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第3話:最初の戦闘サンプルと、その味

 ピリッ、ピリッ。

 断続的に送られてくる菌糸センサーからの信号が、静かな洞窟内に緊張をもたらす。何者かが、俺の縄張りに侵入した。それも、一体や二体ではない。菌糸が感知する振動パターンは、少なくとも5、6の個体が、統率の取れていない動きでこちらに近づいてきていることを示していた。


「魔獣の群れ、か。面倒だが、僕の研究所の防衛能力を試す良い機会だ」


 俺は冷静に呟き、マッシュに指示を出す。

「マッシュ、入り口を塞げ。ただし、完全にではない。一体ずつしか通れない隙間を維持しろ」

 マッシュは即座に反応し、その不定形な体を洞窟の入り口へと滑らせた。そして、無数の菌糸を岩盤に絡みつかせながら、まるで分厚いシャッターのように入り口を塞いでいく。指示通り、侵入者が一体ずつなだれ込んでくるであろう、幅1メートルほどの隙間だけを残して。


 これで、一度に多数を相手にする最悪の事態は避けられる。各個撃破が基本戦術だ。もっとも、僕に「撃破」などという芸当ができるかはわからないが。僕の役割は分析と指揮。実働部隊はマッシュだ。


 菌糸センサーが、最初の個体が感知範囲の最終ラインを突破したことを知らせてくる。もう目と鼻の先だ。

 やがて、洞窟の外から、獣の荒い息遣いと、地面を蹄で引っ掻く音が聞こえてきた。そして――


 グルォォォッ!!


 獣の咆哮と共に、一体の魔獣が入り口の隙間から猛然と突進してきた。

 それは、猪に似た姿をした魔獣だった。しかし、その様相は異常としか言いようがない。体長は3メートルを超え、その皮膚は黒い岩のように硬質化し、背中や肩からは、紫色の水晶のような結晶体が無数に突き出している。両目は爛々と赤く輝き、口から漏れる涎は地面をジュウジュウと溶かしていた。


「……なるほど。汚染に適応した結果、体組織の一部が鉱物結晶化した個体か。素晴らしい!」


 恐怖よりも先に、純粋な知的好奇心が俺の心を占領した。あの結晶の構造はどうなっている? 生体組織との親和性は? もしかして、あの結晶自体が、この個体の生命活動を支える新しい器官として機能しているのでは?

 分析したい。解剖したい。あの結晶を、サンプルとして持ち帰りたい。


 だが、そんな俺の学術的探求心とは裏腹に、魔獣――仮に『クリスタル・ボア』と名付けよう――は、俺を明確な敵とみなし、一直線に突撃してくる。


「マッシュ、捕獲しろ。ただし、損傷は最小限に。特に背中の結晶は傷つけるな」


 俺の命令に応じ、天井で待ち構えていたマッシュが動いた。

 クリスタル・ボアが俺の目前に迫った瞬間、天井からマッシュの菌糸が、まるで純白の津波のように降り注いだ。それは猪の突進を真正面から受け止めるのではなく、柳のようにしなやかに受け流し、瞬時にその全身に絡みついていく。

 クリスタル・ボアは勢い余って転倒し、もがき苦しむが、マッシュの菌糸は粘着質の液体を分泌しながら、さらに固く、強く、その体を締め上げていく。まるで巨大な蜘蛛が獲物を捕らえるように、あっという間にクリスタル・ボアは身動き一つ取れない、白い菌糸の繭玉と化した。


「よし、上出来だ、マッシュ」


 俺は悠然と歩み寄り、拘束されたクリスタル・ボアを観察する。興奮で呼吸が少し速くなるのを感じた。


「ふむ……。やはり、ただの結晶ではないな」


 スキル【菌界創生(マイコジェネシス)】で分析すると、結晶の内部には、血管のように菌糸に似たエネルギーラインが張り巡らされているのが視える。どうやら、地中の魔力や汚染物質を吸収し、自身の生命エネルギーに変換する一種の共生器官のようだ。その代償として、脳は常に興奮状態に置かれ、凶暴性が増しているのだろう。


 非常に興味深い生態だ。しかし、問題は、このサンプルをどうやって無力化するかだ。あの結晶化した皮膚は、並大抵の刃物では傷一つつけられないだろう。

 だが、僕には僕のやり方がある。


「マッシュ、菌糸の一部を先鋭化させ、結晶の根本、皮膚との境界に突き刺せ。そして、そこからこいつを送り込め」


 俺は背負い袋から、小さな試験管を取り出した。中には、俺が特別に培養した、新種の休眠胞子が入っている。これは、特定の魔力に反応すると覚醒し、驚異的な速度で増殖して有機物・無機物を問わず分解してしまう、非常に危険なシロモノだ。仮称『急速分解菌アグレッサー』。


 マッシュは俺の指示通り、菌糸の先端をドリルのように硬化・高速回転させ、クリスタル・ボアの装甲の隙間、結晶の根本に突き立てた。そして、試験管から受け取った胞子を、その傷口から注入する。


 ギュオオオオオ!?


