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第5話:未知への探査行、そして不可視の壁

 僕の研究生活は、新たな助手、シェルとフロートの加入によって飛躍的に進化した。

 シェルは研究所の拡張を着々と進め、新たに広大な菌床栽培室と、サンプルを分類・保管するための貯蔵庫を完成させた。その勤勉さとパワーは、まさに研究室の大黒柱だ。

 そして、フロートがもたらした東の空の「異常な魔力反応」の情報。それは、僕の心を掴んで離さなかった。


 フロートが菌糸ネットワークを通じて送信してくる映像とデータを、俺は研究所の壁に生やした粘菌スクリーンに投影し、繰り返し分析していた。

「……間違いない。これは自然現象じゃない」

 魔力の流れが、あまりに整然としすぎている。まるで、精密な魔法術式によって編まれた、巨大なレース編みのようだ。その目的は、おそらく「隠蔽」と「拒絶」。何者かが、その内側にある何かを、外部の世界から隠し、守っているのだ。


 古代文明の遺跡か? あるいは、この森の汚染源に関わる何かか?

 どちらにせよ、そこに僕の知らない未知があるのなら、探求するのが科学者というものだ。


「よし、探査行の準備を始めるぞ」


 俺は立ち上がり、宣言した。

 今回の探査は、これまでの森の散策とは訳が違う。未知の領域への遠征だ。考えうる限りのリスクを想定し、万全の準備を整える必要がある。

 まずは、装備の作成からだ。


「マッシュ、これをベースに、僕専用のマスクを作ってくれ」

 俺がマッシュに渡したのは、空気中の汚染物質を分解するフィルター能力を持つ、特殊な粘菌のサンプルだ。マッシュはそれを受け取ると、自身の体の一部を分離させ、粘菌と融合させていく。やがて、俺の顔のサイズにぴったりとフィットする、呼吸で汚染物質を分解・無害化する、浄化機能付きの生体マスクが完成した。


 次に、隠密行動用の外套(クローク)だ。

 これは、周囲の風景に合わせて体色を変化させる、カメレオンのような性質を持つ苔を利用する。この苔を培養し、菌糸で編み上げた布に定着させることで、光学迷彩機能を持つ外套を作り上げた。これを羽織れば、森の中での視認性は限りなくゼロに近くなるだろう。


 最後に、携帯食料兼、緊急用の薬品だ。

 栄養価の高いキノコを圧縮・乾燥させ、さらに興奮作用のある胞子と、解毒作用のある菌糸を混ぜ込み、一口サイズの丸薬に加工する。これを食べれば、数日間は飲まず食わずで活動でき、いざという時には強力なブースト剤にも、解毒剤にもなる。


「よし、準備完了だ」

 生体マスクを装着し、迷彩外套を羽織り、特製丸薬をポーチに詰める。

 今回の探査チームのメンバーは、俺と、偵察・情報収集担当のフロート、そして万能な護衛兼アシスタントのマッシュだ。シェルには、僕の不在中、研究所の維持管理と防衛を任せる。


「シェル、留守を頼む。変な奴が来たら、遠慮なく叩き潰せ」

 緑色の魔力石を点滅させ、シェルは力強く頷いた。


 俺たちは、朝日が昇り始めた頃、東を目指して研究所を出発した。

 フロートは上空を先行し、周囲の警戒とルートの選定を行う。俺とマッシュは、その後を追って地上を進む。


 目的地に近づくにつれて、森の様相は明らかに変化していった。

 木々の歪みはさらに酷くなり、地面にはまるで血管のように、紫色の魔力が脈打つ亀裂が走っている。見たこともない昆虫型の魔獣や、植物と動物の特徴を併せ持つ奇妙な生物が、あちこちで蠢いていた。

 その全てが、僕にとっては垂涎の研究対象だった。俺は時折立ち止まっては、それらの生態を観察し、マッシュにサンプルを採取させ、研究日誌に詳細なスケッチと記録を書き込んでいく。


