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【第三部開始】『辺境の軍師』~職能ギルドの受付嬢は、戦術の知識で静かに世界を救いたい~  作者: かわたん
第ニ部 最終章 理の灯守

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第56話:贖罪と、邂逅

 夜明け前の森は、最も深く、冷たい闇に包まれていた。


 洞窟の中で燃える焚き火は、とうに力を失い、今はただ、赤い熾火が、かろうじて闇に抵抗しているだけだった。

 ノエルと老戦士は、疲労からか、静かな寝息を立てている。


 アストルだけが、眠れずにいた。


 彼は、音を立てないようにゆっくりと立ち上がると、洞窟の外へと出た。肌を刺すような、本格的な冬の始まりを告げる冷気が、彼の火照った思考をわずかに冷ましてくれる。


 老戦士の言葉が、彼の頭の中で、何度も、何度も反響していた。


『正義を掲げるな。正義は、必ず、新たな争いの火種となる』


 分かっている。そんなことは、痛いほど分かっている。


 自分の力が、自分の正義が、かつて故郷を焼き、両親を殺した。帝国に従ったのも、その罪を償うためだった。だが、その結果、自分はさらに多くの罪を重ねただけだった。


 ならば、どうすればいい?

 この力と共に、ただ静かに朽ち果てるのを待つのが、唯一の正しい道なのか。


 いや、違う。


 リノレアとの約束がある。ノエルという、不思議な少女との出会いがあった。

 まだ、自分にも、何かできることがあるはずだ。


 罪を償う、ということの、本当の意味。それは、ただ死ぬことではないのかもしれない。


 思考が、堂々巡りを繰り返す。

 答えは、出ない。


 ただ、東の空が、わずかに白み始めている。夜明けが、近い。


 自らの罪と、老戦士の言葉。その二つの間で思考が混濁し、答えの出ない問いに魂が沈み込んでいた。結果、気づくのがほんの僅かに遅れた。

 森の木々の間から、複数の、敵意に満ちた気配が、こちらへと猛然と近づいてきていた。


 帝国軍の追手か? いや、違う。もっと統率が取れていない、荒々しい気配だ。


 アストルが身構えるのと、その集団が、洞窟前の開けた場所に姿を現したのは、ほぼ同時だった。


 四人の、屈強な冒険者たち。


 その顔には、夜通しの追跡による疲労と、獲物を見つけた狩人のような、鋭い光が宿っていた。


 ――鉄の街道


 アストルの脳裏に、帝国軍の報告書にあった、辺境の街で最も厄介なBランクパーティーの名が、雷のように過った。


 ◇


「……見つけたぜ、炎の魔道士」

 バルガスの、地の底から響くような声が、夜明け前の静寂を震わせた。


 彼の両手には、巨大な戦斧が握られている。その隣では、カイが二本の短剣を抜き放ち、エルラが弓に矢をつがえ、レオンが長槍を構えている。


 四人の間には、一切の会話はない。しかし、その陣形には、一切の隙もなかった。長年の戦いを共に生き抜いてきた者たちだけが持つ、阿吽の呼吸。


 アストルは、彼らが放つ、純粋な敵意と殺気を、肌で感じていた。


 彼らは、自分を殺しに来たのだ。辺境の街を脅かした、邪悪な魔道士として。


 それも、また、一つの正義なのだろう。


 どうする?

 戦うか? この四人を相手に?


 できるだろう。この力を解放すれば、おそらくは。だが、その先にあるのは、さらなる破壊と、憎しみの連鎖だけだ。


 老戦士の言葉が、彼の心を縛る。


 だが、戦わなければ、殺される。

 そして、そうなれば、リノレアとの約束も、ノエルと共に何かを見つけるという、淡い希望も、全てが潰える。


 思考が、猛烈な速度で回転する。

 その、一触即発の睨み合いの中、アストルの脳裏に、一つの、あまりにも悲壮で、しかし、彼にしかできない『答え』が、閃光のように浮かび上がった。


 そうだ。これしかない。

 これこそが、俺の、罪の償い方だ。


 アストルは、静かに両手を上げた。それは、降伏の合図ではなかった。

 彼の両掌に、先日の戦場を焼き尽くしたのと同じ、しかし、それよりも遥かに凝縮された、絶望的なまでの劫火が、轟音と共に生まれ出た。


「なっ……!?」

 鉄の街道の面々に、緊張が走る。


 アストルは、その火球を、彼らへと向かって、振りかぶった。


 しかし、その瞳には、もはや憎しみの色はなかった。

 そこにあったのは、自らの運命を、自らの意志で選択した者の、あまりにも静かで、そして悲しい、覚悟の色だけだった。


 彼は、鉄の街道の、その頭上を狙った。

 いや、彼らの背後、遥か遠くの森の木々を。


 劫火は、唸りを上げて空を切り裂き、バルガスたちの頭上を通り過ぎると、背後の森に巨大な火柱を上げた。それは、攻撃ではない。道を切り開き、そして、自らの覚悟を示すための、派手な狼煙だった。