 クリスタル・ボアが、先ほどとは比較にならないほどの苦悶の叫びを上げた。

 見ると、彼の体を覆っていた紫色の結晶が、内側から急速に白く変色し、ヒビ割れていく。注入されたアグレッサーが、結晶のエネルギーラインを養分として爆発的に増殖し、その構造を内側から破壊しているのだ。

 10秒も経たないうちに、自慢の結晶装甲は、まるで風化した砂のようにボロボロと崩れ落ちてしまった。

 装甲を失い、生命維持器官を破壊されたクリスタル・ボアは、もはやただの大きな猪だ。力なく数回痙攣すると、やがてぐったりと動かなくなった。


「戦闘データ、記録完了。急速分解菌の対鉱物性生体組織への有効性を確認。ただし、分解速度が速すぎて、サンプルの原型を留めない危険性あり。要改良、だな」


 俺は冷静に分析結果を頭の中で反芻しながら、崩れ落ちた結晶の破片をいくつか拾い上げ、サンプル瓶に詰めた。

 すると、洞窟の外から、二体目、三体目のクリスタル・ボアが、仲間を呼ばわるようにして突進してくるのが見えた。


「マッシュ、同じ手順で処理しろ。今度は、分解菌の注入量を半分にしてみろ。最適な使用量を見極める必要がある」


 マッシュは静かに肯定の意を示すと、再び天井に張り付き、次の獲物を待ち構える。

 そこから先は、もはや戦闘ではなく、単なる流れ作業だった。

 突進してくるクリスタル・ボアをマッシュが拘束し、俺の指示で分解菌を注入して無力化する。それを、計6回繰り返した。

 30分後、俺の研究所の入り口には、装甲を失った6頭の巨大な猪の死骸が転がっていた。


「ふぅ……。上々の成果だ。これで当面の防衛は問題ないことが証明されたな」


 俺は満足げに頷き、マッシュの菌糸の塊を労うようにポンと叩いた。

 さて、問題は、この大量の肉をどうするかだ。

 俺はクリスタル・ボアの死骸の一つに近づき、その肉をナイフで少し切り取った。そして、スキルで分析する。


「……なるほど。面白い」


 分析結果は、俺の予想を良い意味で裏切るものだった。

 肉自体は、森の汚染物質に酷く汚染されている。だが、共生器官であった結晶が体内の汚染物質を吸収・凝縮していたため、結晶を失った今、肉から汚染物質が急速に抜け始めている。

 さらに、急速分解菌アグレッサーは、汚染物質を優先的に分解する性質も併せ持っていたらしい。これは嬉しい誤算だ。

 つまり、この肉は、一晩もすれば汚染が完全に抜け、それどころか結晶に蓄えられていた純粋な魔力だけが残った、極上の食材へと変貌するということだ。


「……試してみる価値は、あるな」


 俺の口元に、探求者の笑みが浮かぶ。

 未知の食材。未知の味。これもまた、菌類学者の醍醐味だ。


 俺はマッシュに命じて死骸を洞窟内の食料貯蔵庫(と決めた場所)に運ばせると、早速、最初に処理した一体を解体し始めた。

 幸い、肉の汚染はほとんど抜けている。俺は分厚いロース肉を切り出し、表面に岩塩(これも森で発見した、ミネラル豊富な結晶だ)を振り、鉄板の上でじっくりと焼き始めた。

 ジュウウウ、と食欲をそそる音と、香ばしい匂いが洞窟に満ちる。


 焼きあがったステーキをナイフで切り分け、一口、口に運ぶ。

 瞬間、俺の舌の上で、凝縮された肉の旨味と、魔力が弾けた。

 驚くほど、柔らかい。そして、噛めば噛むほど、芳醇な肉汁が溢れ出してくる。獣臭さは一切なく、むしろ、どこか果実のような爽やかな後味すら感じる。


「……うまい。これは、うまいぞ」


 思わず、本音が漏れた。

 王都の高級レストランで食べた、どんな高級肉よりも美味い。

 これが、あの禍々しい魔獣から取れたとは、誰も信じないだろう。


 危険な魔獣は、最高の研究サンプルであり、最高の食材でもあった。

 この森は、俺にとって、やはり楽園だ。

 俺はクリスタル・ボアのステーキを頬張りながら、今後の研究計画(食料計画)に、新たな項目を書き加えるのだった。



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