表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【第三部開始】『辺境の軍師』~職能ギルドの受付嬢は、戦術の知識で静かに世界を救いたい~  作者: かわたん
第ニ部 第二章 護衛

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

43/81

第38話:宿場町の夜と、葛藤

 暗くなってから、一行はようやくその日の寝床となる宿場町にたどり着いた。


 街道脇の平地に、数軒の粗末な建物と、それに連なるように建てられた厩舎が、寒々しい風の中に身を寄せ合うようにして並んでいる。


 明確な門や境界もなく、街道がそのまま生活の場になっているような、辺境らしい、雑多で、しかし力強い活気に満ちた場所だった。


 宿は全て、明星祭を目当てに領都アウロラを目指す旅人で満室であったが、幸いにも、商隊頭が贔屓にしているという宿主が、予備の部屋を準備してくれた。


「旦那方さえよければ、うちの荷駄宿の方を……」

 そんな商隊頭の口添えで、バルガスたちも、同じ敷地内にある荷駄宿に、滑り込むようにして部屋を確保することができた。


 これで、凍てつく夜の野営は、なんとか避けられそうだった。


 荷駄宿は、主に馬借や隊商の御者が、自らの馬や馬車と共に泊まるための、実利的な宿だ。

 雨のしのげる広い馬車留めと厩舎、そしてその二階部分が、簡易なベッド付きの御者室となり、ささやかな食堂は、宿屋の本館と共用になっていた。


 常に馬車と、そして何より、大事な積荷を確認できる構造が、彼らにとっては都合が良かった。

 さっそく御者と商隊頭たちは、何よりも大切な馬の世話と、馬車の点検へと向かっていった。


 残されたバルガス達が案内された食堂は、木のテーブルが数個並んだだけの、飾り気のない空間だった。しかし、暖炉の火と、そこで煮込まれるシチューの匂いが、長旅で冷え切った体を、芯から温めてくれる。


 バルガスは、まともな自警団もいないこの宿場町のため、主人に街道の崖崩れの情報を伝えて注意を促すと、席について、まずはエールで乾いた喉を潤した。


 ナルは、自らの商隊の馬車が見える窓際に席を取り、一杯の水を前に、警戒を解かずに休んでいるようだった。その姿は、食堂の、どこか浮かれた空気から、明らかに浮いていた。


 食堂には、領都へ向かうのであろう、何組かの身なりの良さそうな旅人と、徒歩で旅をしている者が、それぞれのテーブルで、一日の疲れを癒すようにのんびりと食事をとっていた。


 聞こえてくる会話は、やはり『明星祭』のことがほとんどだった。そして、アウロラの領主が持つという『銀の鏡』の噂話。しかしその中に、不吉な情報が混じっていた。


「聞いたかい? 三日前に、南の町が、スタンピードにやられたらしいぜ」

「ああ、聞いた。なんでも、かなりの被害が出たらしいな。ニューログレインは持ちこたえたって話だったが、南の町は、押し負けちまったとよ」


 バルガスたちは、その会話に、表情を変えずに聞き耳を立てながら、ゆったりとエールを呷っていた。


 ノエルは、エルラと共に部屋で身支度を整えると、バルガスたちの待つテーブルにつき、温かい食事を摂った。


 しかし、彼女の心は、ここにはなかった。食堂の喧騒も、温かいシチューの味も、彼女の意識からは遠ざかっていた。


 ――南の町が、スタンピードに押し負けた。


 その、旅人たちの噂話が、彼女の頭の中で、冷たい鉛のように反響し続けていた。


 彼女の魂に宿る知識が、勝手に、そして無慈悲に、その戦場をシミュレートする。


 町の規模、地形、そして噂にのぼる魔物の構成。それらの情報を基に、頭の中の地図の上で、兵棋演習が、幾通りにも、幾十通りにも展開されていく。


(……違う。受け身ではダメだ。敵の重心――『装置』を叩く。南の街道から隘路へ誘引、火計。……なぜ、私は、そこにいなかった?)


 思考は、完璧な最適解を導き出す。しかし、その完璧さが、彼女の心を、鋭い刃のように抉った。


(……南の町の人たちも、死なずに済んだかもしれないのに……。この記憶は、何のためにあるの? 救えるはずの命が失われていくのを、ただ、遠くから聞いているだけ……?)


 誰にも理解されない、全能感。そして、それに伴う、強烈な罪悪感。


 その、どうしようもない心の葛藤を、誰かに、ぶつけたい。あるいは、この世界の理不尽を知り尽くしたような、あの男なら、何か、答えを知っているかもしれない。


 彼女の視線が、窓際に座る一人の男へと、吸い寄せられていた。


 傭兵、ナル。


 ギルドの者とは全く違う、孤独で、そしてどこか諦めたような空気を纏う男。彼は、自分と同じように、この世界の『どこにも属していない』人間のように見えた。


(この人なら、何か、知っているかもしれない……)


