第4話:研究室の拡張と、新たな仲間たち
クリスタル・ボアとの遭遇から数日が経過した。
俺の食生活は、驚くほど豊かになっていた。保存用に作った燻製肉は絶品だし、骨から取った出汁で作るキノコスープは、もはや専門店の領域に達していると自負している。食料貯蔵庫には、解体済みの猪肉が天井から吊るされ、壮観な眺めとなっていた。
しかし、問題も浮上していた。
一連の作業――獲物の運搬、解体、加工、そして研究所内の清掃――そのすべてを、マッシュ一体に任せていることによる、著しい業務効率の低下だ。
マッシュは確かに万能だ。不定形な体はどんな作業にも対応できる。だが、逆を言えば、何かに特化しているわけではない。巨大な猪を一体運ぶだけでも、彼はその全体重を使って引きずらねばならず、時間がかかりすぎる。
「……やはり、業務の細分化と、それに対応する専門スタッフの増員が必要だな」
俺は研究日誌にそう書き込みながら、呟いた。
もちろん、人間を雇う気など毛頭ない。僕が創り出す、僕だけの為に働く、最高の助手たちを増やすのだ。
目的は明確だ。
一つは、重量物の運搬や洞窟の拡張工事といった、パワーを必要とする土木作業に特化したゴーレム。
もう一つは、この広大な森を上空から偵察し、新たなサンプルや危険をいち早く発見するための、偵察・探査に特化したゴーレムだ。
「よし、決まった。早速、素材探しに出かけるとしよう」
俺はマッシュを伴い、研究所の外に出た。
目指すは、これまで足を踏み入れたことのない、森の南西区画。菌類ネットワークの情報によれば、その一帯には、硬度の高い鉱物を含む岩盤が多く、特殊な進化を遂げた菌類が自生している可能性が高い。
数時間後、俺たちは目的地に到着した。そこは、まるで巨大な生物の肋骨のように、歪な形の岩が林立する奇妙な場所だった。
そして、俺は目当てのものをすぐに見つけた。
「……あった。これだ」
岩の表面に、まるで甲殻のように張り付いて成長している、黒光りするキノコ。俺はそれをナイフで叩いてみる。キン、と硬質な音がして、刃がこぼれそうになった。
スキルで分析すると、その正体が明らかになる。
「……素晴らしい。岩盤の鉄分を吸収し、自身の菌糸にキチン質と混ぜ合わせて、金属に匹敵する硬度の外殻を形成するキノコ……仮称『アイアンシェル・マッシュルーム』。これ以上の素材はない」
俺は早速、このキノコの菌床を採取する。これを核にすれば、屈強なゴーレムが創れるはずだ。
次に、偵察用のゴーレムの素材だ。空を飛ぶ能力。菌類でそれを実現するには……。
「浮遊、あるいは滑空能力……。考えられるのは、気体を利用するか、あるいは……風に乗るかだ」
俺は思考を巡らせる。そして、菌類ネットワークの情報をさらに深く探り、ある可能性に行き当たった。
この森の上層部、巨大な木々の枝の上には、特殊な胞子を散布するキノコが存在する。そのキノコは、傘の部分が極めて広く軽量な膜状になっており、風を受けると、まるで凧のように舞い上がる性質を持つという。
「それだ!」
俺はマッシュに命じ、近くで最も高い木に登らせた。マッシュは体をスライム状に変形させ、器用に木の幹を登っていく。やがて、地上30メートルほどの高さの枝から、目的のキノコをいくつか採取して戻ってきた。
そのキノコは、直径2メートルもある巨大な傘を持ちながら、重さは紙のように軽かった。傘の裏には、ガスを溜め込むための袋が無数についている。
「……フム。『エアリアル・アンブレラ』と名付けよう。傘に水素やヘリウムのような軽いガスを溜め込み、風に乗って長距離を滑空する。その生態、実に合理的で美しい」
