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第1話 「役立たず、追放。だから今日はよく眠れる」

 朝の光は、最後まで俺の味方ではなかった。

 荷車の影が伸び、石畳の継ぎ目に冷えた風が落ちる。勇者アルドが、鞘に手を添えたまま言った。


「リオン。お前は、今日でここまでだ」


 静かな宣告だった。大声で罵倒するより、よほど体温を奪う。

 周囲では、賢者のユーンが気まずそうに視線を逸らし、聖女サラは唇を噛んだ。俺は、彼らの靴底が磨り減っていることを、つい見てしまう。靴は嘘をつかない。昨夜、結界の中心を二歩ずらしたから、狼の群れは回り込まずに諦めた。朝一番で剣油を一滴だけ増やしたから、今日の刃は鳴かない。そういう小さなことの積み重ねで、彼らはここまで来た。


「理由を、聞いても?」


「簡単だ。成果が出ない。魔王城は遠いままだ。なのに、お前は——」


 アルドは言い淀み、言葉を見つけられず、いつもの言い方に逃げた。


「雑用しかしていない」


 俺は頷いた。否定する術はない。

 焚き火を絶やさず、薬草を刻み、破れたマントを縫い、地図の湿り気を読む。騒ぐ心を落ち着かせ、黙って道を選ぶ。俺の魔法は派手ではない。名もない。人はそれを、雑用と呼ぶ。


「わかった。置いていく荷は?」


「全部だ。寝袋は一つ残してやる。……慈悲だ」


 慈悲、か。

 俺は荷車から手を離し、背に回したロープの結び目を解く。手袋の内側が汗で少し張り付いている。解いたロープを胸の前で二巻き、結び直す。指はいつも通りに動く。

 サラが近づいた。小瓶を握っている。


「これ……回復薬。予備の」


「持っていろ。君の方が必要だ」


 彼女は何か言いかけて、結局、うつむいた。

 ユーンが咳払いをし、学術的な公平さを装う声色で言う。


「リオンの貢献は認める。しかし、我々は前進を……」


「わかってる」


 言わせる必要はない。彼らは英雄でなければならない。英雄は剣が光らなければならない。段取りが光っても、歌にはならない。


「じゃあ、達者で」


 俺はそう言って、門の外に出た。

 振り返らない。振り返ったところで、何かが変わるわけではない。石畳から土道に変わる感触を足裏で確かめる。風向きは南東。乾いた草の匂い。雲は低く、昼には崩れるだろう。

 ——さて、どこへ行くか。


 腕に残る荷車の重みが少し恋しくなって、苦笑した。

 俺は、よく眠れる夜が欲しかっただけなのだ。見張りの交代を心配せず、火の残りを気にせず、誰かの我慢を天秤にかけずに済む夜。そんな夜が、今日からは来る。たぶん。


 道の先に、木製の看板が見える。「グラネル宿」。その下に小さく、「離れ貸します」と書かれていた。

 いい。離れは音が少ない。段取りを組み直すには、静けさがいる。


 宿の前で、荷を背負った小柄な少女が膝をついていた。背丈ほどの大きさの荷籠。靴紐が切れて、狼狽している。

 俺はしゃがみ込み、靴紐を拾い上げる。


「結び直す。足、貸して」


「え、あ、ありがとう……」


 少女は慌てて足を出した。紐の端は毛羽立ち、前に結んだ人の癖が残っている。外に出たときに解けない“実務結び”に変える。靴底の泥を指で弾き、乾きを確かめる。歩幅は小さいが、荷物の重さが勝っている。