「バルガスさん。少し、あの方と、お話をしても?」


 ノエルの申し出に、バルガスは眉をひそめたが、彼女の真剣な瞳を見て、黙って頷いた。


 一行は、あまり気乗りしない様子ながらも、ナルが座る窓際のテーブルへと、静かに移動する。


「あの……ナルさん。『森の民』のこと、もっと、詳しく、教えてはいただけませんか……?」


 ノエルの問いに、ナルは、初めて視線を窓の外から彼女へと移した。


「……嬢ちゃんか。詳しいことは、俺も知らん。ただ、彼らは、人でありながら、人として扱われなかった者たちの、末裔だと聞く……」


 その言葉に、斥候であるカイが、どこかで聞きかじった知識なのだろう、「ああ、聞いたことがあるな」と、静かに相槌を打つ。


 バルガスは、ナルの言葉の裏を探るように、低い声で問う。


「そいつらは、黒髪黒目なのか?」


 ナルは、バルガスの問いには答えず、ただ、ノエルの瞳をじっと見つめ返すと、話を続けた。


「理由は、様々だ。生まれつき強い魔力を持っていたとか、異国の血が混じっていたとか……。迫害を逃れ、森に集い、独自の文化を築いた。……それだけだ」


 それは、ギルドの資料室で見た、彼らを『異形の怪物』として描いた記述とは、全く違う、悲しい歴史の物語だった。


「……彼らは、ただ、静かに暮らしたいだけだ。森の理に従い、互いに助け合ってな。あんたが育ったという、辺境の村よりも、よほど平和なのかもしれん」


 ナルの言葉は、淡々としていたが、その奥には、彼らへの、深い同情の色が滲んでいた。ノエルは、その言葉を、ただ黙って、胸に刻み込んだ。


 やがて、馬の世話を終えた御者と商隊頭たちが、食堂に顔を見せる。


 商隊頭は、バルガスたちの姿を見つけると、安堵の表情で近づいてきた。


「バルガスの旦那、いやはや、助かりました。一時はどうなることかと思いましたが、旦那たちのおかげで、予定通りアウロラへたどり着けそうです」


 それは、この難局を共に乗り越えた、旅の仲間としての、ささやかな挨拶だった。


「おう。まあ、座れや。一杯くらい、付き合えよ」


 バルガスの促しで、商隊頭も同じテーブルに着く。自然と、話題は、先ほどから食堂で噂されている、あの不吉な話へと移っていった。


「どうやら、それなりの被害はあったようですが、相手はあくまで魔物。帝国に占領されたわけじゃないのが唯一の救いです……。ですが復興には、かなりの期間がかかりそうですね」


 商隊頭が、仕入れてきた情報を共有する。


 その時、ナルが、静かに意見を挟んだ。


「……ニューログレインと同じ、ということか。いや、違うな。ニューログレインはスタンピードを跳ね返したが、南の町では、押し負けてしまった、と……」


 彼は、バルガスたちを、探るような目で見つめる。


「つまり、帝国の侵略を阻止するための金と戦力が、魔物の対応と、街の復興に回される。結果、帝国は、労せずして、この地域の支配権を固めることができる。……まるで、帝国が、魔物を操っているみたいだな」


 その、あまりにも的確な、戦術的な分析。


 ニューログレイン防衛戦の現場を知る『鉄の街道』たちの顔が、僅かに、しかし確かに、強張る。


 ナルは、その感情の機微を見逃さなかった。

「……なるほどな。つまり、あんたたちのその荷を、帝国が狙っている、ということか」


 バルガスは、その問いには答えなかった。ただ、商隊頭に、厳しい、しかし、仲間としての信頼を込めた声で、告げた。


「あんたらは、明日の朝一で、ここを出発しな。もし、俺たちの荷を狙う奴がいるなら、そいつらが動くのは、王都軍に荷を引き渡す前、つまり、領都から離れた明日だ。奴らは、あんたらの荷には、見向きもしねえだろう。……『鉄の街道』のお守りは、ここまでだ」


 商隊頭は、その言葉の真意を悟り、ただ、深々と頭を下げる。


 その夜は、それ以上の詳しい話はなかった。一行は、それぞれの覚悟を胸に、静かに解散した。


 しかし、ノエルだけは、自室に戻ることもできず、一人、誰もいなくなった食堂のテーブルで、俯いていた。

 ナルの言葉が、彼女の罪悪感を、さらに掻き立てていた。


(そうだ、帝国は、魔物を使役する。私がいれば、あの南の町も、ニューログレインのように守れたはずなんだ…)


 その、小さな背中に、静かな声がかけられた。


「……嬢ちゃん。南の町のことを、まだ考えているのか」

 いつの間にか、ナルが、彼女の前に立っていた。

 ノエルは、驚いて顔を上げる。


「……お前、自分がそこにいれば、何か変わったとでも思っているのか? 全てを救えたとでも?」


 ナルの、全てを見透かすような言葉に、ノエルは息をのむ。彼の瞳は、夜の森のように、深く、そして静かだった。


「……それは、傲慢だ」


 その言葉は、冷たく、しかし、不思議なほど、優しい響きを持っていた。


「一人で何でもできると思うな。世界は、お前一人で回っているわけじゃない。お前は、ギルドにいるんだろう。なら、お前が本当に見るべきは、地図の上の駒じゃない。お前の周りにいる、そいつらの顔だ。……一人で、抱え込むな」


 ナルは、それだけを言うと、ノエルの返事を待つこともなく、静かに、自らの部屋へと去っていった。


 残されたノエルは、彼の言葉を、何度も、何度も、胸の中で反芻する。


 ――周りを、見ろ。


 その言葉が、彼女の凝り固まっていた思考に、小さな、しかし、確かな光を灯したような気がした。

最後までお読みいただき、ありがとうございます。


少しでも楽しんでいただけましたら、ブックマークや評価ポイントで応援していただけると、執筆の大きな励みになります。

感想や誤字報告なども、お気軽にいただけると嬉しいです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
script?guid=on 小説家になろうSNSシェアツール
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