閑話5:うちの軍師殿には手を出すなよ?
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【閑話です】
より深く楽しみたい方への特別な贈り物です。
物語の小さなヒントが見つかるかもしれません。
※これは、アウロラへの鹵獲品移送任務を数日後に控えたニューログレインの職能ギルドの物語です。
アウロラへの旅立ちを数日後に控えた、ある日の昼下がり。
ニューログレインの職能ギルドは、冬の陽光が差し込む、穏やかな空気に包まれていた。しかし、その水面下では、ギルド史上最も奇妙で、最も不毛な作戦が、静かに始まろうとしていた。
事件の幕開けは、ギルドの裏手だった。
備品の片付けをしていたノエルの前に、Eランクの先輩冒険者、リックが意を決して立ちはだかる。その顔は、これからオーガにでも挑むかのように真っ赤だった。
「ノ、ノエルさん! 俺……あなたのことが、好きです! もしよかったら、今度の休みに一緒に食事に……!」
リック。ノエルの一年先輩にあたる、Eランクの冒険者だ。真面目だけが取り柄の、少し不器用な青年。
彼は、スタンピード後のギルドで、誰よりも的確なアドバイスをくれるこの後輩に、純粋な尊敬と、そして淡い恋心を抱いていた。そして今日、彼はなけなしの勇気を振り絞って、人生初の告白に挑んだのだ。
しかし、その渾身の一撃は、ノエルの鉄壁の論理防御陣地の前にはあまりにも無力だった。
彼女の黒い瞳が、瞬時に相手の戦闘能力と意図を分析する。
(『好き』……定義不明な感情表現。戦術的価値を分析不能。食事への誘引……これは何らかの交渉の序段階か? 彼の挙動から、対象への個人的な情報開示、あるいは関係性の構築を意図していると推察されるが、その戦術的利益が不明瞭……)
導き出された最適解は、冷静な現状分析の提示だった。
「リック先輩。その提案は、ギルドの任務とは関連性のない、極めて私的なものと判断します。現時点での受諾は、合理的理由に欠けるため保留とさせていただきます」
完璧な正論ディフェンスだった。
「す、すみませんでした……」
リックはそれだけを絞り出すと、砕け散るように敗走した。
その一部始終を、物陰からじっと観察している瞳があった。
ノエルのルームメイトにして、ギルドのオシャレ番長、リヴィアだ。彼女は、砕け散ったリックと、きょとんとした顔で立ち尽くすノエルの二人を交互に見比べると、まるで極上のスイーツを発見した美食家のように、ぺろりと舌なめずりをした。
その瞳は、好奇心と、これから始まるであろう最高の娯楽への期待で、きらきらと輝いている。
「ふふっ……」
含み笑いを一つ漏らすと、彼女は猫のようにしなやかな足取りで、落ち込むリックの背後に音もなく忍び寄った。そして、その肩をぽんと叩く。
「ねえ、今の、すっごく面白かったんだけど。あんたの敗因、知りたくない?」
リヴィアは、受付業務で使う携帯用の小さな石板とチョークを取り出すと、そこに何かをサラサラと書きなぐり、リックの目の前に突きつけた。
「この私が、あんたの作戦参謀になってやるわ! 作戦名は『「ほら好きって言ってみろよ♡」乙女心包囲殲滅☆先回り告白誘導ミラクル』! 略して『先告』よ! これより、ノーエっちに逆告白させてやるわ!」
「さ、先告……?」
そのあまりの圧と、常人の理解を超えた作戦名にドン引きするリックを、リヴィアは満面の笑みで見下ろしていた。
彼女にとって、リックの恋が成就するかどうかなど、どうでもいい。ただ、この最高に面白いおもちゃ――ノエルとリック――を、心ゆくまで遊び尽くしたい。その純粋な娯楽心だけが、彼女を突き動かしていた。
そしてこの壮大な恋愛作戦は、ギルドの風紀委員長であるハンナにだけはバレないよう、極秘裏に進められることになった。
◇
リヴィアが何か面白いことを企んでいる。その噂は、目ざとい某Bランクたちや、恋愛話に鼻が利く一部のCランクパーティーの間を、瞬く間に駆け巡った。
そして、いつものように、ハンナの目を盗んで、ささやかな賭けが始まった。お題はもちろん、『リヴィアの作戦で、あのノエルが陥落するか』だ。
「面白え。俺はノエルに賭ける。あいつの陣地防御は、そんな誘導尋問じゃ崩せん」
カイがニヤリと笑うと、バルガスも豪快に頷いた。
「俺もだ。うちのひよっこをなめるなよ」
「私たちはリック君を応援します!」
他人の恋愛話でご飯三杯はいけるサラとリリィが、純粋?な声援を送った。
こうして、ギルドホールはいつしか二つの派閥に分かれ、それぞれの思惑が渦巻く中、固唾をのんで作戦の行方を見守ることになったのだ。
第一次攻撃は、リヴィアの指示による『共感による防衛線突破作戦』だった。
食堂で一人、明日の任務計画を立てているノエルに、リックが『偶然』を装って遭遇する。
「今日の依頼、大変でしたね」
労いの言葉。それは、部隊の士気を維持するための基本的なコミュニケーション戦術であり、私との心理的距離を詰め、情報交換を円滑にするための布石か。そう分析したノエルは、即座に応じた。
「ご懸念に感謝します、リック先輩。それよりも、先輩の昨日の報告書にあった、ゴブリンの装備の統一性についての記述、あれは極めて重要な情報です。共同で分析しませんか?」
会話の主導権を完全に奪われ、リックは再び玉砕した。
「ダメダメ! 押しすぎ!」
作戦会議室(食堂の隅のテーブル)に戻ったリックに、リヴィアからダメ出しが飛ぶ。
「恋は押しと引きが大事なの! 一回引いて、相手に『あれ?』って思わせるのよ!」
そして始まった第二次攻撃は『戦略的沈黙作戦』。リヴィアの号令一下、リックはサラとリリィの協力のもと、綺麗な花や可愛い木彫りの動物を、ノエルの机に『誰からか分からないように』そっと置いた。
ノエルは、その贈り物を冷静に分析する。
花は観賞用だが、一部は薬草として転用可能。木彫りは何かを暗示しているのか?
