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【第三部開始】『辺境の軍師』~職能ギルドの受付嬢は、戦術の知識で静かに世界を救いたい~  作者: かわたん
第三部 第一章 思惑

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第63話:風変わりな傍観者と、理の道

 その穴倉は、雪と風の唸りに閉ざされた、世界から忘れ去られたような静寂の場所だった。


 アストルを追って白沢村を出てから、既に四日が過ぎようとしていた。そのうちの丸二日間、彼らはこの穴倉に足止めされている。


 今は昼のはずだが、外は絶え間なく吹き付ける雪が空と大地の境界線を奪い、全てが均一な白に塗りつぶされていた。

 時折、風が渦を巻いて穴倉の入り口を覆う雪のカーテンを激しく波打たせ、骨身に沁みる冷気が容赦なく流れ込んできた。


 穴倉の中心では、アストルが灯した小さな魔力の炎が、かろうじて温かさと光を保っている。

 その揺らめく光が、壁に背を預けて膝を抱える彼の、苦悩に満ちた横顔をぼんやりと照らし出していた。


 残された食料は、数日分にはなるだろう。しかし、この吹雪がいつまで続くか分からない以上、それはあまりにも心許ない量だった。

 自らの判断ミスが、この小さな少女を死の淵へと追いやった。その事実が、冷たい石のように彼の胸に沈み、言葉を奪っていた。

 守るべきものを守れず、そして今また、目の前の小さな命一つにすら、思いを致すことができなかった。強烈な自己嫌悪が、彼の心を焼いていた。


 一方、ノエルは、体力の消耗が限界に近いことを自覚しながらも、静かに座る銀色の馬ルミアの隣に寄り添っていた。その絶対的な落ち着きが、不思議とノエルの心を凪がせていた。彼女は、この絶望的な状況下でさえ、軍師としての思考を止めてはいなかった。風の音の変化、洞内の僅かな温度の推移、アストルの呼吸のリズム。生き延びるための、あらゆる情報を、五感を研ぎ澄ませて集め続けていた。


 突如、世界から音が消えた。


 あれほど激しく唸りを上げていた風が、まるで指揮者のタクトが振り下ろされたかのように、ぴたりと止んだのだ。

 その、あまりにも不自然な静寂の中、穴倉の入り口を覆っていた吹雪の白いカーテンの向こう側に、二つの人影が、陽炎のようにぼんやりと浮かび上がった。


 影は、ゆっくりと、ごく自然な足取りで穴倉の中へと入ってくる。

 若い男女の姿。しかし、彼らは猛吹雪の中を歩いてきたとは到底思えない、全く濡れても汚れてもいない、簡素だが清潔な旅装をしていた。


「――っ!」


 アストルが、弾かれたように立ち上がった。その右の手のひらに、警戒を示す劫火が、轟音と共に燃え上がる。


 ◇


 しかし、現れた男女は、アストルの燃え盛る敵意を意にも介さず、まるで春の野原を散策でもするかのように、のんびりとした様子で穴倉内を見回した。


「まあ、素敵な隠れ家ですね。あら、人間がいるわ。こんな寒い日に、大変そう」


 女性の方が、屈託のない、ふんわりとした声で言った。その若々しい見た目に反して、その言葉の響きには、どこか全てを達観したような、不思議な落ち着きがあった。

 男性の方は、その言葉に、心底面倒くさそうに、しかしどこか古風な響きで応じる。その声もまた若々しいが、まるで何百年もを生きた賢者のように、老成していた。


「騒がしい。この存在も、好き好んでここにいるわけではあるまい。……見れば分かるであろう」


 若々しい見た目と声、しかしその言葉の端々に滲む、悠久の時を生きてきたかのような古風な響き。その奇妙な不釣り合いさが、アストルの警戒心をさらに引き上げた。


「何者だ!」

 アストルの、殺気すら含んだ鋭い問い。


 だが、男女は顔を見合わせ、不思議そうに小首を傾げるだけだった。


「何者、と言われましてもねえ」

「この存在は、この存在じゃろう?」

「ええ、それ以上でも、それ以下でもありませんわ」

「……たしか、『真祖』などと呼ぶものもいたか?」

 全く噛み合わない、禅問答のような会話。アストルの眉間の皺が、さらに深くなる。


 その時、女性の方が、穴倉の奥に静かに座るルミアの姿に気づき、ぱっと顔を輝かせた。


「あらあら! まあ! あなた……!」


 彼女は、アストルとノエルなど、もはや存在しないかのように完全に無視すると、ルミアの元へ駆け寄った。そして、その美しい銀色の毛並みを、まるで長年連れ添った旧友に再会したかのように、慈しむように優しく撫でる。


