母龍と、セレス
わがままをいわないように我慢するのは大切だ。空気を読むのが必須技能である日本人にとって、嫌だと断るのはなかなか難しいことでもある。
しかし! 嫌なことをキッパリと断る勇気も大事なのだ! ストレスをためて胃を痛める前に、目指すはNOと言える日本人!!
完全なる理論武装を行った佐保――いや、《セレス》はハッキリと首を振って否定した。
「うん、無理です。食べられない。っていうか食べる以前の問題っていうかそもそもこれを食材とか食事だなんて認めませんよ、私は!!」
「美味いぞ?」
「認めません!」
サーフェルレーンは不思議そうに首を傾げているが、セレスは絶対に嫌だ。
サーフェルレーンによってセレスの前に置かれた『食事』。
それはヌメヌメどろりとした青い物体で――アメーバというかスライムというか、そんな感じの生物だったのだ。
「栄養たっぷりなのだよ、我が愛し子よ」
「そんなふうに“やれやれ、子供はわがままじゃなあ”って顔をされても食べませんから! というか、これは食材なんですか!? 私の貰った知識では違うんですけど!」
「……我は好物だ」
セレスの知識によると、この物体は食材では無く生物だ。沼などに生息する単細胞生物で、人間からはモンスター扱いされている。
サーフェルレーンがなんと言おうと、セレスはこれ(しかも、生。まだうねうねしてる。生というか、生きている……)を、食事とは認めない。
「美味しいのに」と、もぐもぐしているサーフェルレーンを、セレスは疲れた顔で眺めた。
サーフェルレーンは、人型をとっている。
さらさらの長い髪はセレスと同じく翠色で、彫りが深い、非常に美しい姿だ。そして、黄金の瞳を除けばセレスは彼女によく似ていた。
セレスは菫色の目をうろんげに細め、サーフェルレーンをねめつけると疑問を口にする。
「だいたい、龍は大気中の魔力――マナを糧にしてるんでしょう? なのになんでサーフェルレーンは……」
「母上、だ」
「サーフェルレーン……」
「母様、でも良し」
「サーフェ……」
「母ちゃんでも良いぞ?」
「………………」
セレスは口をつぐんだ。サーフェルセレスとして、龍人として生きることは受け入れたセレスだが、サーフェルレーンを母と呼ぶことには抵抗がある。
「……我が母では不満か?」
憂いに満ちた表情で、サーフェルレーンが肩を落とす。
セレスの胸はサーフェルレーンの悲しげな瞳にちくちくと痛んだ。サーフェルレーンにとってセレスは実の我が子である。母と呼ばれないのは、きっと寂しいことだろうと、セレスは思った。
……たとえサーフェルレーンがまだスライムをもぐもぐしていたとしても。
「……レーン、母さん」
佐保だった頃の自分が、素直に母と呼ぶことをためらわせる。だから、セレスは人だった頃の母と区別するような呼び名でサーフェルレーンを呼んだ。
「……! なんだい、我が子よ!!」
なんとなく感じていた後ろめたさは、サーフェルレーンの笑顔で掻き消えた。
幸せを表すかのような、サーフェルレーンの満面の笑顔に、セレスも、恥ずかしそうにはにかみを返す。
始まりは特殊で、普通の親子ではないけれど。
龍の母と龍人の娘は、少しずつ、互いに歩みより始める。手探りしながら、ゆっくりと。