必要な素材は揃った。
俺は意気揚々と研究所に引き返し、早速、新しいゴーレムの創造に取り掛かった。
まずは、土木作業用のゴーレムからだ。
俺はアイアンシェル・マッシュルームの菌床を核とし、浄化した土と、クリスタル・ボアから採取した骨の破片を混ぜ込んで、巨大な甲虫のようなフォルムを形成していく。脚は安定性を重視して8本。頭部には、岩を砕くための巨大な顎を取り付けた。
そして、スキルを発動する。
「【菌界創生】――目覚めよ、我が剛腕。その名は『シェル』。僕の研究所の礎を築くのだ」
魔力を注ぎ込むと、黒光りする甲殻の塊が、ギシリ、と音を立てて動き出した。全長は4メートルほど。ずっしりとした重量感と、見るからに頑丈そうな外見は、頼もしさの塊だ。核となる魔力石は、防御力を示すかのように、深い緑色に輝いている。
次に、偵察用ゴーレムだ。
こちらはエアリアル・アンブレラの菌床を核にする。体は極限まで軽量化し、巨大な傘の下から、サンプルを採取するための細く長い触手を何本も垂らした、クラゲのような姿をイメージする。
「【菌界創生】――飛翔せよ、我が天眼。その名は『フロート』。僕に、この森のすべてを見せるのだ」
魔力を注ぐと、フロートはふわりと宙に浮き上がった。傘の裏のガス袋が、周囲の空気から軽い元素を分解・生成し、浮力を得ているのだ。核の魔力石は、知性を示すかのように、澄んだ青色に輝いている。
こうして、僕の研究室に、新たに二体の助手が加わった。
不定形で万能な長男坊の『マッシュ』。
寡黙で力持ちな次男坊の『シェル』。
身軽で好奇心旺盛な三男坊の『フロート』。
「よし、早速性能テストだ!」
俺はまず、シェルに洞窟の拡張を命じた。シェルは自慢の顎で硬い岩盤をバリバリと砕き、その頑丈な体で土砂を運び出していく。その作業効率は、マッシュの10倍以上はありそうだった。これなら、寝室や書斎、巨大な培養室を作るのも夢ではない。
次に、フロートには上空からの偵察を命じた。
「フロート、研究所の上空、高度200メートルまで上昇。周囲5キロメートルの情報を、僕に送ってくれ」
フロートは静かに頷くと、洞窟の入り口からふわりと舞い上がり、あっという間に空の彼方へと消えていった。
彼が見た光景は、菌糸ネットワークを通じて、リアルタイムで俺の脳内に直接映し出される。
眼下に広がる、広大な樹海。どこまでも続く、緑と黒のまだら模様。これが、僕の楽園の全景か。
俺はフロートに指示を出し、様々な方角を偵察させていく。
クリスタル・ボアの生息地、巨大な昆虫型魔獣の巣、そして、未知の植物群生地。新たな研究対象が、次から次へと見つかる。
俺が興奮に打ち震えていると、その時だった。
―――ピピッ!
フロートが、何か異常なものを捉えた。
森の遥か東、これまで俺が一度も足を踏み入れたことのない地域。
そこだけ、まるで空間が歪んでいるかのように、濃密で、それでいて奇妙なほどに整然とした魔力が渦巻いているのが視えた。自然発生したものとは到底思えない。何者かの、強い意志を感じる。
「……なんだ、あれは? 古代の遺跡か? あるいは、何かの結界か……?」
俺の菌類学者としての本能が、警鐘を鳴らすと同時に、抗いがたいほどの好奇心を掻き立てられる。
あそこには、何かがある。
この森の、そしてあるいは、世界の根幹に関わる何かが。
「……決めた。次の研究対象は、あれだ」
新たな助手を加え、盤石の体制を築いた僕の研究生活は、早くも次のステージへと駒を進めようとしていた。
俺は、フロートが映し出す東の空の異常な魔力を見つめながら、不敵な笑みを浮かべるのだった。