 結び終えて立ち上がると、少女が目を丸くした。


「は、速い……!」


「慣れてる」


「わたし、フィオ。行商。今日は塩と布。宿まで運ぶ途中で……」


「リオン。元、雑用」


「雑用……?」


「気にしないで」


 受付の婆さんは、俺の服の擦り切れを見て、小さく頷いた。


「離れでいいのね。安いよ。うるさくしないなら、いくらでも居りゃあいい」


「助かる」


 鍵を受け取り、離れに入る。窓は小さく、埃は多い。床板がわずかに沈む。

 掃除をしながら、俺はいつもの手順で頭を組む。

 ——情報の確認、資源の把握、制約の列挙、目標の設定。

 箒を動かしながら、脳裏に薄い術式の輪が浮かぶ。古い癖だ。俺が使うのは、“魔法”というより、段取りを具現化した《運用魔法》だ。視界の端に、手順のノードが連なり、最小のコストで最大の成果を導く経路が光る。

 机は南に、寝具は西。窓の高さと風の向き。埃の舞い方。夜の冷え込み。

 ノードは小さな光を結んで、静かな地図になる。


 ドアが控えめに叩かれた。フィオだ。


「さっきはありがとう。……これ、パン。余り」


「代金は?」


「いいよ。靴紐の礼」


「じゃあ、代わりに。荷物の積み方、変えていい?」


「へ?」


 俺は荷紐を解き、籠の中身を床に並べる。塩袋が底で圧潰している。布は柔らかいが、角が立って風を拾う。

 ノードが光る。

 底板を一枚外し、布を丸めて受けにする。塩は中央、左右に重心を割る。上に軽い小物。紐の通しは“八の字”。

 結ぶ。持たせる。フィオが半歩よろめき、次の瞬間、目を輝かせた。


「軽い! え、同じ重さなのに……?」


「分散した。歩幅、半足分伸びる。宿の角で曲がるとき、外足の踵を先に。息は三歩で吸って二歩で吐く」


「な、なんかすごい人だ……」


「雑用だから」


 言って、自分でも笑ってしまう。

 フィオは首を傾げ、急に真剣な目になった。


「ねぇ、リオン。明日、市日に行くの。手伝ってくれたら……一日、屋台の一角、使わせてあげる。店を出したこと、ある?」


「ない」


「なら、やってみて。あんた、ぜったい“儲かる並べ方”知ってる人だ」


 儲かる、か。俺が積んできたのは、儲けではなく、明日のための余力だった。でも、余力は形を変えられる。

 俺は頷いた。


「やってみる」


 その夜、離れの床に寝袋を広げ、窓を少しだけ開けて、風の流れを確かめた。薄い術式が、部屋の四隅に灯る。火種の位置。水差しの蓋。扉の蝶番に油を一滴。

 久しぶりに、胸が静かだった。

 よく眠れた。


 翌朝、市日は早い。屋台は雑然とし、怒号と笑いが混じる。フィオは塩と布を並べ、俺に尋ねた。


「リオンは何を売る?」


「……段取り」


「段取り?」


「たとえば、包丁の研ぎ。鞘の調整。荷紐の通し直し。火の起こし方。『今日を楽にする手』を売る」


「そんなの、買う人いるかな?」


「いる。みんな、今日を楽にしたい」


 板に炭で書く。

 ——《今日を楽にする屋》

 価格はすべて銅貨一枚。

 最初は誰も近づかない。だが、隣の肉屋の親父が包丁を逆手で持ってきた。


「研げるのか?」


「三分だけ、時間をくれ」


 研石の水を替え、角度を定め、刃の鳴きを聴く。親父の握り癖に合わせて微妙に反らす。仕上げに布で油を薄く。

 肉を切らせる。親父の眉が上がる。


「切れる……!」


「手の動きが変わる。今日の肉は薄く、早く、均一になる。火の通りも揃う。無駄が減る」


「また来る!」


 親父が銅貨を置いた瞬間、行列ができた。

 鞘の口金。荷紐。子どもの靴。屋台の脚のぐらつき。火吹き竹。

 俺は手を動かし続け、三分を守り続けた。

 日が高くなる頃、フィオの売上は倍になり、隣の屋台の喧嘩は減り、市の通りは妙に滑らかに流れた。たぶん、誰も気づかない。けれど、世界は少しだけ、楽になった。


