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第5話:収穫祭の夜と、白鴉の旗

いつも応援ありがとうございます。


【新章開始】です。

ここから、物語は大きく動き出しますので、ぜひお見逃しなく!

 その日、村は年に一度の祝祭に沸いていた。


 夏の終わりを告げる風が、刈り取られた麦の香ばしい匂いを運び、広場に焚かれたかがり火の光が、人々の楽しげな横顔を赤く照らし出している。

 村人たちが持ち寄った質素ながらも心のこもった料理と、濁り酒の樽。陽気な笛の音に合わせて、大人も子供も、手を取り合って踊りの輪を作っていた。


 十四歳になったノエルにとって、この日は特別な一日だった。


 斥候との出会いから四年。彼女は今も、自分の中に潜む得体の知れない「何か」に怯え、その力を意識的に封じ込めて生きていた。

 だが、今日だけは。この、村中が幸福な喧騒に包まれる今日だけは、難しいことを考えるのはやめにしようと、心に決めていた。


「ノエル! 的当て競争、勝負だ!」


 背後から声をかけてきたのは、幼馴染のルカだ。十三歳になった彼は、もうすっかり少年の顔つきになっている。


「負けないよ!」


 ノエルは、年相応の勝ち気な笑みを浮かべて言い返した。

 露店に並んだ的を目掛けて、小さな石を投げる。彼女の石は、狙いを違わず、的の中心を軽々と射抜いた。


「うわ、すげぇ!」「お前、そういう時だけは負けず嫌いだよな!」

 ルカが悔しそうに叫ぶのを、ノエルは得意げな顔で聞き流した。


 姉のクレアは、少し離れた場所から、そんな二人を微笑ましく見守っていた。


 彼女の隣には、父と母が座っている。父は、片手で器用に酒を呷りながら、村の男たちと談笑していた。その傍ら、かつて魔物との戦いで負傷した右腕が、力なく垂れ下がっているのが見える。


 父は、もともとこの村の生まれではない。二十年以上前、開拓者の一人としてこの村に移り住み、母と出会い、そしてクレアとノエルが生まれた。

 持ち前の実直さとリーダーシップで、今では村のまとめ役として、誰もが認める存在となっていた。しかし、その威厳ある父の姿も、数年前の怪我によって、少しだけ影を帯びてしまったことを、クレアは知っている。


(お父様……)


 クレアが父の背中に心配そうな視線を送っていると、村の青年たちが、はにかみながら彼女の元へやってきた。


「クレアさん、一曲、どうですか?」


 十五歳で成人を迎えてから、クレアに声をかける若者は後を絶たない。彼女はその全てを、優雅に、しかしきっぱりと断り続けていた。


「ごめんなさい。今日は、妹と過ごすと決めているの」

 その時。

「クレアお姉ちゃん!」


 的当てに飽きたノエルが、クレアの手を引いた。

「私と踊ろう!」


「もう、ノエルったら……」

 クレアは困ったように笑いながらも、妹の強引な誘いに、素直に従った。


 **


 踊りの輪の中心で、ぎこちなくも楽しそうにステップを踏む姉妹。


 くるりと回った拍子に、ノエルがクレアにだけ聞こえる声で囁いた。

「だって、クレアお姉ちゃんは、私のだもん」

「ふふ、しょうがないわね」


 音楽が、緩やかな曲調に変わる。二人は輪から少し外れ、夜風に当たりながら息を整えた。


「……私、ずっとお姉ちゃんと一緒に、この村で暮らせるかな」


 ふと、ノエルが不安そうな顔で呟いた。

 クレアは、そんな妹の頭を優しく撫でた。


「当たり前じゃない。私たちは、ずっと一緒よ。おばあちゃんになっても、こうして二人で踊るの。約束よ」

「……うん、約束」


 ノエルは、心の底から嬉しそうに微笑むのだった。


 **


 その頃、クレアの視線の先で、父が村長に呼ばれ、広場の隅へと移動していくのが見えた。

 他の長老たちも集まり、深刻な顔で何事か話し込んでいる。踊りの輪の喧騒が、彼らの声をかき消していた。


(……何か、あったのかしら)


 クレアの胸に、小さな不安がよぎる。しかし、隣で幸せそうに微笑む妹の顔を見て、彼女はその不安を心の奥底に押し込めた。


(ダメよ、クレア。今日は、ノエルを悲しませるような顔をしちゃ)


 彼女が青年たちの誘いを断り続けていたのは、ただ単に、その気がなかったからだけではない。

 妹の、あの異質な才能。そして、その才能故の、深い孤独。

 自分だけが、妹の唯一の理解者なのだという自負と責任感が、クレアの中にあった。いつか、この村を捨ててでも、妹がその才能を自由に発揮できる場所を探さなければならない時が来るかもしれない。

