三話
この日の夜半過ぎ、緋流は火耀王太子や駆けつけた讃岐、祖母の白梅の宮の四人で交野の宮と対峙した。
場は緋流の居所になる後宮の紅梅の壺、正式名称を秋華舎と言った。こちらの廂の間にて緋流は透けた交野の宮を見据える。
「……初めてお目もじ致します、内の大臣が娘で緋流と申します」
『……名は知っている』
「そうでしたか、では。交野の宮様でいらっしゃいますね?」
『いかにも、けれど。わらわに何をするつもりだ』
「何をって、私はただ宮様とお話をしたいだけです」
けろっとした顔で緋流は告げた。驚きを宮は隠せないでいる。
『……そなた、気は正気か?』
「正気です、宮様。私からも幾つかを訊かせていただきますね。まず、兄君の殿下からは一通りの事情は聞いています。かの胡月様は何故に駆け落ちをなさったのか。その詳細を宮様はご存知でしょうか?」
『知っている、あやつは。よりにもよって、わらわの姉宮に手を出しおった。今の火槌大御神に仕える斎王じゃ!』
まさかの相手が王太子や宮の血縁、しかも当代の斎王とは。緋流は呆れて二の句が継げない。
『……姉宮は名を糸野宮と言うのじゃが、父が違う。それでも、わらわにも優しく接してくれた。けれど、胡月の事を慕うようになってからは疎んじられたのだ。糸野の姉宮は斎王に選ばれ、文のやり取りもせぬようになった』
「知っている、私には糸野も言っていた。『交野を胡月が気に入っている、何とかして諦めさせたい』とな。確か、胡月は交野より十は上だ。糸野はまだ、幼い交野があやつと恋仲になるのをいたく心配していたよ」
『な、わらわは知らぬ。まさか、姉宮は胡月を嫌って?』
「ああ、自身に胡月の気持ちを向けさせ、交野を守ろうとした。あやつ、ちょっと大きな声では言えぬが。女人を痛め付けたり、苦しめさせる事を目的に宮中の女官達に食指を伸ばしていた。後になって分かったが、胡月の邸には拐われて行方知れずになっていた女人達が座敷牢に閉じ込められているのが見つかったのだ」
緋流や白梅の宮、讃岐は恐怖を感じた。そして、酷い目にあわされた女人達を不憫に思う。交野の宮も被害者と言える。
『……わらわは何をしておったのやら、そんなとんでもない輩を好きになるとはの。姉宮にはお詫びをせねばならぬな』
「宮様……」
『再び、兄上と話が出来たの。確か、緋流姫じゃったな。糸野の姉宮には『交野が馬鹿だった、姉宮には申し訳ない』と伝えてもらえぬかや?』
「分かりました、しかとお伝えします」
『ありがとう、緋流姫。わらわを祓っておくれ』
「はい、では。一差し、舞わせていただきます」
緋流は静かに立ち上がる。白梅の宮は微かに笑った。
「……交野の宮、あなたは初めてご覧になるのでは?」
『あ、これは。白梅の宮、お久しゅうございます』
「ええ、わたくしの孫娘は斎王の血筋。遠い昔から、斎王は悪しき霊を歌と舞で祓ってきました。交野の宮、あなたにもその力は受け継がれているはずですよ」
白梅の宮は笑みを深めた。交野の宮は深く息を吸い、凛とした表情の緋流に目がくぎ付けになる。悪霊を祓う舞が始まった。
――唄えや、祓えや。かの者を。火槌の神に請い願わむ――
緋流は高く透き通った声で神楽歌を紡ぎ出す。軽やかに、静かに舞扇が翻った。そして、とんと同時に足を鳴らした。空気が微かに震える。くるりと回り、舞扇を交野の宮にかざした。
――火槌の神、水槌の神。我に清き力を与え給ふ、疾く祓い給ふ――
歌が終わり、緋流は舞扇をさっと斜めに逸らす。ゆっくりと交野の宮の体に舞扇から放たれる緋き燐光を浴びせるかのように動かす。
『……これが斎王の血筋の力か』
静かに宮が呟く。黒い艷やかな両目からは雫が落ちる。声も無く、泣きながら交野の宮は美しい燐光に包まれた。
「交野、達者でな」
『ええ、兄上。また会える日まではお元気で』
交野の宮は泣き笑いの表情で王太子に別れの言葉を告げた。舞を緋流が終える。燐光も宮も透け、気がつくと。辺りには静寂が満ちていた。白梅の宮や讃岐は一仕事終えた緋流に胸を撫で下ろす。しばらくは火耀王太子や皆もその場を動けずにいた。




