第20話:神に捧げる魔獣のスープ(ブイヨン)
俺の次なる治療計画、それは『世界樹へのミネラル補給』。その方針は決まった。問題は、その原料をどうするかだ。ミリの証言通り、この聖域内には、生命活動に必要な微量元素が、絶望的なまでに枯渇している。
しかし、俺の研究所には最高の原料が眠っていた。クリスタル・ボア。あの魔獣は、汚染された森の土壌から多種多様な鉱物資源をその身に濃縮していた。いわば、生命によって精錬された極上の鉱脈だ。
この冒涜的とも言えるアイデアを、ミリに納得させるのは骨が折れるだろうと予想していた。だが、彼女の反応は意外なものだった。
「……やります」
俺が、貯蔵庫に吊るされた猪の死骸を指し示し、その計画の全貌を語り終えた時、彼女は青ざめ、唇を震わせながらも、そうはっきりと答えたのだ。
「あなたの説明は……まだ半分も理解できません。魔獣の体を世界樹様に与えることも、本当は信じたくありません。でも……あなたが、世界樹様を救うために最善だと判断したのであれば……私は、もう、それを信じるしかありませんから」
彼女の瞳には、確かな覚悟が宿っていた。この数々の常識外れな出来事を経て、彼女は、彼女自身の倫理観や宗教観よりも、俺が提示する科学的な「事実」と「結果」を、優先する思考を身につけ始めていた。素晴らしい順応性だ。サンプルとして、実に優秀だと言える。
「話が早くて助かる。では、早速、神への供物作りを始めるとしよう」
俺は、シェルに命じて、貯蔵庫から最も巨大なクリスタル・ボアの骨格を運び出させた。ゴトリ、と地響きを立てて研究所の中庭に置かれた、全長3メートルを超える獣の骨。それは、もはや生物の遺骸というより、異様な鉱物標本のようにも見えた。
「第一工程、粉砕。シェルの顎で、これを砂粒大になるまで細かく砕け」
シェルの持つ、岩盤すら砕く顎が猪の骨をバリバリと、凄まじい音を立てて粉砕していく。数時間後、そこには灰色がかった骨の砂の山が出来上がっていた。
「表面積を最大化することで、後の抽出効率を飛躍的に高める。化学の基本だ」
俺は、ミリに、まるで授業でもするかのように解説した。
次に、巨大な鍋の準備だ。俺は、あらかじめ培養しておいた直径5メートルにも及ぶ巨大な『鉄傘茸』を、中庭の中央に設置した。このキノコは、その名の通り、菌糸に鉄分を取り込んで成長するため、極めて高い耐熱性と強度を誇る。天然の鋳鉄鍋と言ってもよかった。
俺は、浄水プラントから引いてきた純水を鍋に満たし、発熱菌でゆっくりと加熱を始めた。
「第二工程、煮沸による抽出。だが、ただ煮るだけでは骨に含まれるミネラルの半分も溶け出さん」
湯が沸き始めたところで、俺は骨の粉を投入した。鍋の中は、たちまち白く濁る。
「ここで、第一の触媒を投入する」
俺が取り出したのは、緑色に輝く、スライム状の粘菌だった。
「この『キレート粘菌』は、特殊な有機酸を分泌する。この有機酸が、水に溶けにくい金属イオンを、蟹のハサミのようにがっちりと掴み、水中に安定して溶け込ませる働きをする」
粘菌を投入すると、白く濁っていた液体が化学反応を起こし、様々な色合いを帯びて、美しく揺らめき始めた。鉄が溶け出して赤褐色に、銅が溶けて淡い青色に、マグネシウムが白い輝きを放つ。それは、グロテスクな骨スープというより、錬金術師が生み出す賢者の石のようだった。
俺たちは、三日三晩、鍋の火を絶やさなかった。
その間、俺は、ミリに、様々な菌類の働きを教え込んだ。
「今投入したのは『浄化酵母』だ。ミネラル以外の、不純な有機物や、わずかに残った魔力毒素を、分解し、無害なアルコールと二酸化炭素に変える。スープの雑味を取り除く、重要な工程だ」
「次は、『比重選別菌』。この菌は、特定の重さの分子にしか興味を示さん。こいつに、有害な重金属、例えば鉛や水銀の分子を記憶させ、鍋の底に沈殿させる。これで、安全性が確保される」
ミリは、最初こそ戦々恐々としながら俺の作業を眺めていただけだったが、いつしか、その目は純粋な好奇心に輝き始めていた。彼女は、俺が指示を出すたびに小さなメモ帳(俺がキノコの繊維で作ってやったものだ)に、菌の名前とその働きを必死に書き留めている。
「レンさん、その、キレート、というのは……?」
「良い質問だ、ミリ。それはだな……」
俺は、まるで愛弟子に教えを説く教授のように、彼女の疑問に丁寧に、そしてどこか嬉しそうに、答えていた。人間と、学術的な対話をする。それは、俺が追放されて以来忘れていた、純粋な喜びだったのかもしれない。
そして、四日目の朝。
鍋の中の液体は、全ての不純物が取り除かれ、どこまでも透き通った、黄金色の液体へと変わっていた。
「最終工程、濾過と濃縮」
俺は、マッシュの体の一部を、極めて目の細かいフィルター状の菌糸網に変形させ、黄金色の液体を一滴残らず、そこへ通した。粘菌が沈殿させたわずかな重金属のスラッジも、これで完全に取り除かれる。
そして最後に、低温でゆっくりと水分だけを蒸発させていく。
数時間後。
あれほど大量の骨と水から俺たちが得られたのは、ガラス瓶一本にも満たない、わずかな量の、蜂蜜のように輝く、黄金の液体だけだった。
「……できたぞ、ミリ」
俺は、その小瓶を朝日の中で掲げた。
液体は、まるでそれ自体が生命を持っているかのように、キラキラと、内側から光を放っている。
「これこそ、生命の起源だ。この世界の黎明期から、大地に蓄えられてきた微量元素が魔獣の肉体を通して、奇跡的なバランスでここに濃縮されている」
それは、神に捧げるにふさわしい供物だった。
たとえ、その原料が神が最も忌むべき魔獣の死骸であったとしても。
「さあ、投与しに行くぞ。君たちの神の最後の晩餐だ」
すみません!先に21話を投稿してしまったので再度投稿しなおしています。