 そのときだ。

 市の入口で、ざわめきが起きた。鎧の音。見慣れた紋章。王都の騎士団が、埃を上げて入ってくる。先頭の騎士が巻紙を広げ、怒鳴った。


「王都告示! 勇者アルドの遠征に関し、サポート人員の無断離脱が——」


 言葉が喉にひっかかる。俺は炭を置き、立ち上がった。

 騎士は探すように周囲を見回し、やがて俺を見つける。眉が歪む。


「おい、そこの——」


 フィオが一歩、前に出た。


「ここは市だよ。告示は掲示板でやってよ。お客が怖がる」


 強い声だった。騎士は鼻を鳴らし、巻紙を丸めると、俺に近づいた。


「リオン・ハルド。お前だな」


「そうだけど」


「王都への召喚だ。勇者隊の指揮に支障を生じた件、事情聴取する」


 フィオが顔を青くする。周囲の空気が固くなる。俺は、ゆっくりと息を吸い、吐いた。

 ノードが浮かぶ。

 状況:王都騎士団、権威を示したい。市の秩序、維持したい。

 資源:人目、行列、肉屋の親父、宿の婆さん、フィオ。

 制約:手を出せない、市の内規。

 目標:市を荒らさせない。強制連行を避ける。時間を稼ぐ。


 俺は看板を持ち上げ、騎士の目の前に掲げた。

 《今日を楽にする屋》。


「三分だけ、時間をくれ」


「は?」


「話はそれからでいい。あなたの“今日”を楽にする。無料で」


 ざわめきが笑いに変わる。騎士は顔をしかめたが、人前で強がるには“無料の恩”を蹴るのは下手だ。

 俺は彼の鞘を指さし、口金を微調整する。腰の位置が半寸高い。帯の結びが逆。歩幅が狭いのに、甲冑の重さが前に流れている。

 結び直す。鞘が音を立てない角度に落ちる。

 歩かせる。騎士の目がわずかに見開かれた。


「——軽い」


「今日、あなたは怒鳴らなくて済む。鞘が鳴らなければ、人は耳を立てない。あなたは権威を保ち、嫌われない。帰り道の脚も攣らない」


 肉屋の親父が後ろから笑う。


「その兄ちゃんは本物だぜ、騎士さま」


 宿の婆さんが杖をつきながら言う。


「市を荒らすなら、商売敵に回るよ」


 騎士は舌打ちを飲み込み、巻紙を押し付けるように俺に渡した。


「……三日後、王都の外門で待つ。それまでに来い」


「検討する」


「命令だ」


「検討するよ」


 騎士は背を向けた。群衆はさざ波のように道を開け、やがていつもの喧噪が戻る。

 フィオが肩の力を抜いて、へたりこんだ。


「心臓が死ぬかと思った……」


「生きてる」


「リオン、あんた、ただ者じゃない」


「ただの雑用」


「その“雑用”、世界救えるやつだよ」


 彼女の言葉に、俺は返事をしなかった。

 市の喧噪の上を、薄い雲がゆっくり流れていく。

 俺のポケットの中で、巻紙が重さを主張する。王都。勇者。事情聴取。

 ——遅い。

 今さら、俺の段取りは彼らのためには回らない。

 回すなら、ここだ。

 目の前の人の“今日”が、少しでも楽になるように。


 夕暮れ、行列が尽きたころ、ミロという名の少年が、折れた木剣を握ってやって来た。

 手の皮は薄く、握りは甘い。

 俺は剣を受け取り、柄に布を巻き直し、手のサイズに合わせて余りを切った。


「明日、また来い。三分やる。三分でできる練習を教える」


「三分で、強くなれる?」


「三分を毎日積むやつは、だいたい強い」


 少年はこくりと頷いた。

 日が落ちる。灯りがともる。

 離れに戻る道を歩きながら、俺はふと思う。

 きっと、あの勇者は来る。土のついた膝を抱えて。

 けれど、俺はもう知っている。

 世界を変えるのは、剣の一撃ではない。

 火を絶やさない手。水をこぼさない手。

 ——雑用の手だ。


 今夜も、よく眠れそうだった。

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