、オレの正体に気が付きやがったのか?
フランソワーズ少尉はオレに振り返り、後ろ手で、ニコニコしながら尋ねて来た。
「シュレディンガーさんって・・・・・・ヴァルチャー?」
「なっ?」
「やっぱり・・・・・・ヴァルチャーってこの基地じゃあ有名人だったのですもの」
しまった!思わず「何で知っている?」って顔に出ちまった。この娘、何でオレの昔のTACネームを知っているんだ?
「フランソワーズ少尉って言ったけ?」
「は、はい」
オレは逃げられないように、フランソワーズ少尉の両肩をグッと掴み、にじり寄っていた。あくまでも無意識のうちに。
「オレはヴァルチャーフェアリーい。ヴァルチャーってヤツはウイングマークを捨てたんだよ。ヴァルチャーはもう居ないんだ」
「ひっ・・・・・・」
「コラー!」
不意にオレの体が豪快に宙に舞った。次の瞬間、ドスンとコンクリートに叩きつけられていた。マリオンに背負い投げを決められていた。
振り返ると、マリオンが鬼の形相で立っていた。
「あんた、婦女暴行で訴えられるわよ。何やってんのよ。こんな可愛い娘に襲い掛かろうとして!」
オレは背中を打ったお陰で、上手く呼吸が出来ないで居た。痛ぇじゃんか。
「ごめんね、フランソワーズ少尉。このおじさん変なの・・・・・・ほら、あんたも謝りなさい。」
オレは、フランソワーズ少尉に平謝りした。
リントン空軍基地から遠く離れたイギリス・ロンドン。郊外の大学の一室。見かけは立派なテーブルとソファが置かれていた。応接室と言うには無理があった。
エリザベスはその一室へ招き入れられていた。思わずキョロキョロと廻りを見回してしまう。
うず高く積み上げられた、本、本、本。その本の殆どは天文学の書物であった。エリザベスは本に押し潰されそうな錯覚を覚えた。
「火事になったら大変ね・・・・・・自動消火装置付けないと」
いっそ、火を付けたら、綺麗さっぱりするのにと思ってしまう。
ガチャリ、と私の後ろにある大きなドアが開いた。
「お待たせして、申し訳有りません。ロンドン大学のグラント教授です」
初老の男性が握手を求めてきた。私は良い印象を持ってもらえるよう、笑顔でグラントの手を握る。普段から笑顔の練習をしているから、自信があるわ。
「フレイヤ・インターナショナル・エアカーゴのエリザベス・ブラックバーンです」
「どうぞお掛け下さい」
「有難うございます」
私はグラントさんに進められてソファに深々と腰を掛けた。
「どうぞ」
「あっ、お構い無く」
助手と思わしき青年が紅茶を出してくれた。紅茶の香りがなんとも言えない安らぎを与えてくれている。大事な商談前に私をリラックスさせてくれた。
「ところで、ブラックバーンさん。あなたの会社の飛行機は何でも運べると有りますが、本当ですか?」
グラントさんが私の正面に座って、私の顔を覗き込むように問いかけてきた。早速商談が始まった。彼は、わが社の保有機材とわが社の能力に疑いを持っているみたい。ここからが、私の営業能力が試されるのよ。頑張れ!私!
「ええ。そう自負しています。わが社の使用機材は特殊な物を空輸する為の特別な飛行機を運用しています。米空軍のC-5ギャラクシーや、C-17グローブマスターⅢよりも大きな容積の貨物室を持つ機体ですわ」
エアバス社のホームページに書いてある事ベルーガの性能に付いて引用させて貰っちゃいました。だけど、容積は勝っても、彼らほど、重いものは運べないのよね。
グラントさんが前のめりになった。
「巨大な天体望遠鏡でも・・・・・・・ですか?」
グラントさんはいきなりハードルの高い技術を要求して来たわ。私は笑顔を崩さない。巨大天体望遠鏡って超ウルトラ精密機械ね。
「直径が十八フィート以内のもので、重量が二万一〇〇〇ポンド以下あれば空輸可能ですわ」
グラントさんはさらに顔を近付けてきた。私は思わず後ろにのけぞる。
「空輸可能だけが問題ではありません。超精密機械の天体望遠鏡を積んで、山岳地帯の小さな空港に着陸する事が可能ですか?どんな航空運送会社にも断られた仕事なんですぞ」
私は笑顔のまま、自信たっぷりに答えた。だって出来ないなんて言いたくないもの。
「わが社の自慢は機材だけでは有りませんわ。優秀なパイロットもおります。彼らなら、蝶が舞い降りるように、着陸するでしょう」
グラントさんはソファの背もたれに寄りかかった。そして、彼は手にしていた大きな図面をテーブルに広げた。積荷のプロフィールの説明を始めた。
「この天体望遠鏡は直径が十五フィートあります。天体望遠鏡組立て精度は千分の一ミリの狂いも許されないものです。また埃も厳禁です。従って望遠鏡を一度組み立てたら分解は不可能です。一体モノで運んでください。彼の地は標高が高いので、天体観測には好条件の場所です。何としても設置したいのです。それにこの天体望遠鏡をエルベ山の山頂に設置する事業は、観光収入に頼る地元の強い要望でもあります。失敗は許されません」
私はグラントさんが広げた図面を見つめている。顎に手を当て、頭の中で考えを巡らせている。
「この大きさなら、弊社の輸送機に積載可能です。問題は有りませんわ」
私は自信満々で答えた。だけど、グラントさんの顔は曇ったままだった。何か御不満でも?
