表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【第三部開始】『辺境の軍師』~職能ギルドの受付嬢は、戦術の知識で静かに世界を救いたい~  作者: かわたん
第三部 第二章 守護

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

79/81

第68話:停止する空間と、動き出す時間

 鉄の街道が、人の手によるものと思われる回廊に足を踏み入れてから、既に数時間が過ぎようとしていた。


 カイのランタンが照らし出す光景は、どこまで進んでも変わらない。寸分の狂いもなく続く、灰色の石壁。自分たちの足音だけが反響する、あまりにも単調で無機質な空間が、逆に彼らの精神をじわじわと蝕んでいた。


 マッパーであるレオンが、歩測でおよそ一キロメートル進むごとに、壁にチョークで印を刻んでいた。

「移動距離、十キロメートル」

 その無感情な報告が十回目を数えた、まさにその時。一行は、永遠のように続いた通路の先に、初めて広間へと続く開口部を発見した。


 カイが広間の内部を十分に安全化し、バルガスの号令で大休止を取ることになった。

「侵入から約八時間経過、といったところか」

 見張りに立つカイが、ランタンの燃料の消費量から時間を割り出して言う。

「ああ、そんなもんだろうな。……八時間か。体感じゃ、もう丸一日以上経った気分だぜ」

 バルガスは、自らの体内時計を規正して頷いた。


「……私は、もう二日くらい経ったような気がするわ」

 初めてのダンジョン探索であるエルラが、信じられないといった表情で呟いた。カイも同意するように頷く。

「ああ。空に太陽が見えねえってのは、これほど感覚を狂わせるもんか。……それに、もうとっくに夜のはずだな」


「正確には八時間と十五分ですね」

 休憩中のレオンが、腰の火縄時計の火縄を交換しながら補足した。

 エルラは、自らの内に流れる魔力の残量を常に意識し、それを時間の経過を測るもう一つの尺度としていた。

「私の魔力消費量から逆算した時間とも、ほぼ誤差はないわね」


 リーダーの身体感覚、斥候の道具、マッパーの精密機器、そして魔法使いの魔力感知。四つの異なる時間が、この狂気の空間における彼らの唯一の正気だった。


「そうだな。……ダンジョンで一番恐ろしいのは、この圧迫感だ」

 バルガスが、経験者として仲間たちに語りかける。


「ここでは、時間が止まる。いや、止まったように感じる。この閉塞感が適切な休憩を許さず、判断を鈍らせるんだ。だからこそ、俺たちは、こうやって機械的に進む。絶対に、焦るんじゃねえぞ」

 仲間たちは、バルガスを見て小さく頷く。


「……それにしても、気味が悪いな」

 カイが、ランタンの光が届かぬ闇の奥を睨みつけながら、忌々しげに呟いた。

「さっきのゴブリンども……。数が多すぎたうえに、動きが妙に統率が取れていた。まるで、何かを――あるいは、誰かを、この奥へ通さないようにしているみたいだったぜ」


 バルガスも頷く。

「帝国じゃ、こういうダンジョンが、魔物を無限に生み出す『巣』みてえなもんだって噂があった。……だとすれば、ひよっこたちは、今頃、この数の魔物の真っ只中にいるはずだ」


