第4話 鋼鉄騎士団の聖女は、王都で誤解される
合同討伐任務を終え、我々蒼玉騎士団が王都へ戻った翌日。私は、早くも胃を押さえていた。
原因は分かっている。――鋼鉄騎士団だ。
報告書は、いつも通り分厚かった。
戦闘回数が多い。前線での消耗も激しい。備品の破損も多い。
実力は確かだが、管理する側からすれば、正直言って面倒な騎士団である。
「……鋼鉄騎士団との合同討伐の報告書、ですか」
文官が書類を受け取り、ため息をついた。
「現場では助かっているのは分かるんですがね」
「ええ、実際、成果は申し分ありません」
彼は紙をめくり、ある一文で視線を止めた。
「鋼鉄騎士団は、聖女リリアーネの存在を中心として、極めて高い統率と士気を発揮した……」
嫌な予感が、胃の奥を掴んだ。
「この“中心として”という表現ですが」
「現場の実感です」
「……なるほど」
文官は頷いた。
それが、どれほど危うい頷きか、その時点では誰も気づいていなかった。
***
そもそも、鋼鉄騎士団は王都に長く留まらない。
前線専門。魔物被害の出た土地に張り付き、討伐が終われば次の戦場へ向かう。
その討伐に同行する聖女も、同様だ。王都の人間が知っているのは、名前と噂だけ。
実際に姿を見たことがある者は、ほとんどいない。
だからこそ、今回のように鋼鉄騎士団が王都に滞在し、その聖女が姿を現すという状況は、王都にとって“珍事”だった。
新しい話題が好きで、噂話を栄養に生きている人間たちが、放っておくはずがない。
噂の火種は、酒場だった。
「聞いたか?」
「鋼鉄騎士団のことか?」
夜の酒場の隅で、騎士が声を潜める。
「合同討伐に参加した知り合いから聞いたんだが……」
「うん」
「……あそこ、ちょっと普通じゃないらしい」
「知ってる」
「知ってるのか?」
「噂になってる」
杯が置かれる。
「聖女がな」
「ああ……」
「前線に出るらしい」
「それだけなら、まあ……」
「怒鳴るらしい」
「……まあ、厳しい人もいる」
「筋肉の話をするらしい」
「……筋肉?」
一瞬の沈黙。
「しかも」
声を潜めて。
「騎士たちが、泣きそうな顔で感謝するらしい」
「……祈りではなく?」
「筋肉に誓うらしい」
誰も、それ以上は言葉を続けなかった。
だが、その沈黙が、想像を膨らませるには十分だった。
***
午後。
貴族の茶会。
「まあ、奥様」
「ご存知?」
「鋼鉄騎士団の方々……」
扇子の向こうで、ひそひそ声が交わされる。
「聖女様を“心臓”と呼んでいるとか」
「まあ……」
「それに、命を預けているとか」
「まあ……」
「なんでも」
口元を隠しながら。
「鍛錬を“祈り”と呼ぶらしいですわよ?」
「祈り……」
「筋肉への……」
誰かが、そっと頷いた。
「鋼鉄騎士団らしいですわね」
その一言で、噂は“形”を得た。そこに、公式記録が加わる。
「でも、討伐報告書にもあったそうですわ」
「何と?」
「“聖女を中心とした結束”と」
それは、ただの一文だった。
だが、噂を裏付けるには十分すぎる。
噂は整理され、要約され、歪んだ。
王都で流布した最終形は、こうだ。
――鋼鉄騎士団は、筋肉を信仰している。
――聖女は、その象徴である。
――前線で叫ぶのは儀式。
――鍛錬は祈り。
――筋肉痛は祝福。
***
数日後。
鋼鉄騎士団が王都に滞在しているという理由だけで、
王城で行われる定例報告の席に顔を出すことになった。
本来であれば、書面で済む。
前線に張り付く彼らを、わざわざ呼び戻す理由はない。
――だが今回は、合同討伐直後。
しかも“噂の渦中”だ。
上層部としては、顔を見ておきたい、というところだろう。
私は、嫌な予感を覚えながら城へ向かった。
本来なら、団長が顔を出す場だ。
だが――「君でいいだろう」と、あっさり押し付けられた。
そういう役回りには、慣れている。
王城へ向かう途中で、鋼鉄騎士団と合流した。
「……蒼玉の団長は?」