 そんな、漠然とした覚悟が、彼女に他の誰かとの未来を考えさせることを、躊躇させていた。


 父と村長たちの密談は、ノエルが気づく前に、終わっていた。


 父は、何事もなかったかのように笑顔で戻ってくると、「さあ、お前たち、もう遅いから、そろそろ家に帰るぞ」と、姉妹の肩を抱いた。


 しかし、その背中に、家族を守ろうとする父の、隠しきれない覚悟と不安が滲んでいるのを、クレアだけが感じ取っていた。


 **


 その夜。

 姉妹は、いつも通り一つの寝台で、隣り合って眠りについた。


 窓から差し込む月明かりが、二人の寝顔を静かに照らしている。

 ノエルの寝顔は、この数年間で最も幸せそうで、安らかだった。祭りの興奮と、姉との約束に満たされて。今日の彼女は、ただの十四歳の、無邪気な少女だった。


 その寝顔を見つめながら、クレアは静かに祈る。


 四年前のあの夜、ノエルは『怪我をした狐を助けた』と明らかな嘘をついた。それ以上追及はしなかったが、その日から妹との間には見えない壁を感じることがあった。


(どうか、この子のこの笑顔が、一日でも長く続きますように。あの子が、その類稀なる才能に苦しむことなく、ただ幸せに生きていけますように……)


 クレアの祈りも虚しく、その数週間後、村に領主からの正式な「徴兵命令」を携えた役人がやってくる。


 それは、ノエルにとって、最後の平和な夜になるのだった。


 **


 同じ頃、遠く離れた王都は、冬の始まりを告げる冷たい雨に濡れていた。


 王国軍司令部の一室。書類の山に埋もれた広大な執務室で、一人の男が、その上司である豪奢な軍服を着た高級士官の前に、直立不動の姿勢で立っていた。


 高級士官――王国軍次席は、目の前の男に視線も合わせず、戦時徴用や戦略的配備計画と書かれた決裁書類に羽ペンを走らせながら、独り言のように言う。


「――貴官の四年間の功績は認める。辺境での数々の戦功、特に敵国の動向を探知し続けたその功は大きい。だが、そのやり方は軍内に敵を作りすぎたな、アイゼン。まあ良い。国王陛下も、貴官のその『実績』とやらを評価しておられる」


 王国軍次席は、執務机の引き出しから一枚の羊皮紙を取り、まるで邪魔なものを手渡すかのように、男に差し出した。


「正式な辞令書だ、王国軍直轄、偵察機動大隊。貴族の子息どもがおらぬ、貴官好みの荒くれ者の集まりだ。好きにやってみるがいい。せいぜい、その無骨な手綱を握りこぼさんことだな」


 その言葉には、賞賛と言うより、平民からのし上がってきた男への、貴族特有の皮肉と侮蔑が色濃く滲んでいた。


 男――アイゼンは、その言葉に一切動じることなく、完璧な敬礼で辞令を受け取る。

 彼が背を向け、執務室を去ろうとした時、王黒軍次席が追い打ちをかけるように呟いた。


「期待しているぞ、ダリウス・アイゼン大隊長」


 **


 ダリウスは、雨の降りしきる中庭を抜け、自らが率いることになる大隊の練兵場へと、まっすぐに歩を進めた。

 貴族共の侮蔑など、彼の心には何の波紋も起こさない。四年という歳月は、彼をただの斥候長から、数多の部下を率い、幾度もの政治的圧力を跳ね除けてきた、鋼の意志を持つ指揮官へと変えていた。


 練兵場の中心には、彼の部隊の真新しい大隊旗が、冷たい雨に打たれながらも、天を突くように誇り高く掲げられている。


 そこに描かれていたのは、王家の紋章でも、伝統的な獅子や鷲でもない。


 闇色の地に、月光を思わせる銀糸で縁取られた、一羽の純白のカラス。翼は厳かに広げられており、戦場に似合わぬ美麗な妖精のよう。

 しかしその頭部には、二つの精悍な黒い瞳と、見る者に畏怖を抱かせる血のように赤い第三の目が、まるで未来と過去と知識を宿すかのように、静かに描かれていた。


 それは、旧来の常識を打ち破る、異端の旗。

 ダリウスが、周囲の反対を押し切り、自らの部隊の象徴として認めさせた、唯一無二の紋章だった。


 彼は、その旗を見上げ、四年前の森で出会った、妖精のようで、畏怖を植え付ける瞳を持った少女を思う。


 あの出会いがなければ、今の自分はなかった。平民出身の自分が、ただがむしゃらに功を立てるだけの、矮小な男で終わっていただろう。


 あの少女の行った陽動作戦を忘れる日はなかった。短時間での必要最小限の工作。状況の特質と作為を見事に融和させる知略。自分の凝り固まった常識を、価値観を、世界そのものを、根底から覆してくれたのだ。


(俺は、この異端の旗の下で戦う。お前が、いつか、どこかで、その力を恐れることなく生きられる世界を作るために)


 彼の脳裏に、ノエルの顔が鮮明に蘇る。


(レイヴン……お前は今、どこで、空を見ている……)

最後までお読みいただき、ありがとうございます。


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