 彼の言葉が、パーティー全体のノエルへの心配を増幅させる。仲間を救うという、ただ一つの目的。それが、彼らの折れかけた心を、かろうじて繋ぎとめていた。


 短い休息で体力を整え、一行は再び前進を開始する。その際、レオンが通路の異様なほどの水平性に疑念を抱き、一つの実験を試みた。

 彼は、背嚢の中から一本の蝋燭を取り出して火を灯し、通路の中央にそっと置く。そして一行は、そこから百メートルほど進んだ地点で振り返った。


「……やはりか」

 レオンは、測量用の水平儀を覗き込みながら、低い声で呟いた。

 彼の視線の先、遠く離れた蠟燭の炎は、水平儀に埋め込まれた気泡と、寸分の狂いもなく重なっていた。


「魔物に、こんな精密な道が作れるはずがない。誰かが、何かの目的で作った道だ」

 レオンの言葉が、このダンジョンが自然物ではないという、決定的な事実を突きつけた。


 そして、その先で彼らを待ち受けていたのは、先程までとは比較にならないほどの、地獄だった。


 通路は、ホブゴブリンを主力とした、より強力な魔物の大群で埋め尽くされていたのだ。


「ちっ、キリがねえ!」


 バルガスが戦斧でホブゴブリンを薙ぎ払い、その隙にレオンの槍が別の個体の心臓を貫く。エルラの矢が、後方から支援しようとする敵の動きを的確に射抜いていく。


 見通しの良い直線的な通路では、カイの斥候技術を活かした奇襲は望めない。ただ、正面から押し寄せる物量の波を、純粋な地力だけで押し返すしかない。

 汗が目に入り、呼吸は切れ、腕は鉛のように重い。それでも彼らは、ただ機械的に、目の前の敵を屠り続ける。


 それは、あまりにも無謀で、消耗の激しい戦いだった。

 Bランクパーティーとしての圧倒的な実力差がなければ、とうに飲み込まれていただろう。


 彼らは、激しい消耗戦の末、ようやく第二の広間へとたどり着いた。

 まるで何かに追われるように、ボロボロの状態でそこへ転がり込んだ。


「……壁の印は、二十個目。入口から、二十キロメートル地点です」

 レオンが、荒い息の中、マッパーとしての職務を全うする。彼らの前には、まだ、果てしない闇が続いていた。


 ◇


 一方、ノエルとアストルが歩む道は、全く異なる様相を呈していた。


 ダンジョンに足を踏み入れてから、彼らの感覚では半日か、あるいは丸一日が過ぎたのかもしれない。時間の感覚はとうに麻痺していた。しかし、彼らの前には、一度として、魔物の姿は現れなかった。


 アストルが「ノエルを守る」と誓ってから、二人の間の空気は、僅かに、しかし確実に変化していた。

 アストルは、常にノエルの半歩前を歩き、彼女の体調を気遣うように、歩調を緩めた。休憩の際、残り少なくなったノエルの水袋に気づくと、彼は一瞬だけ躊躇い、そして無言でそれを受け取った。


 自らの力を、破壊以外の目的で、他者のために使う。その行為にまだ慣れないかのように、彼の手のひらに灯った生活魔法の光は、少しだけぎこちなく揺らいでいた。しかし、その光はゆっくりと、そして確実に、空の水袋を清浄な真水で満たしていく。


 言葉は少ない。しかし、そこには、極限状況を共にした者だけが持つ、静かで、揺るぎない絆が生まれていた。


 しかし、その静かな絆を試すかのように、出口の見えない回廊は、二人の精神を内側から蝕み始めた。


「……くっ」

 不意に、アストルが頭を押さえて膝をついた。閉鎖空間が、帝国で過ごした鳥かごの日々と、故郷を焼いた罪の記憶を、彼の脳裏に容赦なくフラッシュバックさせる。


 ノエルの魂の意思は、そのアストルの状態を冷静に分析していた。

(極度の精神的負荷による、戦闘能力の著しい低下。このままでは、二人とも危険に陥る。彼の精神的支柱を再構築する必要がある……)


 彼女は、魂が示す最適解を、自らの言葉へと翻訳した。膝をつくアストルの前に立つと、まるで彼を庇うかのように、その小さな背中で闇の回廊へと立ちはだかった。


「一人には、しません。私が、あなたの道標になります」


 その、あまりにも純粋で、揺るぎない声。

 それは、アストルの脳裏にこびりついていた罪の記憶を、一瞬だけ、洗い流すかのようだった。


 その声に、アストルは、はっと顔を上げた。そうだ。俺は、この少女を守ると誓ったのだ。過去の罪悪感に、囚われている場合ではない。


 二人の心が、互いを道標として再び一つになった、その瞬間。まるで、止まっていた時間が再び動き出したかのように、永遠に続くと思われた闇の先に、初めて、微かな光が見えた。


 出口の光だった。二人の足取りが、自然と速まる。


 彼らは、ついに太陽の光が差し込む、森の中へとたどり着いた。

 鳥の声、風の音、土の匂い。当たり前だったはずの世界の全てが、今は、奇跡のように感じられた。疲労と安堵から、二人はその場に座り込む。


 しばらくしてアストルは、残りの乾パンの量と水分の摂取量を確認し、静かに呟いた。

「……三日は経っていたか。もはや、昼夜の感覚も当てにならんな」


 その言葉に、ノエルは、はっとする。彼女の魂の思考が、再起動していた。

「……おかしい、です。あの二人に示された道だから、どれほどの危険があるのかとも思いましたが…… これほどの地下通路を、一度も生き物にすら遭遇せずに進むというのは……あまりにも、不自然です」


 その言葉に、アストルも気づく。そうだ、あまりにも静かすぎたのだ。

 彼らがこの道で経験したのは、物理的な戦闘ではなく、精神的なものだけだった。


 二人は、この道を指し示した謎の存在――オムニスとミレイという存在の、本当の異様さに今更ながら気づき、戦慄する。

 彼らが与えてくれた「道」は、一体何だったのか。そして、自分たちは、どこへ導かれたのか。


 二人は、自分たちが、人間社会の理を超えた、巨大な何かの盤上に乗せられてしまったのではないかという、漠然とした、しかし抗いがたい予感に、静かに身を震わせた。

最後までお読みいただき、ありがとうございます。


明日も【朝6時更新】です!

少しでも楽しんでいただけましたら、ブックマークや評価ポイントで応援していただけると、執筆の大きな励みになります。

感想や誤字報告なども、お気軽にいただけると嬉しいです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
script?guid=on 小説家になろうSNSシェアツール
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