「素晴らしい……! この環境圧が、これほど多様な進化を促しているとは! パーティにいた頃には、到底お目にかかれない光景だ」


 道中、いくつかの障害にも遭遇した。

 地面が大きく裂けた、幅20メートルはあろうかという深い谷。俺はマッシュに命じて、彼の菌糸で頑丈な橋を架けさせ、難なく突破した。

 空から、強酸性の雨が降ってきたこともあった。その時は、俺が携帯していた特殊な中和菌の胞子を空中に散布し、酸性雨をただの真水に変えてやり過ごした。


 探査行は、極めて順調に進んだ。

 そして出発から二日目の午後、ついに俺たちは目的の領域に到達した。


「……ここか」


 フロートからの報告通り、そこには物理的な壁は何もない。

 しかし、空気そのものが、まるで陽炎のように揺らめいており、その向こう側の景色が歪んで見えた。スキルを発動すると、目の前に巨大な魔力のドームが広がっているのがはっきりと視える。

 強力な、そして極めて緻密な結界だ。


「これほどの規模と精度……。並大抵の魔術師に創れるものではない。おそらく、古代の遺物か、あるいは……」


 俺は結界にそっと手を触れてみる。ビリッ、と軽い衝撃と共に、魔力が俺の侵入を拒絶した。

 力ずくで破るのは不可能だろう。しかし、僕には僕のやり方がある。

 俺はこの結界を、一個の「生命体」として捉える。どんな生命にも、隙や、弱点はあるものだ。


 俺はスキルを最大限に集中させ、結界を構成する魔力の「構造」を解析していく。

 やはり、完璧ではない。魔力が循環する流れの中に、ほんのわずかな「淀み」や「孔」のようなものが存在する。おそらく、術式が組まれてから長い年月が経ち、劣化している部分なのだろう。


「見つけたぞ、アキレス腱」


 俺はニヤリと笑うと、近くの土壌から、ある微生物を採取した。この結界のすぐそばで、その特殊な魔力環境に耐えて生きている、土着のバクテリアだ。

 俺はそいつをビーカーに入れると、特製の培養液と、俺自身の魔力を注ぎ込み、スキルでその進化を強制的に促進させる。


「【菌界創生(マイコジェネシス)】――変異、そして適応。あの結界の魔力だけを喰らい、増殖する能力をお前に与える。行け、僕の小さな侵略者よ」


 数分後、ビーカーの中には、結界の魔力に強い指向性を持つように進化した、新種のバクテリア――仮称『結界侵食菌(バリア・イーター)』――が満ちていた。

 俺はそれを、先ほど見つけた結界の「淀み」に、霧吹きでそっと吹きかけた。


 最初は、何も変化はなかった。

 だが、数分後、バクテリアを吹きかけた部分の空間の歪みが、明らかに大きくなっているのが見て取れた。結界侵食菌が、魔力をエネルギー源として、爆発的に増殖を始めたのだ。

 やがて、陽炎のようだった空間が、まるで水面のように波打ち始め、中心に小さな黒い亀裂が入った。亀裂は、音もなくゆっくりと広がり、やがて、人間一人がようやく通れるくらいの大きさの「穴」になった。


「……ハッキング、成功だな」


 俺は満足げに呟き、穴の向こう側を覗き込んだ。

 結界の向こう側は、遺跡や荒れ地だろうと、そう予想していた。

 だが、俺の目に飛び込んできた光景は、その予想を、あまりにも鮮やかに裏切るものだった。


 そこにあったのは―――呪われた〈滅びの森〉には、決して存在するはずのない、生命の色。


 どこまでも広がる、青々とした草原。

 キラキラと輝く、澄み切った泉。

 そして、その中央に、天を突くようにそびえ立つ、一本の巨大な、緑の葉を豊かに茂らせた、巨大な世界樹。


 その根元には、微かに、人工的な建物らしきものの影が見える。


「……なんだ、これは……」


 俺は、生まれて初めて、己の知的好奇心以外の感情で、息を呑んだ。

 死の世界に隠された、生命の楽園。

 そこに一体、何があるのか。そして、誰がいるのか。


 俺の、本当のフィールドワークが、今、始まろうとしていた。


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