第42話:自由を追う者と、自由を負う者
明星祭、初日。
アウロラの空は、新しい年の始まりを祝福するかのように、どこまでも青く澄み渡っていた。
鉄の街道の一行は、宿の談話室に集まり、昨夜の、ノエルの唐突な、しかし、あまりにも切実な『お願い』に、どう応えるべきか、静かな話し合いを始めていた。
「『明けの明星が、一番、強く、輝く場所』、か。……さて、どうしたものかな」
バルガスが、腕を組み、唸る。
「心当たりは、全くない。だが、あいつが、あんな顔で頼み事をするなんてのは、初めてだ。……ただの思いつきじゃ、ないんだろう」
「ええ。きっと、あの子の中で、何か、とても大切なことに繋がっているはずです」
レオンがそれに応え、エルラが心配そうに頷く。
その場の、誰もが、ノエルの願いの、真意を、理解できていない。しかし、彼らの間には、それを、問いただすような、無粋な空気は、微塵もなかった。
ただ、どうすれば、あの一番年下の、大切な家族の、力になれるか。
その、一点だけが、彼らの心を、一つにしていた。
「よし、決めた。手分けして、探すぞ」
バルガスの、その一言で、鉄の街道は、動き出す。
ノエルの、たった一つの、幼い願いを、叶えるために。
**
バルガスとレオンが向かったのは、職能ギルドとは、大通りを挟んで反対側に位置する、傭兵ギルドだった。
祭りの、華やかな熱狂に沸く職能ギルドとは対照的に、そこは、戦場の殺伐とした空気が色濃く漂っていた。まばらに行き交うのは、屈強な、しかしどこか、死の匂いをまとわせた傭兵たち。壁には、おびただしい数の、討伐や、護衛の依頼票が、無造作に張り出されている。
「……やはり、こちらも人が減っているな」
レオンが、静かに呟く。
「ああ。腕利きの連中は、皆、南のきな臭い場所に吸い寄せられているんだろう」
バルガスは、カウンターの、無愛想な男に、声をかけた。
「すまないな。傭兵の、ナルという男の、動向を知りたいんだが」
「ナル? ああ、あの、死神か……。あいつなら、年が明ける前に、他の奴らと一緒に、南の死線に出立したぞ」
「……そうか。分かった」
ナルの情報は、得られなかった。
しかし、バルガスには、個人的に、確認したい思いがあった。この街が、この国が、どれだけ、戦の影に、覆われているのかを。
彼は、この、殺伐とした空気と、職能ギルドの、平和な喧騒との、あまりにも、大きな隔たりを、その身に、深く、刻み込んでいた。
**
カイは、一人、職能ギルド・アウロラ地方本部長――オルド・ホワイトの執務室の前に立っていた。
最も確実で、そして、最も危険な情報源。彼は、静かに扉をノックした。
「……どうぞ」
中から聞こえた穏やかな声に、カイは、静かに部屋へと足を踏み入れる。
「これはこれは、カイさん。やっとうちに来る気になりましたか?」
オルドは、昨日と、何一つ、変わらない、人の良さそうな笑みを、浮かべていた。
「探し物が見つからなくてね。あんたなら、何か、知っているかと思ったんだが」
「ほう。探し物、ですか」
オルドは、楽しそうに目を細め、言葉を続けた。
「……ええ、知っていますよ。あなたが、いや、ノエル嬢が探しているものの答えをね」
彼は、そう言うと、机の、引き出しから、一冊の、古びた書物を取り出した。
「カイさん。私は、昨日、こう言いましたね。『あなたのその目は、素晴らしい』と。……実を言うと、私は、昨日、ノエル嬢の依頼を受けて、この資料室の、全ての、書物を、整理し直したのですよ。そして、この、最も、重要な、一冊だけを、抜き出しておいた」
「……」
「どうです? これを、お渡しする代わりに、私のもとに来ませんか? あなたほどの男が、辺境のBランクパーティーでくすぶっているのは、あまりにも惜しい」
オルドは、その書物を、まるで、甘い菓子でもちらつかせるかのように、カイの、目の前で、ひらひらと、揺らす。
その執拗な勧誘に、カイはただ静かに、そして、きっぱりと一言だけ告げた。
「……お断りします」
その、揺るぎない拒絶の言葉に、オルドは初めて声を立て、心底楽しそうに笑った。
「は、はは。まあ、そうだろうな。そうでなくては、面白くない」
