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【第三部開始】『辺境の軍師』~職能ギルドの受付嬢は、戦術の知識で静かに世界を救いたい~  作者: かわたん
第ニ部 最終章 理の灯守

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第55話:矜持と、理

いつも応援ありがとうございます。


【第二部最終章開始】です!

ここから、物語は大きく動き出しますので、ぜひお見逃しなく!

 森は、再び静寂を取り戻していた。


 ここは、ダリウス率いる白鴉隊本隊の六名を追撃してきた帝国軍部隊が、逆に彼らの巧みな待ち伏せにあい、数名の犠牲者を出して撤退していった場所だった。帝国兵の亡骸はまだ生々しく、風に乗って運ばれてくる血の匂いが、この森が未だ戦場であることを物語っている。


 その戦闘の直後、南の戦場から転戦してきた戦闘小隊主力八名が合流を果たし、今は少し離れた場所で、次の行動に備え、つかの間の休息をとっていた。


 ダリウス・アイゼンは、その戦闘小隊の小隊長から、簡潔な報告を受けていた。


「――以上です。ナルと名乗る傭兵、及びアウロラの老戦士は、別行動を取りました。『鉄の街道』と名乗る者たちも、西へ向かったかと」

「そうか」


 ダリウスは短く応じると、視線を東へと向けた。そこには、本隊が簡易拠点を開設しているはずの場所を示す、微かな印が残されている。


 彼の脳裏には、先程セドと名乗る男から突きつけられた、あまりにも重い現実が渦巻いていた。


 白沢村の占領、住民の奴隷化。王都では誰も知らぬ、あるいは、知らぬふりをしていた、王国の罪。


「隊長。これより、作戦を再構築しますか?」

「ああ。だが、作戦の骨子は変わらん」

 ダリウスの声には、鋼のような硬さが宿っていた。


「目的は、白沢村の解放。そして、この不始末の責任は、全て我々王国軍が取る。これ以上の民間人の介入は、断じて認めん」


 それは、彼の軍人としての、揺るぎない矜持だった。民を守るのが軍の務めであり、その軍の失態の尻拭いを、民にさせてはならない。たとえそれが、鉄の街道のような腕利きであろうとも。


「しかし、隊長」

 小隊長が、懸念を口にする。

「斥候班『烏』の主力であるリオが不在の今、我々の『目』は、半ば失われたも同然です。帝国軍が守りを固める白沢村への潜入は、あまりにも危険かと」


「分かっている」

 ダリウスは、静かに頷いた。そして、部下たちの顔を一人一人見渡すと、驚くべき言葉を口にした。


「ゆえに、俺が行く」

「……は?」

「これより、本隊の指揮権は、一時的にお前に委譲する。各地に散らばる『烏』たちを呼び戻すのは実現の可能性が低い。俺は、一斥候として、単独で白沢村へ潜入する。……そろそろ後方支援隊も動き出すだろう……合流も視野に入れて行動せよ」


