森の囁きと牙の影
森の木々が揺れ、昼下がりの風が一層冷たく感じられるようになっていた。
休憩を終え、そろそろ移動しようと立ち上がったその時――
「……っ! 何の音!?」
突如、爆音が空気を裂いた。
地鳴りのような衝撃とともに、森の奥から土煙が舞い上がる。
「いまの、ただの魔物じゃない……! これは――」
ティアが眉をひそめ、険しい声でつぶやいた。
「他の実習班かも! 行こう!」
僕たちは顔を見合わせると、荷物を持って一気に駆け出した。
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爆音の鳴った方角に辿り着いた時、そこはまるで地獄だった。
数人の実習生たちが倒れ込み、周囲の木々は焼け焦げ、地面は裂けていた。
「あなたたち!だいじょうぶ!」
ユーニが駆け寄り、倒れた生徒の脈を確認する。
「大丈夫、命に別状はない! けど、こいつは……」
そこに、獣のような咆哮が響いた。
「……あれ、は……」
木立の向こうから、真紅のオーラを纏った魔物が姿を現す。
赤黒い毛並みと血に濡れた牙。何より、その体から放たれる魔力の異常な波動。
「異常個体……!?」
ティアが硬直したように呟く。
「こいつがやったのか……! 信じられない力……」
このままでは、他の実習生たちも危険だ。
「みんな……陽動しよう。こっちに誘導するんだ!」
僕たちは力を合わせて魔物に魔法を放ち、注意をこちらへ引きつけた。
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陽動は成功した。だが、異常個体の猛攻は予想をはるかに上回るものだった。
風の刃が届く前に避けられ、ティアの火球も皮膚を焼く程度。
サナの水魔法での足止めも一瞬しかもたない。
「くっ、こんなの……強すぎる!」
魔物が牙を剥き、次の標的に狙いを定めた。
「ユーニ、危ないっ!!」
次の瞬間、魔物の巨爪がユーニへと振り下ろされる。
避けきれない。誰も間に合わない。死が、近づく。
(イチかバチか……僕の魔法で!)
天にも祈るその気持ちで………。
(ーーーいや違う、信じるんだ僕の魔法を!)
身体が勝手に動いた。
「僕がユーニを!仲間を守るッ……!」
突如として、僕の手のひらにザカリーから学んだ“あの魔法”が展開された。
「シールド展開!!」
透明な結界がユーニと魔物の間に割り込み、爪を弾き飛ばす。
「間に合った……!」
僕は再び手を構える。魔物の攻撃が続く。そのすべてを、僕は一枚、また一枚と防御結界を展開し続けた。
「ハルトくん、すごい……!」
「今のは……本当に、ハルト!?」
ティアとユーニが驚愕の声をあげる。僕は額の汗を拭う暇もなく、次の防御を張った。
(怖い。でも……僕は、みんなを守るって決めた!)
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しかし、僕の魔力も限界に近づいていた。
魔物はなおも咆哮をあげ、凶暴さを増していく。
「ダメだ……このままじゃ、持たない……!」
その時――
「よくやった。あとは、俺に任せろ」
低く、力強い声が響いた。
木々の間から現れたのは、銀縁眼鏡をかけた長身の男――ザカリー=バルハンク。
「先生っ!!」
ザカリーは僕たちの前に立ち、一歩も引かず異常個体を見据えた。
「見てろ、これが“シールド”の応用だ」
彼の周囲に、いくつもの結界が浮かび上がる。
それは防御ではなかった。
攻撃の矛先を制御し、封じ、次に進路を塞ぎ、包囲し、動きを止める。
「動くな」
ザカリーは指を鳴らした。シールドが次々と異常個体の動きを囲い、抑え、最後には一点に向かって圧縮されていく。
「……これで終わりだ」
ボゴォッ!!
肉の音とも石の砕ける音ともつかない音と共に、異常個体は赤い霧となって四散した。
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「……ふぅ、間に合ったな」
ザカリーの声が聞こえた直後、僕の体から力が抜けた。
立っていられない。魔力を使い果たした。
「ハルト!! ちょっと、大丈夫!? ねえ、ハルト!!」
ティアの声が、やけに遠く聞こえる。
(……ああ、無事でよかった)
瞼が重くなる。
温かな手に支えられながら、僕はそっと意識を手放した。