彼は、笑いながら、その、古い書物を、あっさりと、カイへと、差し出した。
「……持っていくといい。だが、忠告しておく。その中に書かれていることは、ただの、古いおとぎ話かもしれん。その真偽を、判断するのは君たち自身だ」
**
ノエルとエルラは、再びギルドの資料室の、古い書物と格闘していた。
しかし、古書の捜索は行き詰まりを見せる。そしてその重い空気を入れ替えるために、二人は、ギルドホール併設の食堂へと足を向けた。
エルラとノエルはテーブルに着き、他愛の無い話をはじめようとする。そして、ふと、エルラの視線が、食堂の隅のテーブルへと向けられた。
そこには、一人で、静かに食事をしている坊主頭の青年――『竜の咆哮』の魔法使い、シンの姿があった。
「……ノエル。ちょっと、いいかい?」
エルラは、意を決したように、立ち上がると、ノエルの、手を引いた。
「え、エルラさん?」
戸惑うノエルを連れて、彼女はまっすぐに、シンのテーブルへと向かう。
そして、彼の隣に腰を下ろすと、できるだけ穏やかな声で話しかけた。
「こんにちは。お隣、よろしいかしら?」
突然の来訪者に、シンは訝しげに顔を上げた。そして、エルラの隣に立つノエルの姿を、その目に映した瞬間。
彼の、表情が、凍りついた。
黒い、髪。黒い、瞳。
それは彼が、自らの忌むべき過去と共に剃り落としたはずの、呪いの色。
「……お前は、魔族だ」
シンは絞り出すようにそう言った。その声には、拒絶と、そしてどこか怯えの色が滲んでいた。
しかしノエルは怯まなかった。彼女は、既にナルから、そして資料室の書物から、その言葉の本当の意味を、知っていた。
「……魔族。だとしたら、あなたに何かご迷惑をおかけしますか?」
「なっ……!」
あまりにも、冷静で、そしてあまりにも予想外のその切り返しに、シンは言葉を失う。
その、二人の間に、エルラがそっと割って入った。
「ノエル、落ち着きな。……シン、あんたも悪く思うなよ。この子は何も知らないんだ。……あんたが昔、その黒髪を隠すために、自分で頭を丸めちゃったことも、ね」
エルラの、その、あまりにも、優しい、仲裁の言葉。
しかし、その時のノエルの心には、もはや同情も、共感もなかった。
彼女の頭の中は、昨日たどり着いた、あの、根源的な『問い』で満たされていた。
彼女はただ、純粋な知的好奇心で、目の前の青年に問いかけた。
「……なぜ、同じ人間を、魔族と言う言葉で区別するのですか?」
そのあまりにも無垢で、そして、あまりにも核心を突いた問い。
シンは、激しく、動揺する。
そして、ノエルは、追い打ちをかけるように、告げてしまう。
「……あなたは、悪い竜、です」
その言葉は、呪いのように、シンの心の奥底に突き刺さった。
彼の脳裏に、母が毎夜語ってくれた、おとぎ話の一節が蘇る。
――悪い竜が、お月様を飲み込んじゃったから、お星様は泣いてるのよ……。
(……まさか。俺の中には、本当に、あの、悪い竜の、血が……?)
「……飯が、不味くなった……」
シンは、それだけを吐き捨てるように言うと、その場から逃げるように立ち去った。
**
残されたノエルは、自らが口にしてしまった言葉の重さに気づき、静かに、後悔に沈んでいた。
なぜ、あんな酷いことを言ってしまったのだろう。
その、あまりにも重苦しい空気の中に、調査から戻ってきたバルガスとレオンが合流した。
「ん? どうした、ノエル。辛気臭い顔をしおって」
彼らは、事情など、何も聞かない。
ただ、ノエルの、その沈んだ顔を見たバルガスは、豪快に、そして、優しく、その小さな頭をわしわしと撫でた。
「まあ、何があったかは、知らんが、そんな顔をするな。今日が祭の初日なんだ。あと2日もある。ゆっくり楽しもうぜ」
その、あまりにも温かい言葉と、手のひらの、感触。
その、バルガスの不器用な優しさが、ノエルの凍てついた心を、ほんの少しだけ溶かす。
そうだ、この目でしっかりと、『明星祭』の『銀の鏡』を確かめなければ。
ノエルは、こんなに近くにある家族のような温かさに、心を洗われるのだった。
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