第45話:交錯と、帰還
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【新章開始】です。
ここから、物語は大きく動き出しますので、ぜひお見逃しなく!
明星祭の熱狂が嘘のように、領都アウロラの石畳は、冬の静けさを取り戻し始めていた。
祭りの後片付けに追われる人たちの声も、どこか日常の響きを帯びている。
その喧騒から切り離された、古いレンガ造りの建物が影を落とす裏路地で、二つの影が、静かに対峙していた。
「――単刀直入に聞く。『理の灯守』について、あんたが知っていることを、全て教えてほしい」
カイは、一切の探りも、駆け引きもなく、ただ、事実だけを求める斥候の目で、目の前の男の黒髪と黒目を見据えた。その視線は、獲物の急所を狙う短剣のように鋭い。
問われた男――リオは、カイの、そのあまりにも直接的な切り出し方に、一瞬だけ、その感情の読めない表情を崩し、面白そうに口の端を上げた。
「……なるほど。これは、驚いた。てっきり、街道での襲撃の黒幕についてでも、聞きに来たのかと思ったが」
「それは、あんたたちの仕事だろ。俺が興味があるのは、それだけだ」
リオは、カイの真意を探るように、その瞳の奥を覗き込む。そして、一つの結論にたどり着いたのか、ふっと、納得したように息をついた。
「……ノエルさんのことですね?」
その、核心を突いたようで、しかし、致命的にずれている問いに、カイの眉が、わずかに動いた。
リオは、カイのその微細な反応を、肯定と受け取ったようだった。彼は、まるで年の離れた弟の心配事を聞く兄のように、少しだけ、その口調を和らげる。
「そうか。彼女は、成人する前に、一人になってしまった。だから、親から、正式な教えを聞かされていないのですね。……あなたが、心配するのも、無理はない」
一人、静かに納得したリオは、カイに告げた。その声は、優しく、しかし、どこか、世界の真理を語る預言者のように、静かで、揺るぎなかった。
「残念ですが、それは、私が教えられる類のものではありません。『理の灯守』は、誰かから与えられるものではないのです。……必要となった時に、自ら、気付くものですから」
カイは、その謎めいた言葉に、舌打ちをしたい衝動を、必死にこらえた。
これ以上の問答は、無意味だ。この男から、これ以上の情報を引き出すことはできない。カイは、斥候としての経験から、そう判断した。
「……そうかい。まあ、いい。無駄足だったな」
それだけを言うと、カイは、音もなく、その場から踵を返し、アウロラの、冬の陽光の中へと、その姿を消していった。
残されたリオは、カイが消えた方向を、ただ、静かに見つめていた。
(……面白い男だ。あの娘のためなら、単身、敵かもしれない我々の懐にまで飛び込んでくるとは。……『鉄の街道』、か。覚えておこう)
◇
『鉄の街道』一行は、アウロラ職能ギルド地方本部長、オルド・ホワイトの執務室で、ニューログレインへの出立の報告を行っていた。
斥候であるカイはすでに先行しているため、そこにはない。
「――以上が、今回の任務の、最終報告となります。多大なるご支援、感謝いたします、ホワイト地方本部長」
バルガスが、形式的な挨拶を述べる。彼の後ろでは、エルラとレオンが静かに立っている。
「いえいえ。こちらこそ、感謝しておりますよ、『鉄の街道』の皆さん。あなた方のおかげで、厄介な荷も、無事に、あるべき場所へと収まった。マードック殿にも、よろしくお伝えください」
オルドは、いつものように、人の良さそうな笑みを浮かべて、彼らの労をねぎらう。そして、その視線を、一行の後ろで、少しだけ、緊張した面持ちで佇んでいる、ノエルへと、優しく向けた。
「ノエル嬢。領都は、楽しめましたかな? 少しは、良い社会勉強になったのであれば、私も、嬉しいのですが」
それは、ただの、社交辞令。オルドお気に入りのカイがいないための、単なる挨拶。この場にいる誰もが、そう思っていた。ノエル自身を除いては。
彼女は、その悪意のない問いに対し、『役に立ちたい』という、明快な、そしてあまりにも純粋すぎる善意から、この数日間で自らが『観測』した全ての分析結果を、よどみなく、そして、にこやかな笑顔で報告し始めた。
「はい。とても、勉強になりました。アウロラの街は、ニューログレインとは全く違う、多くのことを教えてくれました」
「ほう。例えば?」
「はい。例えば、この街のギルドの依頼掲示板における、特定の素材採集依頼と、特定の商会の護衛依頼の、時期的な分布特性について。そこから推察される、その商会の、帳簿には現れない、不自然な資金の流れの可能性について」
「……」
「あるいは、旧市街の裏通りにあるパン屋の主人について。彼の店を訪れる客層とその滞在時間、そして彼が、街の自警団と非公式な接触を持っている頻度から、彼がこの街の情報屋の元締めである、という可能性について」
「…………」
「そして、最も興味深かったのは、自警団の夜間パトロールにおける、あの意図的としか思えない不自然なローテーションの穴について、です。あれは、特定の『何か』を、意図的に、見逃すために作られた……」
バルガスが、ごほん、と、わざとらしく咳払いをして、その、恐るべき報告を遮った。エルラとレオンは、「また、ノエルの、難しい話が始まった……」と、遠い目をして、天井を仰いでいる。
オルドは、その表情を一切変えなかった。ただ、にこやかな笑みのまま、静かに頷くだけだった。