鋼鉄騎士団団長――アーヴィンが、低く尋ねてくる。
「所用です」
私は即答した。詳しく説明する気はなかった。
アーヴィンは、それ以上何も聞かなかった。察したのだろう。
***
そして、案の定だった。
王城へ向かう通路には、明らかに用事のなさそうな人間が増えている。
立ち止まっている者。壁際に寄っている者。
通り過ぎるふりをして、何度も振り返る者。
――野次馬だ。
視線が集まっているのを、私ははっきりと感じた。
「……あの方が」
「鋼鉄の……」
「思ったより、普通だな」
噂を信じるなら、現れたのは――
筋骨隆々、鋼のような体躯を持つ、祈りよりも怒号が似合う聖女のはずだった。
少なくとも、王都で語られていたのは、そういう存在だ。
だが、通路を歩く当の本人は、まったく気づいていない。
淡い金髪が灯りを受けて柔らかく揺れ、薄い緑の瞳は穏やかに前を向いている。
その立ち姿は華奢で、纏う空気は静かだった。
可憐で、優しげで――前線で怒号を飛ばす姿など、この場の誰が想像できただろうか。
ざわめきが、むしろ深まった。
「……普通だな」
「いや、普通すぎないか?」
「噂と、違いすぎる」
「……あそこの家の娘だろ」
「軍人貴族の?」
「父親も兄弟も、相当な体格だったはずだが……」
「……娘も、そうだと思ってたんだがな」
視線は再び、彼女へと戻る。
鋼鉄騎士団団長、アーヴィンは無言で立っている。
その沈黙が、また余計な意味を与えられる。
――教団を統べる現実担当。
誰がそんな役割を考えたのか、知りたくもない。
***
やがて、定例報告の席に通された。
上座には重役。壁際には書記官。
空気が硬い――というより、妙に“期待”が混じっている。
そして、噂の中心が一歩前へ出た。
「本日は、お招きいただきありがとうございます」
穏やかな微笑み。丁寧な礼。
その声もまた、澄んでいて柔らかい。
ざわめきは、さらに濃くなった。
(……これで、なぜ戦場が鼓舞される)
私は胃を押さえた。
報告自体は滞りなく終わった。
内容は極めて真っ当で、成果も十分。
だが、人々の関心はそこではない。
***
定例報告を終え、我々は王城の回廊を進んでいた。
外へ向かうだけの道のはずなのに、なぜか空気が落ち着かない。
すれ違う視線。足を止める気配。
少し距離を置いて、こちらを窺う影。
――まだ、見られている。
「……私、何か変なことをしましたでしょうか?」
歩きながら、リリアーネが真顔で首を傾げた。
先日の前線での姿が幻だったかのように、その仕草は可憐だ。
アーヴィンが、低く咳払いをする。
「いや……そういうわけではない」
「珍しい、というだけだ」
「珍しい、ですか?」
そこで、私が口を挟んだ。声は、なるべく曖昧に。
「鋼鉄騎士団の聖女様は、前線に出ずっぱりでしょう。
王都でお姿を拝見する機会が、ほとんどありませんから。それで……」
視線を逸らしつつ続ける。
「少し、噂になっているようで」
「噂、ですか」
リリアーネは、驚いたように瞬きをした。
「噂というのは、不思議ですね」
少し考えるように視線を落とし、やがて穏やかに微笑む。
「真実も、誤解も、いろいろなものが混ざり合って、いつの間にか別の姿になってしまう。だからこそ――」
胸に手を当てて、柔らかく言った。
「本当のことは、自分の目で確かめるのが一番だと思うのです」
その声は静かだったが、通りに面した回廊では、十分に響いた。
「その点……筋肉は、鍛えれば鍛えただけ、きちんと応えてくれますから」
彼女は、はっきりと言った。
「筋肉は、嘘をつきません」
一瞬の沈黙。
アーヴィンは、何も言わずに天井を見上げた。
(……誰だ。酒場で最初に話したのは)
その日から王都では、鋼鉄騎士団=筋肉教団という理解が、ほぼ定説として語られるようになった。
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