これは、何者かによるサバイバルキットの提供…… 何らかの長期任務への勧誘と見るべきか……。
差出人不明という点から、これはこちらの情報収集能力を試すための、高度なブラフである可能性も排除できない。
ノエルは、全ての贈り物を『所属不明の支援物資』として分類し、その利用価値について詳細なレポートを作成。リックの心は、またしても粉々になった。
◇
戦線は膠着。リヴィア派の賭け金が危うくなる中、彼女はニヤリと笑った。
「ここからが本番よ」
リヴィアは、賭けに勝ち誇っているカイの元へ向かうと、いつもの明るい後輩の顔から、プロの『先輩受付嬢』の顔になった。
「カイさん。賭け、楽しんでます? でも、このままじゃ面白くないですよね。ノエルの思考パターンはもう読めた……。ならばここで、最大の変数を投入してみたくないですか?」
「変数だと?」
「ええ。彼女が最も信頼し、その言葉を『任務』として受け取る人物……つまり、カイさん自身です」
リヴィアは、そこで一度言葉を切り、カイの表情が『くだらん』という呆れから、『ほう?』という興味の色に変わるのを、見逃さなかった。
「あなたが『戦力回復も任務だ』と命令として伝える。これは、リックを勝たせるためじゃない。ノエルという未知の存在が、信頼する指揮官からの『非合理的な命令』をどう処理するのか。そのデータ、斥候として、面白くないですか?」
リヴィアは、カイの『探求心』と『娯楽心』を完璧に見抜き、彼を自分の駒として動かす。これは、リックを勝たせるための協力ではなく、カイ自身の興味を満たすための『実験』への誘いだった。
リヴィアの口車に乗せられたカイは、面白がってノエルに声をかける。
「おい、軍師殿。継戦能力の維持には、適切な戦力回復が不可欠だ。たまには頭を休ませるのも、重要な任務だぞ」
尊敬するカイからの『任務』という言葉。これが決定打となった。
(カイさんからの直接的な助言……。継続的な作戦能力の維持。なるほど、リック先輩との会合は、その『戦力回復』任務の一環として捉えるのが合理的……!)
ノエルは初めて、リックの誘いを受諾する意思を固めた。
ギルドホールがリヴィア派の勝利ムードに沸く。しかし、その熱狂が、致命的な情報漏洩を引き起こした。
賭けに熱中した若い冒険者が、食堂の仲間に「あのノエルが、リックと会うらしいぜ!」と口を滑らせてしまったのだ。
その一言を、カウンターで耳にしたハンナの表情が、絶対零度まで凍りついた。
「……あんたたち、全員、裏に来なッ!!」
ハンナの、地獄の底から響くような声に、ホールは水を打ったように静まり返る。カイも、バルガスも、リヴィアも、誰もがその声の真意を悟った。これは、ただの悪ふざけでは済まない。
結果、『先告作戦』は、ハンナという絶対的権力者の前に、両陣営が全面降伏する形でその幕を閉じた。
◇
罰として命じられた倉庫掃除の中、ノエルの几帳面な文字が、葦紙の上を滑っていく。ノートに今日の作戦日誌をまとめていたのだ。
―――
『戦闘要報』
状況:リック先輩による、目的不明の『会合』要請。背後に、リヴィアさんの存在を確認。
結果:カイさんの助言により、『戦力回復』任務として会合を受諾する寸前で、ハンナさんの介入により作戦は中断。
教訓事項:
一、リヴィアさんは、対象の心理を掌握し、利害関係の異なる第三者すら駒として利用する、極めて高度な人心掌握術を有する。彼女の動向は、今後最優先で警戒・分析すべき対象である。
二、人間の『感情』は、戦況を左右する予測不能な変数である。今後、感情パラメータを分析モデルに組み込むことで、作戦予測の精度は飛躍的に向上する。
―――
彼女は恋愛について何一つ理解していなかった。ただ、軍師として、新たな分析パラメータを発見しただけだった。
翌日、ノエルは自分からリックに声をかけた。
「リック先輩。昨日の心理戦、大変興味深いデータが得られました。継続的なデータ収集のため、定期的な『会合』をご提案します。これは、私の『戦力回復』にも繋がりますので」
リックは意味が分からないが、ぱっと顔を輝かせた。
「つまり、会ってくれるってこと!?」
「はい。データ収集のため、それが合理的です」
ノエルは真顔で頷く。
その光景を見ていたリヴィアは、頭をかきむしった。
「あー!もう!そういうことじゃないんだけど、まあ結果オーライ!?」
カイは腹を抱えて笑っていた。
ノエルは恋を理解しないまま、軍師として一歩成長してしまった。
その一部始終を遠巻きに見ていたハンナは、本日何度目か分からない、深いため息をつくのだった。
「……あいつに春は、来るのかねぇ」
数日後にアウロラへの護衛任務が待っていることなど、彼女はまだ知る由もなかった。
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