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プロローグ:彼女の望み

 宮村佐保みやむらさほは、生まれつき病弱だった。

 生まれて16年の間、ほぼ全ての時間をベッドで過ごしてきたと話したなら、彼女の人生を少しは想像できるかも知れない。学校にも通えない、それどころか自宅療養さえ出来ずに入院生活を送る毎日。

 決して裕福ではない家庭で、佐保の入院費は家計を圧迫している。しかし、家族は優しかった。

 両親は毎日遅くまで働いているが、それでも佐保を大切にしてくれているし、ひとつ年上の兄も毎日彼女の見舞いに来て無聊を慰めてくれる。そんな家族がいるからこそ、佐保は辛い闘病生活を耐えることが出来た。

 そんなある日、佐保がふと気付くと知らない場所に立っていた。

 ――なにを言っているのか分からない? それは彼女自身も同様である。


「え……? なに、これ。夢……?」


 突然、いきなり、何の前触れも無く。見知らぬ場所に身一つで立っていたのだ。佐保が呆然とするのは当然だった。無意識に辺りを見回し、状況を把握しようと試みる。

 先ほどまで、彼女は病院にいた。その筈だ。

 何故かはっきりとは思い出せないが、いつものようにベッドで本を読んでいたと思う。だが、ここは病院じゃない。それどころか、街の中とも思えなかった。

 周囲には見上げるほど大きな木が立ち並び、濃密な緑の匂いがたちこめている。まるで、山か森の中だ。

 佐保は立ちすくみ、これは夢だろうか、それとも長い闘病生活で精神的に異常が……と、自分自身の精神を疑った。


 ――しかし、その方が良かったかも知れない。そう思える『現実』はすぐに訪れた。


「……ずいぶんと変わった魂じゃの」


 地鳴りのように響いたのは、何者かの声であった。

 びくり、と身を震わせて佐保は後ろを振り向く。そして目を見開いた。


 そこに居たのは、龍だった。


 美しい翡翠の鱗を全身にまとった、巨大な翼龍。《竜》では無く《龍》と思った理由は、身体が細長かったからだ。手らしきものはあるが、後ろ足があるのかはわからない。それは、龍がほっそりとした長い首をもたげて佐保を見下ろし蛇のようにとぐろを巻いているからであり、佐保が金縛りにあったように固まっていて、龍を観察する余裕なんてまるっきり無いからでもある。


「しかし、強い欲を持つ魂じゃ。試してみる価値はあるか」


 再び、地鳴りのような声が響く。


 ――欲が強い?


 未だ恐怖と混乱に固まったままだが、佐保はその言葉に引っ掛かりを覚えた。欲が強い。誰が?


 佐保は、わがままを言わない子供だった。物心ついた時にはすでに自分が負担になっていると感じていたので、一人ぼっちの入院生活が淋しくても辛くても我慢してきた。

 それなのに、欲が強い?


 ――そんなこと、ない。


「……ほう。なにやら、気に障ったようじゃの。目に力が入った」


 思わず睨み付けた佐保を、龍は初めて感心したように眺めた。黄金の双眸を細め、龍は謳うようにささやく。


「この邂逅が必然なのか偶然なのか、定めるのは自分自身じゃ。娘、己が望みを我に示せ」

「なにを……」


 龍の言葉は謎ばかりで意味がわからない。佐保は問い返しかけ、ひゅっと息を呑んだ。

 火が。


「――ああああああっ!!」


 一瞬、佐保は何がおこっているのかわからなかった。あつい、いたい、くるしい。痛苦ばかりが脳裏を埋めつくし、それから逃れようと必死で暴れまわる。

 白い、炎だ。

 炎が佐保の身体を包み、堪え難き痛みと熱を与えている。


「あぁああああーっ!!」


 たすけてたすけて、と佐保は地面を転げまわった。その様を、龍は静かな眼差しで眺めている。

 龍の言葉が響く。


「生きたいか、娘よ」


 生きたいか、だって? ――そんなの決まってる。


「生きたい、生きて、いたいっ……」


 そう、佐保は生きていたかった。どんなに発作が苦しくても、どんなに闘病生活がきつくても、生きていたかった。


「誰を踏み台にしようともか」


 龍はさらに佐保の心を暴く。

 そうだ。佐保はわかっていた。自分が生き延びるのに、どれほどの費用が必要になったか。家族の負担になったか。

 ――わかっていても、生きていたかった。


「何故だ」


 炎に焼かれ、焼け爛れた声で佐保は叫んだ。


「――だって、何もない! 私はまだ、何ひとつ掴んでない!!」


 炎に炙られ、白く濁った佐保の両目から涙が零れ落ちた。


 ――生きたい。なにも出来ず、なにも手に入ることなく、死にたくない。

 ――生きたい。誰を踏み台にしても生きたい。誰かに恨まれても、まだ死にたくない。


「私は、生きたい……っ!」


 佐保は自分の欲を自覚した。確かに、自分は欲深い。生き汚い。だが、それでもと、彼女は叫んだ。

 魂の叫びとも言える、心の奥底からの願いだった。

 龍は瞳を閉じた。


「娘。そなたの望み、しかと見せてもらったぞ」


 炎に燃やしつくされ、小さな灰となった佐保の魂は、それでもなお、生きたいと強い光を放っていた。

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