「……なるほど。それは、素晴らしい『社会勉強』でしたな。ええ、実に有意義な滞在だったようだ。道中、お気をつけて」
一行が去った後。
一人、執務室に残るオルドは、窓の外、ニューログレインへと続く街道を幻視しながら、先ほどの穏やかな笑みとは全く質の違う、静かな、そして、心底楽しそうな笑い声を、喉の奥でくつくつと漏らしていた。
「……たった一週間しか居なかったというのに。もう少しでこのアウロラの『白鼠』が、辺境から来たただの小娘に丸裸にされてしまうところだったとは。……マードックが、あれを必死に隠したがるのも、理解できるというものだ……」
◇
領都アウロラの、華やかな明星祭から、遥か西。
辺境の街ニューログレインの新年祭も終わり、浮かれた熱狂も冬の厳しい寒風に洗い流され、再び、日々の依頼と生存のための現実に戻り始める。
ニューログレインの職能ギルドは、新年祭の熱狂が去った後の、どこか気の抜けた、穏やかな空気に包まれていた。
ホールに漂うのは、湿った土と、革の匂い。そして、併設された食堂の厨房から漏れ聞こえる、強面のトーマス料理長がご機嫌に鍋を振るう音。
それらの、飾り気のない、しかしどこか心が落ち着く日常の音と匂いこそが、この辺境のギルドの本当の顔だった。
「――それでね、そのお肉が、すっごく、柔らかくて!」
「まあ、美味しそう。今度、私も行ってみようかしら」
カウンターでは、ハンナと、『黎明のそよ風』のサラとリリィが、新年祭で開かれていた、露店の話で盛り上がっていた。その会話の端々に、一人の少女の名前が、心配そうに、顔を出す。
「ノエルちゃん、領都で、うまくやってるかなあ……」
「大丈夫よ、サラちゃん。あの子、すごく賢いもの。それに、『鉄の街道』の皆さんも、一緒だし」
「そうだけどさあ……。あの子、ああ見えて、すごく危なっかしいところがあるから、心配なんだよ」
サラの言葉に、ハンナは、カウンターに肘をつきながら、やれやれと、肩をすくめた。
「……まあ、あの、社会不適合なポンコツっぷりは、否定しないけどね。でも、あいつは、あんたたちが思うより、ずっと、しぶといよ」
その、ぶっきらぼうな言葉の奥にある、深い信頼の色に、サラとリリィは、顔を見合わせ、安堵したように、微笑んだ。
その、穏やかな空気を破るように、ギルドの扉が、勢いよく開いた。
依頼を終えたのであろう、泥だらけのCランクパーティーが、活気のある声を上げながら、ホールへと入ってくる。
彼らは、カウンターにいるハンナたちには目もくれず、まっすぐ、一番奥の受付で、真剣な表情で帳簿をつけている、リヴィアの元へと向かった。
「リヴィアさん! 依頼、完了だ! 今回も、うまくいったぜ!」
「はい、お疲れ様です。報告書を確認しますので、少々お待ちください」
リヴィアは、休日の、ハイテンションな姿が嘘のように、冷静に、そして、手際よく、業務をこなしていく。その、的確な仕事ぶりに、パーティーのリーダーは、感心したように、頷いた。そして、査定を待つ間、しきりに、自らの、泥に汚れた爪を、誇らしげに見せながら、ご機嫌な様子で、リヴィアに、礼を言った。
「いやー、それにしても、リヴィアさんには、感謝しかねえよ! あんたに、この『おまじない』を教えてもらってから、どうも、調子がいいんだ! 今回も、危ないところだったけど、おかげで、うまくいったぜ! また、よろしく頼むな!」
「……ええ。お役に立てたのなら、何よりです」
リヴィアは、小さく微笑むと、査定の終わった報酬袋を、彼に手渡した。パーティーは、上機嫌な様子で、酒場の方へと消えていく。
その、一連の光景を、カウンターの向こうから見ていたハンナは、ふと、サラとリリィの指先に、その視線を落とした。
彼女たちの、いくつかの爪もまた、新年祭で流行っていた、特定の色に、鮮やかに染められている。
ハンナは、呆れたように、しかし、どこか、その光景が、面白くて、たまらないとでも言うように、静かに、呟いた。
「……その爪の彩色も、新年祭では、女子たちの間で、人気があったけど。まさか、職能ギルドの、むさ苦しい男たちの間でまで、定着するとはね……」
◇
その、どこにでもある、平和な午後の光景。
それを、唐突に、しかし、静かに破ったのは、ギィ、と、低い音を立てて開いた、ギルドの、重い木の扉だった。
そこに立っていたのは、長い旅路の疲れを、その身に纏った、一人の男。
カウンターにいたハンナは、その姿に、いち早く気づくと、「おや」と、声を上げた。そして、いつものように、気安く、そして、少しだけ、茶化すような響きで、その帰還を、歓迎した。
「おかえり。ずいぶんと、早かったじゃないか。あんた一人だけ、置いてけぼりにでもされたのかい?」
サラとリリィも、リヴィアも、その声に気づき、カイの方を、笑顔で振り返る。
しかし、カイは、その、仲間たちの、温かい出迎えに応えることなく、ただ、訝しげな顔で、静まり返ったホールを、ゆっくりと見渡した。
そして、まるで、そこにいるはずのものを、探すかのように、静かに、そして、はっきりと、問い返した。
「……あれ? バルガスたちは、まだ、着いていないのか?」
その、あまりにも、予想外の言葉。
ハンナの、顔から、笑みが消える。
サラと、リリィの、顔が、強張る。
リヴィアの、ペンが、帳簿の上で、ぴたりと、止まった。
ギルドホールの、穏やかだった午後の空気が、一瞬で、凍りついた。
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