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第2話:僕だけの楽園

 新種のキノコスープで腹を満たした俺は、当面の最優先課題に取り掛かることにした。すなわち、安全かつ研究に適した拠点の確保である。

 この〈滅びの森〉は、僕のような菌類学者にとっては楽園だが、同時に未知の危険に満ちた場所でもある。汚染に適応した結果、凶暴化した魔獣がいないとも限らない。夜を無防備に過ごすのは、自殺行為に等しいだろう。


「マッシュ、行くぞ。僕たちの研究所(ラボ)にふさわしい場所を探す」


 俺の言葉に、不定形な菌糸の塊であるマッシュは、その体の一部を触手のように伸ばして肯定の意を示した。彼は言葉こそ話さないが、その思考は菌糸ネットワークを通じて俺に直接伝わってくる。実に効率的で、素晴らしいコミュニケーション方法だ。人間のように、言葉の裏を読んだり空気を読んだりする必要が一切ない。


 俺とマッシュは、森の奥深くへと分け入っていった。俺はスキル【菌界創生(マイコジェネシス)】を常に起動させ、周囲の菌類ネットワークから情報を収集する。地中に広がる菌糸の網は、さながらこの森の神経網だ。それをハッキングすることで、地形、水源、そして危険な生物の存在まで、ある程度把握することができる。


「フム……この先の岩盤地帯、菌糸の反応が途切れている箇所があるな。おそらく、天然の洞窟だ」


 数時間ほど歩いただろうか。俺たちは苔むした巨大な岩壁の前にたどり着いた。鬱蒼と茂るツタやシダをかき分けると、大人がかがんでようやく入れるくらいの、黒々とした洞窟の入り口が姿を現した。

 俺は用心深く、マッシュに先行させて内部を偵察させる。彼の菌糸が壁や床を伝い、内部の構造と、危険な生物がいないことを知らせてきた。


 俺はマッシュに続き、洞窟の中へと足を踏み入れた。内部は思ったよりも広く、天井も高い。いくつかの部屋に分かれているようで、居住空間と研究室を分けるにも都合が良さそうだ。何より、岩盤が分厚く、大型の魔獣の襲撃にも耐えられそうだった。


「よし、今日からここが僕たちの城だ」


 俺は満足げに頷いた。だが、ただの洞窟では、僕の研究所として不十分だ。ここからが、菌類使いの腕の見せ所だ。


「まずは、照明の確保からだな」


 俺は背負い袋から、道中で採取しておいた発光ゴケのサンプルを取り出した。これは、それ自体が魔力を吸収して光る性質を持つ、この森固有の種だ。

 俺はそのコケを洞窟の壁に擦り付け、スキルを発動する。


「【菌界創生】――増殖、そして定着。壁の鉱物から養分を吸い、僕の魔力を光に変換しろ」


 俺が魔力を注ぎ込むと、壁に付着したわずかなコケが、まるで生命を得たかのように急速に増殖を始めた。青白い光を放つ美しい葉脈が、壁から天井へと、まるで回路図のように広がっていく。数分後には、洞窟全体が、月光が差し込んだかのような幻想的な明るさで満たされていた。


「素晴らしい。これならランプの燃料も節約できる」


 次に、居住性の改善だ。洞窟の中は湿気が多く、ひんやりとしている。このままでは体調を崩しかねない。

 俺は再びスキルを使い、今度は壁や床に別の菌を繁殖させる。断熱性と吸湿性に優れた、白い菌糸だ。菌糸はあっという間に壁面を覆い尽くし、まるで白い絨毯を敷き詰めたようになった。洞窟内の空気はからりと乾き、外の冷気も遮断されて、快適な温度に保たれている。


「強度も上げておこう」


 俺は、先ほどマッシュを創り出した、硬質キノコの菌床を取り出し、その菌糸を壁面の奥深くまで侵入させた。岩盤の亀裂を埋め、菌糸のネットワークで岩同士を強固に結びつける。これにより、洞窟の物理的強度は、ただの岩盤だった頃の数倍に跳ね上がったはずだ。ちょっとやそっとの地震や攻撃では、びくともしないだろう。


「仕上げに、防犯システムだ」


 俺は洞窟の入り口周辺の地面に、特殊な胞子を散布した。この胞子は、普段は休眠状態だが、俺以外の生物が特定の範囲(トリガーゾーン)に侵入すると、その振動や魔力に反応して発芽し、微弱な信号を発する。その信号は、地中の菌糸ネットワークを通じて、洞窟内にいる俺に即座に伝えられる。天然の侵入者感知センサーだ。