「本当に、約束を守って、ちゃんと種を絶やさずにいたのですね。偉いわ、本当に偉い子」


 普段は、決して他者を寄せ付けない誇り高きルミアが、その女性の手を、うっとりと目を細めて甘んじて受け入れている。その、あまりにもあり得ない光景。

 ノエルは、ルミアの落ち着き払った様子を見て、張り詰めていた体の力を、そっと抜いた。この人たちは、少なくとも、敵ではない。


 女性は、そこで初めてノエルとアストルをじっと見つめ、純粋な好奇心で呟いた。

「あら、この子たち、『魔族』の色をしているわ。懐かしい色」


 アストルはその言葉の意味を理解できず困惑する。しかしノエルは、幼い頃に他人の気配を「色」として感じていた自らの記憶を思い出し、目の前の女性が、自分と似たような認識方法を持つ、異質な存在である可能性を冷静に分析していた。

 理解はできない。だが、否定することもできない。それが、彼女の出した結論だった。


 男性の方は、ようやくアストルとノエルに興味を示したのか、品定めするような視線を向けた。


「ふむ。この存在が言う通り、面白い組み合わせよのう。片方は、随分と大きな火を内に秘めておる。使い方を間違えれば、森一つ灰にするのも容易かろう。もう片方は……。ほう、やかましいのが同居しておるな。一つの器に二つの魂とは、窮屈ではあるまいか」


 自分たちの、決して他人に知られてはならないはずの秘密を、こともなげに見抜かれた二人は、完全に言葉を失った。


 ◇


 ノエルは、意を決して一歩前に出た。

「私の名前はノエル。こちらは、アストルさんです」


 その言葉に、男女は顔を見合わせ、心底感心したように頷いた。

「ほう、『名前』と言ったか? なるほど、個を識別するためには、確かに合理的な仕組みじゃな」

「まあ、素敵! 私たちも、それ、やってみましょうよ」


 女性が楽しそうに言う。

「では、私は『ミレイ』。千年紀が近いから、それが良いわね」


 男性は少し考えた後名乗る。

「ならば、この存在は『オムニス』とでもしておこうか」


 人間社会の根幹である「名前」という概念を、まるで今初めて知ったかのような、そのあまりにも異質な反応。ノエルとアストルは、目の前の存在が、自分たちの理解の範疇を遥かに超えていることを、改めて痛感させられるばかりだった。


 ミレイは、ノエルが銀の馬を「ルミア」と呼んだことに、さらに強い興味を示した。

「まあ! この子にも名前があるのですね! ルミア、ルミア、素敵な響き」


 彼女は、まるで言葉が通じているかのようにルミアに優しく呼びかけながら、どこからか取り出した櫛で、その鬣を優しく梳き始めた。


 そして、ミレイは自分の鞄から、乾パンのようなものを数個取り出し、ノエルたちに差し出す。


「少しずつかじれば、十日は過ごせるはずよ」


 その行動に、オムニスが怪訝な表情で呟いた。

「……また勝手なことを」

 しかし、ミレイは悪びれもなく返す。

「だって、せっかく名前というものを教えあったのですよ? もう会えないなんて寂しいじゃないですか」


 その言葉に、オムニスはそれ以上何も言わなかった。


 ノエルが、この状況を打開するための活路を思考していると、オムニスが、まるでノエルの思考を直接読んでいるかのように、彼女にではなく、彼女の内なる『魂の意思』に語りかけた。


「ほう……。その内なる存在は、常に最適解を模索しておるのか。なるほど……人という生き物も、論理的に目的を達成するための知恵を付けようとしているのじゃな。実に興味深い」


 ノエルは、初めて、自分の中にいる「やかましいの」が、外部から認識され、対話の対象となっている事実に、最大の衝撃と恐怖を覚えた。


 オムニスは、ノエルの魂との対話を終えると、結論として断言した。

「ならば、この三つの存在が、この奥の道を進むべきであることは明白じゃな」


 彼は、穴倉の奥、岩がいくつも積み重なっている場所を指さす。「お前たちは、『魔族の意思の眠る平原』へ行きたいのだろう? そこを通るのが、理に適っておる」


『魔族の意思の眠る平原』。聞いたこともない地名だった。しかし、その言葉には、抗いがたい響きがあった。


 ◇


 ノエルとアストルが、オムニスに示された場所を調べ、道を塞いでいた数個の岩をどけると、その奥に、冷たい空気が流れてくる洞窟への入り口が姿を現した。


 振り返ると、オムニスとミレイは、既に穴倉の入り口に立っている。彼らは、去り際に、まるで壮大な物語の次の章をめくるかのように、静かに、しかし、決定的な言葉を残した。


 ミレイが、悪戯っぽく微笑む。

「あら、もう行かれるのですね。でも、気をつけて。この先の道は、少しだけ『昔』に近いから」

 そして、オムニスが、静かに続けた。

「ふむ。まあ、死ぬことはあるまい。『千年紀の主役』が、こんな所で欠けるわけにはいかぬからのう」


 訳の分からない、しかし、あまりにも重い言葉を残し、二人は吹雪の中へと去っていった。


 後に残されたのは、圧倒的な謎と、目の前に開かれた道だけ。


 ノエルとアストルは、顔を見合わせる。自分たちが、もはや後戻りのできない、何か巨大な運命の盤上に乗せられてしまったことを悟り、覚悟を決めて、その暗い洞窟へと、ルミアと共に、静かに足を踏み入れた。

最後までお読みいただき、ありがとうございます。


明日も【朝6時更新】です!

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