「何だ、今の!?」

「わざと、外した……のか?」


 鉄の街道の面々が、その不可解な行動に、動揺する。

 その一瞬の隙を突き、アストルは消えた。そして、ただ一言、風に乗せるように呟いた言葉は、誰の耳にもにも届くことはなかった。

「……あの娘を、頼む」


 バルガスたちが呆然とする中、洞窟の奥から、慌てた様子のノエルが飛び出してきた。


「……今の、は……」


 彼女の視線の先には、遠くの森で燃え盛る炎と、立ち尽くす鉄の街道の面々がいるだけだった。

 アストルの姿は、どこにもない。


 ノエルは、燃え盛る炎の方角と、その規模を見て、瞬時に彼の意図を理解した。


「……違う。あれは、攻撃じゃない。……狼煙……いいえ、アストルのメッセージです」


「メッセージだと?」

 訝しむバルガスに、ノエルは、自らの分析を、しかし、どこか悲しげな声で告げた。


「はい。あれは、ただの攻撃ではありません。あの炎の規模と方角……あれは、帝国軍の追手の注意を、意図的に一点へと引きつけるための『陽動』です。そして、私たちには、あの炎が指し示す方角――白沢村へ、彼が一人で向かったことを告げるための『道標』です」


 そこまで言うと、ノエルは一度、言葉を切った。昨夜、老戦士が語ってくれた『理の灯守』の物語と、アストルの苦悩に満ちた横顔が、脳裏に蘇る。


 彼女は、自らの分析に、確信を込めて続けた。


「……そして、あなた方に伝えているのです。『彼の贖罪の邪魔をするな』と……」


 その、あまりにも複雑で、自己犠牲的なメッセージ。


 バルガスは、ノエルの言葉を聞いて、ようやく、あの炎の魔道士の、本当の覚悟を理解した。


「……格好つけやがって、あの野郎」


 バルガスが、悔しそうに、しかし、どこか好敵手を認めるかのように、吐き捨てた。


 ◇


 白沢村から少し離れた森の中。


 アストルが去った後、鉄の街道の面々は、今後の行動方針を巡って、意見を交わしていた。


「どうするの、バルガス。あの魔道士を追うの?」

「……いや、奴は一人で行くと言った。俺たちのやることは変わらねえ。ひよっこの安全を確保するのが先決だ」


 エルラとバルガスの会話を聞きながら、カイは一人、別の思考を巡らせていた。


 アウロラの老戦士が語った『理の灯守』、そしてオルドから託された古書。全ての謎が、あの森の民の『避難地』にある。

 斥候としての本能が、そこへ行けと告げていた。そして何より、あのひよっこのルーツが、そこにある。


「バルガス、俺は先に行く」

 カイは、仲間たちに短く告げた。

「斥候として、先の状況を確認してくる。それと……忘れ物を、取りにな」


 バルガスは、カイの言う「忘れ物」が、ノエルの失われた過去のことだと察し、ただ黙って頷いた。カイは、音もなく、森の闇へと消えていった。


 森の民の警戒網は、彼がこれまで経験した、どんな軍隊のものよりも、巧妙で、そして自然と一体化していた。


 何度か発見されそうになりながらも、彼は、その卓越した技術で、なんとか集落の近くまでたどり着いていた。


 木の枝の上から、集落の様子を窺う。

 そこに、見覚えのある女性の姿を見つけ、彼は息をのんだ。


 リナ――白鴉隊の参謀。


 彼女は、黒髪の女性と、何かを話しながら、薬草をすり潰している。

 その横顔は、参謀のものではなく、穏やかで、そしてどこか寂しさを感じる、ただの村娘の顔だった。


 その、リナの指先を見て、カイは、再び目を見開いた。


 彼女の爪が、色とりどりの薬草で、鮮やかに彩られている。それは、リヴィアがノエルから教わり、ニューログレインで流行らせた、あの『おまじない』と、全く同じものだった。


 彼が、驚きに身動きが取れずにいると、背後から、静かな声がかけられた。


「……カイ、殿。あなたほどの斥候が、こんな場所で、何を?」


 振り返ると、そこに、白鴉隊の『鴉』――リオが立っていた。いつから、そこにいたのか。全く気配を感じさせなかった。


 二人の間に、張り詰めた空気が流れる。

 その空気を破ったのは、遠くの森の奥から聞こえてきた、巨大な爆炎の轟音だった。


 カイとリオは、顔を見合わせる。


「……どうやら、始まったようだな」

 カイの言葉に、リオは、静かに頷いた。

「ええ。ならば、我々も、それぞれの役割を、果たさねばなりませんね」


 二人の間には、敵意はなかった。ただ、共通の目的を持つ者同士の、暗黙の了解だけがあった。


 カイは、リオに案内される形で、避難地へと足を踏み入れた。


 リオは、黒髪の女性にカイを会わせた。彼女は、驚くこともなく、ただ、カイの爪に施された、不器用な彩色を見て、優しく微笑んだ。


「……ノエルに、やってもらったのね」

 リノレアは、全てを察した。


 その女性は、ノエルの母だと名乗った。

 カイは、オルドから預かった古書を手渡すと、彼女は、そこに書かれた『理の灯守』の文字に、静かに目を落とした。


 リノレアは、『未来のために』と言って、すでに色も悪くなり剥がれかけていたカイの爪に、自ら、守りの彩色を施し始めた。

 その手つきは、娘に教える、母のそれだった。


 カイは、リノレアに問いかけた。

「理の灯守とは、一体、何なんです?」


 リノレアは、穏やかに微笑む。

「……それは、血筋でも、力でもない。ただ、時代が必要とする、役割の名前。そして、その役割を、自らの意志で、引き受ける者のことですよ」


 リノレアの言葉は、静かだったが、カイの心に、深く、重く、響いた。


 白沢村を巡る、最後の戦い。

 その、本当の幕が、今、静かに、上がろうとしていた。

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