 部下たちが、息をのむ。大隊長自らが、最も危険な斥候任務に就く。

 それは、常軌を逸した決断だった。


「無茶です、隊長!」

 心配する小隊長を、軽く手を振って笑いながら制する。


「心配するな。この状況で、最も生存確率の高い斥候は、俺だ」


 ダリウスの獲物を狩るような鋭い目が、それ以上の反論を許さなかった。そう、五年前、彼は王国軍最強の斥候長だった。


「五年前、俺は、ただ見ていることしかできなかった。……だが、今は違う。この目で真実を確かめ、この手で、全てのケリをつける」


 その瞳には、もはや指揮官としての冷静さだけではない、一人の男としての、過去を清算しようとする、青い炎が燃えていた。


 彼は、大隊長の階級章を静かに外すと、森の闇へと、その身を翻した。


 ◇


 深い森の奥、木々の枝が天然の天蓋となって空を覆い隠す場所に、その『避難地』はあった。


 帝国軍の追手を逃れた森の民たちが、寄り添うように暮らす、小さな、しかし生命力に満ちた集落。

 過酷な生活の中にあっても、そこには、人々が互いを思いやり、助け合う、穏やかな空気が流れていた。


 リオは、その光景に、遠い昔に失った故郷の面影を重ねていた。


 彼は、セドとカイリに案内され、集落の中央にある、ひときわ大きな小屋へと通された。

 軍人としての彼は、警戒の対象であろうことは明白。しかし、森の民としての彼は、客人として、最低限の敬意をもって迎え入れられた。


 小屋の中では、リノレアが、眠り続けるクレアの額の汗を、濡れた布で優しく拭っていた。その横顔は、母の慈愛に満ちていた。


「……軍は、正義か?」

 不意に、セドが、リオに問いかけた。

「正義を掲げれば、必ず、それと敵対する、別の正義が生まれる。お前たちの主が掲げる正義は、一体、誰のためのものだ?」

「……」


 リオは、答えることができなかった。ダリウスの掲げる理想は信じている。だが、その理想のために、血が流れることも、また事実だった。


 その、重い沈黙を、リノレアの、静かで、しかし芯の通った声が破った。

「争いは、憎しみしか生みません。そして、その憎しみの連鎖を断ち切れるのは、武器でも、正義でもない」


 彼女は、クレアの髪を優しく撫でながら、続けた。


「……全ての人の心の中にある、ささやかな『銀の鏡』だけなのです。互いの姿を、ありのままに映し出し、その痛みを知ろうとすること。それ以外に、道はないのですよ」


 その言葉は、リオの胸に、深く、静かに、染み渡っていった。


 彼は、軍人として、力で平和を築くことこそが正義だと信じてきた。

 だが、目の前にいるこの家族は、全く違う理で、この過酷な世界を生き抜こうとしている。


 その、あまりにも気高い在り方。それは、ダリウスが掲げる『悪を断つ正義』とは違う、もっと大きく、そして温かい理だった。力で平和を築くことこそが正義だと信じてきたリオは、自らの信条が、まるで子供の戯言のように思えた。


 彼は、ただ、頭を垂れることしかできなかった。


 ◇


 さらに森の奥深く、夜の帳が降り始めた洞窟の中では、アウロラの老戦士が、静かな語り部となっていた。


 彼はまず、洞窟の入口に佇む銀色の馬、ルミアに、慈しむような視線を向けた。


「……ジルバスティード。その馬は、元々、我ら遊牧の民ではなく、森の民が、友として共に生きてきた、誇り高き魂の乗り手じゃ」


 老戦士は、ジルバスティードと心を交わすための、いくつかの古い言葉を、ノエルに教える。

 その中には、母リノレアが子守唄のように教えてくれた言葉と同じ響きが含まれていることにノエルは気づき、息をのんだ。


 老戦士は、遠い過去を懐かしむように、目を細めた。


「遠い昔、森の民が、人間たちから『魔族』と呼ばれ、その力を恐れられて、激しく迫害されていた時代があった。多くの血が流れ、多くの憎しみが生まれた。その、終わりのない争いを、たった一人で収めた者がおった」


 その言葉に、アストルが、ぴくりと顔を上げた。


「その者は、『賢き(ふくろう)』または『理の灯守』と呼ばれた。彼は、自らの正義を振りかざすことなく、ただ、人と森の民が、互いを理解し、共に生きる道を示した。我らアウロラの民もまた、帝国と王国の狭間で争いに巻き込まれ、滅びかけていたところを、『理の灯守』に救われたのじゃ。定住する土地を与えられ、王国と協定を結ぶ知恵を授けられ、そして……『銀の鏡』の本当の意味を教わった」


 老戦士は、そこで一度言葉を切ると、アストルの黒い瞳を、真っ直ぐに見つめた。


「……こうも言っておられた。『正義を掲げるな。正義は、必ず、新たな争いの火種となる』、と。アストル殿。君が背負う力は、あまりにも強大で、孤独なものじゃろう。だが、その力を、誰かのための正義として振るうことは、新たな悲劇を生むだけやもしれん」


 その言葉は、アストルの心を、静かに、しかし、根底から揺さぶった。

 自分は、帝国に利用され、同胞を守るという正義のために、多くの罪を犯してきた。

 その罪を償うために、帝国と戦う。それもまた、一つの正義だ。


 だが、その先にあるものは、本当に、平穏なのだろうか。


 老戦士は、それ以上、何も言わなかった。


 ただ、か細い焚き火の光が、三人の間に生まれた、重く、そして神聖な沈黙を、静かに照らし出しているだけだった。


 ノエルは、自らのルーツと、母が語ったおとぎ話の、その壮大な意味の片鱗に触れ、言葉を失っていた。


 そしてアストルは、自らが背負うべき運命が、ただの『贖罪』ではない、何か、もっと別の、大きなものである可能性に、初めて、気づかされようとしていた。


 ダリウスは、闇に覆われた白沢村を想い。リオは、自らが信じた正義の脆さに惑い。そしてノエルとアストルは、あまりにも壮大な運命の前に、言葉を失っていた。


 本当の夜明けは、まだ遠い。

最後までお読みいただき、ありがとうございます。


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