新しい躰
力を注いで形をつくる。核がしっかりしてるなら、零れてしまうことはない。
残った欠片を余さず練り上げて。
――ほら、完成だ。
……夢を見ていた気がする。それもかなり酷い悪夢を。
「う……ん」
佐保は呻き声をあげながら目を開いた。二、三度まばたきを繰り返してゆっくらと起き上がり、不思議に思う。
なぜだろう。今日は妙に身体が軽く感じる。
生まれて初めて、といっていいくらいに身体の調子がいい。深く息を吸っても胸が苦しくならないのが驚きだ。
上半身を起こした佐保は、周囲を見渡して首を傾げた。
「なんだろ、これ……」
彼女は、白い壁のような物で包まれていた。息苦しくはないが、狭いし、圧迫感がある。佐保は片手を伸ばし、それに触れようとした。
――――ぴしり
触れかけた指の先で、壁に亀裂が入った。光が差し込み、中が薄暗かったことに気付く。
――――ぴし、ぴしっ
亀裂は大きく広がり、まるで卵の殻が割れるようにぽろぽろと欠片が落ちてきた。
卵。自分で思ったそれに、心臓がどきりと鳴る。
そうだ、自分は――。
――――ぱりんっ
軽い音をたてて、壁は壊れた。真っ二つになって白い壁は砕け散り、壁の代わりに新鮮な空気が佐保を包む。眩しさに目を閉じる佐保の鼓膜を、地鳴りのような声が震わせた。
「目覚めたのか、我が子よ」
目を開き、佐保は声の主を見る。夢ではなかった。あの翠の龍が佐保を黄金の瞳で見つめていた。
「ふむ? 我が子よ、“知識”は得られたであろう?」
ぼんやりしたままの佐保へ、龍がいぶかしげに問い掛ける。
知識。龍の言葉がひきがねとなり、佐保のなかに様々な知識が溢れだす。
どうして龍が我が子と呼ぶのか、ここがどこなのか、何故自分のなかにそんな知識が備わっているのか。そして。
――“自分”が何者であるのか。
「……ここは、洞窟の中。高い山の、頂上に、近い」
佐保はそっと言葉を紡いだ。唇から零れる声は、鈴を鳴らしたように可憐で小さいのによく響いた。
「ふむ、その通り」
佐保は自身の知識を確かめるために呟いたのだが、反応があったことに安堵したらしく、龍の雰囲気が柔らかくなった。暖かな龍の眼差しに佐保の気持ちも少しだけほぐれる。
佐保は続けて言った。
「あなたの名前は、サーフェルレーン。サーフェルカースとラインレアの娘。風の眷属」
「その通り」
「……そして、この《躰》はあなたと人間との間に出来た子供。龍人と呼ばれる、――混血種」
「その通り、我が子よ」
龍は嬉しげに頷く。佐保はそんな龍の喜びを避けるように目を伏せた。
「……私。“宮村佐保”は、死んだ(・・・)んですね」
自身の死は記憶には無い。しかし、龍の行った儀式がそれを指し示していた。
「我が求めたのは、《死に抗う魂》ゆえ、そうなるの」
龍は頷く。佐保は、この龍に会った時すでに魂であったのだ。
死んだばかりで、輪廻の輪に組み込まれる前の魂。生への強い渇望を持つ、若い娘。自由を求める者。
――それに偶々ひっかかったのが、佐保だった。
「……この、躰の持ち主は」
うつむいたまま、佐保は新しい躰を見た。
華奢な手足は幼い幼児のもの。生まれたばかりだが、すでに5、6歳程度の大きさのようだ。肌は東洋人のクリームイエローではなくて、白地にピンクを混ぜたような色をしている。
幼い躰にまとっているのは長い翠の髪だけ。エメラルドグリーンが自分の髪色なんて、現実味がなさすぎて夢かなにかのようだった。
「……もとから空だ。死産であった」
深い哀しみを秘めた声だった。
卵のなかで眠っている間に、佐保は龍に様々な知識を与えられていた。この世界のこと、言葉や風習、龍の常識と人の常識。
その知識が、龍にとって我が子がどれほど大切な存在なのかを教えてくる。
龍は長命種だが、長い生涯において一人か二人しか子供を産めない。その、唯一かも知れない子供が、死産だったのだ。
「躰はある。魔力もあるというのに、我が子は産まれながらに空であった。魂を、与えられなんだ」
龍は大きく息を吐く。龍の悲哀が息吹となって空気を揺るがし、ちりりと佐保の肌にも熱に似た何かが伝わった。子を想う、母の哀しみ。佐保もまた、人の身であった頃の母に想いを馳せた。
子を失う哀しみにあらがった龍と、死を拒んだ人間と。
――似てるのかも知れない。
「……“私”の名前は、なんていうの?」
失ったもの。手に入らなかったもの。
それを諦められずに足掻いた人の子は、龍の躰を受け入れることにした。すなわち、新しい母を、第二の生を、受け入れたのである。
《佐保であった者》の言葉に、龍はその意図を悟ったのかしばしの間を置いて、ゆっくりと答えた。
「――セレス。サーフェルセレス。それがおまえの名だよ。我が愛し子よ」
このようにして、宮村佐保はサーフェルセレスとなり、人間から龍人へと生まれ変わり、新しい人生をおくることになったのである。