「よし、これで完璧だ。安全で、快適で、機能的な、僕だけの楽園(ラボラトリー)の完成だ」


 俺は自画自賛した。錬金術や建築魔法などなくても、菌類の力を引き出してやれば、これほどのことが出来てしまうのだ。

 マッシュも、居心地が良さそうに、新しい菌糸の床の上で体をゆったりと広げている。


 拠点が完成したところで、次は生命線である「水」と「食料」の安定確保だ。

 菌類ネットワークの情報によれば、この洞窟から少し下ったところに、大きな沼があるらしい。俺はマッシュを連れて、そちらへ向かった。


 沼は、想像以上に禍々しい場所だった。水面は油膜のように虹色に輝き、水辺の木々はどろどろに溶けている。強烈な酸性なのだろう。時折、水面がぼこりと泡立ち、毒々しい色のガスが噴き出している。常人ならば、近づくだけで肌が爛れてしまうだろう。


 だが、俺の口元は、自然と笑みの形に歪んでいた。

「はは……なんてことだ。ここは楽園か?」


 俺のスキルが、この死の沼の本当の姿を映し出す。

 水中では、強酸性の環境に適応した未知のバクテリアが無数に蠢き、重金属を分解する古細菌が活発に活動している。水辺の泥の中には、毒素を吸収・中和する能力を持つ、新型の粘菌がコロニーを形成している。

 ここは、極限環境微生物の宝庫。僕の研究意欲を刺激してやまない、最高のサンプル採取場所だった。


「決めた。この沼を、僕の浄水プラントにしよう」


 俺はまず、沼のほとりに深さ2メートルほどの穴を掘るようマッシュに指示した。マッシュは体の一部をシャベルのように変形させ、数分で穴を掘り上げる。

 次に、俺は沼から採取した数種類のバクテリアと粘菌を、その穴に投入した。


「【菌界創生】――役割分担(ゾーニング)、そして共生。第一層では重金属を分解、第二層では酸性を中和、第三層では粘菌による物理濾過、そして最終層で僕の魔力による滅菌処理を行う。四段階の浄化システムを構築せよ」


 俺の命令を受け、穴の中で微生物たちが活動を開始した。沼から引き込んだ汚染水が、第一層、第二層と通過するうちに、その毒々しい色を失っていく。そして、粘菌がフィルターとなって微細な不純物を取り除き、最後に俺の魔力が注がれることで、無菌の純水となって穴の底に溜まっていく。

 俺は出来上がった水をひしゃくで掬い、匂いを嗅ぎ、そして少量口に含んだ。


「……うん。完璧な軟水だ。ミネラル分は皆無だが、飲用には全く問題ない」


 これで、水の心配はなくなった。しかも、この浄化プロセスで分解された汚染物質は、微生物たちの栄養源となり、彼らのコロニーはさらに活性化する。永久機関に近い、素晴らしいエコシステムだ。


 最後に、食料の安定供給だ。

 俺は研究所に戻ると、浄化した黒土を敷き詰めた一角を「菌床栽培室」と名付けた。そこに、森で採取してきた様々な種類の食用キノコの菌床を並べていく。


「ここでは、食料の栽培と同時に、品種改良の実験も行う」


 俺はそれぞれの菌床に、与える魔力の量や波長、湿度、栄養素を微妙に変えて与えていく。過酷な環境を与えることで、キノコの進化を人為的に促すのが目的だ。

 より栄養価の高いもの、より成長の早いもの、あるいは、特殊な能力を持つもの。どんなキノコが生まれるか、楽しみで仕方がない。


 こうして、僕の滅びの森での生活基盤は、わずか一日でほぼ完璧に整えられた。

 照明、空調、防犯、浄水、食料生産。そのすべてを、僕の愛する菌たちの力で実現したのだ。


 夜、発光ゴケの青白い光に照らされた洞窟で、俺は早速栽培に成功した肉厚のキノコを焼いて食べていた。マッシュは、俺の足元で静かに体を休めている。

 なんと静かで、なんと満ち足りた時間だろうか。

 人間の嫉妬も、面倒な会話も、意味のない使命もない。あるのは、無限の知的好奇心と、それを満たしてくれる最高の環境だけだ。


 追放してくれたゲイルたちには、少しだけ感謝しているかもしれない。彼らのおかげで、僕は本当の天職(ライフワーク)を見つけることができたのだから。


 そんなことを考えていた、その時だった。


 ピリッ、と。

 洞窟の入り口に張り巡らせた、菌糸センサーから微弱な信号が送られてきた。

 休眠させていた胞子が、何かの振動に反応して発芽したのだ。

 感知範囲は、入り口からおよそ50メートル。


「……侵入者か」


 この森に、俺以外の知的生命体がいるとは考えにくい。だとすれば、凶暴化した魔獣か何かだろうか。

 俺は食べかけのキノコを置き、静かに立ち上がった。隣で、マッシュも戦闘に備えて、その体をゆっくりと盛り上がらせる。


「さて……どんなサンプルが手に入るか、楽しみだな」


 俺の口元には、獲物を前にした捕食者のような、獰猛な笑みが浮かんでいた。



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