「一番私が気になっている問題が有ります。これが理由で他の航空貨物会社には断られています」
グラントさんが問題の核心を勿体ぶっている事に対して、私は内心穏やかではかった。それに少し、ほんの少しだけイライラした。だけどそんな心理状態を顔に出さないよう必死に演技する。
「その問題を教えて下さいませんか?対処を検討しますわ」
私は再び笑顔を作ってグラントさんへ話掛けた。
「輸送先の空港です。エルベ空港は山岳地帯に無理やり作った空港で、滑走路が九〇〇メートルしかありません。しかも気流が悪く、高い山間にあるので《世界一離着陸の難しい空港》といわれている場所です。それでも空輸可能ですか?当然これだけ大きな望遠鏡です。一体モノでしかも、山の上へ陸送するのは困難でした。ですから・・・・・・」
私は小さな頭をフル回転にさせて考えを巡らせた。
・・・・・・石橋を叩いて渡るなら、この仕事は断るべきだわ。他の航空輸送会社でもそういう判断で、断ったに違いないわ。でも、同業他社が運べないものを運べるのがフレイヤの売り、強力な武器よ。この困難なプロジェクトを成功させれば、今後、この手の輸送業務はわが社の独占に出来そう・・・・・・。私は考えを巡らせる。そして決断した。勝算ありとね。
「お任せ下さい、グラントさん。わが社に運べないものは無いのですから。是非やらせてください」
私は真剣な眼差しでグラントを見つめた。目で訴える。暫しの間、沈黙が支配した。
「ブラックバーンさん・・・・・・貴女には自信があるようですな。分かりました、信頼しましょう、ブラックバーンさん。このプロジェクトは貴方の会社へお願い致します」
私は嬉しかった。認められた気がして嬉しかった。
「有難う御座います。グラントさん。私達、頑張りますわ!」
私は立ち上がり、グラントの右手を握ってブンブンと大きくシェイクした。思わず力が入っちゃった。
「よ、宜しくお願いします。お嬢さん」
グラントさんは右手を擦っている。痛かったのかな?チョッとやりすぎたかしら?
「しかし、航空貨物会社の社長さんですか・・・・・・御若いのに良く頑張ってらっしゃる」
グラントさんは褒めてくれているのかしら?此処は素直に受け取りましょう。
「有難う御座います。まあ、零細企業なので、何とか潰れないように慎ましく営業していますわ」
「最近はテロだの、ハイジャックだの航空会社には受難の時代と言えますね」
「そうですわね。我が社は貨物輸送会社なのでまだ良い方と言えますわ。少なくともハイジャックの危険は殆ど有りません。乗客は乗せないので・・・・・・」
こんな雑談を二十分位したかな。私はグラントさんの部屋を出た。嬉しい気持ちを顔に出すのを必死にこらえながら。
私は嬉しくてスキップしながら・・・・・・いいや、殆ど小踊りになっていたと思う。そう、踊りながら大学を出た。嬉しさが爆発していた。相手の信頼を勝ち取るのは大変だわ。仕事が貰えたからには、信頼を損なわないよう責任を持って完遂しなければならないのよ。
「仕事の本当の報酬は・・・・・・仕事なのよ!」
私の会社は零細企業だから社長が率先して仕事を取ってこなきゃ。
「そうだわ、そうと決まれば、早くホームベースへ帰って、運行計画を練らないとね」
私は自慢のベルサーチのコートのポッケから携帯電話を取り出す。
「ブリタニア・エア・ラインさんですか、予約の変更をお願いします。・・・・・・一便早い飛行機に空席ありますか?エコノミークラスで。・・・・・・予約番号はV36のブラックバーンです。・・・・・・はい、ではお願いします。八三便で」
ピッ携帯電話の通話を切った。ホッとした顔で携帯を閉じる。
「これで二時間早くホームベースへ帰れるわ」
エリザベスは足取りも軽く、スキップしながら空港行きのバス停へ向った。